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河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1654- グレン・ディクテロウ、ニューヨーク・フィル2014.6.28が最後の、

2014-06-27 23:05:05 | インポート

グレン・ディクテロウがニューヨーク・フィルを引退するにあたりニューヨーク・タイムズがインタビューをしたようです。その意訳です。

オリジナルはここ→NYT

自分の自力意訳は以下です。参考になればと。


2014/6/25NYT
グレン・ディクテロウ、ニューヨーク・フィルを去るにあたり

マイケル・クーパー 記 2014年6月24日
エイヴリー・フィッシャー・ホールの楽屋、空で開いたままのヴァイオリン・ケースそれは、ニューヨーク・フィルの歴史の中で最も長くコンサートマスターとして仕えたグレン・ディクテロウが土曜の夜のコンサート(K注:土曜の夜=2014/6/28)を最後に引退をするということをあらためて気づかせてくれている。すなわちニューヨーク・フィルが初めてディクテロウに貸与した1727年グァルネリ・デル・ジェスが返却されるのを待っているということなのです。
ディクテロウがニューヨーク・フィルのコンサートマスター、第1ヴァイオリンの首席になってから34年になります。教えることに専念するためにニューヨーク・フィルを去ることになりますが、この土曜日で6033回の演奏会、その首席にいたということになるはずです。うち、219回のソロ演奏。4人の音楽監督と200人以上の指揮者に仕えました。また、バーンスタインが所有していた古いトランクに自分の持ち物を入れて運びながら51か国174都市でのツアーコンサートに参加。

「イッツ・ゴナ・ビー・ア・タフ・サタデー・ナイト」65才になるディクテロウは最後の演奏となるピアノのイエフィム・ブロンフマンと首席チェロのカーター・ブレイとのベートーヴェンのトリプルコンチェルトの準備をしながら、今週自宅ステューディオでインタビューに答えました。「さあ、最後のコンサート、それでおさらばさ。」
コンマスというのは指揮者の左隣に座っているヴァイオリニストでオーケストラの音合わせの指示をしたりソロ演奏をしたりする人のことであると、聴衆はよく知っている。でもその陰で、オーケストラのサウンドを作り出すための力を行使できるのだ。それはオーケストラで一番給料がいい理由でもある。(ディクテロウの2011年の年棒は523,647ドル(K注:だいたい5千万越え))
ディクテロウは30年以上コンマスをやってきたわけでこの期間いろんな決定を行ってきている。弦のパッセージのボウイングの合わせ、オーケストラと指揮者のもめごと調停、ダニー・ケイとテレビ番組でおどけたり、ちょっとした反抗なども、まぁ、1回はしてる。
このての話はニューヨークの前のロスアンジェルス・フィルのコンマスをしていたときにもあった。長年尊敬されていたウィリアム・スタインバークがパウル・ヒンデミットの作品を指揮していたときに、最終コーダの前の長い休止のところでわけが分からなくなってしまった。「スタインバークは、これで終わりだと思ってしまったんだよ。」 とディクテロウは思い出しながら言った。「代わりにみんながその先、数分をやったんだ。スタインバークの両手は上がったまんま、俺はひとり言、なるようになるさ、みんなは俺が次のセクションの開始合図をじっと見つめて待っているというわけさ。」
指揮者がわけがわかっていても、みんながちゃんとしたコミュニケーションをとれないときもあるもの。そんなときみんなはコンマスが出すキューの合図待ちとなる。「まぁ、弦楽四重奏の第1ヴァイオリンのリードと同じさ。」とディクテロウは言う。
ニューヨーク・フィルの音楽監督アラン・ギルバートは最近のインタビューでこう言っています。ディクテロウさんはオーケストラのサウンドを作り出すのに非常に重要な役割を持っていました、ですから私にとって後継者選びは一番重要な決定事項なんですよ、と。
「コンマスというのはオーケストラ全体のサウンドに影響を与えつつ、音楽の流れを先導、動かすことが出来る唯一ただ一人の最重要な人なんです。」と、ギルバートが続けて、ディクテロウさんは指揮者の思いをオーケストラに伝える「大変に素晴らしい才能が」あったのです。
コンマスの仕事は外交みたいなもの。

ディクテロウはオラトリオのリハーサルで開始のところに1時間かかったことを思い出した。指揮者はオーケストラからピリオドサウンドを引き出そうとした、バロックよりも輝かしいサウンドになるはずだからと。「私たちはそうしなければならない。」とディクテロウは言った。「えらいコンマスなら何をするべきか考えている。指揮者は、国務長官のようにうまくさばく必要があるしね。」

桂冠指揮者バーンスタインに関してもうひとつ別の出来事をディクテロウは思い出した。オープンリハーサルでバーンスタインは聴衆にしゃべりすぎてオーケストラは超過勤務になっている雰囲気。超過勤務が長引き、その場合、メンバーは帰ってもいいオプションが有る。実際かなり多くのメンバーが帰った。バーンスタインは指揮台を蹴散らした。ディクテロウはバーンスタインに訊いた。「バーンスタインさん、こんなことしてて、何したいの?」

指揮者とのお笑いもあった。テレビで放送された1981年、ダニー・ケイの棒によるコメディー・コンサート。ディクテロウは音符を違えて弾いた。激怒したケイは、ディクテロウがステージから離れる前に怒鳴りつけた、「コンマスとはこんなことする人なの?」、銃声が響き渡り、効果てきめん、ディクテロウはステージに戻った。

そうはいっても普段の仕事は目立つものではありません。コンマスの最も基本的な役割の一つとしてパッセージのボウイング方法の決定があります。その音符をアップストロークにするかダウンストロークにするか。ディクテロウの話では、音楽監督によって考えが違うと。自身ヴァイオリニストでもあるロリン・マゼールは独特なボウイングを指示することがありました。メンバーが望む方法と有機的快適なボウイングを比較検討しようとした。
またまれに、メンバーたちに、一種の音楽のディーラーズ・チョイスですね、任せてしまうことがありました。「私が「勝手に弾いていいよ」と言っているのは、どのようなボウイングが決めなくていい時があるということ」と、マゼール。「レオポルド・ストコフスキがフィラデルフィア管弦楽団を指揮していた時の彼のマジックよ「サウンドをシームレスにするためにできることをしてくれ」、とね。」

