河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2147- ドヴォルザーク、チェロ協、辻本玲、8番、ラザレフ、日フィル、2016.7.2

2016-07-02 23:58:47 | コンサート

2016年7月2日(土) 6:00pm みなとみらいホール、横浜

ドヴォルザーク チェロ協奏曲ロ短調  15′12′12′
  チェロ、辻本玲
(encore)
カザルス 鳥の歌  2′

Int

ドヴォルザーク 交響曲第8番ト長調  9′11′5′9′

(encore)
ドヴォルザーク スラブ舞曲第10番  5′

アレクサンドル・ラザレフ  指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


ラザレフが日フィルの首席指揮者として横浜定期で振る最終公演のプログラムはこれ以上ないオーソドックスなもの。今までの大胆で魅力的なプログラムはどこにいっちゃったの、不思議なぐらい。
チェロはソロ・チェロという不思議なタイトルで在籍のお二方のうちの一人。昨年2015年に入られた方ですね。
非常に弾きの強い濃い音、潤いがありそして強靭なボディーサウンドです。ラザレフ好みでしょうか。圧力のあるもので、音楽の流れは横に置いている。

8番はチャイコフスキーのように響く。あっという間の怒涛の演奏でした。
おわり

 

 


2146- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.2

2016-07-02 23:19:12 | コンサート

2016年7月2日(土) 2:00pm トリフォニー

マーラー 交響曲第8番変ホ長調  22′ 58′ 
(no intermission)

(in order of voice’s appearance at part Ⅱ closing scene from Goethe’s Faust)
1.法悦の教父、ミヒャエル・ナジ(Br)
2.瞑想の教父、シェンヤン(Bs)
3.マリア崇拝の博士、サイモン・オニール(T)
4.罪深き女、エミリー・マギー (S)
5.0.サマリアの女、合唱ソロアルト、加納悦子(A)
6.エジプトのマリア、中島郁子(Ms)
7.贖罪の女、ユリアーネ・バンゼ(S)
8.栄光の聖母、市原愛 (S)

栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


いつもの定期だと、トリフォニー定期が金土と同一プログラム、サントリー定期が単発1回公演で別プロとなるところですが、今回はトリフォニーとサントリーともに同一プロ。
7/1金トリフォニー、7/2土トリフォニー、7/4月サントリー。
曲の規模もあるし、ハーディングがNJPのミュージック・パートナーとしての最終公演ということでもあるのでこのような具合になったでしょう。トリフォニーとサントリー両方の定期を持っているので何もしなくてもこの8番を2回聴くことに。それならいっそ、3回聴いてしまおうと7/2分を個別買いで聴くことにしました。
だいたいの状況は前日ブログにいれました。

2145- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.1


全般的に滑らかさが増しました。こなれてきた感じ。
大言壮語をたしなめるようなハーディング棒。マーラーがその頭の中で鳴っていたものを譜面に落としたのだろうけれども、その音響をことさら強調することはない。オーケストラという楽器等身大の鳴り。これはこれでよく理解できるものだ。
オケはだいたいいつも聴いている16型。この日は対向配置。概ね4管編成。弦にトラはむしろいつもより少ない。1vn0人、2vn4人、va2人、vc2人、cb1人という、60人中9人だけという驚くべき少なさ。ブラスとウィンドは合わせて39人中17人がトラと少し多めなのは4管でしょうがないところもある。細かい話ですけれど、いつも当日の出演者配置一覧表を見ているので、まぁ、今回のNJPは相応な段取りでむかえたのだと思いますし、演奏も力がみなぎっているいいものでした。パーカッション類は多彩だが同時に鳴ることが少ないもので、それらも含め、でかい音で空鳴りみたいな演奏をすることはまるでない。極力正社員を配し志気をあげた締めの演奏会に相応しいものだったと思います。

