河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2150- グラズノフ、四季、ショスタコーヴィッチ15番、ラザレフ、日フィル、2016.7.8

2016-07-08 23:00:35 | コンサート

2016年7月8日(金) 7:00pm サントリー

グラズノフ  四季   36′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第15番イ長調  8′、15+5′、17′

アレクサンドル・ラザレフ 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


ジークフリートの死が終楽章の冒頭に出現する意味は作曲者のみが知るところだと思う。ヘンツェのトリスタンでブラ1が突然現れるあのインパクトに近い。
引用の山はアイヴスの交響曲第2番並みか。
15番と4番の相似性の結末はラザレフの言を俟たない。
謎が謎を呼ぶ曲、もう、ここまでくると、人それぞれ、みたいな作曲技巧で、謎を楽しむ。当のご本人ももしかして案外楽しんで作曲していたのかもしれない。肩の力を抜きながら。

手持ち音源は一番下にリンクしておきました。生聴き演奏会の整理はまだです。


ジークフリートの死のあと、しだれ柳風なヴァイオリンの美しくも不気味な一本線。続くブラスセクションのスタッカートな縦の線との対比が妙。この曲の白眉。いろんな白眉が何回も出てくる。このしだれ柳の再帰の後、曲はしぼみ続け、引き伸ばされたヴァイオリンに乗って弱音パーカッションの饗宴。ラザレフ棒では太鼓が結構な強さで明確。
そして一点光源の方に吸い寄せられるように消滅エンド。ラザレフは終わっても振っている。約30秒間、ペンギンのように両腕で一拍振りを続け、パタッとその両腕の力を抜いてエンディング表示。フライング封じのスペシャリストらしい。曲としてもミステリアスさが増すお見事なパフォーミングでした。

この曲は編成のわりに響きが薄められていて、一本の線の味わいが濃い。それぞれのプリンシパルにソリスト級の多いオーケストラらしくラザレフとしても認識のソロ目立たせ路線だったのかもしれない。線の太い演奏となりました。
あと、弦のパッセージを際立たせて、普段馴染んでいる演奏とは随分と異なる響きを感じました。ロシア的感覚ですかね。洗練されたものと地で行くものがうまくハイブリッドされた具合になり、ユニークな響きをこれまた堪能できました。独特な感性なのかラザレフが振るとあれが正しい響きバランスのように聴こえてくるから不思議。
それからブラスセクションのトランペット、トロンボーン、チューバのかたまりの揃い具合、充実していて緊密アンサンブル。ホルンはなぜか2番の隣にアシ(と思われる)。1番の代吹きはどこをちょん切っても困難かとは思われるのですが、不思議なポジショニングでしたね。

と言う具合で、注目のラザレフのテンポ。これはかなりの伸縮自在。全体的には殊の外、時間のかかった演奏となりました。終楽章にウエイトがありました。非常に濃い演奏。
ラザレフがいつぞやのトークで語った15番初演話。あれは楽しかった。あの頃とはまるで違う世界が今のラザレフには当然あると思う。
型のきまり具合が素晴らしく安定している。こういったところは初演の頃とはだいぶ違いうと思う。当時、細かい修正はいくつかあったようで、その後、色々とゆすって濾していい塩梅に落ち着いたのが昨今の演奏スタイルとは思います。ラザレフは初演当時から見て聴いてきているわけで歴史の生き証人みたいなところもある。4楽章構成、2,3、楽章がアタッカとなる曲、型が明確にわかる演奏で、また、主題の親近性が手に取るようにわかるのでがっちりした作品というのもよく理解できました。納得の演奏でした。
ありがとうございました。

前半のグラズノフは、非常にダイナミック。オケの方にちょっとバシャッとガラス割れたようなサウンド局面が少しありました。強奏のあたりですね。
フィニッシュは台上でラザレフがワインヤードの聴衆をなめ回すように1回転。初めて観る技でした。
おわり


2004- ショスタコーヴィッチ、交響曲第15番、河童ライブラリー