ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

【中学下宿記】(16) Sおばさんの涙

2009年11月24日 | 中学生下宿放浪記
「いじめ」がなければ、そのまま大泉町に住み北中生のままで
あったと思います。
いじめに対しては、相手を神の御名において許すか、いずれ決着を
つけるか毎日思案しつづけていました。結局はこの中学を去ること
としたのです。

今も昔も「いじめ問題」は絶えません。当事者にとり苦しい悩みです。
大きな事件に至らないうちに、無理に我慢をせず転校、転地は有効な
処方の一つと思います。もし自分の子供たちも、いじめに遭うようで
したら、場合によってはすぐに転校させようと、この時の経験から
つねづね考えていました。

母は、大泉を去ることに反対はしませんでした。いじめで苦しかった
ことを詳しく話していただけに、やむを得ないと思っていたのでしょう。
ただ笑顔はなく無表情な反応でした。本当のところはどうであったのか
亡き今は聞くことはかないません。

対照的だったのは下宿先のS家の人達。いつも明るく陽気なSおばさんは、
私が又前橋に引っ越すと聞くとびっくり。目を赤くし
「涙が止まらなくて困った」とハンカチで拭く手を休めることなく泣いて
くれました。Sおばさんの涙に深い愛情を感じとり、何かとても申し訳ない
ような気持ちになりました。
私の下宿引越しをこんなにも嘆き悲しんでくれたのは、後にも先にも
Sおばさん以外にはいませんでした。チャンバラ仲間のかわいい2人の
“弟たち”との別れもつらいものがありました。

U君からのいじめ終息宣言が、もっと早ければ・・。
しかしすでに、転校、転居するという私の気持ちは固まっていたのです。

引越しの日、大泉に来てからも交信の続いていた前橋一中のY君が、Y君の
お父さんの車でお父さんと一緒にS家の玄関まで迎えに来てくれました。
しかしS家の人は悲しんで家から誰も現れず、見送りのないさみしい出発と
なりました。(つづく)


【写真】北中の友人Kb君(左)と。S家の前で。
    自慢の自転車にご注目。サンヨー製のスピード計が装着。
    このメーターで測るとS家から女子寮まで約3キロでした。

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