河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1083- 琵琶湖で、トリスタンとイゾルデ、を満喫 沼尻竜典オペラセレクション2010.10.10

2010-10-13 00:10:00 | インポート

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2010年10月10日(日)2:00pm
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホール
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ワーグナー トリスタンとイゾルデ
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ミヒャエル・ハイニケ プロダクション
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トリスタン、ジョン・チャールズ・ピアース
イゾルデ、小山由美
マルケ王、松位浩
クルヴェナール、石野繁生
ブランゲーネ、加納悦子
メロート、迎肇聡(むかいただとし)

合唱、びわ湖ホール声楽アンサンブル、
東京オペラシンガーズ、大阪音楽大学、
京都市立芸術大学
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沼尻竜典 指揮
大阪センチュリー交響楽団
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第2幕でメロートを使って自らを刺したトリスタンが終幕結尾で腹に巻いた包帯を取り去り自らを殺し死ぬ。クルヴェナールがメロートを刺し殺す。クルヴェナールはマルケ王に一突きされ殺される。マルケ王は、みんな早まったことをしたと嘆く。そこでイゾルデが愛の死を絶唱し緞帳がおりる。
この結末はワーグナーとしては急ぎ過ぎではないか。もうひとひねりあってから愛の死に至るとこの音楽劇がもっと滑らかに終わるに違いない。
今まで幾度も観たトリスタンではあるのだが、新幹線で2時間かけてびわ湖にきて、わからないということがわかる、今まで意識もしていなかったことを有意識と出来たことはそれなりに意味のある事でした。
みんな死んでしまうことと愛の死は直接的に関係あるわけではなく、ストーリーのぎこちなさを最後の最後になって見せられてしまうわけだが、この日、それを補って余りあるのが沼尻の演奏の極度に緊張をはらんだ盛り上げでした。演奏の緊張感だけとれば第一幕が白眉であったと思いますが、この第三幕終結部においては、音楽そのものの緊張感、音楽に内在するテーマの圧倒的な深刻さを演奏が見事に表出させていたという観点においてもこれまたお見事というしかありません。換言するとストーリー転換のぎこちなさを演奏で凌駕してしまった。感情が勝ってしまったといってもいいかもしれません。劇の表現力において高い芸術性を感じさせるものでその意味でワーグナーと対等に張りあった舞台を作り上げた人たちに拍手を送りたいと思います。実際に隣の空席が沁みる1J列で一生懸命手をたたきました。
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第一幕からオーケストラは今一つ。ワーグナーがそうさせているのかもしれませんがどうも。特に特定の管がピッチ含めよくない。でも声がはいってきてからは音楽に溶け込んできてオケの緊張感が良い方向に作用し始めたと思います。第二、第三幕ではそれぞれ冒頭、オケに出足の緊張感が一気に緩んだような気がしましたので、気持ちの高まりが良い緊張感を保持できたのが第一幕であったかと思われます。油断大敵ということでしょうか。
演出はあまりぱっとしたものではなく、714席のケムニッツ向けといっては失礼かもしれないが、地元の誇りは無理やり外に出す必要もないと思います。
ワーグナーというよりシュトラウスのローゼンカヴァリエのような振付、しぐさであり細かい部分までかなり深く彫りこまれていて、舞台装置よりもそのような動きにより芸を感じた。ウィットを感じさせるような部分も頻出し深刻劇な割にはパーツにおいては妙に明るいところも感じさせてくれる。このような瞬間においては劇中の現実を思い出させてくれたりして我にかっえったりする。
イゾルデの小山は日本人離れしているというか日本人と思わず国際人という雰囲気で観ていた方が気も落ち着く。巨人族のようなピアーズと渡り合うにはちょうどいい。
ピアーズはヘルデン・テノールとは微妙に異なるような気がする。線が比較的細く力強さ芯の強さというよりももっとデリケートな歌で、このトリスタンには比較的あっていると思う。小山も割と細めの声で双方ともに強じんさよりも柔らかさ人間の弱さが前面に出ているそれぞれの役であった。