1967年、18歳でアンドレ・コステラネッツの棒、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でニューヨーク・フィル・デビューした頃と今では、音楽それに音楽業界ともに大きく変化した。(因みにデビュー時のNYTの評では、ディクテロウの演奏は才能と未熟なものが入り混じっていた、と。)
演奏はある程度のところまでは変わりましたね、と、ディクテロウ「技巧的に、完璧に演奏するのは当然になりました。しかし、音楽を創造する個々のスタイルを持っていないように思えます。我々が生きている今の時代の単なる生産物なんですね。」
2011年のフィラデルフィア管弦楽団の破たんやメトロポリタン・オペラの労働問題、コストカットですね、ディクテロウは本当に驚いたと。また、音楽教育の消失、音楽に対する政府からの支援の無さ、を悲しんでいる。芸術のことオーケストラのことを語る時、ディクテロウは訴える。「もし私たちにそれらが無かったら、何があるというの?」
でも、ディクテロウは、父親が52年間メンバーだったロスアンジェルス・フィルの地カリフォルニアに帰るのを楽しみにしている。サウス・カリフォルニア大学ソーントン音楽学校で弦楽と室内楽でロバート・マン・チェアーに座ることになっているし。
それに、ニューヨーク・フィルを去るのはさみしいが、コンマスの席に座るストレスから解放されるのはさみしいとは言えないと思うよ、と。

ディクテロウはオーケストラを引退した友からの激励を思い出した。その友はディクテロウに、いかなる責任もなく音楽を聴けることをまず楽しめと。「ステージでは自分の周りのことをあれやこれや聞いているしね。まぁ、これからは、人を動かしたりソロ演奏をしたりといったことを何にも心配することがないし、ゆっくりくつろいで」
おわり


1652- アゲイン!パシフィック231、バルトークpf協3、ピョートル・アンデルシェフスキ、春の祭典、、ヤクブ・フルシャ、2014.6.25

2014-06-26 01:01:55 | インポート

2014年6月25日(水)7:00pm 東京芸術劇場
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オネゲル 交響的楽章第1番パシフィック 7′
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バルトーク ピアノ協奏曲第3番 8′12′7′
 ピアノ、ピョートル・アンデルシェフスキ
(encore)  バルトーク 3つのハンガリー民謡 3′
             バッハ パルティータBWV825より サラバンド 5′
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ストラヴィンスキー 春の祭典 15′19′
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ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団
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まず、前の日サントリーで問題のあった響きの狂いは、この日の芸劇では全くありませんでした。やはり、ホールの問題かと思われます。
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二日続けて聴くとわかりづらいバルトークも分かるようになる。やはり聴きこまなければならないんでしょう。アンデルシェフスキは音符を自在に操る鍵盤の魔術師、肩の力が抜けたタッチでバルトークの字余り節が自然で滑らかに聴こえてくる。曲の素晴らしさがよくわかった。音楽の内面を見つめた演奏で、私を評価する前に曲の素晴らしさを知ってほしい、そのような演奏放射力があります。自分がどう演奏すれば曲への理解が深まっていくのか、そのようなことを考えているようなピアニストなのでしょう。
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フルシャは最初のオネゲルでカマーがずり落ちてしまったけれど、かまわず振っていました。内容は前日と同じ雰囲気。
最後のハルサイは、前日に比べて少し間延びしたようなところがありました。別の解釈が必要なのではないかと感じました。
おわり


1651- パシフィック231、バルトークpf協3、ピョートル・アンデルシェフスキ、春の祭典、ヤクブ・フルシャ、2014.6.24.

2014-06-25 00:29:29 | インポート

2014年6月24日(火)7:00pm サントリー
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オネゲル 交響的楽章第1番パシフィック 7′
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バルトーク ピアノ協奏曲第3番 8′12′7′
 ピアノ、ピョートル・アンデルシェフスキ
   (encore)  バルトーク 3つのハンガリー民謡 3′
                 バッハ フランス組曲第5番 サラバンド 5′
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ストラヴィンスキー 春の祭典 15′18′
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ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団
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最近、初めて聴くピアニストが結構たくさんいて、みんな素晴らしい。皆さん自分の世界を持っているので、こちらも思わず引き込まれる。この日のピアノもいいものでした。ただ、ピアニストとは別のところで問題がありました。アンコールで弾いたバッハのサラバンド、特に高音域のほうが調子っぱずれで、どうしたのか、こちらの耳が壊れたのかと一瞬戸惑ったのですが、あとで分かったのですけれど他にも同じように思った人たちがいて、つまり調律がどうのこうというのはわかりませんが、それよりもこのホールの問題点なんだろうと思いますが、要は音程が狂って響いてきたというのは事実であったようです。席位置によるかもしれませんので聴衆全員が全員同じく感じたとは思いませんが、個人的にはたしかにひどかった。そうするとアンコール一曲目のバルトークも同じ現象なはずですが、狂いを感じなかったということは、曲を知らないだけでそんな曲なんだと普通に、思ってしまうこちらのプアさも並はずれていたということか。
バルトークの3番コンチェルト久しぶりに聴きました。同じ作曲家のヴァイオリンコンチェルトよりは格段にわかりやすく、また民謡じみてもいない。昔40年近く前、初めて聴いたのがラーンキのピアノ。あのときは第2楽章でミスタッチがあったと記憶しますが、今日、こうやって聴いてみるともしかしてこのような節の曲ではなかったのかと思い直しました。理詰めだけれども幾何学模様は無い「数2B」の世界、乾いた響きがウエットなものを欲するところが常にある。消化不良ではなくそれ以前の歯がゆさがこちらにあります。聴きこまないといけないんでしょう。演奏会でたまに聴くだけではわからない作品のような気がします。
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アンコールはひとつひとつ愛しむような感じで弾いていていいものでしたけれど、最初に書いたとおり響きの問題があります。
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後半のハルサイ、この指揮者は出し入れが激しいというか、猪突猛進と微に入り細に入りが入り混じっている。曲想の移動は滑らかではなくメリハリをもったもの。緩急が急に来る感じです。踊りが入っていたらどのような動きになるのか興味のあるところではあります。
このような移動はリハーサルであらかじめ決められたもので、そういう意味では濃い練習を行っていたんだと思います。それから弦の分解度も高かったと思います。
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最初の曲のオネゲルは副題興味本位的なところがおおいにある。内容自体は面白くない。オネゲルのシンフォニーは最大番号のほうから遡って聴くと割と納得できる。
この1番はプログラムの枕詞として、あってもいいでしょう。
おわり


