2016年4月7日(木) 3:00-8:10pm 東京文化会館
ワーグナー ジークフリート 75′ 70′ 72′
キャスト(in order of voice’s appearance)
1.ミーメ、ゲルハルト・シーゲル (T)
2.ジークフリート、アンドレアス・シャーガー (T)
3.さすらい人、エギリス・シリンス (BsBr)
4.アルベリヒ、トマス・コニエチュニー (BsBr)
5.ファーフナー、シム・インスン (Bs)
6.森の鳥、清水理恵 (S)
7.エルダ、ヴィーブケ・レームクール (Ca)
8.ブリュンヒルデ、エリカ・ズンネガルド (S)
マレク・ヤノフスキ 指揮 NHK交響楽団
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第1幕第2場、ミーメとさすらい人の知恵比べ両3質問は、たしかに場を長くしているのだが、これまでの経緯やシチュエーションがわかるような内容になっていて、つまり彼らの世界の状況と過去の出来事がわかるようになっていて、今回の東京春祭りのように単発で年にひとつずつ、一昨年のラインの黄金、昨年のワルキューレ、そして今年のジークフリートという具合にポツポツとやられるような場合は、このワーグナーのいたるところにある振り返り語りはそれなりに思い起こしには良いものだし、それから、やり取りが3回ずつ計6回あるわけだが、この6個目の質問、さすらい人がミーメに問う内容はミーメには答えられないものだろう、というのは、過去ではなく先の話を問うているのだから。「あの破片を誰がノートゥングに仕上げるのか?」と訊かれても、先のことはミーメにはわからない、わかっていたなら苦労はしない。つまり、ワーグナーは過去の話とともに、ストーリーの興味をそそるように話を先に繋いでいる。予告編ですね。ほかでも例えば、ワルキューレの第2幕の幕切れも一つの終わりとヴォータンがブリュンヒルデを追いかけるところで終わる、過去と先のこと、うまく同時表現していてストーリーテーリングのつなぎがうまいと思う。
コンサートスタイルだとこういったあたりのところが落ち着いて聴いていられるせいかよくわかる。
また、ジークフリートでいうと第3幕の冒頭のエルダのふしが滔々と流れる中、裏打ちはワルキューレのリズムではないのか、その思い起こしとこれからのエルダ登場のあたりがうまく同時並行的に表現されていると感じるし、指揮のヤノフスキはもしかしてワルキューレのリズムを主眼に振っているのではないかとさえ思えてくる。下から上に上がるあたりに打点があるような音の出具合を嫌っていると何かで読んだことがあるヤノフスキの棒は、たしかに打点が前で、叩きつけたあたりでオーケストラの音がポーンと出てくる。この棒を何度も見てきたわけですが、この叩きスタイルだと腕の動きは大きくする必要はまるで無い。というよりも大きくすると自然と音の出が遅れがちになってしまい、その分、正確性の点で不確実性が増す確率が高くなるのが道理というのがよくわかる。したがって彼の振りは彼のスタイルでやればコンパクトになるのは必然であって、彼の中では音の出の不確実性の要素を減らす自然な行為。実際のところ見た目では非常に軽い棒に見えるし、振っているか振っていないかわからないぐらいの小さな動きでもオーケストラがものの見事にザッツの揃った咆哮を繰り返していくあたり、驚嘆すべきものがある。と今回はさらに強く感じました。見事というほかない。ワーグナーの本質表現は高演奏精度がベースになるのだろう。ヤノフスキの極意棒がすこしずつわかってきたような気がします。
それから、振った後の話であるべきものだとは思いますが、今年と来年、バイロイトでリング・サイクルを振る指揮者が、こうやってその3か月前ぐらいに、東京でジークフリート、来年はカミタソ、それぞれ振ってくれるわけですから、期待するなというほうに無理がありますね。贅沢なイベントです。