舞台前方で歌うときは非常によく声が聴こえてくるのだが、演出のせいもあると思うが舞台中間から後方で歌うと声がとおらない。ピットのオケの音がデカすぎるのか、それともこのホールのせいなのか鳴りが良すぎて声が透らない局面が少なからずあった。
沼尻はしきりとテンポを動かすがこれはもはや現代の流れ、というよりもワーグナー演奏の一つのスタイルとして定着している。ただ、例えばこの第一幕でも結尾の異常な盛り上がりとそれまでの波があまりにも違い過ぎる。最後に一番の音楽隆起があって当然のような劇の中、場面の変化をもう少しつけてもいいのではないか。
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第二幕は通常のカット以上のカットをしているのではないかと思うぐらいあっという間に終わってしまった。第二幕の演奏で忘れがたいのが2008年イルジー・コートの棒によるN響定期での爆演。このレベルにはおよばないもののみんな頑張りました。
マルケ王は個人的にはイメージに合わない。テオ・アダムの品位と節度が欲しいがそれは欲張りすぎというもの、というよりも振付がヒールっぽい感じでちょっとミスマッチ。この幕のモノローグももっと濃く彫って欲しかった。
舞台はトリスタンとイゾルデが、がちんこのシーンで何もなくなり、曲面の一部のようなところで歌う。まるで何十年も前の、舞台の上に何もない演出、を想起させる。ノーコメントだなぁ。そしてこの昼と夜の幕、黒い太陽が上からおりてくる。ワーグナーのクラシックス。
沼尻の棒はこれまた終結部に異常な盛り上がりを見せるのだが、オケに変にそんなくせがついてしまっているのではないか。音楽の静けさと激しさはこの第二幕ごろごろといたるところにころがっているのだが、どうも波をうまくとらえきれていない。最後良ければすべて良しといくとは限らない。
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第三幕の冒頭の味わいも今一つだ。第一幕の緊張感がない。三四時間で緊張の緒が切れてしまってはワーグナーを今後演奏し続けるのは難しい。というか16日にもう一回あるのだから気を引き締め直して真正面からぶつかっていってほしい。波を乗り越えてくる船のラッパはもう一回練習し直して、さらに他の舞台外からの音もここに限らずもっと大きくてもよい。小さすぎる。ピアニシモで吹いているのか、そうではなくてもっとデカく吹いていいはずだ。第一幕終結部のきざみですがしっかりと縦線を合わせていたそのような気持ちでこの第三幕のイゾルデ出現を吹きまくってほしかったですね。指揮者の意向なんでしょうが。
第三幕については冒頭に書いた通り。さらにいうならば圧倒的なトリスタンとイゾルデが最後に逢うシーン、それまでの音楽の静まりから高まり、一度ひきもう一度高まる。この場面は見事な音楽の波をつくっており、クルヴェナールとトリスタンのかけひきも息があっていて練り上げられたものを自然に感じさせてくれた。そしてイゾルデがやってくる。波が最高潮に達し、そのあともやもやとなってしまう。うまく流れない。最後の盛り上がりではないのでこうなっちゃうんだろうか?どうも次の流れにうまく結びつかない。第一幕も第二幕も終結部が異常に盛り上がりを見せる中、この第三幕も同じ。ワーグナーの流れ隆起する音楽、沈黙する音楽、そしてまた盛り上がる。ここらへんのとらえかたが全体俯瞰の観点でつかみ切れていない。わがままをいいだせばきりがない。総じて完成度の高いものでしたので。
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今回初めてこの劇場にうかがいました。ロビーから直接びわ湖が見渡せる抜群のロケーション。夜のオペラもいいがこのように日の照る中の休憩時間の気分転換は何物にも変えがたい。中の雰囲気は初台の新国立劇場のおもむきがあり、落ち着きのある観劇にふさわしいもの。席の表記が著しくわかりづらいことを除けば言うことはない。
ドア・ツー・ホールが2時間ちょっとの新幹線をいれて約3時間強。考えようによってはあっという間。パルジファルならまだ第二幕が終わったぐらいの時間で着く。もっとも帰りのこともあるので日帰りとなるとそれなりにいろいろとある。今回は翌日14時から新国立でアラベッラを観る予定もあったのであまりゆっくり食事などする時間はなかった。
年一回の学芸会的なところはまるで無く、しっかりとこの位置に根差した芸術劇場であり、良い意味でルーチン的に訪れたいところとなった。
おわり

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