我が国は現行の国内法のままで、戦争という不測の事態が起きた場合に、対応できるのだろうか。憲法審査会で緊急事態条項をめぐっての議論が始まっているが、それがなぜ必要かというということに、私たちは目を向けるべきだろう。
国際法においては、どこの国も侵略に反撃する権利が認められている。ただし、国際法の主体は主権国家であり、その意志を形成し、対外的に主張するのは政府である。
我が国の場合には憲法で、最高意志決定機関である国会にしても、天皇の国事行為として、内閣の助言と承認によって議会を召集すると定められている。
もし仮に内閣と天皇との関係が断たれてしまえば、日本の法的主体は失われてしまうのである。このことをもっとも危惧していたのが小室直樹である。
小室は「日本を亡ぼす“平和・中立”」において、そのことを正面から論じた。戦前の日本においては、天皇の大権ということで、議会がどうなろうとも、国家の意志決定がなされる仕組みができていた。戒厳令なども枢密院に対する諮問で発令することができた。それが機能しない事態になれば、天皇の非常大権ということで対処できたのだ。
一時的に天皇へ権限が集中することになるが、天皇陛下御自身の決断ということよりも、立憲君主国家として、天皇の名のもとに、一致結束するということであった。だからこそ、天皇の崩御ということになっても、皇位継承順位ということがあって、国家としての意志決定については万全であった。
だが、今の我が国の現状はあまりにも深刻である。小室は「現在の日本では総理大臣が急死し、副総理も続いて死去すれば、いったいどうなるのか、何の規定もない。要するに日本には中枢がないのである」と書いている。
さらに、現行法では、自衛隊は総理大臣の指揮下に入るが、総理大臣との連絡が取れなければ、まったく動くことができないのである。しかも、防衛省の内局は有事においては手を引く。作戦の一切は制服組が決めることになるのだ。
そうした法律的不備を解消するには、憲法審査会は、一週間で一回でも足りないのである。会議が踊るようなことがあってはならず、危機に身構える最善の策を講じなくてはならない。
小室の「いくら高い軍艦や戦闘機を買っても、ダメである。根本が憲法違反で、ろくに機能しないような防衛組織なのだ」という言葉を、私たちは重く受けとめるべきなのである。