河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2128- グラス、コンプリート・エチュード、滑川真希、久石譲、フィリップ・グラス、2016.6.5

2016-06-05 20:57:53 | リサイタル

2016年6月5日(日) 3:00pm‐6:05pm トリフォニー

フィリップ・グラス コンプリート・エチュード

エチュード・パート1  (duration)  62′
1,2   ピアノ、フィリップ・グラス
3,4   ピアノ、久石譲
5,6,7  ピアノ、滑川真希
8,9,10 ピアノ、フィリップ・グラス

Int

エチュード・パート2  (duration)  67′
11,12,13,14,15  ピアノ、滑川真希
16            ピアノ、久石譲
17            ピアノ、フィリップ・グラス
18,19,20       ピアノ、滑川真希

Int

トーク 20′
司会者からの質問等に答える (順番に)
フィリップ・グラス、
久石譲、
滑川真希、
フィリップ・グラス

以上


2回の休憩入れて3時間越えの長い演奏会になりました。
エチュードはパート1,2、演奏自体はそれぞれ40分レングスだと思いますが、奏者入れ替えに時間が少しかかるのと、演奏自体全般的に叙情的な印象をもちました。ので、それぞれ1時間越え。中身の濃い充実したものでした。

グラスはどこかで見たことがあるかもしれませんが今は思い出せません。彼の自作自演を聴くのは初めて。
時刻が来たところで、ベストをラフに着た感じで、スタスタとあっさり登場してあっさりと弾き始める。いきなりグラスワールドに突入です。
CDでの聴込みはあるとはいえ、こうやって生でそれも本人が弾くエチュード、最初の2曲をまず彼が弾いたわけですが、甘いスウィートなメロディーラインが結構、自然に強調されているように感じる。ミニマルなリズムを終始、鍵盤を押すことの繰り返しにより持続させていくのが難しいのか簡単なのかはわかりませんけれども、そのリズムに乗せてメロディーラインがよくわかるプレイ。この最初の演奏がテンポ等も含め、そのあとの二人の奏者の目安になるものだろう。
グラスは譜面無しで2曲。そして次の2曲は久石さん、譜面台をセットし、椅子を取替えたりと少し間が空くが緊張感は保持されている。テンションが切れないリサイタルです。
久石さんの奏する2曲は共感とともに技術的な部分でのこともふと脳裏をよぎったりする。
スペシャリスト滑川さんはその次の3曲。譜面台をはずし、椅子を変え、滑川さんの場合は譜面をピアノにじかに置く。演奏は、言わずもがな、板についていると言いますか決定的なもの。夫のデニス・ラッセル・デイヴィスDRDが思い浮かぶメリハリの効いたしっかりとしたプロプレイヤーとしてのライブ・グラス・ミュージックでした。
パート1はDRDの依頼により最初6曲、それにあとで4曲足して10曲としたものとのこと。滑川さんは、5,6,7曲と言う具合で6曲目をまたいで演奏と言うことになるかと思います。これらピース、彼女の演奏で非常に引き締まったパート1となった。別タイミングで作曲されたものがあるとはいえ、その基本的なメロディーラインはずっとあるような気がするし、そのあたりさらにクリアになる演奏だ。
パート1の締めはグラスが再び登場。あっさりと始まる。滑川さんのあと、曲想の違いもあるが少しゆるりと。速いパッセージの指の回転も素晴らしいもので、ちょっと縦にスタッカート気味になったり、と。
ここまで全10曲、モードが似ている。雰囲気に統一感がある。一つの作品を聴いたという実感がありました。充実の1時間越え。

休憩をはさんで、後半パート2、ここは滑川さんが10曲中8曲のプレイ、事実上、彼女のリサイタルと言う感じでした。
このパート2は、パート1とは違い後年プロ・ピアニストのために書かれた作品で、久石さんグラスさんは、それぞれ無難な曲を顔見世的に1曲ずつ弾いた印象です。
全体の音楽的な充実感はこちらが上と感じる。それに滑川さんがほぼずっと弾き続けたのも良くて、演奏の安定感からくる作品の視界が広がっていくさまがよくわかるもの。
最後の20曲目はそれまでの音楽とはがらりと様相を変え、甘い甘いスィートスィートなロマンティックでメロディアスでメランコリックでマンハッタンのディープな夜想曲のような具合。滑川さんによるとこの曲想は同時期のゴッドフリー・レジオ監督の映画「ビジターズ」の音楽的な雰囲気が漂っているとのこと。
でも、それよりもなによりも、ミニマル・エチュードのそれまでのピースとはまるで異なるものを最後に置く意味ですよね。ブラインドで聴かせたら誰もグラスの曲とは思わないのではないのか、まるで違うものなのだ。グラスは自らのミニマルになにか安息の終止をうたせたいのではないか、終焉を自ら招こうとしているのではないか。創作の意欲はいつまでも強くあるべきとグラスの話はあるのだが、この長い作品をこうやって聴いて最後の最後にこのようなピースを置く、その意味合い、深く考えさせられるものがある。
ここは、作曲者本人はもちろんのこと、滑川さんやDRDにも是非とも訊いてみたい気がする。
彼女のナイーヴで炎が消えるような演奏に、かすかに聴こえてくるリズミックなミニマルの断片が途切れ途切れと、そして消え去る。
最高の演奏。


滑川さんには華やかさがありますね、スペシャリストとしての凄さ、それに表情もいい。3度出ることになりましたけれども、最初は赤いドレス、次はドレス風に着こなしたクリーム色主体の羽織風な着物にパープルの帯。最後に白黒のドレス。衣替えも鮮やか。

もう一度休憩をはさんでピアニストお三方へのインタビュー。実際はグラスが通訳無視のロングトークとなりました。
充実したスリー・アウワーズ・ロング・リサイタルでした。
ありがとうございました。
おわり

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