世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を始めていきたいですね。
今日は初めに河野進(こうのすすむ 玉島教会名誉牧師)という人の詩を紹介します。
一人に仕えられて不満である
十人、百人に仕えられて更に不満であり
千人、万人に仕えられていよいよ不満であり
ついに人生は不満である
一人に仕えて感謝である
十人、百人に仕えて感謝であり
千人、万人に仕えていよいよ感謝であり
ついに人生は感謝である
まあ人は仕えるよりも仕えられることを願いますね。 一人でも多くの人に仕えられたいと求め、それはどんどんエスカレートしていきます。 でもそれは決して心の満足を得ることができないんですねえ。 逆に仕えることを考えて生きるなら人生の景色は少し違ったものになっていくでしょう。
イエスろ・キリストの歩まれた姿を見ると、その最も大きな特徴の一つは、しもべとして仕えるために来てくださった、ということです。
新約聖書マルコの福音書10章45節には
「人の子が来たのも、」 ---これはイエス・キリストが来たのもという意味ですねえ--- 「仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
このように記されています。 イエス・キリストは神の独り子であるにも関わらず、徹底して人のために生きてくださり、人の罪のために命さえも惜しまずに十字架についてくださいました。 徹底的に仕えることにより救いの道を開いてくださったのです。
仕えるということを好む人はあまり多くはいないでしょう。 でもあなたがもし健康を願うなら、この仕えるということが健康の基本であるということを知るはずです。
例えば体は互いに仕え合うことによってバランスがとれていきますね。 もし口が、もう俺はものを食べるだけじゃあいやだ、と言ってボイコットしたらどうでしょう。 鼻が、空気を吸って吐いているだけじゃあ物足りないって主張したらどうでしょう。 もし体の細胞が自己主張し始めたらどうでしょう。 体全体のバランスは崩れてしまって、遂には死をもたらしていきます。 体はそれぞれの器官が仕え合うことによって最も健康を維持することができるんですね。
人生において仕えることをやめてしまうなら、それは決して潤いのある豊かな人生を得ることはできません。 イエス・キリストはあなたのためにいのちを捨てるほど仕えてくださいました。 だからこそ私たちも仕えることをほんの少し考えて生きていくとき、人生は更に豊かになっていくのです。
(PBA制作「世の光」2009.3.24放送でのお話しより)
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