ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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だからファンタジー

2007-12-28 15:09:35 | 本や言葉の紹介
 今、O・R・メリングの一連の作品「妖精王の月」「夏の王」「光をはこぶ娘」「ドルイドの歌」「歌う石」を読みました。以前に読んだときはよくできてるなと思ったぐらいだったのですが、今読み返してみて、実に深く心に響いてくるのに驚いています。1冊ごとに何度も涙がこみあげてしまいました。「夢の書」は、お正月の楽しみとしてとってあります。

 「歌う石」のあとがきで訳者の井辻朱美さんが

「ファンタジーを読むことによって、混沌とした現実の世界の見通しがなぜかよくなり、ガラスをぬぐいでもしたように、あたりがすっきりと見えてくる。しかも、偶然にそこに存在するようにみえる日常の物事や者や人物がすべて、深い意味をエコーのように響かせているのがわかってくる。それがファンタジー独特の浄化作用だと、わたしは思います。」

と書いてくれています。本当にそうですね。



「闇を持たない人間なんていない」

「闇なくして光はない。闇に囲まれたときは、そなた自身が光にならねばならぬ」
                                
(「夏の王」より)


 昨日、北浦和の翡翠館でたまたまお会いしたのが、SF・まんが・ファンタジー・小説などにお詳しいTさんでした。そのかたにお会いできたことも、そのかたが光と闇についての自論を話してくれたことも今だからこそのシンクロニシティでした。

 読んだり観たりするとき、まずその世界を受け入れてじゅうぶんに味わっていくことを第一にしたいです。批評・批判の視点から見るのはその次。でも、あまりにあらが見えてしまうというのは悲しいけど。

 以前、ファンタジーは好きではないと翡翠館のマスターからうかがいました。昨日は、「最近のまんがや小説などは、主人公が最初から特別な力をもっているとか高貴な身分だとかの設定で、自分の力だけで世界をけっこう簡単に変えていく安易なものが多い」とおっしゃっていたので、たぶんファンタジーにもそんなイメージをもっておいでなのだと推察しました(間違っていたらごめんなさい)。

 ファンタジーは苦手というかたの多くがこのように考えているのではと思いますが、私はそういうものはファンタジーではなく、たとえば冒険活劇とかアドベンチャー物、アクション物というようなジャンルになるのではと思っています。
 
 ファンタジーには成長物語であるという面をもっているものが少なからずあります。巻き込まれ型にせよ働きかけ型にせよ、他者とかかわり、世界とつながり、自分で何かを決め、選択し、実行することで自分の神性や獣性、ユニークさなどを自覚し、成長する。

 本当にどこかに実在する世界だろうと思わせるリアリティをもち、現実逃避するための道具ではなく、新しい見方で自分の世界を見ることができるようになり、現実を生きていくための力となってくれるもの。そういうものを私はファンタジーと呼びます。

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