2015年3月22日(日) 2:00-5:45pm 神奈川県民ホール
神奈川県民ホール、びわ湖ホール、iichiko総合文化センター、
東京二期会、神奈川フィル、京都市響
プレゼント
ヴェルディ 作曲
粟國淳 プロダクション
オテロ
キャスト(in order of appearance)
1 イアーゴ、堀内康雄
1 ロデリーゴ、与儀功
2 オテロ、アントネッロ・パロンビ
2 デズデモナ、安藤赴美子
3 カッシオ、大槻孝志
4 モンターノ、青山貴
5 エミーリア、池田香織
6 ロドヴィーコ、デニス・ビシュニャ
7 伝令、的場正剛
他
合唱、びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団
児童合唱、赤い靴スタジオ
指揮、沼尻竜典
管弦楽、神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(タイミング)
第1幕 34′
Int 20′
第2幕 37′
Int 20′
第3幕 41′
Int 20′
第4幕 35′
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指揮者、歌い手、オーケストラ、充実の公演でした。
話は歌から入るべきところ、オテロと言えば爆発的な聴きどころの多いオーケストラ、この日のオーケストラの充実度は普通ではなく異常といえるもので、ことごとく決まっており、特にドラマチック・ポイントにおける離れ業的決め具合は際限もなく素晴らしく、指揮者の冴えわたる一点フォーカスは空恐ろしいほど。この劇的オペラがググッと締まりもの凄い迫力。
原作は別にして、ヴェルディのオテロが微妙なところは、戦いモードの音楽がそのまま嫉妬音楽になってしまっているところで、第1幕のオテロの戦いの威勢の良い勇猛ともいえる音楽が、そのまま第2幕以降の策略陰謀絡みの男の嫉妬音楽になってしまっていて、これが一種の違和感を生んでしまうところがあって、ドラマチックの種類が同じに聴こえてしまうあたり、曲想の種類のバリエーションで区別できなかったものかと思うところがある。モードのギアチェンジが必ずしもうまくいっているとは言い難いオペラではある。
最初の怒涛の音楽とラッパのめくれるようななぎ倒し演奏、稀有の表現を圧倒的な見事さで演奏した指揮者、オーケストラには脱帽しかありませんが。
それでも、ヴェルディは軌道修正に時間をかけている、それを場切りしないでやるあたりは見事だとは思います。
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舞台の人物配置が明確で分かりやすい。オテロとイアーゴのバランスが良く二人の強さ弱さ狡猾さなどがうまく展開していく。また第2幕にあるように、ときとしてシルエット美のようなものが浮き彫りになったりしてちょっとホッとするようなところもありますね。
第3幕のイアーゴの狡猾さ、盗み聞き、遠くから近くからの遠近含み、字幕だけでは厳しくて事前に勉強が必要な箇所も少なからずあります。
タイトルロールのパロンビは体格やそれからくる威厳のようなものの役向きなところはありますが、気張って絶叫するほどではない。イアーゴの堀内とうまくバランスしていたと思います。双方、泣き節はありません。深い感情そこそこ、比較的ドライな雰囲気。
デズデモナ安藤はそこの感情が男二人分あって高低無理なくコクのある歌、昨年観たドンカルロのエリザベートの佳唱そのままに光りました。
周りの歌の充実度は日本人キャストの場合たいてい良いもので、この日も脇がしっかり決まっておりましたね。ここらへんが弱いとヴェルディらしくなくなってしまう。
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休憩きっちり3回。
最近のオペラ上演では文字通りのべつ幕無しにつなげてしまうものが多く聴衆に必要以上の緊張を強いるケースが頻発というか流行なのかよくわかりませんが、個人的には賛成できない。
この日の公演はきっちり3回休憩をとり、ストーリーの進行にも心地よさがありました。
プログラムパンフは無料で文句は言えませんが、あらすじが書いてありませんでした。解説だけでは片手落ちですね。
沼尻、神奈川フィル、合唱にはもっと拍手喝さいがあっていいと思う。特に指揮者の沼尻は秀逸でしたのに。
オテロ十分楽しめました。ありがとうございました。
それにしても第2幕はプッチーニの雰囲気だよね(前半)、トゥーランドットだけでなくいろいろと。順番からいったら真逆なんだろうけど。
オテロと言えば火を噴くクライバーか。沼尻さんこれからもがんばってください。
おわり
2015年3月22日(日) 11:00 -12:15 ミューザ川崎
シュニトケ モーツァルト・ア・ラ・ハイドン 13′
ヴァイオリン、グレブ・ニキティン、水谷晃
ハイドン 交響曲第86番ニ長調 9′6′5′7′
モーツァルト 交響曲第31番ニ長調 8′5′4′
ジョナサン・ノット 指揮 東京交響楽団
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日曜の朝11時から休憩時間なしのコンサート。午後から横浜でオテロがあるので、それにひっかけて来てみました。日曜も、早起きは三文の徳。
前の週はパルジファル抜粋のクンドリの練習不足など最悪な演奏会でしたが(2015.3.13)、この日は一転、耳からうろこの素晴らしい演奏会で楽しめました。やっぱりソリストの練習半ばの演奏会などというものはやるべきではない、と改めて思いました。
この日の演奏はノットの神経が隅々まで行き届いたもので、朝から非常に引き締まった東響サウンドがすがすがしい。
1曲目のシュニトケはハイドンとモーツァルトに掛けた作品、それで2曲目にハイドンニ長調、3曲目にモーツァルトニ長調、考え抜かれたプログラムビルディングですね。
シュニトケのモツアラハイは、まず照明を落として真っ暗闇の中での開始、黒の中での演奏が2分ほど続き明るくなってくる。そして最後はプレイヤーが抜けていき演奏者4人とノットを残し、再度照明を落として終わる。ハイドン告別モードですね。
と、ここの暗闇で音がまだ鳴っているのに拍手を始めた大ばか者がいて、制御バネも無いらしく拍手をやめない、しょうがないといった感じで明るくなりノットが振り向きおじぎし、とりあえず明るくエンド。
朝から生息する音楽ぶち壊し屋には文化的ショック。これは完全な、知ったかぶりぶち壊し屋で、もちろんぶち壊したなどとは一滴も思っておらず、どうだオレ詳しいだろう、そういった意識ですねたぶん。はやく逝ってほしいものです。
これが演劇小屋での出来事なら周りに逝かされていたでしょう。音楽とシアターピースの融合の作品をその両面からぶち壊してくれた類まれな大ばか者の存在、非常に残念な出来事でした。
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気分をリセットし次のハイドンとモーツァルトを楽しむ。
この2曲の演奏、非常に引き締まったものでテンション高く、もちろんオーケストラの磨き度がかなりレベルの高いもの。
プログラムの企画が練られたもので、1時間と少しの演奏会でしたが充実した内容でよかったと思います。最後はぶち壊し屋のことも忘れました。
ありがとうございました。