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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■愛なる神 <父なる神> / 岩井基雄

2011年08月19日 | Weblog
2011/8/19放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。 父なる神について学ぶ三回めですが、今日は「愛なる父」ということについて一緒に考えたいと思います。最初に新約聖書マルコの福音書1章11節をお読みします。

 「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。

 少し前ですが、宮城県の石巻市にいらっしゃる先輩の牧師より手紙が届きました。中に同封されていたある文章に次のようなことが載っていたのです。それは脳幹出血でお母さんをなくしたある女子高校生のことでした。お母さんがこの大きな病になったのは親への反抗を重ねた自分のせいではないかと自分を責める中で不思議に神様の存在が自分の頭に浮かんだというのです。そしてこの教会の十字架を見つけて教会を尋ねそこで神様の本当の平安と会い、そしてイエス・キリストの十字架による罪の赦しを知り、永遠の希望をご自分のものとされたということでした。そして今年の4月最後の日曜日に洗礼をお受けになったのです。その日はイエス・キリストが死からよみがえってくださったことを記念するイースターでした。あの東日本大震災を経験した石巻市で行われたその洗礼式は、とても感謝と喜びに満ちたものだったと伺いました。そしてこの高校生の心に響き続けているのが先ほど読ませていただいた聖書のことでした。

 「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。

 それはこの教会の先生が彼女との最初の聖書の学びの時に読んだ聖書のことばだったのです。そのことばはお母さんをなくされたこの高校生の心をずっと支え続けたのです。自分で自分を責め深い痛みや孤独を経験する中で神様が語ってくださるこの愛のことばに彼女は支えられ続けたのです。そして本当の平安と感謝をご自分のものとなさいました。あなたの心にも様々な苦しみや痛みがあり、深い傷を抱えたまま歩んでいらっしゃるかもしれません。自分なんていない方が、とどこかで思うこともあるかもしれません。聖書が語る天の神様・父なる神様はあなたを心から愛し、あなたにも語りかけてくださいます。

 「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と。

   (PBA制作「世の光」2011.8.19放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■自分の宝を天にたくわえなさい / 福井 誠

2011年08月18日 | Weblog
2011/8/18放送
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「自分の宝を天にたくわえなさい」です。それではマタイの福音書6章19節、20節から読んでみましょう。

 「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

 私は本が大好きで、毎年沢山の本を買いますので今や小さな2DKのマンションでは収まりきらず、山形の実家に持ち帰ってごっそり収納している始末です。で、ある時ふと思いました。自分が死んだらこの本はどうなるんだろう? 考えさせられました。私にとっては捨てがたい本であっても残された家族に、日焼けしボロボロになった本など何の意味もないですね。丹念に読み返されることもなく処分されてしまうだけでしょう。

 ものというのはまさにこの世にいるときだけ自分を満足させるものなんだなあと思いました。そのように今の自分だけを満足させて、あの世では何も持っていけない、そういうものに熱中するというのはとても寂しい生き方なんだなと思わされました。

 あなたにも宝と思うものがあるかもしれませんねえ。しかしその宝はどのようなものでしょうか。あなたが死んでしまったならそれは天国に持っていけないし、この世で誰かの手に渡るかあるいは処分されてしまうようなものでしょうか。

 聖書は「そのようなものを地上に蓄えのはやめなさい。虫と錆で傷ものになって盗まれてしまうようなものに熱心になってはいけません。」と言います。で、「自分の宝は天に蓄えなさい。」と言います。でも、天に宝を蓄えるというのはどういうことでしょうか、皆さんはどのように考えますか?

 天国にものは何も持っていくことはできません。けれどもそのものを生かして天国でそのもののために祝福を味わうということはあるでしょう。神様のために、あるいは人のために持っているものを豊かに用いていく。地上でそれを例えすっかり使い果たすということがあったとしても、で、それによって恵みを受けた人々があなたに感謝と喜びと栄誉を分かち合ってくださるということはあるものですね。私たちが地上のものをどう使うかで、まさに天で私たちを待っている祝福というものがあります。後に天国で大きな喜びとして返ってくるようなものの用い方をしていきたいものですね。

  ( PBA制作「世の光」2011.8.18放送でのお話より )

