河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2138- ベトソナ、1、15田園、22、23熱情、愛知とし子、2016.6.16

2016-06-16 23:59:59 | リサイタル

2016年6月16日(木) 7:00pm ベヒシュタイン・サロン、汐留

オール・ベートーヴェン・プログラム

ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調  6′6′3′7′
ピアノ・ソナタ第15番ニ長調 田園 10′6′3′4′
Int
ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調 6′5′
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 熱情 9′7′7′

(encore)
バッハ 主よ、人の望みの喜びよ 3′

ピアノ、愛知とし子


演奏のこと以外の雑味成分を全て除いて耳と目をプレイに集中していけば、なかなかいいリサイタルだと思いました。
駆け上がるような音型から始まる1番は、モーツァルトのシンフォニーとの相似形というよりも未来のベートーヴェンのシンフォニーの力感を感じさせてくれて魅力的。シンコペーションやスタッカートの切れ味が今一つでしたが、曲が進むにつれて良くなっていきましたし。1番から思考の森に入り込むような演奏はそれはそれで魅力的ではあるが、ひたすら系もいいものです。
田園はパストラーレのモードというより激しさの側面が見え隠れしていて新たな発見。生で聴く醍醐味のようなものがありますね確かに。
休憩後の22番、短いものですがヴァルトシュタインの響きが聴こえてくる。特に第2楽章に感じる。この日はヴァルトシュタインも告別もありませんでしたが、ヴァルトシュタインの終楽章を聴けば告別の第1楽章が呼応する。そのような感じで、プレイ演目に無い作品のあたりのことまで色々とイメージ出来ました。22番の劇的な泡立ちと言うのは1個前のヴァルトシュタインに近くて、未来に向かう模索なのかどうかは知りませんけれど、熱情へのブリッジにはなっていると思いますね、結果的な話かもしれないが。
21番と23番の両方の怒涛のような音楽の間に、やっぱり激しさがあった。
プログラム最後の熱情、あまりに激しい曲で、緩徐楽章を聴けばほっとする作品。それもアタッカで終楽章に突入するのでやっぱり真の安らぎは無い。シンフォニーの5番もアタッカで終楽章に突入しますが、スケルツォからの移動なので熱情とは違います。発想のフレームワークの活用ということでしょう。

愛知さんはお初で聴きました。演奏はベートーヴェンに真剣に向き合っている感じ。対峙ではありません。作品への手応えの実感を伴いながら演奏しているように見受けました。ですので作品からエネルギーの照射を受ける、それで受けたこちらはまた聴き込んでいきたいと思わせてくれる。手応えあるリサイタルでした。
ありがとうございました。
おわり