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今日は世界最高峰が何人もおりました。あまりにも素晴らしい内容であんぐりと開いた口がふさがらない。唖然茫然、極上の極み。何も言うことは無い。
最初のミーメとジークフリートのやりとり。ミーメを歌ったシーゲルの輝くテノールはキャラクター風味の癖のあるものではなくて、ヘルデンテノールのモード。こうやって歌だけ聴いていると気品が漂ってくる。非常に美しくて明瞭なドイツ語の発音がホールを揺るがす。聴きごたえありました。
ミーメがひと歌いしてから、ホップステップジャンプのような小気味よさで登場のシャーガー、身のこなしを見ただけで、なんだか絶好調のように感じてしまう。アドレナリンが歌う前からみなぎっている。自分のイメージしているシーンがあるのでしょう。踏んでいる場数の多さがよくわかるもので、こちらはこの安心感みたいなものから歌に集中できる。
テノール二人による丁々発止のやりとり。
シャーガーは身体全体をよく動かしながら歌う、リズムをとり時に拍子を取ったりしている。ヘルデンテノールは輝き、ねっとりと、まではいかないが比較的明るめで密度が高い。空気の隙間がないような声の響きで濃い。また、しなりがよくきいていて強靭なゴムのような柔らかな弾力性。そして、ミーメ同様、発音が素晴らしくよく響く。聴いているだけでドイツ語全部わかったような気にさえなってくる。日本人歌手が日本語で歌ってこれほど明瞭な発音の人いるのかなとあらぬ比較をしたくなってしまう。この段階でのジークフリートの粗野な感じもうまく表現されていて、終幕への絶頂シンギングまでの推移もお見事。英雄に相応しい声ですね。息も続きます。堪能しました。
第1幕のジークフリートはエンディングに向けて熱くなっていくわけですけれども、コンサートスタイルだと金床たたきながらの歌もないし、歌に集中できる強みもありますね。
いずれにしましても、このお二方、同質な声でありながら役柄の違いがうまく出ておりまして、対比が明確。シーゲルは絶賛拍手多かったですね。
先にも書いたさすらい人はシリンス。日本国内でも色々な役柄でたくさん出ています。この生真面目で深いバス、何度聴いても魅力的です。シリンスは役柄にかかわらずいつもシリアスで少しばかりストイックな雰囲気が漂う。それもこれもいい。このシリンスも発音が明瞭で美しく響く。メリハリのきいたバス。魅力的です。
ヤノフスキの棒はときおり風のようにするりと抜ける。過激な色濃さを追ったものではない。棒はどちらかというと高速に振りぬいている。肩の力が抜けていてひょうひょうと進む。第3場の鉄火場状態もすり抜けていく感じ。ジークフリートの原型のようなものがうまく表現されていると思う。
以上の第1幕、ミーメのシーゲル、ジークフリートのシャーガー、さすらい人のシリンス。ともに発音の声がきれい、明瞭でクリアな歌、3人の声の強さバランスも良くて、堪能しました。
第2幕ではアルベリヒとファーフナーが新たに出てきます。アルベリヒはラインの黄金の時の存在感は無く、どちらかというと、ミーメとアルベリヒの中心的役割は逆転している。ジークフリートでのミーメの活躍は多くて素晴らしい。
アルベリヒの出番はこの幕の第1場と3場。見た目だけだと、兄アルベリヒは弟みたいな雰囲気で、役を反対にすればいいような気もするが声質が異なる。ミーメのテノールに対し、アルベリヒはバスバリトン。シリンスほどの強さはありませんけれど、確実にこなしている。声のバランスも非常にいいもの。このコニエチュニーの歌唱も安定していていいものでした。
ファーフナーの出番はもっと少なくて、1場での見えない大蛇、3場でようやく舞台に現れて短く歌う。インスンの声は柔らかく、大蛇というより音楽の表現者という感じが強い。