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■刑罰と福音 / 板倉邦雄

2011年08月17日 | Weblog
2011/8/17放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。 今日は「刑罰と福音」という題でお話ししましょう。旧約聖書の創世記の続きです。今日は人間を騙して罪を犯させた蛇・悪魔に対する刑罰とイエス・キリストの元福音と言われる素晴らしい約束を見ることにしましょう。

 前にも言いましたように、蛇とは動物の蛇ではないようです。聖書では堕落した天使・悪魔であり、サタンである竜すなわち「年を経た蛇」のことですね。ですから女性を誘惑し、騙した悪魔・サタンは光の天使に偽装していたようです。明けの明星のように光り輝く変装した天使を目の前にして、女性はころりと騙されてしまいました。そして悪魔は呪われ、主なる神様のお大型の杭を打ち込まれることになります。それが創世記の3章15節の神のことばです。

 「私は恨みを置く。おまえとサタン・お前と女との間に。サタン・お前と女とは仇同士になる。お前の子孫たちと女の子孫 --この子孫は単数です-- も同じだ。彼はお前の頭を踏み砕く。お前は彼のかかとに噛みついて傷を負わせるだけだ。」 

 女の子孫から生まれてくる彼とは一体誰でしょう。それは処女マリヤから生まれる生ける神の子・救い主イエス・キリストです。罪のない神の独り子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとして十字架の刑罰を受ける。このことをやめさせようと悪魔は必死になり、そのかかとに噛みつき傷付けて十字架への道を歩かせないようにしました。天使である自分が人間に仕えるなんて耐えられません。罪を犯した人間が再び神様のものになるなんて嫌です。人間を死の恐怖の奴隷で一生涯過ごしてもらいたいのです。しかし神の子が十字架にかかってしまうことは悪魔にとっては致命的なことでした。自分の頭に十字架の杭が突き刺さることになるのです。

 聖書のことばです。

 「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
            第二コリント人への手紙 5章21節 (口語訳聖書)
 
  ( PBA制作「世の光」2011.8.17放送でのお話より )


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■最良のものをささげる喜び / 山中直義

2011年08月16日 | Weblog
2011/8/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 先日久しぶりに故郷の母の手料理を食べる機会がありました。仕事の合間に尋ねたんですが、それでも母はその時出せる最良のものを嬉しそうに出してくれました。最良のものを捧げる喜び、最良のものを受け取る喜び、そんな喜びについて今日は一緒に考えてみたいと思います。

 旧約聖書レビ記3章に「和解のいけにえ」と呼ばれる捧げものが登場します。これは神様と人間との間にある喜ばしい交わりを示すものであったと言われます。この和解のいけにえという捧げ物の特徴は捧げられる動物の脂肪の部分が取り分けられて神様に捧げられるところにありました。当時この脂肪部分は動物の最良の部分とみなされていました。礼拝者たちが神様との間にある喜ばしい交わりを感謝してその絆をさらに深めようと喜んで最良のものを捧げた、そんな喜ばしい姿が描かれています。

 さて、そうして最良のものを受け取ってくださった神様ですが、この神様は人から一方的に受けるだけのお方ではありません。いやむしろ神様の方が私たちに最良のものを与えてくださったと聖書は言います。新約聖書にこんなことばがあります。「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ・・・てくださいました。」 ---神様はご自分の最愛の独り子イエス・キリストをお与えくださったことによって私たちが神様と和解できるようにしてくださった。--- 聖書はそう言うのです。私たちがかつて神様から遠く離れ神様と交わりを持つことなど夢にも思っていなかったそんな時に神様は最愛の独り子イエス・キリストを私たちにお与えくださった。罪の身代わりとして十字架につけてくださった、と言うのです。そしてだからこそ今や私たちはこのキリストのゆえに罪が赦されて神様との間に親しい交わりを持つことができる、聖書はそう言うのです。

 どうでしょうか、神様の愛、最良のものを捧げる神様の愛をあなたも受け取ってみませんか。そして神様との間に喜びに満ちた親しい交わりを持って歩んでみませんか? 
 
