河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2142- エグモント、ラフマニノフ3番pf協、河村尚子、ベートーヴェン7番、山田和樹、バーミンガム市響、2016.6.28

2016-06-28 23:32:11 | コンサート

2016年6月28日(火) 7:00pm サントリー

ベートーヴェン エグモント序曲 9′

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調  19′、12+15′
   ピアノ、河村尚子
(encore)
ラフマニノフ エチュード op.33-8  4′

Int

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調  12+8′、8+6′

(encore)
ウォルトン 「ヘンリー5世」より「彼女の唇に触れて別れなん」  2′


山田和樹 指揮 バーミンガム市響


バーミンガム市響とサイモン・ラトルのコンビの来日公演を聴いたのは1991年と1994年、ほかの年にも来日していたかちょっと記憶にない。
1991年はトゥーランガリラやGM9など、派手系で意欲的なプログラム。1994年は落ち着いたプログラムで、ソリストにアルゲリッチやクレメルをむかえていたので、1万9千円と、22年後の今回の公演よりも高い。この来日公演で忘れられないのは、ハイドンのシンフォニーとアルゲリッチが独奏をしたプロコフィエフの3番コンチェルト、そしてショスタコーヴィッチの15番シンフォニー。あれはよく覚えていますね。アルゲリッチの爆演、ショスタコーヴィッチの最後のところのまさしくピアニシモによるパーカッションの饗宴、あれですよ、忘れ難きは。
今回の公演、ヤマカズとの来日、どのような経緯でこうなったのかわかりません。プログラムによると当公演の前、チェルトナムとバーミンガムでこのコンビで、来日公演プログラムをやっているようなのでその流れと思われます。9月から女性指揮者が音楽監督になることが決まっている模様ですので、ヤマカズは単発の客演なのかもしれません。ここらへん、500円プログラム冊子を読んでも判然としない。判然としないと言えば、このオケの来日公演がらみの、要は日本との絡みの話が書かれていない。時の流れの実感があまりないものです。


序奏がおそろしくゆっくりテンポのエグモント序曲の心地よい響きから始まった。冒頭の第1音が異常な長さでなかなか切れない。ヤマカズさん、このオケのサントリーでのサウンド具合でも確かめていたんでしょうか。棒を持った右手のかすかな震えに、いくら場慣れした指揮者でも最初の音は緊張するものだ、そんな感じも見え隠れしました。
いわゆるかんむりコンサートで、始まる前、外で招聘会社の身長のある若者社員たちが誘導看板を持ち上げて招待客を誘導していたこっぱずかしいざまはカラヤン広場に相応しいものとは思えない一瞬現実離れしたシーンでも見ているようなところがありましたが、その誘導されて入った客たちも含め、ホールはほぼ満員の盛況。それらを含めるかどうかは別としても、やっぱり日本最高峰の耳を持つ有料客が静かに聴く演奏会は指揮者にとっても恐ろしさを感じる局面があってもおかしくない。

オーケストラの音色はラトル時代とは随分と変わりました。細めの分析的でナイーブ、ちょっとボテ系なところもありつつ、ユニークなプログラムで魅了していた一時代とは随分と変わりました。
一言で言えばマスで攻めてくる響き。音の束(たば)ですね。ストリングがメインと言えば当たり前すぎる話ですが、そうとうに弦中心な世界になっている。後半プロのベト7では、14-12-9-8-8(たぶん)でベースに重心が移っている。おそらくエグモントでも同じ型での演奏だったと思います。この日の公演では収録マイクが派手にあったのでいつか聴く機会があるかもしれません。
弦はこのバランスのアンサンブルにプレイヤーたちが完全に慣れている状況で、ベートーヴェンサウンドは有無を言わせぬ説得力。ウィンドやブラスのザッツはスパーと決まるのではなくバチッとくる。音の焦点が一点あってそこめがけてみんなバチッと吹く。教科書的ザッツではなく生きた音楽の実感ですね。ティンパニも一人孤高の高みに達していて本格派オケにいかにもいそうな雰囲気をかもしだしつつ。
エグモントいい鳴りでした。フィナーレの晴れた長調、ベートーヴェンの吹き抜けるようなカタルシス、よかったです。


