2・26事件とは何であったのだろうか。過去の出来事として闇に葬ってしまってよいのだろうか。青年将校らが目指した昭和維新を否定してしまってよいのだろうか▼民主主義を守るために、あえて民主主義を突破する力を容認するのが、憲法制定権力である。カール・シュミットのいう国家緊急権であり、革命権なのである。憲法制定権力の根拠となるのは、シュミットが『政治神学』の冒頭において「主権者とは例外状態について決定する者である」(田中浩・原田武雄訳)との言葉である▼シュミットについては例外状態での独裁容認論と誤解されているようだが、まず前提にあるのは、法を超えた力が法を支えているとの考えである。だからこそ、無秩序になった場合には、それが効力を発揮するというのだ▼日本でいうならそれは国体である。我が国は皇室を中心として国づくりを行ってきた。北一輝が『国家改造原理大綱』で天皇の名においてクーデターを断行し、憲法を停止し、全国に戒厳令を布くと書いたのは、それを踏まえた上で秩序を再建せんとしたのである。まさしくシュミットの思想ではないだろうか▼独裁者が勝手に思いのままに物事を決めていくのではない。法を支えている力が発揮されるのが、国家緊急権であり、革命権なのである。今の日本は無秩序の方向に向かっている。民主主義を後の世に伝えるために、荒療治が必要な場合もある。2・26事件は過去の出来事ではないのである。
←応援のクリックをお願いいたします。