河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2097- ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェン、ジャックSQ、2016.4.14

2016-04-14 23:59:36 | 室内楽

2016年4月14日(木) 7:00pm 小ホール、東京文化会館

ベリオ シーケンス1  5′   フルート、工藤重典
ベリオ   シーケンス2  11′  ハープ、篠崎和子
ベリオ シーケンス6  12′  ヴィオラ、クリストフ・デジャルダン

ブーレーズ 弦楽四重奏のための書、より
            1a    3′
            1b    3′
            2    12′
            3a    4′
            3b    3′
            3c    2′
    ジャック四重奏団
      ヴァイオリン、クリストファー・オットー
      ヴァイオリン、アリ・ストレイスフェルド
      ヴィオラ、ジョン・ピックフォード・リチャーズ
      チェロ、ケビン・マクファーランド

Int

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第10番変ホ長調op.74  9′9′5′7′
    ジャック四重奏団


「ポリフォニー的なリズムの統合」、この場合の自分の理解と言うのは、リズムがポリフォニック的に多リズム、そしてそれが一つの世界になる。始点と終点がそれぞれ一つずつあり、一つの始点から始まりすぐに4つのリズムに独自の広がりをみせつつ、一つの終点に収束する。それが連続していく。独自のリズムの広がりはバラバラではなくてユニバース的ユニットの世界で綴じられている。そういった感覚で聴きます。口ずさめるようなしろものではありませんがブーレーズの作品は割とよく聴く。誰風、メシアン風、レイボヴィッツ風、ウェーベルン風、でもなく、この凝縮されたポツポツ音楽と言うのはまさしくブーレーズ風としか言いようがないもの。この聴き方、非常に疲れた。ブーレーズのこの作品、縦のものを横にして聴くような努力が要る。そうすると不思議なことに自然と、これはものすごく凝縮、圧縮された音楽作品に間違いないとフツフツと思うようになってくるから不思議。疲れが快感に変わる瞬間ですね。
ハイなスキルレベルで鋭利なサウンドのジャック四重奏のこの集団。ブーレーズの作品には欠かせないものと思いました。研ぎ澄まされた響きがひとつずつ短く、すべての音に意味があるということをこのように明確に表現できる集団の見事なアンサンブルで聴かせてもらうと、もう声にならない満足感。完成度の高い演奏です。

「対立構造」、厳格や硬質、と、柔軟や豊かな装飾性や即興的な軽いリズム構造。これは楽章対楽章の対立。この聴き方には時間の推移を止めて聴ける技が要る。全体構造を俯瞰できなければなりません。それは割と得意なんだが、この対立する2種類のエレメントを理解するには、まとめて連続演奏されなければならない、とプログラム解説にある。当たり前すぎる話なのだが、このポリーニ・プロジェクトという冠プロジェクトでは舌が乾く間もなくわざわざ二日に分けているのでお話にならない。言っていることとやっていることがこれほど違うのも対立の構造なのか。ジョークが過ぎる。二日に分けたのが商業的なものだともし仮にすれば、実際のところ誰の企画か知らないが、ほとんど論外級のダメ企画です。わざわざ、数日に分けて演奏されるのが通例で今回は二日でやると胸を張っているのはたった2回で全部できるから素晴らしい企画だろうということのようですが、残り5と6は合わせてあと10分の時間があれば出来るのですよ。何を考えているのでしょう。素晴らしい企画なのにダメさ加減のほうが浮き彫りになるケースと言うのはよくあることとはいえ。
1と2、3、5と6、という束、演奏されてきた経緯束みたいなのは確かにあることはあるが。
まぁ、明日も行く。そうしないと自分の気持ちも完結しない、二日分のチケットを買わないとならない、わかっていながら商業ベースに乗らざるを得ないこのもどかしさ。

今日のジャックを聴くと、パリジイの録音はもう少しゆったりしているなぁと感じる。どっちがどっちと言うこともなくて、やっぱり生演奏の説得力は凄いものとあらためて感じるところでもありました。ジャックは楽章間の音合わせにかなり時間を取りますね。ベートーヴェンでも同じでした。


ベリオの作品は、これはもうなんというか、何の世界かわからない。誰それさんのピアノリサイタル、同一作曲家の全作品連続演奏会みたいな世界の作曲作品版みたいなものでしょうか。フルート、ハープのシーケンスはポツポツと短く、突き刺さる音が連続する。上下によく飛ぶ音の響きの妙、音楽なのかどうかはわからない。
ヴィオラのかたはオーソリティのようでして、譜面無し。フルートやハープの楽想とそうとうに異なっていて最初から最後までギザギザ刻みまくり、これはなんなのか、やっぱりわからない。最後のみロングなトーンで落ち着きをみせる。

プログラム後半のベートーヴェンは、ブーレーズの流れから全く違和感がないもの。ベートーヴェンはやっぱり凄かったという結果に落ち着く。これはいいコンビネーションのプログラムと感じます。ジャックの演奏はブーレーズのときより柔らかい。滑るような演奏とまではいかない。息の合ったアンサンブルは音楽への共感はわかるが、聴衆への伝播がもう一つ欲しい。訴えかける説得力が要ります。


この日の演奏会は、東京・春・音楽祭の一環。ポリーニ・プロジェクトという冠プロジェクトで、明日と二日続けて行うもの。
当公演はポリーニにより、本年亡くなったブーレーズにデディケイトするということで「ブーレーズ追悼公演」として行われました。
おわり