恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

このお地蔵様の前だから

2006年09月06日 | インポート

P7240020  右の写真は、恐山境内の小高い場所に安置された、一際目立つお地蔵様です。ここまで上っていくのは、お年寄りにはなかなか大変だろうと思うのですが、それでもお参りの人が絶えません。

 今年の5月の連休が明けた頃、霧雨でずいぶん肌寒い日がありました。私は久しぶりに境内から岩場の道を見回ったのですが、ふと見ると、このお地蔵様の台座の下に、一人の男の人がうずくまっていたのです。

 ああ、お参りの人かな、と思い、そのまま行き過ぎたのですが、30分あまりしてからもう一度立ち寄ると、まだうずくまっているのです。ひょっとしたら気分が悪いのかと、私は駆け上がるようにして近づいていったのですが、4,5メートル手前で、ハタと足が止まってしまいました。

 それは60歳前後の背広姿の人でした。彼はお地蔵様の足元に膝まづき、両足の間に頭を突っ込むように深く体を折り曲げ、腹の中に抱え込むように手を合わせ、ひたすらお経を読み続けていたのです。私が見ただけで30分以上です。いったいどのくらいの間、彼はそうしていたのでしょう。白髪頭には、霧雨が水滴になってびっしり付いていました。

 彼に何があったか、それは知る由もありません。ただ、彼は恐山だから、このお地蔵さまの前だから、ああいうことをしたのでしょうし、できたのでしょう。これを「癒し」と言うのでしょうか。違うでしょう。彼はああせざるをえなかったのでしょう。それは「癒し」とはほど遠い、「苦しまぎれ」と言いたくなるような、必死の姿でした。

 恐山のお地蔵様は、こういう人々の切なる思いをずっと受けて止めてきたのだな・・・・そう思ったとき、私ははじめて、仰ぎ見たお地蔵様が、ただの石の仏像ではない何か、あえて言うなら、地蔵菩薩そのものに見えたのです。