♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■日ごとの糧を与えたまえ /関根弘興

2011年02月08日 | Weblog
2011/2/8放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストが弟子たちに教えてくださったお祈り、「主の祈り」と言われるものですが、今日はその中の「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ 6章11節)という祈りをご一緒に考えていきましょう。

 ま、この祈りは大変具体的な祈りだと思いませんか。あなたは食事の前に感謝の祈りをなさってますか? ま、考えてみれば、日ごとの糧を与えてくださいと願っているのですから、その願い通りに日ごとの糧が与えられたら感謝するのはとても自然なことですよね。この「日ごとの糧を与え給え」とは決して抽象的な祈りではなく、私たちが生きていく上で必要な現実的な問題のために祈りなさいという事をイエス様は教えているんです。

 ある人は本当に具体的なことを祈って聞かれるんですかと疑いを持つ方がいます。私はそういう人には必ずこう言うんですね。「聞かれますよ。だから何でも祈ってください。その代わり、祈った祈りをあなたもちゃんと覚えておいてくださいね。」こう言うんですねえ。

 私が学生時代の頃でしたが、私は祈りのノートというものを作ったんです。ま、祈った祈りは本当に答えられるだろうかと思い、ま、自分で祈った祈りを全部ノートに書いていったんですね。そしてその祈りが答えられたなら赤鉛筆でそこに棒線を引くんです。どうなったと思いますか? 私の大学ノートはもう真っ赤になったんです。ただ自分勝手な祈りは聞き届けられないということもようくわかりました。

 でもある人はこう考えるかもしません。そんな日ごとの糧を与えてくださいなんてそんなみすぼらしい祈りはできません。俺はそこまで落ちぶれちゃいないよ。・・・ま、そんなふうに考える人もいるかもしれませんね。この「日ごとの糧をお与えください」というこの祈りを本気で祈るということは私は神様の支えや助けがなければ生きていくことのできない弱い存在なんですということを認める祈りに繋がるんです。ですから、プライドがあるとですねえプライドが許しませんね。そんな祈りができるか、ってなるわけです。

 でも神様のお世話になんかなっていないし、自分は何でもできるさ、って粋がっても人間はどうでしょうね、本当に弱い者だと思いませんか? 私たちはもう3分も息を止めることもできない存在です。そういう生き方ではなくて、私達は神様の支えなくしていきていけない存在ですと認め、心から「日ごとの糧を今日も与えてください」と祈る素直な謙遜な心が必要だと思いませんか。あなたを支えている神様に正直に心のままを願いを打ち明けることができる。何と幸いなことでしょう。

 (PBA制作「世の光」2011.2.8放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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