河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2124- ローエングリン、新国立劇場、2016.6.1

2016-06-01 23:35:19 | オペラ

 2016年6月1日(水) 5:00-10:20pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
マティアス・フォン・シュテークマン リヴァイヴァル・プロダクション

ローエングリン

キャスト(in order of appearance)
1-1 伝令、萩原潤 (Br)
1-2 ハインリヒ国王、アンドレアス・バウアー (Bs)
1-3 テルラムント、ユルゲン・リン (Br)
1-4 オルトルート、ペトラ・ラング (Ms)
2  エルザ、マヌエラ・ウール (S)
3-1 白鳥
3-2 ローエングリン、クラウス・フロリアン・フォークト (T)
4  ゴットフリート

新国立劇場合唱団

飯守泰次郎 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
前奏曲 10′
第1幕 55′
Int
第2幕 86′
Int
前奏曲   3′
第3幕 58′

いいものとそうでないものがめったにないぐらいごちゃごちゃと混ざった上演でした。
ソリストはほぼ概ね素晴らしい、比して、オーケストラの具合はまるで、ローエングリンは毎日がぶっつけ本番、みたいな演奏でちょっとひどいものでした。小屋のオーケストラの雰囲気を地でいく感じ。それから、合唱、特に男声合唱は自分のポジションに着くまでもたもたしていてポジションに立つ前に歌が始まってしまっている。当然うまく歌えない方々も出てきてしまうわけで、後方は特にひどく、たしかにそのような合唱で、張り無し厚み無し。なんでこうなるのか。どのようなリハーサルをしてきたのか。
結局のところ、オーケストラと合唱の問題は指揮に原因がある。この指揮者がワーグナー独り占めするのではなくて、若くて旬な指揮者に振らせてみてはどうか。この日の問題点はかなり改善されると思いますよ。これ以下はないでしょうからプロなら。

それと、舞台もあまりよくない。第1,2幕と3幕は仕掛けも含めてまるで違うもの。この違和感。1、2幕は場面転換無し、動き無し、物も無し、ないない尽くし。3幕は場面転換含めかなり劇的に動く。シンシンとした幕とごちゃごちゃした幕、こうゆうの対比の妙とはいわず単にアンバランスと言う。

ソリストはフォークトはじめ脇も良く、このソリストたちに申し訳ないぐらい足を引っ張ってしまった問題指揮、残念でした。


第1幕のプレリュードはかなりスロー、それ自体は特にどうということもないが、小さくまとまった弦が凝縮してこってりとしたアンサンブルを聴かせてくれれば申し分ないところ、なんというか空気が希薄というか、単に響きの薄い音が聴こえてくるだけですぐに間延びしてしまう。この前奏曲で聴かせてくれないことにはこのオペラは始まりませんですよ。なにしろここの節(ふし)が終幕、ローエングリンの素性明かしの場での節なわけですからね。
このテンポは最後まで変わることなくて、とにかくスローと希薄がブレンドしてしまった弱体演奏でした。
ソリストたちは概ね良いものでしたが、この1幕は舞台のシンプルさも加わりフォークトはじめ棒立ちの歌。動きが無い。舞台全般、とにかく、さえないものでした。
テルラムント、国王は足を引っ張られることなく堂々とした歌で良かったと思います。

2幕の悪だくみ2人の位置対比はよくわかるものでした。オルトルートのラングはキャラクター風味の悪役なわけですが動きに切れが無くまた振付がうまくいっているのかも少し疑問。それと、ギネス・ジョーンズを少し思い出させる声のぶら下がり、ピッチが正しい位置に来るまでに少し時間がかかる。また、ピッチそのものも正しい高さなのか、よくわからなくなってしまうところがある。昔取った杵柄は大きいとは思いますが。
この2幕は全般的に振付、動きがきっちり演出通りなされているのか怪しい。一言でいうと粗末で、コントロールが効いていない舞台。

終幕になってようやく舞台が動き始めた。手遅れの感が無きにしも非ずで、その前までのことを無きものして、かつその上をいかないといけない。
結局のところ、この幕のエルザとローエングリンの長い長いシーン。それとローエングリンの素性明かしのフォークトのこれ以上ない絶品な歌唱。これに尽きる。これでそれまでの色々なマイナス点を払しょくしてしまい、まるでそんなことは無かったと忘れさせてくれるぐらい素晴らしいフォークトの歌で締めとなりました。
また相手役ウール、かなりじめじめした舞台にしてくれるエルザではあるが、このデリケートなエルザはありかなとも思う。じわじわと締めつけられるものがありました。途中から人格が乗り移ったか、フォークトが、われはローエングリンと名乗ったところ、ジャストタイミングで倒れた。入魂の演技でした。ここらへんは見ごたえありました。
ゴットフリートは1年務めあげずに元の姿に戻って舞台の下から上に舞台移動であがってくる。ここは説明が要る部分だとは思いますが、だいたい忘れてしまっている。
もう少しメリハリをつけたものが欲しい。白鳥も出して次にゴットフリートに変える、白鳥とゴットフリート、ふたつの存在を見せなければ劇的なものになるには弱い。
結局のところ、今回のローエングリンはフォークト、第3幕のためだけにあるようなもので、そのような意味では芝居小屋を見ているようなものでした。

それから、魔女のオルトルート、それに倒れて立ったエルザ、舞台上手にそれぞれのタイミングで行ってしまったわけで、あれ、違和感ありましたね。

棒の問題が浮き彫りになった上演でした。
おわり