 聖書のことば
 「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ・・・てくださいました。」
 新約聖書コリント人への手紙第二 5章18節

    (PBA制作「世の光」2011.8.16放送でのお話しより )

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  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
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■罪人を招くため / 関根弘興

2011年08月15日 | Weblog
2011/8/15放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 イエス・キリストはこうおっしゃいました。
「医者を必要としているのは健康な人ではなく病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ 2章17節参照) こうおっしゃったんですねえ。

 えー、あなたが病院に行きまして、お医者さんからその検査の結果の説明を受けた時、あなたがこう言ったらどうでしょう。「先生、あなたは私のお腹を胃カメラで見て病気があると言いましたねえ。私はどうもあなたを信用できませんね。第一そのカメラ、どこの製品ですか? 私はそのカメラを信用しません。それに先生、あなたの視力はいくつですか? 本当に大丈夫ですか? 私は今まで自分は病気がないって自分で言い聞かせて来たんですよ。私は病気ではないと思っているんですよ。私はね自分のことばしか信用しないですよ。だから私は病気じゃないですよ。」 もしこんなことをお医者さんに言ったらお医者さんはきっと言うでしょうね。「そうですか。じゃあ私は必要ありませんね。どうぞお帰りください。」と。

 聖書は神様の前に皆罪人だ、と教えるんです。もちろんこれは何か犯罪を犯しているという意味ではなくて神様に背を向けている、本来あるべき神様との関係がずれているということなんです。ちょうど電気が断線しているようなものですね。どんなに立派な大画面の液晶テレビも断線していたらすてきな映像を映し出すことができません。それと同じであなたが神様に背を向け、自分の力だけ自分のことばだけ自分の思いの中だけで生きている、そして生きて行こうと考えなら、それは無理があるよと聖書は教えるんです。それは断線しているような状態と同じですよと言うんですねえ。でも人は結構独りよがりで、いや自分は今までこう考えて来たんだから大丈夫、大丈夫、大丈夫って考えてしまうことがあるんですよね。

 先程も言いましたようにイエス・キリストは「医者を必要としているのは健康な人ではなく病人です。私は正しい人を招くために来たのではなく罪人を招くために来た。」とおっしゃいました。自分は正しい、自分には罪がないと考えている人はイエス・キリストを必要とはしないでしょう。でも、もしあなたが自分の心の弱さを正直に見つめ、あっ!自分の心の中には罪がある、神様の前に正しい存在ではない、自分は自分で救うことのできない弱い存在だと認めるときに、初めてイエス・キリストの招きの声に応えていく人生となっていくでしょう。そしてイエス・キリストはそんなあなたに対して「安心しなさい、わたしはあなたに決して失われない平安を与えよう。」と語ってくださいます。 

 (PBA制作「世の光」2011.8.15放送でのお話しより)

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■心の思いと行い / 羽鳥頼和

2011年08月13日 | Weblog
■心の思いと行い / 羽鳥頼和
2011/8/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。今日は、心の思いと行いについてお話ししたいと思います。言行一致と言って、言ってることとすることが一致してることは良いこととして覚えられています。同じように心の思いと行いも一致してることが良いと思います。

 聖書には心の思いと行いが一致していなかったために悲惨なことになってしまった人物のことが記されています。その人物とはアマツヤという王様です。聖書は「彼は主の目にかなうことを行なったが、全き心をもってではなかった。」(歴代誌第二 25章2節)と彼の行いは良かったが、彼の心は良い心ではなかったと記しています。実際のアマツヤの心は神様を信じないでお金の力や軍事力そして偶像の神々を頼りにしたのでした。結局アマツヤは味方の裏切りによって殺されてしまいました。どんなに良い行いをしても心が悪いと悲惨なことになってしまうという例です。良い行いを良い心ですることが大切なのですね。そのことを強く思わせてくれる詩があります。

  心は誰にも見えないけれど 心遣いは見える。
  思いは見えないけれど 思い遣りは誰にでも見える。

 これは宮澤章二さんの『行為の意味』という詩の一節です。宮澤さんのこの詩はこう続きます。
  温かい心が 暖かい行為になり、
  やさしい思いが やさしい行為になるとき
  心も思いも初めて美しく生きる。
  それは 人が人として生きることだ。

