くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「国語ぢから」その2

2011-07-01 20:40:24 | 社会科学・教育
さらに読み続けると、国語学習の手法についてはなかなか触れないまま、コミュニケーションの話題に移り変わってしまう。しかも、国語ぢからのある人は、人間関係もスムーズだとおっしゃるのです。その根拠は? わたし、国語は得意だけど友達は少ないよ。
しかも、それほどコミュニケーションを大切にしているわりには、とんでもないことが書かれています。
筆者は所ジョージと共演したことがあり、結婚式にも招かれたのだそうです。それなのに、ご祝儀に包んだ額は一円。
一円って……。
筆者の言い分はこう。この招待状を開いたのは当日の朝。所持金はほとんどない状態。さらに、所さんからの案内には「ご祝儀は一円からお受けします。本気です」と書かれていた……。
これが、国語の力をもつ人のすることなのでしょうか。しかも、プロフィールによると、彼は「国語の神様」なんだそうです。そのうえ、「国語の神様バカを一喝する」なんていう本まで出している。いくら自称でも、そんな臆面もない……。
では、そんな「神様」の提唱する国語学習についてはどうかというと、教材をじっくり読んで吟味し、わからない言葉は調べる。これが基本です。
うん、それは大切だと思います。それが家庭でできていると、確実に伸びる。言葉にこだわる姿勢ができるからです。
でも、読解の例文(詩)がどうかなあ。大人でも情景を正確に把握できる人は少ないと言っていますが、それは筆者の提示の仕方に問題があるように思えてなりません。
下手な謎々みたいなんだもん。まあ、だいたいの情景は読み取れますが、これがわかったからといって国語ができるとはいえないと思う。

ラストで句読点についてのくどい説明がつきます。主張の方は同意見(句読点は好きなところにつけてよい)ですが、そこまでが腑に落ちない。
学校で句読点の打ち方なんて習わないと塾生が言ったそうです。作文書かないの? 書き慣れない子ほど読点が多いのが特徴ですよ。リズムに合わせて添削するものだと思うのですが。
さて、後半に載っていました。問題の地震予知。自分なりにいろいろ書いてみることが必要、ブログ、映画や本の感想、小説っぽいもの等、として掲載されているのがそれです。電卓使うんだって。三台。イメージの数字が浮かぶらしいよ。
なんというか、読み通して感じたのは、すごい思い込みの激しい人なんだなということ。全部納得できないわけではなくて、賛同できるパートもあるのですが……。
ちなみに小林亜星の息子で、元役者。「サンバルカン」のバルパンサーだったそうです。
もしかして、わたしが立ち読みして不快な感じを覚えたフィンランド式学習についての本もこの人が書いたのかしら。
本を読むのに速読は必要ないけれど、二倍速くらいの早さで読み取る力は、やはり授業者としては備えておくべきではないでしょうか。机間を回りながら、生徒の作文にコメントを入れますよね。塾だとそんなことしないのかな。文章を書くようにすすめているんだし、たまには提出させるのでは。
国語についての本を読むのは結構好きなんですが、この本はどうも気がむかなくて長いこと放置していたのです。熟読玩味していたら、きっと途中で挫折したことでしょう。ポイントポイントを読み取るべき本があると、わたしは思うのです。

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