河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1768- 巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第1回:日フィル入りがきっかけ

2015-03-17 00:36:42 | デニス・ブレイン 千葉馨

巨匠との対話 デニス・ブレイン、語る人*千葉馨 第1回:日フィル入りがきっかけ

ホルンという楽器の演奏を現代的なものにしたイギリスのデニス・ブレインがホルン演奏史上、きわめて大きな役割を果たした人であることは周知のとおりだが、NHK交響楽団の千葉馨氏は1956年から57年にかけての4か月、ロンドンでブレインに学んだ。

日フィル入りがきっかけ

― デニス・ブレインとはどういうことで・・・・・
千葉― 私の前のカミさんの、イギリス人のマネージャーを通じて習いたいということを打診したんです。そしたら、まずきてみてはどうかという返事なんです。その前にひとつあったのはデニス・ブレインのおやじさんでオーブレー・ブレインという大名人がいましてね、このおやじさんにつこうという野心は以前からあったんですよ。で、敵がいくつか全然しらなかったんですよ。渡辺暁雄さんが日フィルをおつくりになったとき、バーチ(千葉氏のあだ名)日フィルにこないか。そうですね。いってもいいけどホルンなんて一人で動いてもどうしようもないから、三人か四人まとめて引っこ抜いてよ。ついては親玉が必要だからオーブレー・ブレインは爺さんだろうから柱に呼んでくれないかっていったら、いいだろう、いいだろうというんで渡辺さんが打診なさったんですよ。そしたら返事にいわく、残念ながら去年死にました(笑)。はあ、そうかいなというわけですよ。そのうちデニス・ブレインがレコードを出しはじめたので、日フィルが出来た年、ブレインに打診したんです。とにかくこいというので、私のカミさんもヨーロッパに演奏旅行のスケジュールもありましたし出かけたんです。

たいへんに普通の人

― 初対面はどんなふうでした。
千葉― なんていうホールだっけな、あれは。ロンドンも録音ホールが底払いしているらしくて、どこやらをレコーディングに使ってました。そこで録音していたのがカラヤン、シュヴァルツコップですね、「ばらの騎士でした」。フィルハーモニア管弦楽団でね。ブレインはそこでホルン吹いていたわけですね。最初会ったときは、

・・以下、次回へ続く・・