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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■皮の洋服を / 板倉邦雄

2011年09月07日 | Weblog
2011/9/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「皮の洋服を」という題でお話ししましょう。

 旧約聖書の創世記には、主なる神様が人とその妻のために皮の着物を作って彼らに着せられた、と書いてあります。罪を犯して堕落したアダムとエバでした。裸であることを恥ずかしくなって、二人は無花果(いちじく)の葉で腰に巻きました。すぐに枯れてしまい役に立たなかったでしょう。気候も変化し、寒さも感じたでしょうか。震える二人を主なる神様はかわいそうに思われました。動物を屠ります。動物の血が流されました。その動物の皮で洋服を作り、二人の裸を覆い、着せられたのです。二人は嬉しかったでしょう。全身が暖かくなったでしょう。自分で作った腰巻ではなく、神様が作ってくださったガウンです。

 ここに私たちの罪による恥が赦され、覆われる条件が三つあります。

 まず第一に、私たちの罪の償いと赦しは神様の賜物でなければなりません。犠牲の動物を用意したのは主なる神様でした。私たちの救い主イエス・キリストは世の罪を取り除く神の小羊としてこの世に来てくださいました。神はその独り子を賜ったほどにこの世を愛してくださったのです。

 次に私たちの罪の償いと赦しは血が流されなければなりませんでした。血を流すことなしには罪の赦しはないのです。私たちの罪の汚れと恥は善行や修行によって覆われることはありません。主イエスは十字架の死を前に、最後の晩餐の席でこう言いました。「みな、この杯から飲みなさい。」「この杯は、わたしの血による新しい契約です。」「多くの人々の罪の赦しのために流されるものです。」(マタイ26章27節、コリント人への第一の手紙 11章25節、マタイ26章28節参照) 

 そして第三に、私たちの罪の償いと赦しのためには身代わりとなるものは死ななければなりませんでした。神の小羊であられたイエス様は十字架の上で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったのです。

 聖書のことばです。

 神は、罪を知らない方(イエス)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方(イエス)にあって、神の義となるためです。
       第二コリント人への手紙 5章21節

 ( PBA制作「世の光」2011.9.7放送でのお話より )


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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
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介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■消えることのない愛 / 山中直義

2011年09月06日 | Weblog
2011/9/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。本当の愛、どんな状況でも決して変わることがない愛は人を作り変え、人を成長させます。 今日は「消えることのない愛」と題して、あなたを愛する神様の愛についてお話をさせていただきます。

 旧約聖書レビ記6章9節にこうあります。

 「全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。

 ここで強調されているのは、祭壇の火は燃え続けさせなければならない、と言うことです。この祭壇の火というものは人を作り変えるもの、神様と人との交わりを作り出すものを象徴しています。そしてこの決して消えることのない火は、決して消えることのない神様の愛を表していると言えます。

 決して消えることのない愛。この神様の愛によって作り変えられた人物にイエス・キリストの弟子ペテロという人物がいます。神の御子イエス・キリストが十字架にかけられる前夜、ペテロは偽りの裁判にかけられるイエス・キリストをこっそりと見つめていました。その場にいたすべての人々がイエスを否定し憎しみを増幅させて殺そうとするその中、ペテロもまたそれまで信じ従ってきたイエスを否定し拒絶し完全に見捨ててしまったと聖書は言います。人間の内側深くにある罪の闇がすべてを飲み込んでしまった。そんな夜でした。しかしそんな闇の中でもイエスの愛だけは変わることがなかったと聖書はいます。イエスはそれでもペテロを心配し思いやり愛し抜いてくださったと聖書は教えているのです。そしてこのイエス・キリストの愛、決して消えることのない愛に気づかされたその時、ペテロは本当の意味で作り変えられた、神と共に歩む本当に幸いな人に変えられていった、と聖書は言います。

 あなたを愛する神の愛、あなたを作り変えあなたを本当に幸いな人生へと導く神様の愛は今も変わることなく燃え続けています。どうか神の愛を示す聖書のことば、神様の語りかけに耳を傾けてください。消えることのない愛、消えることのない喜びがあなたの心にもありますように。

    (PBA制作「世の光」2011.9.6放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)



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■感謝の応答 / 関根弘興

2011年09月05日 | Weblog
2011/9/5放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 大人になるとだんだん素直に言えなくなることばが二つある、とある本に書かれていました。なんだと思いますか? それは「ごめんなさい」ということばと「ありがとう」感謝のことばそうです。いやあそれは大人でなくても子供でもそうかもしれませんね。