1649- ブラームス、ヴィオリン協奏曲、イザベル・ファウスト、交響曲第4番、ダニエル・ハーディング

2014-06-21 03:19:52 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月20日(金)7:15pm トリフォニー
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ブラームス ヴァイオリン協奏曲 20′9′8′
 ヴァイオリン、イザベル・ファウスト
(encore)バッハ パルティータ2番より、サラバンド4′
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ブラームス 交響曲第4番  13′12′7′10′
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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このヴァイオリン協奏曲のカデンツァはブゾーニ作とのことで初めて聴くかもしれない。通奏低音的に持続するティンパニが独特のドロドロしさを曲に与えている。聴いた記憶が無いので妙に新鮮。
イザベルのヴァイオリンは曲想毎のテンションが高い。緊張の糸が切れることなく、全般的に前へ前へと押してきます。ズブズブと耽溺しないで押してくる感じ。割とあとくされなく前に進んでくる型。周りの空気を高密度化してしまうような雰囲気を持ち合わせています。
かなりはっきりとした弾きっぷりで、伴奏のオーケストラは無防備ながら、独奏者ともども第3楽章で両者息が合い乗ってきたようです。
引き締まったブラームを聴くことが出来ました。また、アンコールのバッハ、サラバンド。同じような色合いの曲ながらテンション高く、味わい深いものがありました。客を黙らせる力が凄いです。
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後半の4番は、明らかに練習を積んでいる。この前(2014.5.2)の2番3番のときとまるで違う。数段上の演奏でした。練習に相当時間を取ることが出来たのか、意思伝搬、曲の解釈移植の作業を濃くやっている。これ、明白です。16型がいつになくボテボテとせずきびきびと鳴っていた。それでもまだある縦の線の緩さなどはもうこのオケの実力そのものを語っているわけで、この日の演奏とはちょっと別。スキルのレベルアップは別の話ですね。
演奏の引き締まり具合、さらに目を見張るのがこの曲の型。主題や断片フレーズまで、その曲想の方向に合わせたような具合で、濃く濃く丁寧に伸縮する。これは素晴らしい音楽の律動。4番にぴったり。変幻自在、自由自在な出し入れ、まさしくハーディングのあるべきブラームスのイメージが良く出た演奏になっていたと思います。生きた音楽になっていました。良かったと思います。
おわり


1648- アゲイン!、グリーグ、ピアノ協奏曲、中野翔太、エルガー、1番、ウラディミール・アシュケナ

2014-06-20 01:12:08 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月19日(水)7:00pm サントリー
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シベリウス 恋人 4′4′3′
グリーグ ピアノ協奏曲 13′7′10′
 ピアノ、中野翔太
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エルガー 交響曲第1番  21′ 8′+12′ 13′
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ウラディミール・アシュケナージ 指揮
NHK交響楽団
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前の日と同じような感じです。
一曲目のシベリウス、昨晩は90秒ぐらいはなんとかもったのですが、この日は始まる前から寝落ち。
グリーグはしっかりしたテンポ感、カデンツァの深い読み。第2楽章の滴る詩情、ストイックなモノローグ。昨晩に続き良かったと思います。沈みこみがあるのが良いですね。
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後半のエルガー
昨晩の演奏と比べて明らかなシームレス演奏で、良く流れてビューティフル。
第3楽章は他の楽章と規模感を対等にバランスしたいからか、どうしても薄味な楽章。
前の日よりオーケストラが良く流れており、ブラスの張りが今一つだったことを除けば概ね秀逸。アシュケナージ・ワールド完成。
おわり


1647- グリーグ、ピアノ協奏曲、中野翔太、エルガー、1番、ウラディミール・アシュケナージ、N響2014.6.18

2014-06-19 02:16:57 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月18日(水)7:00pm サントリー
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シベリウス 恋人 5′3′3′
グリーグ ピアノ協奏曲 13′7′11′
 ピアノ、中野翔太
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エルガー 交響曲第1番  22′ 8′+13′ 13′
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ウラディミール・アシュケナージ 指揮
NHK交響楽団
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この最初の曲、恋人は何度か聴いているが、どこがいいのかさっぱりわからない。若い時の作品で男声合唱の編曲というのは解説に書いてあるので前から知ってはいる。合唱だと聴き映えがするのかしら。とにかくさっぱりわからず。愛しんで聴いて、いいとこを探し出す努力してもだめだった。短い曲ながら瞬間寝落ちを何度でも繰り返せる。彼の青年期に位相を移して聴けばいいのかもしれないが、なかなかそこまで集中できないな。
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次のグリーグのピアノ協奏曲は響きが魅力的な曲。ちょっとギザギザしているあたりフィヨルドっぽい。ピアノの中野は骨太で端正な表現、ストイックな雰囲気を感じる。このような曲に合っていそうだ。オケ伴奏メロディーは吐息みたいなところがあるけれど、この感じがピアノでも出ればいいですね。
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後半のエルガー、第2、3楽章の構成感が弱くて両端楽章とバランスしないというのがアシュケナージの隙間無し表現だとよくわかる。厳しい棒です。
ブラスはもっとささくれ立たせてイギリスブラバン風だと様になる。N響だとシンフォニックすぎるというか、全体の一部であるという感覚が広がってしまい、今一つ面白さに欠ける。もっともっと強調していいと思う。四分音符と3連符のハイブリッドなあたりは明確なギザザ感が欲しいですね。
総じて、アシュケナージが振ると曲の良し悪しもよくわかります。
おわり


