テレビのコメンテーターの多くは、パスカルが『パンセ』(由木康訳)において指摘した「中途半端な識者」のように思えてなりません。
パスカルの「世人は事物を正しく判断する」という言葉は、正鵠を射ています。自惚れの知識を振りかざし、偉そうなことを並べ立てる者たちを、痛烈に皮肉っているからです。
「知識には二つの極端があって、それがたがいにふれあっている。一つは、生まれたてのあらゆる人間のうちに見出される生来の純粋な無知である。他の極端は、人間の知りうることをひととおりわきまえたのち、自分が知らないことに気づき、はじめの出発点であるあのおなじ無知にかえる偉大な魂の到達する無知である。しかし、これはみずからを知る賢明な無知である」
パスカルが世人という場合には、民衆と識者の両方を含んでいます。批判されるべきは「中途半端な識者」なのです。ともすればそういう者たちは、民衆の愚かさを嘆き、上から目線で語りますが、コモンセンスのある世人からは嘲笑されるというのです。
昨今のネットでの攻防も、「中途半端な識者」でしかいないテレビのコメンテーターは、世人であるネット民から嘲笑されています。道理をわきまえていないからです。ネット民のリプライに反論することもできません。
パスカルの「中途半端な識者は世間の動きを軽蔑し、また軽蔑される。かれらはすべてのことを誤って判断し、世間はそれらを正しく判断する」という見方は、今の世にも当てはまるのですから。