2024/10/16放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。継続は力なり。聖書を読む楽しさが次第に身に付いてくるものです。
今日も新約聖書のマタイの福音書3章から読んでまいりましょう。今日は、「筋を通される神」と題してお話しします。マタイの福音書3章15節をお読みします。
「しかし、イエスは答えられた。『今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。』 そこでヨハネは言われたとおりにした」
このことばはイエスがキリスト教の儀式であるバプテスマ、つまり洗礼を受けた時に語られたものです。月曜日にもお話したように、バプテスマは当時悔い改めを必要とする罪人に授けられるものと考えられていました。
それを私たちが神と信じるイエス・キリストが受けられるのです。違和感を覚えるのは私ばかりではないでしょう。実際、イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネもこれは違うと考え、「自分こそイエスから洗礼を受けるべき者であり、あなたに洗礼を授けるなどとんでもない」と抵抗しているのです。
するとイエスは、「そうではない。このことで議論するのは止めて、とにかく私が願うように洗礼を授けるように。それが神の前にも正しいことだから」とヨハネに洗礼を授けさせるわけです。
このやりとりの中に私は、私たちが信じる神の考え方また性質を感じるところがあります。
つまり、私たちの救い主は、旧約聖書に預言されたとおりにこの地上にお生まれになりました。それは人類をその底辺から救うための神の遜(へりくだ)りでした。そして神は、信仰の初めの洗礼においても人に必要とされるものは皆行う、ご自分にも例外を設けないという姿勢を貫かれたのです。
このように、神であってもご自分を特別扱いされず、正しいことの筋を通されるお方であるなら、私たちも安心して従うことができるというものでしょう。神は正しいことをされるお方、正しく物事を導くお方なのです。
( PBA制作「世の光」 2024.10.16放送でのお話しより )
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