1646- オール・シュトラウス・プログラム、浜田理恵、飯守泰次郎、東フィル2014.6.17 &モ

2014-06-18 01:04:17 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月17日(火)7:00pm サントリー
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オール・シュトラウス・プログラム
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ドン・ファン 18′
4つの最後の歌 4′4′5′7′
 ソプラノ、浜田理恵
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サロメより、7つのヴェールの踊り 9′
カプリッチョより、序奏、月光の音楽 11′ 3′
ばらの騎士、組曲 ACTⅠ4′ Ⅱ5′ Ⅲ11′ コーダ3′
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飯守泰次郎 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
(*カプリッチョの序奏は指揮無し)
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オペラでは割と聴いている指揮者です。やみつき席からこうやってオーケストラ・コンサートであらためて見てみると、非常にわかりにくい棒。といってもこっちが演奏しているわけではなくオーケストラの人たちがわかればいい話で、早い話、しったこっちゃない、ということだろう。
オール・シュトラウス・プロで曲目はかなりばらけている。全てもう少しコクが欲しい。この指揮者にはサロメのような俗な音楽よりもエレクトラのように聴衆に迎合しない、耳触りのあまりよくない音楽のほうが合っていそうだ。
指揮者無しのカプリッチョはなかなか聴かせるアンサンブル、そのあとの月光があっさりしすぎた。日本のホルニストで、ビブラートで聴かせる吹奏が出来たのは今のところ千葉馨だけだったと思います。当時、それなりのN響で外来指揮者に自慢できる奏者がいるんだよという暗黙許容の演奏家がいたということは、オーケストラも聴衆も、少し鼻を高くできた部分であったのかなと思います。今はおしなべてスキルはありますが他のオーケストラメンバーや外来指揮者の主義主張や美学を、(自我で)押しとどめさせることのできるプレイヤーはいません。のっぺりのうまさスキルを保有した奏者は沢山おりますけれど、そこどまり。月に光はあったのか。
ばらのタイミングは自分のイメージで幕割をしたタイミングです。山や谷が欲しいですね。
前半のドン・ファンと歌の組み合わせが奇妙と思いましたけれど、4つの最後の歌の浜田は風格あります。余裕と言いますか、オペラの場馴れ雰囲気。オーケストラル・ソングですのでホルン、ヴァイオリンのソロの部分、もっともっとコクが欲しい。浜田さんももう少しゆっくり歌いたいわ、と思っていたのかも。
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ところで今秋、新国立の監督として冒頭、パルジファルを5回振る飯守さんは2012年9月にも二期会で4回振りました。4回とも見ましたけれど崩れない演奏で、同曲を何回も振るというのはバイロイトを経験した人ならでは、といったところでしょうか。ただ、日本人のワーグナー振り手の人材不足は深刻ですね。飯守以外は一人しか思い浮かばない。
そのバイロイトで助手をしていたというお話で、ちょっと同年代比較を。ショルティは同年代ではありませんが便宜的にいれました。
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飯守1940生
ショルティ1912生(バイロイト・リングサイクル1983)
シュナイダー1939生(同1984-1986)
バレンボイム1942生(同1988-1992)
レヴァイン1943生(同1994-1998)
シノポリ1946生(同2000のみ。椿姫指揮中ゴロンした為(2001))
A・フィッシャー1949生(同2001-2004)
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飯守さんは舞台のリングサイクルは振らないのでしょうか。新国立でキース・ウォーナー・プロダクションを定番で持っていればよかったのにと思いますね。
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それから、ミトロプーロス国際指揮者コンクールの入賞歴があるという話はたまに出てきますので、データのみ記しておきます。最初はもっと大人数でだんだん絞られてくる。内容の詳細についてはいつかブログにアップします。
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【ミトロプーロス国際指揮者コンクール1966年】
・セミ・ファイナリスト13人選出

・ファイナリスト7人選出

・優勝者ミトロプーロス賞4人
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●内訳
【セミ・ファイナリスト13人】1966.1.11火
・Sylvia Caduff スイス
・Leon Cuykens ベルギー
・Vladimir Kojoukharov ブルガリア
・Juan Pablo Izquierdo チリ
・Zdenek Macal チェコスロヴァキア
・Alain Lombard フランス
・Walter Gillessen ドイツ
・Manfred Ramin ドイツ
・Taijiro Iimori 日本
・Johannes Vonk オランダ
・Theo Alcantarilla スペイン
・Sidney Rothsetein アメリカ
・Bernard Rubenstein アメリカ
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【ファイナリスト7人】1966.1.14金
・Sylvia Caduff スイス
・Juan Pablo Izquierdo チリ
・Zdenek Macal チェコスロヴァキア
・Alain Lombard フランス
・Walter Gillessen ドイツ
・Taijiro Iimori 日本
・Theo Alcantarilla スペイン
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【ミトロプーロス賞4人】1966.1.17月
・Sylvia Caduff スイス 28才 初の女性優勝者
・Walter Gillessen ドイツ 24才
・Juan Pablo Izquierdoチリ30才これまでの最年長優勝者
・Alain Lombard フランス 25才
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【スペシャルコンサート】1966.1.19水
受賞者4人のNYP演奏会(サブスクリプション) 
・Sylvia Caduff マーラー10番第1楽章
・Walter Gillessen ワーグナー ジークフリート牧歌
・Juan Pablo Izquierdo  チャイコフスキー ロメジュリ
・Alain Lombard バルトーク マンダリン組曲
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以上、
ということで飯守さんはあと一歩及ばず。
月曜の決戦で惜しくも5000ドルと、ニューヨーク・フィルまたはナショナル交響楽団のアシスタントになれるチャンスをかすめ取られた。実に惜しかった。
でも今、自分としてはこの中で知っているのは、飯守、アラン・ロンバールとズデネク・マーカルだけです。
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この1966年ミトプー賞のプロセスについてはあとで、別途書きます。
おわり


