Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

雄別炭鉱と鉄道の資料館 9月8日 2015年-03

2016-08-10 | Weblog
この絵画は雄別中学校教諭の作品です。

描かれている鉄塔とケーブルは索道でしょうか。

選炭場で選別された石炭の中で商品とならないものをズリ山へ廃棄するために使われたそうです。



操業時の雄別炭鉱を記録した写真を見て行きましょう。

あのボイラー煙突と駅前の雄別購買の建物などの位置関係を想像するのに絶好の資料であります。

右手にはあの煙突が写っています。

黒い煙を吐いていて操業中なのが分かります。

線路に対して煙突が右手に見えるということは…線路は釧路方面を指していることになります。

左手の建物は選炭場ですね。



駅前の情景を捉えた情報量の非常に多い貴重な写真です。

山の上から駅一帯を俯瞰した写真です。

この時代にはまだ“ドローン”など無かったですからね。



拡大して見てみます。

線路には国鉄特急色に塗られた気動車が停車しているように見えます。

しかし…こんな選炭場近くに旅客扱いの駅があるのでしょうか?

ホームらしきものも確認できません。

ボイラーの煙突もよく確認できます。



同じ写真の右上部分を拡大してみます。

赤矢印部を見てください。

特徴的な屋根はいかにも鉄道駅の雰囲気で、その前に伸びる屋根はホーム上屋にも見えます。

もしかしたらこちらが旅客扱いの駅だったのかも知れません。

ただ…緑矢印は坑口ではないでしょうか?

だとしたら赤矢印の建物は旅客駅というのは変ですね。

そして黄色矢印。

特徴的な鉄筋の建物はあの「雄別病院」ではないでしょうか?

この写真は非常に参考になりますし想像を掻き立てます。

原画を拡大して観察するともっと多くのことが確認できます。

素晴らしい写真です。



雄別炭山駅とタイトルされた写真です。

跨線橋で結ばれたホームには人の姿もあります。

赤矢印の建物が「雄別購買」でしょうか。

駅前の鉄筋の建物といえばこれしか見当たりません。

しかし建物上部を見ますと、「ナショナル」のマークを掲げているようにも見えます。

奥手には選炭場が写っています。

画面下には重連の蒸機が写っています。



炭坑へと進む車両。

確か坑夫さんを乗せる車両を「人車」といったと思います。

写真のタイトルは「坑口」サブタイトルは「入る人車、出る炭車」となっていました。

なるほど…




「阿寒駅」昭和30年ころ となっています。

スーツ姿のサラリーマンが写っています。

炭坑の事務職の方々なのでしょうか。

それぞれ行く方向がバラバラなのが不思議です。



「レールも消えて」というタイトル。

サブタイトルは「雄別炭山駅 昭和45年9月」とあります。

昭和45年 1970年ということですね。

すでに45年も前の雄別炭山駅の風景ということです。

路盤にはレールは勿論、バラストも残っていないように見え、すでに轍が写っているように見えます。



そしてこちらが…「閉山後の廃墟」というタイトルです。

サブタイトルに「総合ボイラー付近 昭和47年2月10日」とあります。

前出の「雄別炭山駅」写真のわずか2年後ということです。

選炭場や駅を中心に広がっていた建物の姿がすっかり消えています。

画面右側、梢を通して見える建物…あれは「雄別病院」ではないでしょうか?

左手には雄別炭山駅ホームが写っているように見えます。

二つの遺構の中間に見えているのが、あの「雄別購買」ではないでしょうか?

衝撃的な写真でありました。



釧路からは道東道で千歳へと向かいます。

本日の宿泊は「千歳」ですが、エアポート・ホテルには予約が取れず郊外のホテルに宿泊です。

最近はお気に入りのホテルに予約が入らないことが多くなりました。

北海道の主要都市には外国からも大勢のお客さんが訪れています。

雄別炭坑のあの廃墟、森林資源、炭坑資源、水産資源 などに関わる産業の衰退を目の当りにしてきました。

北海道の新たな資源、観光産業はこれからの北海道の主要産業の一つとなっていくことでしょう。

ホテルの予約が取りにくいなんて、些細なことではありませんか。

本日の走行は335Km でありました。

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