あと、ジークフリートと絡む森の鳥が聴こえてきます。5階の右寄りの席からの歌唱。シャーガーが舞台で鳥の清水さんを対角線上、斜め上に指さしながら。思いの外、太い森の鳥で、赤裸々感ありましたね。
それから第2場のジークフリートの角笛を吹いた福川さんのホルン、完ぺきでしたね。2幕のカーテンコールに歌い手たちとともにご挨拶。次の3幕ではプリンシパルとして吹いていました。角笛の吹奏がこれだけきまると快感のこれまた極みですね。
角笛の後のところ、オケの方の今井さんがちょこっとはずしたのはご愛敬か。
終幕では新たにエルダとブリュンヒルデの出番。
エルダのレームクールの胸には圧倒されてしまいました。エルダの骨太ながら少しばかり妖しくて現実感の無い表現がうまく出ていたと思います。
そして第3幕第3場、大詰めも大詰め、煮え切ったところでブリュンヒルデの目覚めの動機がピアニシモから徐々に大きく。
ブリュンヒルデは息を吹き返し、ズンネガルトが極めて美しく、そしででかい声で、聴衆の脳天に突き刺さるようなもの凄い声。圧倒されまくり。
第2幕作曲の後、第3幕が出来上がるまで随分と期間があって、たしかにかなり違うものになっている。個人的には第3場はジークフリート劇から異質の静かな成長、もちろんワーグナーがという話ですけれど、そんな思いを強く感じます。この3場以降は神々の黄昏の方向に大きく近寄っていると思います。切り離してもいいぐらいと感じます。観るたびにそう思います。
その静かな音楽がスクリューのように徐々に盛り上がりを見せる中、ズンネガルドのソプラノはさらに他を圧する声量で上に突き抜け、天井からそのまま降ってきて脳天に突き刺さる勢い。大詰め約35分の出来事です。ブリュンヒルデに必要なのはこの強さですね。あの身体のどこからあのような声が出てくるのか、人間の不思議。
ヤノフスキの棒というのは最初に書いた通りで、エモーショナルなところで勢いをつけたり、音楽を余計な加速で追い込んだりしない。あの棒ですとそもそも流れるようなテンポで進む理屈と思えて、全般に速くなるのは必定と思います。タイミング見るとかなり速い、でも、シーンの濃淡や感情重視といったことからくるものではなくて、それは、第1幕のエンディングを聴いただけでわかりますね。追い込みありません。そもそもそのテンポでずっと押してきているわけで。あのテンポで概ねサラリと進める、ように聴こえてくるが、実のところ3幕冒頭の主旋律とリズムの絡み合い等々のように考え抜かれたもので、突き詰めて言いますと、一つの瞬間に二つのことを表現している。見事な棒だと思います。
ヤノフスキもにやけない指揮者ですが、あの目まぐるしい旋律の山、にやける暇はない。国内にやけ系指揮者には、彼の爪爪の垢垢でも煎じて飲んでほしいところです、にやける前にすることが山ほどあるわけです。
話がいつも通りそれましたけれども、まぁ、それでも、3幕フィナーレでのジークフリートとブリュンヒルデの二重唱の掛け合いは、もう少し音楽のエモーショナルなセンスも出してほしかった気もします。あまりの素晴らしいデュエットの前に茫然としているうちにスゥーと終わってしまった、そんな感興が漂ったところでもありました。
所有している音源か生観劇だったか記憶が定かではありませんが、あのデュエットの最後のハイなエンディング、テノールの方もオクターブあげて歌ったのを耳が記憶しています。シャーガーでもそこまではしませんでしたけれども、あの耳記憶、誰が歌っていたのか。いつか思い出す日もあるでしょう。
ヤノフスキはカーテンコールにはあまり出てこず、歌い手たちを引き立てます。やっと出てきてもオーケストラを称賛する。
最後、キュッヒルとちょっとだけなごんでいたのが印象的でした。
素晴らしい絶演、ありがとうございました。
おわり