1645- ノタシオン、夏の夜、サーシャ・クック、グレイト、ジョナサン・ノット、東響2014.6.14

2014-06-14 23:16:48 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月14日(土)6:00pm サントリー
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ブーレーズ ノタシオンⅠⅣⅢⅡ 3′2′4′2′
ベルリオーズ 夏の夜 2′6′5′5′5′3′
 メッゾ、サーシャ・クック
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シューベルト ザ・グレイト 16′15′15′12′
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ジョナサン・ノット 指揮
東京交響楽団
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個人的にはノタシオンという発音はちょっと抵抗感があってノーテーションでいいのではないかという気がする。同じブーレーズのドメーヌはドメインで。でも、サイクルはチクルスと今でも言っているので、母国発の作品は母国語の発音でいいのかもしれませんし、二通りのサウンドを知っているだけで幅が広がったような気にはなります。普遍性を英語に求めるかという話で、ポイントとしては音楽作品のグローバル化。日本の作品は日本語のままの発音で紹介されるものが多いのですけれど、それら結構、一過性で根付かず済んでしまうような気がしないでもない。タケミツ作品はそうではないようなところもありますね。
この日のプログラムでは、シューベルトのほうは「ザ・グレイト」と紹介されています。これはこれで。
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それで1曲目のノーテーションは大きな編成です。18型ほぼ4管それに膨大な数の打楽器。この11分のためによくこれだけ集まったなぁという感じです。演奏順はブーレーズ推奨通り。
ブーレーズ初期の作品、短い曲でかつオケ用の編曲ものですから、雑草みたいなところがありますが、響きの相似性だけではなく天才技のひらめきという観点でメシアンのトゥーランガリラとの雰囲気の親近性を感じさせてくれる。メシアンのほうは80分の大曲ですが、双方ともに言いたいことのエキスのみ抽出している感じで、長さは結果的な帰着点でありあまり関心事ではない。
東響独特の黄色いサウンド、金切り声をあげるのかと思いきや、そうでもない。軟らかい感じ。鋭く突き刺すような表現ではなくもっと一般的な作品の扱いのように聴こえる。ノットが振る作品の傾向からすれば自然なものかもしれない。まぁ、2回演奏してくれればもっといい。(昔、小沢征爾&ボストン響来日の折、ウェーベルンだったか曲が短くてもう一度演奏しますと小沢が言って2回演奏したことありましたね、せっかくの膨大な編成ですしこのブーレーズも2回演奏やってもよかったかも。)
ノットの演奏は以前、N響とのショスタコーヴィッチの15番を聴いたことがあります。
(2011.2.16)、(2011.2.17)
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ベルリオーズの夏の夜、これは予定ではジェニファー・ラルモアが歌うはずだったが早めのキャンセルで、サーシャ・クックとなった。ラルモアお目あてのコンサートだったのでどうしようかと思案したが、ノーテーションもあることだし、やっぱり聴きに来たというところもあります。
この曲はオーケストラ伴奏は小規模ながら、曲自体30分物で結構なサイズです。ベルリオーズのシンプルにして落ち着いたメロディーが魅惑的。ストーリーを思い浮べながら静かな気持ちで聴きたいところです。冒頭のわくわくするような音楽、一度聴いたら忘れられないようなメロディーにのって進行。
クックは独特の細く明るい声でさわやかさがあります。僕のこの曲の愛聴盤はテノールですがメゾソプラノの歌もいいですね。伴奏の東響がまたいい。透明感あふれ、音色傾向がクックと同じ向きというか同質性を感じさせる。表情豊かで伴奏の域を越えている。
どっちかというとしりつぼみ系の作品ですが、クックのシンプルなドレス同様、さわやかさが心地よい。このような小ぶりな演奏もいいものです。最後まで楽しめました。
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後半はシューベルトのザ・グレイト、14型だがパーカッションが抜けた分、見た目はノーテーションの半分サイズ、また第1ヴァイオリンに男は3人というさみしさなり。
演奏は1拍子振りもまじえ比較的早めのテンポ。気張らずに、肩の力が抜けたいい演奏。くどい言い回しや妙なアクセントもなく小気味よく進む。第1楽章は提示部のリピートありで、天国的な長さがさらに長くなるが、冗長なところはなく飽きない。以降、おしなべてリピートあり。密度の濃い鳴りで真正面からシューベルトに向かっている。随分前にノットのシューベルトの交響曲全部のSACDを手に入れたことがあるのだが、彼の得意としている作曲家の演奏ですね。自信たっぷりです。
日本人某指揮者のようにマーラーの変態解釈みたいなのものは一時的には受けるが長い目で見ると陳腐さの極みであり、まずシューベルトのような作品で真っ当な演奏を行い正面突破の説得力が出てきて聴衆の心をつかむのが先。そうゆうことをせず変態演奏を行うのは単に音楽に対する冒とくであろう。
表面的には何をねらっているわけではないノットの演奏は、音と構成感の充実度で圧倒的であり、まずこのような演奏ができてはじめて変態解釈も可になる。彼はしないと思うが。
最後の音の空気の抜き方はチェリビダッケの方針とよく似ているが、チェリは極端。ノットはそれまでの流れに相応しいエンディングとなっていた。
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この日の演奏会の長さは20分の休憩をいれて合計2時間20分ぐらい。全く長さを感じさせなかったし、普段の他のオーケストラの演奏会もこのくらい欲しい。
おわり


