廃止となった「石狩金沢駅」は「北海道医療大学駅」の次駅となります。
駅が立地する住所は「北海道石狩郡当別町字金沢」となっています。
この地域に入植した方が石川県金沢市出身だったことにちなみ地域名は「金沢」とされたようですが駅名は旧国名「石狩」を冠して北陸本線金沢駅と区別しています。
廃線・廃駅が決まっても駅待合室、ホーム、レール等設備はまだ撤去されていません。
駅名標はフレームだけを残して撤去されています。
駅名標はコレクターズ・アイテムらしく廃止が決まってすぐに保存しないと盗難の対象になってしまうようです。
資材袋や金属チャンネルみたいなものが積み上げられています。
解体に使用するものなのか…なんだか分かりません。
駅待合所は「ヨ駅」とか「ダルマ駅舎」などと呼ばれる廃車となった「緩急車(かんきゅうしゃ)」を再利用したものが使われています。
デッキや窓の数を見ると…「国鉄ヨ3500形貨車」のようです。
これが「ヨ駅」と呼ばれる所以です。
地面を見ると、コンクリートの基礎が残されています。
かつてはそれなりに立派な「駅舎」が建てられていたことが偲ばれます。
振り返って駅前通りを見ます。
突き当りの道路は「北海道医療大学駅」の道に繋がっています。
線路を隔てた向こう側には国道275号線が走っていますが、なぜかそこへ直接アクセスすることは出来ません。
不思議なアレイアウトです。
近付いて駅待合所を観察します。
入り口扉は南京錠で施錠されています。
ガラス越しに中の様子を見ます。
イエロープラスティックのベンチにはクッションが一つ残されています。
その奥には掃除用具が見えます。
ホームには「立ち入り禁止」のプレートが取り付けられたパイプ・フレームが組まれています。
路盤には「立ち入り禁止」の表示はなく、レールも枕木も営業状態のまま残されています。
こちらが「北海道医療大学駅」方面となります。
ホームと待合所とを絡めた写真を撮影して観賞終了です。
次に訪れるとき、「石狩金沢駅」跡はどのようになっているのでしょうか…
駅が立地する住所は「北海道石狩郡当別町字金沢」となっています。
この地域に入植した方が石川県金沢市出身だったことにちなみ地域名は「金沢」とされたようですが駅名は旧国名「石狩」を冠して北陸本線金沢駅と区別しています。
廃線・廃駅が決まっても駅待合室、ホーム、レール等設備はまだ撤去されていません。
駅名標はフレームだけを残して撤去されています。
駅名標はコレクターズ・アイテムらしく廃止が決まってすぐに保存しないと盗難の対象になってしまうようです。
資材袋や金属チャンネルみたいなものが積み上げられています。
解体に使用するものなのか…なんだか分かりません。
駅待合所は「ヨ駅」とか「ダルマ駅舎」などと呼ばれる廃車となった「緩急車(かんきゅうしゃ)」を再利用したものが使われています。
デッキや窓の数を見ると…「国鉄ヨ3500形貨車」のようです。
これが「ヨ駅」と呼ばれる所以です。
地面を見ると、コンクリートの基礎が残されています。
かつてはそれなりに立派な「駅舎」が建てられていたことが偲ばれます。
振り返って駅前通りを見ます。
突き当りの道路は「北海道医療大学駅」の道に繋がっています。
線路を隔てた向こう側には国道275号線が走っていますが、なぜかそこへ直接アクセスすることは出来ません。
不思議なアレイアウトです。
近付いて駅待合所を観察します。
入り口扉は南京錠で施錠されています。
ガラス越しに中の様子を見ます。
イエロープラスティックのベンチにはクッションが一つ残されています。
その奥には掃除用具が見えます。
ホームには「立ち入り禁止」のプレートが取り付けられたパイプ・フレームが組まれています。
路盤には「立ち入り禁止」の表示はなく、レールも枕木も営業状態のまま残されています。
こちらが「北海道医療大学駅」方面となります。
ホームと待合所とを絡めた写真を撮影して観賞終了です。
次に訪れるとき、「石狩金沢駅」跡はどのようになっているのでしょうか…