ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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状況は?

2010-02-18 17:17:42 | 本や言葉の紹介

 武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
            (↑これをクリックするとホームページに行きます)


 「木犀の匂う朝に」(半田たつ子 ウイ書房)は、おもに1980年代に「新しい家庭科We」(現「くらしと教育をつなぐWe」)などに掲載した折々の文章を、「くらしの中で」「人とのかかわりの中で」「女と男」「教育をめぐって」「私、そして家族」「いのちを考える」という大きな項目に分けて整理してあります。

 14ページで、
教科書の仕事をしていて、H出版の山川みづほさんが何度も見えたころ、ここを尋ねるのは楽しいと言われた。道すがら、よその家の庭だけど、花花に季節のうつろいを感じて、と。」
 という文章に出会い、山川さんと半田先生がよい時間をシェアできていてよかったなあと、嬉しさが胸に広がりました。
 この山川さんこそ、編集者の仕事とはどういうものか、人とつきあうというのはどういうことかなど、たくさんのことを教えてくれた大恩人です。とにかく優秀でハートも熱い行動派。まだ50代前半で亡くなられたときは、本当に呆然としました。にぶい私をよくぞ見捨てず育ててくださったと今でも感謝しています。

 さて、読んでいて思ったのは、20年も30年も前に指摘されている情況が、今、改善されているのだろうかということ。
 たとえば1985年に書かれたもの(103ページ)にはこうあります。

 明日から婦人週間が始まるという日、ある地方新聞の社説に、男女の不平等をただすのは「女の連帯、男の理解」だとあった。4月17日の朝日新聞天声人語氏は、主婦の自由時間が増え、心の3C(カルチャー、クリエーション、コミュニケーション)を求める動きが強まった現在、「21世紀は女性の自由謳歌の時代、しかも男性の受難の世紀である」(佐橋慶氏のことば)に共感している。
 ああ、わかっていないなあと思う。言葉の上だけの「理解」だからだ。荒木氏が家事の一切を実践して体得した「家事とは後始末。後始末を面倒くさがらずにやってはじめて、生きることがわかる」との言葉と、重みを比べてほしい。
 自閉的な傾向を持つ子、どうしても学校を拒否する子を抱えてオロオロしながら、仲間との連帯の中で、学びつつ鍛えられていく母親。切迫流産の危険におののきながら、「問題児」との感情的交流に心を砕く女教師。夫の両親、自分の両親と十余年も老人介護をやってきて、いま自分の老いにぶつかった妻。こうした「わずらわしいこと」の一つ一つにていねいに対応しながら、女は家事をやる。その家事に1円の報酬もない。
 男たちよ、本気で家事に取り組もう。あなたは女たちの痛みを体得するだろう。他の痛みを共有することこそ、もっとも質の高い「人生の学び」だと、私は思うのだが。


 いまだに若い人でも、家庭科を共修したはずの男性でも、「仕事をするなら家のことを完璧にやれ」とか「家事に協力してやってるだろ」とか言うひとがかなりいますよ、半田先生。協力って、主体としてやっているってことじゃないよね。
 

 また、社会的な状況がかなり変わったということも思いました。
1983年に書かれたもの(105ページ)にはこうあります。

 生きるため、食うためには、好むと好まざるとにかかわらず、一家をあげて働かなければならなかった時代、働くことを理の当然とし、コツコツ努力すれば報われる喜びを味わえた時代を経て、一人(多くは男、夫、父)が働けば、3、4人の家族を養えるようになった現在、あえて働く必然性を女生徒にわからせるのは容易ではない。


 今は、もし夫婦であるならば共に働かなくては生活ができない情況がそこここにあります。給料が安いから結婚できないとかも。
 家事をになわされたうえに働かざるをえない状況を、女性は抱えています。
 以前、女性にとって職業をもって経済的に自立することがステイタスのような感じでもありました。でも、その苦しさを見ていた娘たちは、専業主婦を目指すようになっているとか。今では高給を取れる男性をいち早くゲットして専業主婦として悠々と暮らすのが女のゴールみたいなことが言われてたりする。
うーん……。

 とにかくいろいろなことを思い出したり考えさせられたりした本でした。ありがとうございます。


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