第2部は1種類の主題しかないようなものでよく1時間ももたせるもんだと思う。頭のアダージョを聴けばわかるように、オーケストラの落ち着いたハーモニー・アンサンブルが美しい。精神の安定が響きになって現れる。精神の安定と響きのバランスをハーディングがもたらしている。声の場面が出てくるまで相当な時間がかかるのは昨晩の感想でも書いたのですけれど、むしろここで味わうべきはこの部分のような気にもなってくる。ゲーテのクライマックスに至るそのずっと前、このアダージョはそのクライマックスの前段としての落ちついた心象風景とでもいうべきもので、やっぱりこの長さが必要だったのかもしれないと。
浮き沈みの法悦さん、低い地帯での瞑想さん、この両名のポジションと声質も、中身を読み進みながら聴くと正解の位置取りなんだと改めて思う。彼らに続くエンジェルと児童の歌の高み、これも位置関係がよく考えられていますね。昇天児童、揺れ動く天使、等々、進行するに従いマーラーの意図する高みへのステップを感じます。
騒ぎの無い丁寧に奏されたアレグロを経て、音楽はアダージェシモと推移。一番の聴きどころ、泣き節へと移る。いやぁ、落ちついたハーディング棒の情感がオーケストラに乗り移っている。見事な演奏だ。情景、シーンを見ているような気持ちになってくる。素晴らしい。
ソリストの素晴らしさは昨日のブログに書いた通りで、特に博士オニール、罪なマギー、この二人には昨晩にも増して圧倒されました。この二人、余裕あり過ぎで、こんな曲何でもないのだろうというのはオペラ漬けになったことのある聴き手ならよくわかるものと思う。オペラで歌い尽くしている人間にとっては、簡単なものだろう、と。まぁ、とはいうものの、それぞれ音楽には色々と簡単にできることと極めることは違うと、改めて実感することもあるに違いない、そこらへんの油断はまるで、無い。余裕が油断ではなくリラックスにつながり最高の斉唱となる。大したもんです。正面を向いて歌う斉唱はぶれの無いもので正確。マギーは上から下まで正確な歌唱で堅い。いつもの事なのかもしれないですけれど、あらためてオペラで聴きたくなりました。
オニールはあちこち見ながらも合唱のところは一緒に口を動かして歌っている。これも余裕あり過ぎながら歌への没頭のテンションを自ら高めていっている。精神集中と言うより作品集中といったおもむき。一緒の口ずさみはこの曲を知り尽くしているからなのだろうが、それでもよっぽど好きでなければこうはならない。全然関係ありませんが今年のLFJの天地創造で前の席のおじさん客が最初から最後まで何も見ず一緒に歌っていましたけれどあれを思い出した。全部歌っちゃいましたからね、驚きました。この前向きな楽しさ!

ということで、この日も例の1本パッセージがフル合奏となり壮麗な輝くばかりのサウンドとなりつつも、ストレートな筆の運びで、飽くまでも等身大のサウンドで、冷静なニュアンスを味付けしながら大げさになることもなく最後の一撃を落とす。
前日同様、聴衆のフライングはなく、ややドライな響きが短く浸透していって鎮まる。手応えのある素晴らしい演奏。なにか新しい作品でも聴いているようなフレッシュな気持ちにしてくれました。ありがとうございました。
7/4は千秋楽、サントリーでの公演になります。配置、響き、色々と違ってくるでしょうね。楽しみです。
おわり


2145- GM8、ハーディング、新日フィル、2016.7.1

2016-07-01 23:11:47 | コンサート

2016年7月1日(金) 7:15pm トリフォニー

マーラー 交響曲第8番変ホ長調  22′ 58′ 
(no intermission)

(in order of voice’s appearance at part Ⅱ closing scene from Goethe’s Faust)
法悦の教父、ミヒャエル・ナジ(Br)
瞑想の教父、シェンヤン(Bs)
マリア崇拝の博士、サイモン・オニール(T)
罪深き女、エミリー・マギー (S)
サマリアの女、合唱ソロアルト、加納悦子(A)
エジプトのマリア、中島郁子(Ms)
贖罪の女、ユリアーネ・バンゼ(S)
栄光の聖母、市原愛 (S)

栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊

ダニエル・ハーディング 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


定期の1階中央定席、いつもだと、しもてに陣取ったベースのサウンドが「完全に」右のかみてからブンブンうなるように聴こえてくる摩訶不思議な席です。視覚左、聴覚右と、トリフォニーの音響の妙な醍醐味を味わえる席。
弦は通常の16型で曲の副題に左右されたような気張ったところがないのは合唱メインの曲に奥行き感を与えている。その舞台上のたくさんの合唱団員の衣服に音がかなり吸収されてしまったのか、ベースの音がいつものように右から響くことは無く、左のベースが左の位置から聴こえてくる。なぜかいつもの豊かな右サウンドは失われている。地の音になっているので締まった左サウンドで、聴く方としてもその切り替えが必要と理解し調整しながら聴くことに。

概ね4管編成(ホルン8)でオーケストラはひな壇に上がることは無くフラットなポジション、そのオケの後方にひな壇一段あってそこにソリスト。その後方、さらに小幅に上げたひな壇に合唱。児童合唱は右寄り上方。左上はバンダ7本。真ん中真上にオルガン。
1部はみなさん定位置で一通り歌い終えて、2部前に瞑想さんと法悦さんは一旦ひっこみ2部の出番のところで聴衆最前列席伝いに入場してステージに駆け上がりオーケストラの前で独唱後、来たとおり戻り自席に。
エジプトのマリアさんはindisposedしたロンベルガーに中島郁子さんがreplace。プログラム冊子に反映されていないので急なものだったのだろう。
瞑想さんと法悦さんが手前に移動すると、後方のソリスト連は右端の博士サイモン・オニールと左端の罪なエミリー・マギーが挟み撃ちしながら歌う格好になり、そうとうな迫力で壮観。
4日前までベルリン国立歌劇場、バレンボイムの棒でリング、ワルキューレのジークムントを歌い終えたところで移動してきたオニールはじめ豪華なキャストが揃いました。指揮のハーディングはウィーンでキャンセルしたガッティの代棒をしたらしく一日遅れの到着とか。まぁ、それは自己判断で、リハを減らしても、出来ると。これだけのキャストですから軽く見ている演奏会ではないだろう。こんなことはよくでもないが割とある。ジェットで忙しく動き回る演奏家たち、集結の場合はいろんなパズルを組み合わせていかなければならない。何が万全なのか、何をどうすれば満足するのか、客の意識もジェット機並みに変わらなければいけないのかもしれない。

ステージ上フラットに配置されたオーケストラから派手な音は聴こえてきません。ウィンドとブラスは強さより舞台の奥行きを感じさせるもので、いわゆるステレオと言うのは左右の広がりだけではなく奥行き感の味わいもあるものだと改めて実感する。それはだいたいいつもこの席で感じていることでもあるし、編成が少し膨らんでも変わらない。合唱も舞台に乗っているので少し奥行き感は減っている感じはするが。それは合唱で味わえばいい話だ。

第1部は快速で引き締まっている。いつぞやの同じ組み合わせによるマーラー7番を思い出す。転げまわって坂道を下るような奇抜なスリル満点の演奏。あれとは曲種が違うが、同じような方針だ。7番8番とやにっこくも大げさなこれらの曲、ハーディングの一つの解決策として理解できる。あとはのっていけるかどうか。
頭から見た目、目まぐるしく変わる拍子、変拍子の複雑さは無く、テキストに沿ったものだと思う。テキストの内容の通り、前向きな音楽。ハーディングは壮大華麗さの表現を追い求めることは無く激しい音楽だが極めて冷静。歌いながらコーラスの指揮をずっとしている。ドライブ・コントロールは良く取れていて気持ちのいい演奏。形式感の定まらない曲ながら、静寂さと盛り上がり、合唱とソロ、フレーム感覚が明確で筋肉質な際立った演奏となりました。いわゆる現代的な解釈で説得力ありましたね。いい演奏でした。