1644- ラフマニノフ、pf協3、アブドゥライモフ、アルプス交響曲、アシュケナージ、N響2014.6.13

2014-06-14 00:45:17 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
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2014年6月13日(金)7:00pm NHKホール
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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 18′11′13′
 ピアノ、ベフゾド・アブドゥライモフ
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シュトラウス アルプス交響曲 52′
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ウラディーミル・アシュケナージ指揮
NHK交響楽団
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このピアニストはお初で聴きます。情感、躍動感、無機的感、いずれもちょっと違う。それらを内包させているのだろうか。敢えて言えば中性的な不思議な魅力を持っている。
ガラスのような音に徹するわけでもない、技術志向の誇示も醒めたものかもしれない。弛緩するところがないので聴き手としては集中できる。間延びすることなく、このコンチェルトの素晴らしさをきっちり表現した演奏でした。
アシュケナージお気に入りのピアニストらしく何度も共演しているみたいですね。ということは察するにアシュケナージ自身と同じようなピアノスタイルということでもあるのだろう。
アシュケナージはピアニストのほうをほとんど見ない。最後の最後のクライマックスのところだけは一緒になって振っていたけれど、他はほとんど見ていない。むしろこのピアニストのほうがだいぶ気配りしている感じだ。全体フレームはアシュケナージのものです。
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後半のアルプス交響曲。
以前振ったマーラーの悲劇的もそうだったが、アシュケナージは音符間のすき間を歌の呼吸に利用しない。タメも作らない。緩めないで進む。音符そのものに呼吸をさせるといった厳しい音楽づくり。オペラを振らないシンフォニストの真骨頂。緩んでしまいがちな拍をなぎ倒すように突き進む。したがってそもそもが音楽表現の完成度が高くなるような解釈を内在した指示なのである。彼のピアノも同じような傾向だし、この日のプログラム前半のピアニストも同じような傾向なのかもしれない。
結局、特性が物理的な特徴によるようなところがあり、好きだ嫌いだという話とは別のところで作曲者の曲の完成度といったあたりに着目して聴くのも一つの方法ではあると思うのです。嫌いな指揮者でも、自分なりの観点をもって、一度は耳を傾ける価値はあると思います。
おわり


1643- ヴェルディ、レクイエム、パオロ・カリニャーニ、読響、2014.6.12

2014-06-12 22:55:00 | インポート

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当公演は前の日に亡くなったラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス氏に捧げられました。日取り的には、これは偶然の出来事です。当初よりこの公演は予定されており、加療中のブルゴスが前日無くなったことにより、ブルゴスにデディケートされました。
何しろブルゴスはこのオーケストラを169回も振ったということですから、尋常ならざる関係と言えます。最後に振ったのが2年前ということでメンバーにとって遠い昔の出来事ではない、本当に近くの出来事に違いない。この日の演奏は心なしか音色(ねいろ)も涙色。
いつもと違う音の色、フロントに4人の独唱、そして管弦楽、うしろに合唱がそびえ立ち、その天上からは、このオーケストラを169回振ったブルゴスの眼差しが注ぐ。ヴェルディが呼んだに違いない。最後の黙とうは全くの自然発生的行為で、突き刺すような静寂がホールを襲う。

カリニャーニという指揮者は2度目です。棒さばき良く、イタリアものを振りつくしているように見える。この曲もツボを押さえポイントをわきまえたもの。うるさくならず楽器の増加が音量の増加なのであってあまり気張らず、合唱のほうに神経がいっている。対して、独唱には割とそっけない。任せておけばうまく歌うだろうという感じですね。メッゾとバスが安定していて聴きやすい。ソプラノはギネス・ジョーンズ型のぶら下がり傾向がありますが健闘、難しい曲ですね。テノールは馬力が欲しいところです、体躯の関係で声の発声ポジションが他のかたと高さ的に少し異なるため、うまく溶けこまないようなところがあったように思いますが、ときおり黒光りする声はまさしくテノールですね。片鱗が出たというところでしょうか。
カリニャーニの棒は流れが止まるということはありませんが、流麗というわけでもなく、この曲に必要な熱がもっと欲しいところではあります。
総じていい演奏だったように思います。ありがとうございました。
おわり


1641- ジュピター、巨人、ヤニック・ネゼ・セガン、フィラデルフィア管弦楽団2014.6.3

2014-06-04 00:57:03 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月3日(火)7:00pm サントリー
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モーツァルト 交響曲第41番ジュピター11′7′4′6′
マーラー 交響曲第1番巨人16′7′12′18′
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(encore)
バッハ/ストコフスキー編曲 小フーガ ト短調4′
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ヤニック・ネゼ・セガン 指揮
フィラデルフィア管弦楽団
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破産から再建中のオーケストラ、ビッグファイヴの一角とはいえそのような状況で音楽監督に就くのはそれなりの覚悟と、もちろん才能も必須ですが、並大抵の努力ではないと思われます。
とは言え日本の聴衆は手厳しい。著名オーケストラの来日とも思えぬガラガラのホールは2月のニューヨーク・フィルを思い出させる。興行主の異常な値段設定も大変な問題ではあるが、その変な値段設定を越えてまで、特に、聴かなくてもいいかな、というレベルなのかなとも思う。聴衆側にヒート感はない。
中国中心のツアーの帰り際に2日間だけちょこっと東京に寄って演奏会をこなしていくだけ、と見られてもしょうがない。最近はこのようなケースが多くなった。文化使節的役割が途上国のほうにシフトしていっただけの話かもしれない。昔の日本もそうだったのだろう。微にいり細にいりの聴き方だけは日本人の性癖的傾向かもしれぬが。
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ネゼ・セガンは昨年ロッテルダム・フィルと来日した時に聴いた。(2013.1.31)
今回は新たな手兵との来日。期待感とバンクラプトからの復興感のないまぜ。
前半のモーツァルト、スコアレスで振るのはいいのですが、棒がリズムを刻まない。体が音楽をなぞっていく姿は必ずしも良いとは言えない。音楽に合わせて踊っているように見えてしまう。リズムとか歌謡性を引き出しているのではなく、リズム歌謡性に踊らされて見える。音楽もシームレスな流暢さとか音楽的躍動感が出ているとはいえない。これは良くない。指揮者は、まずきっちりと振らなければ話にならない。あのような動きから何を得られるものなのか、アウトプットは何なのか、むしろ何かを阻害しているのではないのか。脳裏を横切ることがたくさんあるだけで邪念を抱かせるに十分、普通の振りでお願いします。
ここで既に弦以外は随分とレベルが落ちたなぁ、と感じる。
サヴァリッシュの時代まではよかったが、そのあとの常任で悪くなり下降。今日の演奏会の音は昔の時代を知っているものからするとちょっと。
これをまかされたネゼ・セガンも大変だろうが、もっともっと頑張りが必要です。自負自覚とともに音楽だけに集中してほしいと思います。バンクラプトからの再建中ということからか、相応でないプレイヤーのカットとかは難しいのですかね、ある意味音楽的には妥協と取られかねないようなことと再建復興、二律半背反的なところがあり、たしかにいかにも難しそうな部分もありそうですが。早晩、現実的なものに直面した場合、判断、決断しなければならないときがくるかもしれません。
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後半はメインプログラムのマーラーです。ネゼ・セガンは譜面を置き、棒でしっかりとリズムをとる、これでいいと思いました。演奏レベルは残念ながら前半と変わりません。弦は相応に良いのですが、ウィンドは刻みが揃わない、ブラスはかなり手痛い。今のこのレベルだとアメリカでなら凌駕している他オケたくさんあると思います。
あとは音楽にどれだけ集中していけるか、ですね。
最近の欧米の若手指揮者たちのマーラー解釈の傾向なのか、ドライで粘らない、突っ走っていってそのままアップテンポでバシンと終わる。スピード感による興奮はありますが、あまり残らない。余韻もない。
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名物奏者はウッドハムズさんぐらいですかね、今では。
あと、チューバの女性奏者キャロル、初めて見ました、というか女性のチューバ奏者は初めて見たかもしれない。
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次回は帰宅の前の途中寄り道ではなく、曲目含めきっちりと決めて来日してくださいよ、栄光のフィラデルフィア・サウンドを待っています。
おわり