 ほんとにそうだと思います。先程の聖書は、アマツヤは全き心を持っていなかった、と語りながら人が持つべき心はこの全き心であると教えています。全き心とはまことの神様を信じる心です。私たちは人を妬んだり憎んだりしてしまいます。温かい心・優しい心を持てない私たちは神様を信じることによって、暖かい心・優しい心を持つことができるようになるのです。なかなか良いことを行えない私達ですが神様を信じることによって、神様の助けによって、暖かい行い・優しい行いをすることができるようになるのです。人は神様を信じることによって、本当の愛を知り、人を愛することができるようになるのです。

 ぜひこの素晴らしい神様に出会うためにキリスト教会にいらしてください。

  ( PBA制作「世の光」2011.8.13送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■闇から光へ / 岩井基雄

2011年08月12日 | Weblog
2011/8/12放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 もう3ヶ月前になりますが、東京上野で開かれたレンブラント展に行ってきました。17世紀を代表するオランダの画家レンブラント・ファン・レインは名声を手に入れ、かつ様々な苦しみを経験した画家でしたが、今回の展覧会は光と闇が見事に表現された版画がとても印象的でした。和紙も用いて何度も版を重ねて版画を作成し原版となる銅板を幾度も削り直しながら作品を仕上げ、完成させていくプロセスは本当に興味深いものでした。

 その作品の一つに『三本の十字架』という作品があります。最初の版から原版を何度か作り直し第四段階まであるその作品の最後、第四ステートの『三本の十字架』は、真っ暗な闇の中で中央にあるイエス・キリストの十字架と左側の犯罪人の十字架に注がれる光が強調され、右側の犯罪人の十字架は暗い闇で覆われているのです。

 聖書の中には確かにキリストと共に十字架につけられた二人の犯罪人のことが記されています。最初、二人とも「あなたはキリストではないか、自分と私たちを救え。」と嘲っていました。しかしその内の一人が十字架の上で自分の罪を認め、悔い改めたことが記されています。もう一人の犯罪人にこう言ったのです。

 「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
 新約聖書ルカの福音書23章40節から43節


 十字架の上で自分の罪を認め、「私を思い出してください」とあわれみを求めた犯罪人にイエスは罪の赦しを宣言され、真の平和であるパラダイス・天国にいると約束してくださいました。この罪人にとって自分の人生の最後の最後で救い主イエスに出会い、罪を赦され、闇から光へと移されたことは何と幸いだったことでしょうか。

 あなたも自分の心の闇を認め、光の中を歩む人生を歩み出しませんか? 本当の平和はそこから始まるのです。それではまた来てください。

   (PBA制作「世の光」2011.8.12放送でのお話しより)

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■隠れた所で見ておられる父が / 福井 誠

2011年08月11日 | Weblog
2011/8/11放送
  
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブルメッセージは「隠れたところで見ておられる父が」です。ではマタイの福音書6章18節から読んでみましょう。

 「しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」(マタイの福音書6章17節、18節)

 先日ある集会で子育ての話で花が咲いていました。子供に{誰が見ていなくても神様が見ておられるよ。」と言って聞かせるという訳です。ラジオを聞いてる皆さんはどんな意味にこれを受けとめますか? ニュアンスによってぜんぜん聞こえ方が違うねというお話でした。

 ある人は神様が見ておられるよ、悪いことをしてはいけないよ、とまるで神様が監視カメラであるかのように受けとめましたし、またある人は神様が見ておられるのだから人に認められなくても大丈夫ちゃんと報いがあるよと慰めを与えるような意味で受けとめました。誰が見ていなくても神様か見ておられるよというたった一言が前後の文脈を切り離すと二つの意味のどっちかなあと思わされるものですねえ。

 さて聖書は、「断食するときには隠れた所でそれをしなさい。」と言います。「そうすれば隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」というのです。なるほど、神様はちゃんと私たちの行為を覚えてくださっているのですねえ。

 たとえ誰にも知られないような出来事であってもそれを覚えていてくださってそれが報われるべきことであればちゃんとその事に報いてくださる。私たちがこうした神様に対する信仰をしっかりと持つことができればもっと私たちはつまらない自己顕示欲から自由になっていくのではないでしょうか。しかしそうではないからこそ私たちは浅ましく人に自分を認めさせるようなことをしてしまいがちですね。そして自分のあさましさに気づかされてますます自分の小ささに嫌気をさす所があるものです。