第2部は枠組みが割と明確で、オペラティックな様相はあるが、まぁ、なんとはなしに、オペラを書かなかった筆の運びのようなものが見え隠れする。交響的形式感というほどのものはなくあえて言えばオペラのシーン、3度ほど場面転換が出てくるといったところか。
ここからコーダだなと言うところははっきりしている。アルミンクが以前このオケを振った同曲では、このコーダからエンディングまで10分ぐらいかけていました。ハーディングは短くて7分ほど。ここだけみてもそうとうに引き締まった快速演奏。
2部は合唱が出てくるまで響きは薄いが濃い演奏が続く。指揮者と歌いこむ合唱は正確で堅実でコンパクト。手応えをしっかりと感じ取れるものでした。児童たちの合唱はこのふしのまま3番に移っていっても違和感なし。
それにしても2部は歌が出るまでが長すぎる。ト書きの心象風景にこんなに時間かけるものかと思う。法悦さんと瞑想さんが最初書いたような様相で現れるが、そこから歌いだすまでまたかなり待たなければならない。濃くはあるが間延びする作品であることも事実と言わざるを得ない。緊張感を保持してテンションがジワジワと高まっていくのは指揮者の才覚のするところと実感。どっちにしてもマーラーの他のシンフォニーとは異質。ハーディングの解決策は理性の効いたものと思う。あらためて、流れるような才能を想う。
法悦ナジさんは小柄ながら豊かなバリトンで明瞭、やや丸みを帯びた瞑想シェンヤンとの違いがよく出ている。
長いアダージョが終わり、アレグロに。アダージョでの鋭い短いヴァイオリンのトーンがここでは各楽器に伝わっていって、はじけるようないわゆるマーラー的な面白さが出てくる。
ようやく博士オニールさんの出番ですが、もう余裕あり過ぎで、2年前NHK音楽祭に出演したころとは風貌も度胸も様変わり。どっぷりとした体躯、ひげを伸ばし、いかにもワーグナー歌いという感じ。細く明るく直進するヘルデンテノールは耳に心地よい。満喫しました。
罪なマギー、サマリア加納、エジプト中島、それぞれ歌い尽くす。短い局面だが味わい深い。
さらに懺悔のバンゼはマギーとは別な魅力あるソプラノで素敵な歌でした。
聖母市原さんがバンダのあたりに現れごく短く。もったいないというか、もっと長く歌ってほしいわ。短いほどインパクトはあるものかもしれませんけれども。彼女の歌も良くきまりました。みなさんそれぞれの持ち場とテキスト内容をよく踏まえたもので満足しました。
コーダ最後の合唱前に博士オニールがもう一度斉唱し音楽の興奮を高みに持ち上げる。
ハーディングと一緒に歌うメインの合唱は全体に舞台奥でたゆたう。音楽が生きていて揺れ動いている。これで字幕があったらどれだけよかったかと贅沢なことも考える。言い出したらきりがない。
テンポのある第1部冒頭の賛歌からきっちり合っていたので、2部のほうは余裕のニュアンス運びで表現できていたように思います。やっぱり、オペラ風にだんだん良くなる、みたいな世界はマーラーの歌にはあまりいいものではなくて、頭から最後まできっちりとしていなければならない。オペラ風味の雑味は彼には合わない。オペラモードにはなれない曲ですね。
第2部は聴きようによっては主題が一つしかないようなものだと思うが、そのパッセージがコーダの盛り上がりで大きく全奏されバンダを加え輝かしく響き渡る。スピーディーな筆運びは緊縮されたものでありハーディングのストレートな棒でめでたく完了。
フライングは無く、ことのほか冷静なあたりから徐々に盛り上がってくる聴衆の拍手とブラボー、後味のいいものですべてを楽しめました。ありがとうございました。
おわり