1640- 英雄、英雄の生涯、ベルトラン・ド・ビリー、東フィル2014.6.2

2014-06-03 00:57:36 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年6月2日(月)7:00pm コンサートホール、オペラシティ
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ベートーヴェン 交響曲第3番 エロイカ16′14′5′11′
シュトラウス 英雄の生涯20′+22′
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ベルトラン・ド・ビリー 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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ド・ビリーはこの前、新国立でアラベッラをみました。2014.5.25
今日の演奏会はアラベッラ公演の合間を縫っての一発コンサート。オーケストラも同じ。
当初の新世界等を含むプログラムを自ら取り消し、この日のプログラミングに変更。ヘビー級です。
ほんの数か月前に山田和樹&新日フィルでも同プログラムありました。2014.2.28
英雄の組み合わせで重いプログラムですのでだいたいみんなよく覚えている。また、比べたくなる。ド・ビリーの勝ち。
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エロイカの冒頭、切れば飛び散る血しぶきが、といった様相で、素晴らしく引き締まったオーケストラのサウンド。颯爽としたインテンポ、そのテンポは全く緩むことがなく、ときにインテンポから駆り立てていく。棒は1拍子振りをこの第1楽章貫き通し、ポイントのところではまるでオペラのようにタメを大きくとり上からの杭打ちのような棒となる。全くもって生理的快感がほとばしる爽快な演奏。オーケストラのサウンドの充実度も並ではなく、このように奏すればよいという確信の練習があったのだと思う、云われた通りにすればよいというのはちょっと変な言い方かもしれませんが、とにかくそうやってくれと、全体バランスは俺が一番よくわかっているからと、有無を言わせぬものがあったのではないか、そのような才能に屈服するのは一種、気持ちの良いことかもしれない。とにかく音にすき間が無い。びっしりと埋まった充実のサウンド、オーケストラの技量絶対値もむき出しになってしまうところもあるが。
このインテンポの充実サウンド、それに加えて肝心要のところでの見事なフレーム感覚、ここぞというところで縦ラインがきっちりと合い、湧いてくるようなアンサンブルの見事なアインザッツ。音楽の明確な縁取り感覚。こうゆうところも素晴らしい、オペラではなくてはならない技かと感じる。
そして、音の出し入れ、奥行き感。この繊細な表現はアラベッラでのビューティフルな演奏に通ずるところがある。
テンポ感、縦ラインのフレーム感覚、そして繊細な奥行き、これらが充実のサウンドで縦横無尽にあちこちと動き回る。素晴らしい律動美の世界。本当に目からうろこが5枚ぐらい剥がれ落ちた。凄いもんです。
この生理的爽快感のようなものがエロイカの最後まで何一つ弛緩することなく続きました。プレイヤーも充実していて気持ちよさそうだった。オペラ一緒にやっているとあうんの呼吸が出来上がるとは確かに思うのですが、それ以上にやはりほとばしる才能の奔流を東フィルがつかまえたというところもあるでしょう。いい演奏でした。
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後半の英雄の生涯はオーケストラも一段と膨れ上がり16型で概ね3管編成。デカイ編成で規模の大きな曲です。進み具合はエロイカと同じで、まず、インテンポで緩まない。一瞬たりとも弛緩しない。充実サウンドなので結構すごい圧力で迫ってきます。グワングワンという感じ。
それから、ヴァイオリンソロに合わせたアンサンブルの縦ラインもお見事、ド・ビリーの棒だとアインザッツがもしかして合わせやすいのかもしれないなどと思い描いてしまう。
耽溺しない棒はソロを自由に弾かせておきながら、オーケストラの入りは指揮者のタイミングでありここでも全体像を把握した音楽つくりが素晴らしく知的で冷静。オーケストラに迎合せず自由自在にドライブする人格棒は、一部邦人指揮者たちには爪の垢を煎じて飲んでいただきたいもの。
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ド・ビリーは総じて音楽への理解が深く、またプレイヤーに伝える能力やアクションを起こさせる能力が高いと思う。抵抗感が無いというか、プレイヤーたちを知識や理論で納得ずくで、屈服できそうだ。棒捌きは書いたとおりだが、左手の弦を押さえる構えは非常に説得力がある。そもそも弦プレイヤーということもあり、あの左腕はおそらく見た目以上の恐い説得力を持っていそうだ。
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ということで大変に素晴らしいコンサートでした。オーケストラの充実度には目を見張るものがありましたけれど、あれを毎日やっていくのは身が持たない、などと決して思わず先に進んでほしいと思いました。
いい演奏会、ありがとうございました。
おわり


