河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1277- 湯治場オランダ人 スーパーフラブラつきブル4 他、下野 読響2011.7.19

2011-07-19 22:11:34 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2010-2011シーズン
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2011年7月19日(火)7:00pm
サントリーホール
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ヒンデミット さまよえるオランダ人、序曲
~へたくそな宮廷楽団が朝7時に湯治場で初見をした~
(下野竜也編・弦楽合奏版、世界初演)
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ヒンデミット 管弦楽のための協奏曲OP.38
(日本初演)
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ブルックナー 交響曲第4番(ハース版)
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下野竜也 指揮
読売日本交響楽団
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チャイコフスキーの悲愴ならいざ知らず、ブルックナーの第3楽章スケルツォが済んだところで、すぐご近所で想定外のスーパー・フライング・ブラボーがあり、体がビクッと反応してしまいました。この雄たけびマンは曲に関して十中八九無知なわけで、それであっても少なくとも「まだ終わった感じではないな」といったあたりを皮膚感覚で感じて欲しかったのですが、確信犯的フライングブラボー屋のその悪い部分だけ真似してしまっているわけです。確信犯よりは、たちは悪くないが、なんでそんなに競って叫ばなければいけないの?それもラスト一楽章残してまで。
ということで想定外のためこちらも聴くバランスを失ってしまいました。特にブルックナーのような構造物の場合、聴き終えている最初の三楽章分まで一気に崩れ去ってしまう可能性があり、はた迷惑この上ない。
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この日の4番は、ハース版!です。
タイミングはざっくりと以下のよう。
第一楽章:20分
第二楽章:16分
第三楽章:11分
第四楽章:22分
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下野の解釈は、なんというか、要は、構造力学的な方向の解釈ではない。三主題のソナタ形式、ロンド、スケルツォ-トリオ、そのような部分にあまり力点を置いていない。
ハース版は少し華麗に聴こえて第三楽章などハーモニーが変だなぁと思ったりする箇所が散見。そこらあたりは研究家にお任せするとしても、ブラスは華麗かな。
自分の席(一階9列目)からのサウンドは弦の深い森が圧倒的であり、ブラスは正しく奥から聴こえてくる。また棒も深く、これだけ遅れて出てきてアインザッツが揃っているあたり指揮者とプレイヤーの信頼関係を聴くことが出来る。
構造力学的な方針で進む場合、第一楽章からブルックナーの三つの主題の置き方あたりからはいる。無用なリタルダンド的引き伸ばしはしない。一小節におよぶ三連符も正確に。などなど、締めていき、構造物のようなものを時間の流れの中に構築していく。寸法が揃わないと建築物は瓦解する。でも、下野はその方向には固執していないと思う。わかりやすい解釈ではあると思う。
そんなブルックナーは意外でした。下野の特徴の一つは「だれないテンポ感」であると思っているので、この日のブルックナーもその方向かなと思っていましたので。
誤解しないように言っておくと、この日、「だれた演奏」だったわけではありませんので。
一言で言うと「総花的演奏」
あれもこれも、幅広く求める、そんな感じですかね。
例えばソナタ形式第一楽章の第一主題の経過句はかなり伸ばすがディテールにこだわっているというより、プレイヤーに比較的お任せのフレージング。よくあれで揃うもんだと感心してしまう。流れを止めない演奏ですが寸法はかなり自由。さらに、アダージョ楽章のクライマックスへのもっていきかた、かなり自由に伸ばしまくる。意識された感情の高まりの表現であり、ここらへんは賛否両論だと思う。などなど。
スケルツォ楽章の刻みは下野本来の正確な突進する刻みが爽快、痛快。生理的快感。それに比べ、トリオの味のなさ。ここの表現はフルトヴェングラー&ウィーン・フィルの物憂げなエクスプレッションに勝る演奏はなかなかない。いずれにしても下野の方針で進むならもう少し表現の幅の広さがほしいところ。
現場で見ながら聴いているとホルンコンチェルトのような曲なのだが、2回目のスケルツォから俄然調子が上向いてきた。合せて他のブラスも快調に刻みをいれてスケルツォが終了。
ここで例のスーパー・フライング・ブラボー。無知は無知としてもこらえ性もないと思う。会社の競争じゃないけれど、「ここはひとつ、退場していただく」ということにしたいものだ。ブラボー表現自体別に悪いことではないが、確信犯的な連中も含め、「あらかじめ誰がどこで叫ぶかわからない」ということが問題を複雑にしている。
事後発見やむを得ないが、マイクロチップ(電子タグ)をつけて次回から入場させるような措置ができないものか。
それでこのブラボーに指揮者下野もさすがに客席方向に向いて軽くたしなめるようなしぐさをしていたけれど、電子タグほどの効果はあったかどうか。
第四楽章は、このような想定外の状況での進行。
華麗なサウンド。ソナタ形式へのこだわりというより自由な動きと展開のスタイル。深い沈み込みはなく上向きにサウンドが広がる。上側180度四方に拡散する表現、深い沈み込みはない。ブルックナーの場合、そのようなブルーな沈み込みにときとして魅力あるサウンドで出くわすことがままあるのだが、この日は上位方向のみ。下側180度四方の音楽の響きは聴かれなかった。すすみ具合としては特に問題があるわけではないが、音楽の振幅、多様性といったあたりの広がりを味わいたかった気持ちは残る。
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第一楽章から弦の潤いは素晴らしく、ヴィオラの青い響き、チェロの太さ、ベースの安定感、ヴァイオリンの艶、それぞれ特に第二、四楽章を中心に聴きごたえがありました。
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前半の一曲目は奇妙なタイトル。題名の通り、湯治場で風呂上がりの浴衣感覚での演奏。会場P席奥は写真の通り「読響温泉」そして7時を示すでかい時計。
団員がリラックスした風呂上りスタイルで入場し、続いて同じような感じで下野がおはようとはいってくる。演奏は、まともにめちゃくちゃ、途中ワルツのノリがあったりお叱り、さぼり、適当な演奏、など温泉での練習ならでは?初見スコアだからしょうがないかっていう感じで。面白かったですね。わるのりですけど。
ヒンデミット二曲目は日本初演。
編成が巨大化した駄作。
おわり
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