松下幸之助というと、まるで神様扱いする人たちがいるが、私には理解できない。経済優先とやらで、日本人は大事なものを失ってしまった。そして、国民こぞって目先の享楽に走ったのである。ノブレス・オブリージュの使命感がなくなったから、キャリア官僚も批判されたのだろう。豊かさだけを追求しようとする人たちには、三島由紀夫の死は理解できないだろう。三島の親友であった村松剛は、かけがえのない友の自刃について「軍隊と国民とを諌めようとした」(『回想の三島由紀夫』)との見解を示した。三島の衝撃的な死があったればこそ、このままでは日本が滅びるという危機感がみなぎり、それが日本を救ってきた。しかし、その防波堤があっけなく崩れ落ちたのが、一昨年の総選挙であった。ほとんどが二世三世の国会議員であり、それを押し返す力など、自民党にあるはずもなかった。経団連を始めとする連中は、自分たちの金儲けができれば、民主党であっても、一向にかまわないのだ。中共に弱腰であるのも、市場として有力視されているからだ。国の根幹が何であるかの認識もなく、功利と打算が幅を利かせている。三島の辞世の句は「散るを厭う世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」であった。死んで見せなければ、目を覚まそうとしない日本人に、三島の腸は煮えかえっていたのだ。
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また吉本隆明(1924年生まれ)あたりも余興にもならない。
現代社会にカリスマ政治家など必要なく、それよりも多額の税金を納めることができ、雇用を増やすことができるカリスマ経営者こそ現代日本に必要であるのだ。