草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

朝日が香港の民衆の側に立つなら臨時政府を支持すべきだ!

2019年10月06日 | 国際問題

朝日新聞が昨日の社説で香港政府を批判した。しかし、対話の必要性を訴えるにとどまっており、覆面の禁止とかを一応は問題視しているが、全体主義国家の中共の恐ろしさには一切触れない。自由について抽象論を語っただけである▼朝日新聞は常に中共の代弁者であった。毛沢東に次いで一時期、ナンバー2にのしあがった林彪の失脚に関しては、まったく記事にしなかった。中共側の一方的な資料にもとづいて、朝日新聞記者の本田勝一が『中国の旅』を書いたことは、今では誰もが知るところとなった。A級戦犯の合祀でいちゃもん付け、総理大臣の靖国参拝を阻止するために、わざわざ中共に御注進したのも朝日新聞なのである▼中共を焚き付けて、我が国を貶めてきたのである。本当の独裁者の習近平を名指しで批判すればいいのに、そこまでの度胸はないのである。今もっとも警戒すべきは中共による選挙への干渉である。アメリカの民主党への献金攻勢のようなことは、日本の有力政治家に対して行われている可能性がある。それを受け取った政治家は売国奴であり、断じて許すことはできない。その全貌を暴くのがマスコミであるはずなのに、中共との深い関係から、取材することもできないのだろう▼朝日新聞が香港臨時政府を支持するならまだしも、せいぜいお茶を濁して終わりなのである。

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朝鮮(韓国)の歴史の真実19 (嫌韓有理)
2019-10-06 07:12:57
 引き続き、韓国の「反日」歴史教育を検討する。
なぜなら、「韓国で『反日』が燃え上がっているのは、韓国のこれまでの極めて執拗な『反日歴史教育』に原因がある」からである。

 『検定版 高等学校韓国史』(2013年初版・明石書店刊)の「 Ⅴ 近代国家樹立運動と日本帝国主義の侵略」の各節は、「1.韓半島を占領するために戦争が起こる 2.中国、民主共和国をたてる 3.東学農民運動が起こる 4.近代的改革を推し進める 5.近代主義国家をうちたてようとする 6.経済侵奪に立ち向かう 7.国権を奪われる 8.抗日義兵運動が起こる 9.愛国啓蒙運動を展開する 10.近代社会へ進む 11.近代文物の受け入れで生活が変わる」である。
 このⅤ章の最初の見開きに、洋装の正装をした高宗や東学党幹部や義兵の写真とともに、独立門の写真がある。
 独立門に関するエピソードがある。
 「独立門の前で『この独立って、どこの国からの独立?』と質問すると、(韓国の)多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しながら『日本からに決まっているだろう』と答えます。そう答えたら、『でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年と書いてあるじゃないですか。韓国併合1910年ですし、光復(独立)は1945年でしょう? だからこれは日本からの独立よりもっと前に建てられたものですね』というと、彼らは絶句して思考停止してしまうんですね。」「それは『有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった』というデタラメが学校で教えられているからです。」(『困った隣人 韓国の急所』)
 独立門の説明板は、今どうなっているだろうか。

 さて、『検定版 高等学校韓国史』「 Ⅴ 4.近代的改革を推し進める」では、「甲午・乙未改革は、開港後に続けられた近代的改革に対する要求を吸い上げ朝鮮の全分野にわたって行われた。これにより封建的身分秩序が崩れ、近代社会に進み出ることができる制度的な土台が整えられた。・・・日本の干渉を排除できなかったという限界があった」という。
 史実ではない。「朝鮮は自立的内包的発展ができたのに日本帝国主義の収奪で妨げられた」という民族主義シナリオによる記述であるから完全に“逆立ち”して、ウソになっている。実際は、『検定版 高等学校韓国史』の177ページで列挙されている甲午・乙未改革は、「日本の干渉」(日本の政治的軍事的プレゼンス)があってこそ可能だったのである。

 1894年以降の「改革法令は日本公使が主導したもので、まもなく到着した日本人『顧問』が仔細に調整した。日本は朝鮮式機構の複雑多岐にわたる悪弊と取り組み、是正しようとした。現在行われている改革の基本路線は日本が朝鮮にあたえたのである。」(『朝鮮紀行』 イザベラ・バード)
 この見解が正しいことは、日清戦争後の三国干渉と閔妃殺害後に日本の政治的軍事的プレゼンスが後退したら、朝鮮の悪弊に阻まれて、稟議されても発布されず、発布されても施行されず、施行されてもうやむやにされることの多かった“甲午・乙未改革”がたちまち頓挫したことで明らかである。
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