中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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「人間が何事かを信ずるというとき、そこには少なからず損得勘定が潜んでいる。さらに信ずることで、真実に近づいたとか、清浄なものに近づいたといううぬぼれが首をもたげてくる。」
これは、今日の東京新聞朝刊掲載の「親鸞を生きる 上」(武田定光 真宗大谷派・因速寺住職)にあった言葉。
浄土真宗の親鸞に関する文章中の言葉ですが、精神世界、スピリチュアル、スピリチャリティーなんていわれている分野についても同じことが言えると思いました。
それに、「信じていること」と「知っていること」は違うのよねえ。
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