 神様を認めていきましょう。そして裏表のない真実な歩みをさせていただきましょう。

  ( PBA制作「世の光」2011.8.11放送でのお話より )

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■まわりのせいにする / 板倉邦雄

2011年08月10日 | Weblog
2011/8/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「まわりりのせいにする」という題でお話しましょう。鏡の前でお化粧している女性の方がなかなかうまくいきません。とうとう我慢できなくなりました。「お母さん。この鏡、変よ。」という笑い話を聞いたことがあります。私たちは自分の責任や罪を他の者になすりつけたり、他の人のせいにしたりしますよね。旧約聖書創世記の続きです。

 罪を犯して恥ずかしい姿を隠した男女に神様は尋ねました。「食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか。」(創世記 3章11節 口語訳聖書) 「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです。」(創世記 3章12節 口語訳聖書) 夫アダムは妻エバのせいにしているのです。自分の悪業を他の人になすりつけるのはここから始まったようですね。しかも「あなたが一緒にしてくださったこの女」と言ってるのです。 「神様、あなたが私に与えてくださったこの女さえいかったら罪を犯さなかったですよ。」と、とうとう神様のせいにしているのです。

 堕落前の男性アダムは自分の体の一部から助け手として作られた女性エバを見た時、何と言いましたか? 「私の骨の骨、私の肉の肉。男(イシュ)から取ったものだから女(イシャー)と名付けよう。私の助け手にふさわしい。私の半身だ。ベター・ハーフだ。私にぴったりだ。」(創世記 2章23節参照)と喜んだのです。それが罪を犯して堕落した今、「この女」と赤の他人のようなセリフではないでしょうか。この時から夫は妻を自分の体の一部のように愛することができなくなりました。また妻は夫に素直に従うことができなくなってしまったのです。

 さらに神様は女に言われました。「あなたは、なんということをしたのです。」(創世記 3章13節 口語訳聖書)「蛇ですよ。蛇がいけないんですよ。私はただ騙されただけなんです。」(創世記 3章13節参照) 揃いもそろって女性は蛇のせいにしていますね。

 さて私たちも人のせいにしたり周りのせいにしている間は問題の本当の解決にはなりません。自分の罪と過ちを素直に認め、ごめんなさいという心から問題の解決は始まります。天の神様に「ごめんなさい」 周りの人に「ごめんなさい」という心を与えてくださいますように。

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■わたしがあなたとともにいる / 山中直義

2011年08月09日 | Weblog
2011/8/9放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。

 人生の中にはもうだめだと思わざるを得ない時もあることと思います。絶体絶命のピンチ、旧約聖書創世記に登場するイサクはその時まさにそんな状況にありました。飢饉が続く中、彼は身を寄せていたゲラル地方の王アビメレクから死刑宣告とも言えることばを突きつけられます。
あなたは、われわれよりはるかに強くなったから、われわれのところから出て行ってくれ。」(創世記 26章16節) 

 イサクは確かにその時、多くの家畜としもべを持つようになっていました。ですが皮肉にもその財産が人々の妬みを招いたのです。アビメレクをはじめとする人々はまずイサクの所有していたすべての井戸を土で埋めて水を奪いました。そうして彼をその土地から追放したのです。どれほどの家畜としもべを持っていたとしても水というライフ・ラインを断たれては生きてはいけません。イサクは何とかしようと旅をしながら必死に井戸を堀り当てます。ですが掘り当てるたびに土地の人々にそれを横取りされ、苦しむのでした。そんなことが何度か繰り返される中、彼は人や物により頼むことの危うさということを学ばされていきます。

 では一体何に依り頼んで生きるべきなのか。思い悩んでいたイサクにある夜神様のことばがありました。創世記26章24節のことば 

 主はその夜、彼に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。」

 人や物に見捨てられ生きる術や希望を失って絶望の闇に嘆くときにも、そんなときにも神は共にてくださる。困難を味わったからこそイサクは本当に大切なこと、本当に信頼できる「神」という存在に気づかされていったのでした。

 神があなたと共におられる。それこそがどんな人や物、どんなライフ・ラインにも優る確かな希望なのだということをあなたにもぜひ知っていただきたいのです。

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  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)



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