先の戦争とは何であったのか。もう一度私たちは立ち止まって考える必要がある。江藤淳が『自由と禁忌』で述べた悲痛な叫びを、今こそ噛みしめるべきなのである。「『大東亜戦争』が『太平洋』と言い換えられたとき、『大東亜戦争』のために傾注されて来たあらゆるエネルギーは、一挙に空無化される。そして、そのあとには果てしない徒労感のみが残る」▼占領軍の指令によって「言葉」のパラダイムの組み換えが行われたことで、日本人は大切なものを失ってしまった。その影響は、戦争を経験しなかった世代にまで及んでいるのである。日本の戦争目的が忘れられ、「平和に対する罪を犯した」という東京裁判史観が、まかり通ることになってしまったのだ▼江藤の主張は、肺腑をえぐるものがある。「言葉につながるふるさと」の喪失を嘆いたからだ。「この国土も郷土も、自分のものであってしかも自分のものではあり得ない。なぜなら、経験が奪い取られたとき、その経験を成立させて来た空間も同時に奪い取られてしまったから」というのが、江藤の見方であった。奪われた言葉を取り返すことなくしては、日本の歴史を取り戻すことはできないのである。日本軍は太平洋だけを戦場にしたのではなかったのに、アメリカ人の立場を押し付けられたのだ。その異常さに私たち日本人が気づかないことが戦後日本の悲劇なのである。
最新の画像[もっと見る]