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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

福島県民として東京五輪の決定を歓迎する 5首

2013年09月09日 | 短歌

日本の再生のためオリンピック原発事故乗りこえんがため

平和とは戦後日本の歩みなりオリンピックは東京でこそ

青空にボールを蹴りし福島の子供の姿が開会式に

被災地を世界の人に見てもらおう絶好のとき東京五輪

世界が今考えるとき原発を福島を見てフクシマに来て

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日本人が立ち返るべき祖型は天皇を中心としてきた国柄だ!

2013年09月09日 | 思想家

 日本は建国以来、無私としての天皇を中心とした国柄であった。時代の変革期にはアノミーが顕在化するが、その典型が幕末期であった。幕府があっけなく崩壊したからだ。どこに拠り所を求めていいか、日本人は大混乱に陥った。武士階級の人口は明治9年1月1日の時点で、家族を合わせて189万4784人。それは当時の総人口3433万8404人の約18%にあたる。明治のある時期まで、彼らは労働に従事することなく、国家に寄生していたのである。見捨てられたわけだから、動揺してもあたりまえだ。それは民衆レベルにおいても大差がなかった、新しい時代についてのイメージは持ち合わせておらず、それが混乱に拍車をかけた。橋川文三は『ナショナリズム・その神話と背景』において、それが上からの力で明治国家として統一されていったことを問題視した。封建社会内部に置いて、身分的制約下で暮らしてきた日本人は、そこで国家を自覚したというのだ。橋川の頭にあるのは、ナショナリズムは近代的な概念だという思い込みだろう。しかし、本当にそうだろうか。アノミーを解消するためには、西洋の影響が絶対であったのだろうか。私はそうは思わない。日本には立ち返るべき祖型があって、日本語や日本人の伝統のなかにそれが息づいていたのではないだろうか。維新は復古でもあったことを忘れてはならない。現在の日本はその当時と同じように、あらゆる組織が意味をなさなくなっており、人心は荒廃してアノミー化が進行している。日本人が拠り所を探し当てようとして必死なのには、そうした理由があるのだ。そして、日本人の価値規範は、外国から与えられるものではなく、すでにあるものを想起することなのだ。それはいうまでもなく、無私としての天皇を中心とした国柄を受け継ぐことなのである。

 

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