恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

猛暑の戯れ言

2013年08月10日 | インポート

 いわゆる「芸能界」には、かつて「スター」と呼ばれた人々がいました。たとえば、石原裕次郎とか吉永小百合、三波春夫や美空ひばりなどの人達です。

 この人たちは、容姿や歌唱や演技などの卓抜した資質・能力を備え、ある日忽然と舞台やスクリーン、テレビに登場します。そして忽ち民衆の圧倒的な欲望と支持を集め、彼らは天上に押し上げられ、「スター」として君臨したのです。

 そのような彼らは「スター」として、民衆の欲望の視線を一身に浴び、それを才能と個性で体現し反射することで輝いたといえるでしょう。

 彼らの私生活やデビューまでの過程は、あくまで「スター」となった後に好奇心の対象となるのであって、まずは「スター」として出現することが先決なのです。

 このような、世代や社会階層などを超えた、広汎な民衆の支持を得ることは、要するにある程度統一された欲望の対象となることです。それは、民衆に共通する欠乏に由来するでしょうから、「スター」はそういう欲望が存在した時代、即ち戦後から1970年代、「アメリカのような豊かな生活」が大方の理想として機能していた時期のものと言えるでしょう。

 この事情が変わるのは、1970年代初頭に始まった「スター誕生」というテレビ番組の登場です。この番組は、一般人を材料に「スター」を製造する過程を見せてしまったのです。これは明らかに、容姿や能力などの資質をひっさげ、突如出現して輝くという、「スター」の在り方とは異なります。

 たとえば、山口百恵などは、その上昇過程がほぼ完全に可視化されていました。彼女が「菩薩」と称されたように、その「スター」性はまだ維持されていたものの、このような可視化は「降臨」し「君臨」することを損ないます。これぞ、「アイドル」の始まりでしょう。

「アイドル」の原意は「偶像」です。つまり民衆の欲望がイメージとして作り出したものです。つまり、その根本において、「スター」に不可欠な「才能」「資質」という輝くための実質的な「光源」が、原理的に必要とされません。必要なのは民衆の欲望を喚起する「きっかけ」なのです。

 同時に、民衆の側にも自明で共通の欲望、つまり「アメリカのような豊かな生活」への欲望が、1970年代に入り低減していきます。つまり、その欲望が基本的に満たされ、「一億総中流化」したのです。1970年の政府調査で、9割の人が自分の生活を「中流」と答えたと言います。

 ということは、これ以後の「芸能界」は、未知の特別な才能を「世に出す」のではなく、民衆の欲望を検索し、扇動し、それを製品として提供しなければならなくなります。つまり、「アイドル」とは業界のプロジェクトなのであり、人物ではないわけです。

 それをあからさまに示したのが「ピンクレディー」でしょう。彼女らに過去の「スター」のような資質が乏しいことは、最初から明白でした。しかし、プロジェクトとして徹底的に商品化したことで、それまでとは別次元の成功をおさめました。ここで二人の女性に求められたのは、プロジェクトが割り当てた役割を忠実に果たすことなのであり、それは結局、民衆の欲望を自ら反射する「鏡」ではなく、それを吸い取り続ける「スポンジ」のようになることだったでしょう。

 1980年代の代表的「アイドル」である松田聖子にも同じことが言えると思います。彼女や同時期の中森明菜などの特徴は、スキャンダルが「アイドル」にとっての致命傷にならず、場合によってはその「アイドル」性を強化することです。

「スター」にスキャンダルは禁物です。広汎な民衆の欲望を反射しながら君臨するためには、いわば鏡のようにそれ自体無色でなければなりません。スキャンダルは文字通り「汚れ」になってしまうのです。

 しかし、「アイドル」はプロジェクトなのですから、プロジェクトが優秀なら、材料の多少の傷は問題になりません。むしろその変異が、処理や加工の仕方によっては、全体の活性化に役立つこともあるわけです。

 私が「アイドル」に見分けがつくのは、松田聖子までです。それ以後、修行生活に入り、今や誰一人区別がつきません。

 しかし、「アイドル」の在り方は、今やそのプロジェクト性が誰の目にも明白で、民衆は業界の仕掛けに参加して、それぞれの欲望に合わせて「アイドル」をデザインするようになっています。

 最近の「アイドル」グループの「総選挙」はその意味で見事な仕掛けです。しかし、私が最近目にして本当に驚いたのは、「初音ミク」なる「アイドル」です。これは人間を材料としない、正真正銘の「アイドル」、すなわちイメージのプロジェクトなのでした。

 これが成功するということは、最早アイドルは、民衆が自作自演できるでしょう。つまり、プロジェクトに人間が不要だということになれば、それは逆に言うと、どんな人間でも材料にできる、ということです。プロジェクトさえ当たれば、歌唱力どころか「カワイイ」容姿さえ必要ないでしょう。

 プロの芸能界の外で、アマチュアが趣味で何らかのサークルを立ち上げるように、ある程度の人数を集めて「プロジェクト」を始めればよいわけです。すでに「ご当地アイドル」なるものが存在するらしく(青森に草分けがいるらしい)、ならば遠からず、「手作りアイドル」とか「仲間内アイドル」のようなプロジェクトが現れるかもしれません(ひょっとしたら、もういるのか?)。

 さて、戯れ言のシメ。「スター」は一神教的、「アイドル」は仏教的。お粗末でした。