ラフマニノフの3番コンチェルトは何回聴いても凄い曲と思う。冒頭の神秘的な導入から始まって、次々に繰り出される技巧、目まぐるしく動き回る両手の動き、人間技とはとても思えない。ラフマニノフもよくこんな曲を作ったものだと思う。まぁ、本人がプレイ出来そうなことを全部押し込んだ作品なのかもしれない。
河村さんの入れ込み具合も尋常ではない。没我分身ラフマニノフといった感じで、観聴きするほうもエキサイト気味で興奮を抑えきれない。静かな伴奏の上を激しく動き回る指は、もう、ポリフォニックなスーパー人間技、神降臨の作品、再現芸術の醍醐味を味わい尽くしました。極みですね。
河村さんの表現は振幅が非常に大きい。2楽章などはメロディアスでふと気がつくとロマンチックなムードが漂い映画音楽でも聴いているような錯覚に陥る。心地よい。
かと思うと早技神技パッセージでの余裕。この目まぐるしく動く鍵盤上の指、その激しい音の響きを河村さんは耳をそばだてて自分で聴きながら確かめているような神余裕がありますね。バチバチ・スー、バチバチ・スー、と、くる感じで、音符の塊が前のめりせずにまとまるのでスコアとは少し音価レングスが異なるのかもしれない。スー、のあたりで音を確かめている雰囲気があります。
第1楽章のおしまいでちょこっとだけ出て、それでもなおかつ待ちくたびれた様子も見せないブラスの活躍は終楽章のピアノによる静かな祈りのような短いフレーズのあとからだけとなりますけれど、この緊張感の保持、素晴らしいものですね。
ピアニスト河村が極度な神指モーションになる中、滑るようなストリング、ブツブツと縦突進するブラスセクション、全部合体したエンディング、ラフマニノフの昇天技極まれり、ピアニストは最後の音を弾き終わる前だよあれは、と言う感じで立ち上がり指揮者に走りヤマカズに突進ハグ。全部決まった瞬間でした。
まぁ、45分もあんな難解な作品を弾きっぱなしなんだから最後のアクションだけは好きにやらせてくれてよ、そんなところか、ハグ・フィニッシュは河村さんの絶演に相応しいものでした。エキサイティングな演奏で興奮を抑えきれませんでした。
ちなみに及川さんの演奏を聴いたことがありますが、彼は椅子のケツ蹴りフィニッシュで、椅子が1メートル半ほどヴァイオリンの方に飛んでいきましたね。あれはあれでスーパーな幕切れだったのを覚えています。

ということで、素晴らしいラフマニノフ、伴奏のオケ、伴奏どまりではない。ヤマカズはそうとうにオーケストラに事前味付けをしている模様。ニュアンスが濃い。ハーモニーのバランス、異種インストゥルメントが絡むアンサンブルのバランス、慎重に調整されたものと思われます。ラフマニノフの響きをこのように表現したということになりますね。
また、同じようなアンサンブルでパッセージが動きを見せるところで、濃厚に膨らみをつける。伴奏越えですね。個別のプレイヤーによる名人芸ではなくマスで攻めるあたりのことはストリングだけでなくウィンドアンサンブルでも同様と思います。バーミンガム市響はひとつの合奏体として秀逸なものでした。


後半プロのベト7、これは上記を踏まえればもはや推して知るべしの本格派ベートーヴェンで、まぁ、EU離脱表明したとはいえ、どこの国のオーケストラなのかわからなくなる。
ベース8、チェロ8、と重心を下げつつ、機動性の表明も感じさせる響きで、見た目も動きがよい。ノンビブなところも魅せつつ、研ぎ澄まされたスタイリッシュなものではない、ブリティッシュ風味ないつでもオレらが一番新しいといったところもまるで無い。オーソドックスの極みに変貌した。これがこれから作っていくわれらのトレンドなのだということかもしれない。そんなフレッシュさも感じさせてくれました。
正三角形に構築された音場バランスで荒れ狂うシンフォニーの音の狂乱、ギスギスせずに進むさまは滑らかさを追ったものではなくて、マスでのアンサンブルの妙味を感じさせてくれるものでした。マスサウンドで動きがよいのでみなぎる活力感じますね。オーケストラとしての果敢な攻め、これが現音系ではどうでるのか、確かめたい気もします。
このベト7、第1,2楽章はアタッカで。第1楽章のコーダの爽快感はまだ先があるのよと感じさせてくれるのに十分なベートーヴェンの作曲技巧だと思いますけれども、それを十分に把握したうえでのアタッカで、第2楽章にストンとはいる短調の憂い、以前は有名演奏家が無くなった時に追悼の意でよく演奏されたこの第2楽章、憂いを含んだ表現は慎重なアンサンブルバランスへの配慮が自然で秀逸な演奏でした。
この楽章はポーズをつけて一服。第3,4楽章はアタッカで。少しずつ加熱していく演奏はエモーショナルなヤマカズ棒でさらにヒートに。国内オケを振っているときとは少しばかり違う動きは大きく、また刻みが深い。若いときの小澤のような一心不乱棒とは別のものですが、あの瞬間を思い出す局面も少なからずありました。
オケが要所を果敢に決めていってくれるので過激な曲にも突き抜けた爽快感の方が上回るようになり、抜けるようなエンディング。

個人的にはヤマカズさんは振りが板についていないところがあると思っているのですが、不自然なぎこちなさとか、滑らかでない棒の運びとかが散見されるというあたりのことですが、それは先のパッセージのことを考え過ぎながら振っているからではないのかな、と思ったりして、指揮棒の余裕がまだまだ見せかけと言っては語弊がありますがそのようなものでいっぱいいっぱいなのではないかという気もします。
これからどのように進化、変化していくのか、楽しみな棒でもありますね。

今日は素晴らしい演奏、ありがとうございました。
おわり