ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

杉原千畝と外務省

2011年01月25日 | 研究・書籍
杉原千畝と日本の外務省―杉原千畝はなぜ外務省を追われたか
杉原 誠四郎
大正出版

杉原千畝の偉業を演じた水澤心吾氏の一人芝居を観てから一年以上経ちます。
足利工業大学の公開講座『決断 命のビザ』。当ブログ2008/11/29
 

ユダヤ避難民6000人にビザを発給したリトアニア領事官だった杉原千畝。今回は書物で彼の人生をもう一度確かめてみました。

『杉原千畝と日本の外務省』。著者は1941年生まれの教育学者、杉原誠四郎氏。同じ杉原姓ですが千畝との関係は定かではありません。

本書では杉原千畝を取り上げていますが、それと同等に日本の外務省についての歴史を知る上でも参考になりました。読んでいて「なぜ?」「どうして?」の疑問がこれほど湧き上がる本もめずらしかった。問題を提起してくれた良書です。

日本は先の大戦でナチスドイツと同盟はしたが、特定の人種に偏見を持ち抹殺するようなことはしていない。松岡洋右外相(当時)は杉原千畝領事官のビザ発給を許可しなかったが、彼を処分にはしなかった。松岡自身が満鉄総裁のときユダヤ難民の救済に当たっていたこともあるほど。
杉原千畝の事件を、占領期に世界に向けて発信すれば、日本への批判はかなり和らいだはず、と著者。東京裁判では、南京事件で日本側は苦境に立たされた。杉原の行跡が輝いているとき、その価値の判る外務省が、なんと逆に杉原を解雇している。この時期こそ日本は「杉原カード」を出すチャンスだったのに。なぜそれをしなかったのだろう?

日米開戦時の「宣戦通告遅れ」。それがいわゆる「だまし討ち」と後々まで非難される。その失態の責任は当時の外務官僚には無かったのだろうか?しかし当事者の外交官たちは戦後、なんのおとがめも無く、いずれも外務次官まで昇進を果たしている。なぜなのだろう?

杉原千畝の顕彰を渋った外務省。1985年イスラエル外相が来日のときも杉原千畝のことを中曽根首相(当時)、安倍外相(当時)へ外務省は、事前に(偉業の)詳細を伝えていなかったという、なぜなのだろう?

戦争責任は軍部が一身に負った形ですが、戦争は外交行為の一形態、手段。ならば外務官僚(当時)に責任はないといえるのだろうか?

果てしなく疑問符が浮き出ます。この思考の延長線上で、昨今のこの国の不可解な外交対応(拉致、基地、領土、漁船衝突など)をながめると何か少し見えてくるものを感じました。

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