河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2089- 東京春祭マラソン・コンサート 変奏曲の変容、2016.4.3

2016-04-03 23:02:36 | リサイタル

2016年4月3日(日) 7:00-8:10pm 小ホール、東京文化会館

ワーグナー(ラインハルト編)
     ハルモニウムとピアノのための二重奏曲「聖杯城への行進」(パルジファルより) 9′
              ポジティヴ・オルガン、大木麻理
              ピアノ、高田匡隆

サティ ヴェクサシオン(部分)  2′
サティ パッサカリア  3′
        ピアノ、加藤昌則

ブラームス(ケラー編) 交響曲第4番ホ短調より第4楽章   9′
              ピアノ(2台8手連弾)、
               岡田将、加藤昌則、高田匡隆、山田武彦

JS.バッハ(ブゾーニ編)
               無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調より、シャコンヌ 16′
             ピアノ、高田匡隆

お話し・企画構成、小宮正安


東京・春・音楽祭の一環、恒例マラソン・コンサート1日5回公演の最後の回を聴きに行きました。
全体タイトルは、変奏―変容する音楽、この5回目の公演副題は、≪変奏曲≫の変容。
判然としないタイトルですけれど、要は他楽器による編曲もので、変奏曲という副題はなんか違う気がする。サティはさらにちょっと違う気がする。編曲と変奏曲が混乱気味ではないですか。
パンフ読み始めるとモヤモヤが増すので、ワーグナーと生誕150年のブゾーニを聴きにきたんだっけという最初のことを思い出しながら聴くことにした。

最初のワーグナーは第1幕の聖杯のところですが、テンポが速い。今読んでいるショーンバーグの「ピアノ音楽の巨匠たち」という本にも出てきますが、昔はテンポが速かった。というよりも今が遅すぎる。といった内容のところがあり、それを思い出してしまった。が、その思い出し以上にさらに速い感じ。やつして演奏してる雰囲気は無いですが、もうちょっとコクが欲しい。この2種の楽器による響きは殊の外、溶け込んだもので原曲のアトモスフィアは出ている。合唱のイメージも湧きますね。まぁ、口ずさめます。

サティは短すぎて選曲に難あり。

ブラームスは迫力ありました。男衆4人で2台のピアノを弾くというのは相当な圧力ですね、見た目も。
オリジナルのオーケストラサウンドを彷彿とさせてくれる編曲で、8手あるとオールモースト・オールを表現できるものだなぁと納得。
演奏はジャバジャバした感じが無くて締まってました。どなたかが明確に引っ張っていくようなあたりが見えればさらに良かったと思います。

最後のブゾーニは言わずと知れた作品で、ヴァイオリンを忘れさせてくれるぐらい切れ味鋭いピアノ演奏で見事な編曲と多彩な表現。音のしずく、ウェットにつながっていく感じというのは、ヴァイオリン演奏だけではなく、ブゾーニ編曲のピアノでも感じるし、それを推し進めているのはこのピアニストのピアノによるところも大きいのだろうなぁと。


ことしのマラソン・コンサートはいまひとつすっきりしない。テーマがモヤモヤしていて選曲も無理無理感ある。来年はもっとクリアで明瞭、明確(全部同じか)、シンプルなものを望みます。
おわり