恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

身を以て

2023年07月01日 | 日記
 開山から1か月が過ぎました。今年はコロナ禍の下での規制が緩和され、恐山にもその影響か、5月の連休はもちろん、6月に入っても多くの参拝の方々にお越しいただいています。コロナ禍以前に戻ったとまでは言えませんが、ここ3年見られなかった数の方々がお参り下さり、恐山一同、有り難く存じております。

 緩和されたとはいえ、コロナ禍はまだまだ収束とは言えず、最近はまた感染者に増加傾向が見られます。にもかかわらず、恐山に限らず、多くの名所旧跡などに人出が戻っているという報道に接すると、丸3年以上の「自粛」が、我々にいかに辛いことだったかと、思われてなりません。

 それは単に「旅行欲」の話ばかりではありません。

 コロナ禍が始まって、まず我々に求められたのは、「ソーシャルディスタンス」でした。その強い要請と実際の不便から、突如世間に広まったのが、「テレワーク」であり、「在宅勤務」です。

 この「ディスタンス」の間を埋めるものとして急速に社会に浸透したIT技術は、仕事ばかりではなく、レジャー・娯楽方面にも急進出して、「バーチャル体験」を大規模に供給することと相成りました。

 この趨勢は、いわばIT技術による、我々のあらゆる体験における「身体性」の代替、あるいは消去に向かうものと言えるでしょう。

 しかし、未だ我々がこの「身を以て」実存する限りは、経験のリアリティを最終的に保証しているのは、まさに個々の身体そのものです。

 ということは、コロナ禍の3年は、人々はいわば「体験欠乏症」に陥っていたのであり、この旅行や対面活動の急回復は、ただの「欲」ではなくて、多少おおげさに言うなら、「実存の危機」への処方だったのだと思います。

「身を以て知る」「身に染みる」「身に覚えがある」「身につまされる」「身を粉にする」等々・・・、我々がこれらの日本語に意味を感じている限りは、当分「バーチャル体験」がリアルを呑み込むことはないでしょう。

 遠く下北半島まで足を運んでいただき、この霊場にお立ちになり、「地獄めぐり」をして、「極楽浜」でじっと手を合わせている方々を見ると、この地に「身に迫る」何かを感じることもお有りかと、お察しする次第です。