 しばらく前ですが、一人の高齢になる方が家出をしてきて私の住んでいる町の交番に保護されました。しかしこの方どうしても自分の住所を教えないんですね。そしてお巡りさんに自分のうちの嫁の悪口を愚痴を言い始めたんです。お巡りさんさんも困ってしまいまして、ああそういうことでしたら近くに教会があるんでそちらに行って話を聞いてもらったらいいですよ、という事になりました。その方はお巡りさんに連れられて来られたんです。私がその方の話を聞くとすぐに嫁の愚痴が始まり収まりがつきません。延々と何時間も話し続けるんですね。私はその方を家に返さなければなりませんから、どちらから来られたんですか? 一所懸命聞き出そうとするんですがなかなか教えてくれないんです。ようやくもう夜9時過ぎになりまして、場所と連絡先を聞き出しました。その家に電話をするとみんな心配して少し距離がありましたので、翌日迎えに来るということだったんです。私はこの方と長い話をしまして、私はこの方に一つの提案をしました。「何々さん、本当に苦労があって大変ですね。えー、私は牧師をしているのでこういう時一番うまく解決する方法を知っているんですよ。教えましょうか?」 「おっ、それじゃ教えてくれ。」ということになりました。「何々さん、二つのことばをほんの少しの期間でいいのでちょっと使うだけで済むんです。」 「ああそうかね。一体何て言うんだね。」 「それはね、ごめんなさいということばとありがとうということばなんですよ。お嫁さんが食事を運んできてくれたら『ありがとう』、廊下ですれ違ったら『いつもありがとう』 とにかく薬だと思ってやってみてください。」 私はそう言ったんです。するとどうでしょう。今まで落ち着いていたその方の顔つきが急に変わって「それはできない。口が裂けても言えない。」と言い始めたんですねえ。とても残念ですね。ありがとう、ごめんなさい、簡単で単純なことばですけども人は素直じゃないですね。

 もし私たちがほんの少し感謝の心を持ってありがとうの応答をして行くなら人生はそれだけで豊かになり笑顔は増していきます。そして何よりも聖書にはこの天地を創造された神様があなたを生かし支えてくださってることを教えているんです。あなたを愛してくださる神様に心からの「ありがとう、感謝します。」 これはあなたの人生を必ず豊かにしていくんです。
 
 (PBA制作「世の光」2011.9.5放送でのお話しより)

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■イエスさまの励ましのことば / 羽鳥頼和

2011年09月03日 | Weblog
2011/9/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 「頑張れ日本」「頑張ろう東北」など、今励ましと応援のことばが日本中に溢れていますね。今日はイエス様の励ましのことばについてお話をします。

 牢獄に囚われているパウロにイエス様が現れました。
 「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」(使徒の働き 23章11節)

 実はこの後ユダヤ人のある者たちがパウロを殺そうとひそかに計画を立てました。ところがパウロの親戚の子がこの悪巧みを耳にしてパウロにそのことを伝えました。パウロがローマの隊長に話すと、隊長はパウロに護衛をつけて別の場所に移すことにしたのです。暗殺を免れたパウロはその後裁判を受けるためにローマに渡ることになったのです。イエス様が言われた通り、パウロはローマで伝道することになったのです。イエス様は「勇気を出しなさい」と励ますともにパウロを命の危険から守ってくださいり、パウロを助けローマへと導いてくださったのです。イエス様の励ましには神様の守りと導きとが共にあるのです。

 人がイエス様を信じるとイエス様は「勇気を出しなさい」と励ましてくださいます。「良いことをしなさい。」「神様に喜ばれることをしなさい。」「人を心から愛しなさい。」と勧められます。このようなイエス様が勧めることを行うことは自分だけではなく、他の人も幸せにします。しかし、この世は真面目に生きることが難しく、きよく正しく生きることも難しい。かえってバカにされたり邪魔されたり疎まれたり仲間はずれにされてしまいます。良いことをしようとしているのに怖いという思いが出てきてしまうのです。ですから、良いことを行うのには勇気が必要なのです。

 「勇気を出しなさい」とのイエス様の励ましのことばには必ず約束があることを覚えましょう。あなたが勇気を出して一歩踏み出すなら神様があなたを助け導いてくださる、という約束なのです。イエス様は「頑張れ」と励まし応援してくださっています。そしてあなたが良いことを行うことができるように助け導いてくださるのです。