1639- アゲイン!、リスト、スクリャービン、プロメテウス、ダフクロ、日フィル2014.5.31

2014-06-01 01:03:18 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年5月31日(土)2:00pm サントリー
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リスト 交響詩プロメテウス11′
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スクリャービン 交響曲第5番プロメテウス18′
 ピアノ、若林顕
 合唱、晋友会合唱団
 オルガン、?
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ラヴェル ダフニスとクロエ、第1,2組曲12′15′
 合唱、晋友会合唱団
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(encore)ボロディン ダッタン人の踊り6′
 合唱、晋友会合唱団
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アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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ラザレフのトーク15′
~これからのシーズン、ショスタコーヴィッチについて語る
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概ね前日と同じように感じましたが、この日は極上席で、スクリャービンを思う存分楽しむことが出来ました。ラザレフ棒は前の日よりもさらに猛速。妙な話かもしれないが速ければ速いほど理解が進む気がした。特に後半はさらにスピードアップ、こんなにノリのよい5番は聴いたことが無い、というよりもCD等で知っている内容と響きがまるで異なる気がした。異色の作品であるとともに、まだまだ解釈の幅が広い作品。もう少し高い頻度で聴きたいものです。
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他の曲も響きの饗宴のなかに埋もれて聴くことが出来ました。ラザレフの無尽蔵なエネルギーにも脱帽。プレイヤーたちが気持ちよく引っ張られていく、ドライブされまくりのオーケストラ。オーケストラの醍醐味。
ありがとうございました。
おわり


1638- リスト、スクリャービン、プロメテウス、ダフクロ、日フィル2014.5.30

2014-05-30 23:40:05 | インポート

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2013-2014シーズン
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2014年5月30日(金)7:00pm サントリー
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リスト 交響詩プロメテウス12′
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スクリャービン 交響曲第5番プロメテウス19′
 ピアノ、若林顕
 合唱、晋友会合唱団
 オルガン、?
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ラヴェル ダフニスとクロエ、第1,2組曲12′15′
 合唱、晋友会合唱団
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(encore)ボロディン ダッタン人の踊り6′
 合唱、晋友会合唱団
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アレクサンドル・ラザレフ 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
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ラザレフのトーク15′
~これからのシーズン、ショスタコーヴィッチについて語る
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久しぶりにスクリャービンの5番を聴けるというので、翌日の定期席とは別にこの日はラザレフの指揮姿を正面右前から見れる位置で。P席の合唱、オルガン、そしてピアノは協奏曲の位置ですから、座ったところに音は来ないというのが正直なところ。P,LA,RAの席はやみつきになる角度ではあるが、それも曲によりけり。
と、あとでわかる。
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スクリャービンは明らかに席位置のせいで前半部分がぼんやりとぼやけ気味になる。音の束が焦点を結ぶのは前方にあり、当然ほかの曲でもそうなんでしょうが、このスクリャービンもともと少しモヤ系で、やはり通常の席位置のほうがよかった。とはいえ後半のスピーディーなラザレフの演奏は、たぶん度を越して速めのテンポで、このほうがむしろわかりやすい。合唱、オルガンは最後ほんのちょっとだけしか出てこない。あっけにとられているうちに唐突なエンディング、クライマックス的な盛り上がりは少しだけで突然終わる感じ。自分がこれまで持っていた響きの印象と随分と異なる。
照明器具の仕掛けはなし。(ラザレフの意向のよう)
スクリャービンのシンフォニーは、1・2・3番と4・5番では結構な距離があり、4番よりは5番のほうが好みだが、似たり寄ったりの神秘主義なのか意図する曖昧性なのか判然としない。ピアノなど、ショパン風味な協奏曲と変われば変わるものだ。そのピアノ協奏曲と1・2・3番を通ってくれば、それなりに魅力的な曲だなとは思う。シンプル・イズ・ベストの逆方向に向かおうとする透けるような魅力。
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一曲目のリストは生ではたぶんお初で聴く。普段聴くリストとはちょっとリスト離れしているように感じるが、独特な平べったい音楽が後半になるにつれてリストっぽさを増してくる。原石なのかどうかわからないが指揮者の共感があって初めて説得力を持つ曲。荒さみたいなものが魅力の一つになっていると思いました。今日の席位置でもオーケストラの魅力は伝わってきて、こうゆう滑らかさを求めない曲の場合、むしろ響き自体も位置的な魅力的があると感じます。いずれにしても生で聴くオーケストラの醍醐味です。
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この日のプログラムは大ごとなわりには短め。後半はダフクロです。30分というのは全曲の半部ぐらいの長さなので、いっそのことまるごとやってほしかったという思いは残ります。アンコールのダッタン人、そのあとのトークまで予定されている演奏会でしたので、この2インスタンスやめて、ダフクロ全曲でもよかった。むろん主催者側の宣伝とか意向のようなものもあったとは思いますが。
演奏は駆り立てるもので、日フィルもラザレフ棒のことがわかりつつあるのか、随分とよく鳴るようになった。ラヴェルのこのようなあまり息が長いともいえないフレーズが多発するなかでフォルテシモの盛り上がりの極意みたいなものがだいぶ理解が深まり、こなれてきているのではないか。ハルサイに通じるようなところもあり、そういえばラザレフのハルサイあたりも聴いてみたいものです。
ということで、アンコール入れて3曲がコーラス付きでプログラミングとしてはスクリャービン主体ながら練れたいいものであったと思います。
おわり