恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

絵に描いた餅

2007年07月10日 | インポート

「そんなことは絵に描いた餅だね」

 時々私たちはこういうことがあります。本物の餅のように食べることができない絵の餅を、実現不可能なこと、ただの空想にすぎないことに喩えるわけです。

 しかし、考えてみれば、絵に描いた餅は食べられないのが当たり前で、まさに「食べられない」ことが、絵に描いた餅が絵に描いた餅として存在している事実を、端的に表していると言えるでしょう。絵に描いた餅が食べられたら、そのほうが大変です。

 空想の喩えとして意味を持つのは、人が絵に描いた餅を頭の中で「食べられる餅」と比べ、、それを「本物」と断定するからです。しかし、この「本物」という概念は、人間が都合で決めるものにすぎません。なぜなら、絵に描いた餅は絵に描いた餅としては「本物」なのですから。このことを否定して、食べ物としての餅のみを必要とする立場からの判断があってこそ、食べられる餅が「本物」と決まるのです。餅は餅にすぎず、「本物」も「偽物」もないでしょう。

  私は「本物」という考え方が、時に目の前のものを見る眼を曇らせると思います。「本物」かどうかに偏った関心が、目の前の人や物が自分にとって持つ意味を見失わせることがあると思います。

「究極」「本家」「元祖」たる「本物」のラーメンがあっても、食べて不味ければそれまでです。ぶらっと入ったラーメン屋のラーメンが思いのほか美味しかったら、それは人生の幸せの一つでしょう。

 もし「本物」を欲するなら、対象そのものを見てもダメです。自分は何をもって「本物」と決めたいのか、それを考えることが必要なのです。

 お知らせ。例の土屋アンナさん坐禅修行の一件、7月16日の午後9時半から、NHKハイビジョンで放送になるそうです。よろしければご覧下さい(私は恐山にいるので見られませんが)。