民主党ばかりでなく、自民党にも愚かな政治家が結構いる。日本維新の会なる新自由主義の政党にいたっては、箸にも棒にもかからない。保守の根本的な精神を理解していないからだろう。私たち日本人は、もう一度その精神を噛みしめるべきだろう。柳田は政治を行うにあたって、生きている者だけでなく、死者やこれから生まれてくる者たちのことも問題にしたのだった。「仮に万人が万人ながら同一希望をもちましても、国家の生命は永遠でありますからは、予め未だ生まれて来ぬ数千億万人の利益をも考へねばなりませぬ。況や我々は既に土に帰したる数千億万の同胞を持って居りまして、其精霊も亦国運発展の事業の上に無限の利害の感を抱いて居るのであります」(『時代ト農政』)。柳田にとっては、生者や階級を超えて、日本人には物事を判断する根拠があることを、特異な語り口で教えてくれたのである。保守を自任する私が、脱原発を主張するのは、福島第一原発の事故によって、東日本の大地が汚され、そこでの農産物が大打撃を受けたからだ。綱澤満昭は「社稷」という言葉について「社は人の住居する土そのものの神であり、稷は五穀の神のことである」(『農本主義と天皇制』)と書いている。故郷を追われ、作物を栽培できなくなることは、許すことができない暴挙なのである。新自由主義の天下にでもなれば、日本農業は目もあてられなくなるだろう。しかし、今の日本の保守には、それに対しての危機感が乏しく思えてならない。
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