 イエス様はあなたに「さあ勇気を出して、教会に行なさい」と呼びかけておられます。ぜひ教会にいらしてください。イエス様はあなたを待っておられます。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.3放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■ただしく神を畏れる / 岩井基雄

2011年09月02日 | Weblog
2011/9/2放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいたいと思います。今日の詩篇は53篇の1節、2節です。早速お読みします。

 愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。・・・善を行なう者はいない。神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
          詩篇53篇1節、2節。

 「神なんかいるものか」、そうおっしゃる方によくお会いします。その方たちは思いがけない悲劇や喪失の経験をされていたり、自分の力を過信しておられたり、目に見えないものは信じないという信念を持っておられたりします。あなたはいかがでしょうか。

 そのような方にはできるだけ次のような質問をすることにしています。「そうですか、でもあなたがいないとおっしゃる神様はどのようなお方ですか?」と。すると皆さん様々な神様のイメージを語られます。

 そんなおじさんみたいな神がいる訳ないじゃないですかとおしゃる方もいれば、神がいるならなんでこんなに多くの悲しみが世界にあるんだとおっしゃる方も居ます。中には神様に居てもらっちゃ困るんだよね、なんて正直な気持ちを語ってくださる方もいます。実は私たちはどこかで本当は神の存在を感じ死後の神のさばきを恐れるがゆえに神はいないと思いたいのかもしれませんね。

 「愚か者は心の中で『神はいない。』と言っている。」と聖書は語っています。そして神を恐れない者は正しく歩むことも善を行うこともないというのです。すべてを御存知の神様を正しく恐れない人は、人目がないときに悪事を働いてしまうのかもしれませんね。聖書が語る神様は目には見えませんが、確かにおられ天から私たちを見つめておられます。そして真剣に神を尋ね求め愛と思いやりを持って正しく歩もうとする人々を待っていらっしゃいます。それは聖書が語る神様が愛なるお方だからです。神の愛に生かされるとき本来のあなたが輝くのです。

 あなたもあなたの心も行動もすべてを御存知の神様を心から求めて歩みませんか。あなたの人生が豊かに整えられていく道はそこから始まるです。そしてどうぞ神の前を正しく歩むために教会にお出かけください。教会はあなたのために開かれています。それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.9.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■さばいてはいけません / 福井 誠

2011年09月01日 | Weblog
2011/9/1放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「さばいてはいけません」ですそれではマタイの福音書7章1節から読んでみましょう。

 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイの福音書7章1節、2節)

 裁いてはいけない。これはイエス様の命令です。なぜ裁いてはいけないのか、イエス様は裁かれないためであると言います。人を裁くならそのさばきは自分自身に戻ってくる。裁きは天に向かって唾をするようなものだからやめておきましょうという訳ですね。

 しかし実際には物事をきちんと裁かねばならない、ただしていかなくてはいけないということもあります。そういう立場に立たされることもあるでしょう。そういうときにはどうしたらよいのか。イエス様は続いて面白い例えを語っています。そこにヒントがあるように思いますね。

 どういう例えかというと、それは人の目の中のちりを取ってあげようとしている人がいるのですがその人の目にはちりどころか梁が刺さっている。まず自分の目の中の梁をとりなさい、というものです。ちりということばはギリシャ語でカルフォス--見付かりにくい本当に小さなゴミのことを言います。一方梁ということばはギリシャ語でドコス--柱に使われる角材を意味しています。小さなちりを目から取り除こうとしている人の目に角材が突き刺さっている。それは非常におかしな光景ですねえ。で、イエス様が言いたいことは、人間には人の問題が見えているようで実は見えていないという、そういう弱さがあるのだから注意しなさいということですね。実際、裁きということばはもともと「より分ける」とか「識別する」という意味を持っています。ですから人を裁くことそれ自体は悪いことではありません。ただ人間には弱さがあってその裁きをゆがめてしまいやすいということが問題なのです。そして下手な裁きをすればそのしっぺ返しを受けるものですね。ですから人を裁く時にはそういう人間の弱さをちゃんと心得て慎重にさばきましょう。何もかも分かったような気になって、まるで神のように人を裁くのはやめましょう、ということです。本当に正しく裁くことができるお方は神様ただお一人だということですね。

 人間は誤り易いものです。そういう弱さを心得た行動を、振る舞いをしていきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.9.1放送でのお話より )

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