恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

メディアの言葉

2008年11月08日 | インポート

 昨日、NHKのインタビューを受けました。教育テレビの「こころの時代」という番組だそうです。

 インタビュアーはベテランの方で、その世界ではよく知られた人です。以前、ラジオの番組でもお世話になりました。このときの放送は一部で好評だったようで、何度か再放送されました。その縁で、今度はテレビで、ということになったのでしょう。

 すでに閉鎖した宿坊の一室、季節はずれの暖かさを感じる午前10時、スタッフの人たちがあわただしく準備を整え、さあ収録ということになりました。インタビュアーも仏教語を書いたフリップのようなものまで用意してきて、力が入っています。私は彼の筋書きに従って話をすればよいのだろうと思い、気楽に構えていました。

 ところが、始まってみると、どうも様子が変なのです。彼の調子にあわせて喋っていると、何かカタイというか、だんだんむずかしい話になってしまうのです。スタッフにもそれが感じられるらしく、妙な顔をしています。そして、不謹慎な言い方ですが、何より私自身が面白くない。

 そこで私は、途中で方針を変えました。まずい展開になれば相手が適当に口を挟んで調整するだろうと考え、勝手に好きなように喋ることにしたのです。結果、撮影スタッフが「いい感じになりましたよ」という出来になりました。

 前のラジオ番組のときもそうだったのです。大きいテーマだけ出されて、あとは勝手に話したら、心得たインタビュアーがうまく引き回してくれました。ワガママ者で申し訳ないことながら、おそらく私の話言葉は、好きなように喋らせてくれないとパワーが出ないのです。

 とすると、私の言葉は、基本的には、テレビやラジオに合わないでしょう。テレビやラジオは、時間がバッチリ決められていて、何より視聴者に「わかりやすく」話さなければなりません。この二大原則が、語られる言葉にがっちり枠をはめています。

 褒められたことではないかもしれませんが、私は自分が「言わなければならない」「言いたい」「言うと面白い」と思うこと以外、書いたり話したりすることができません。メディアの注文に合わせて適当に話を変える気に、そもそもならないのです。しかも、私は「わかりやすく」語ることに関心がありません。こだわるのは「リアルに」語ることなのです。「わかりやすさ」と「リアルさ」はイコールになるとは限りません。

 したがって、テレビ・ラジオの場合、自分がテーマに共感できて、ある程度の時間をとってもらえる単独インタビューでなければ、話している自分も視聴されている方々も、「面白い」ものには決してならないでしょう。

 今後メディアと付き合っていくとするなら、今回はよい勉強になりました。

 ちなみに、このインタビューは12月7日午前5時から教育テレビで放送されるそうです。興味のおありの方、よろしくお願いします。

 恐縮ながら宣伝を二つ。

 語り下ろし本「なぜこんなに生きにくいのか」(講談社インターナショナル刊)は本日店頭販売になります。

 「アエラ」(朝日新聞社)という雑誌の取材を受けました。これも12月上旬掲載されると思います。

 考えてみれば今年は何かとメディアに縁のあった1年でした。考えていることを読んでいただいたり、聞いていただけるのはありがたいことだと思いますが、非力な自分としては、そろそろ手に余る感じもしています。