ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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改憲についての本から 6(終)必要なのは外交 

2013-09-28 09:39:24 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。

「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本」(高橋哲哉・斎藤貴男 編著 日本評論社)から抜粋します。


●「大人の国」は戦争しない、外交する
 野蛮な相手もなだめてなだめて、武器を使わず話し合うのが外交なんです。戦争はど突き合い。戦争の前に外交すればいいんです。きちんと外交努力さえすれば戦争なんかにならない。

●同時にいろいろやるのが外交
 改憲なんて外交努力もへったくれもなくて、けんかの準備をしているだけです。軍とか武器とか、持てば持つほど、向こうだってやってやろうという気になる。こっちがポキポキ指を鳴らせば、向こうだって興奮しますよ。煽ったってしょうがない。そんなことでは平和にならない。
 押したり引いたり、同時にやるのが外交です。外交筋はそういう努力はしていると思う。恐ろしいのは世論です。マスコミ、今じゃテレビとインターネットがけんか腰を煽ってばかりで、それではまた日比谷焼打事件に戻ってしまう。

●「外交すればいい」と言うけど、「いい人だったら攻撃されない」みたいな理屈が、国同士の関係にも本当に当てはまるの?
 他国から攻撃されないようにするためには、基本的にはその国と友好関係を結び、友好関係を破壊することがその国にとってもデメリットであると思わせる必要があります。それには、何でも他国の言いなりになるということではなく、日本との関係が悪くなれば、貿易や金融、技術の移転などの面ですぐにその国にとってのデメリットが現れるような密接な関係をつくることが大切です。国際的には、「いい人」であるよりも「賢い人」であることのほうが重要で、そのための外交努力は、独自に粘り強く行わなければなりません。国と国が付き合うということは、過去の歴史のしがらみがあったり、ナショナリズムが衝突したりして、決して一筋縄でゆくことではありません。また、そのうえで、その国の情報を十分に収集するとともに、政府・民間のレベルでの人的交流をはかることによって、情報収集と意志疎通が十分に成されていえば、国際関係の極端な悪化は避けられます。
 武力攻撃だとか「戦争」といったものは、突然に起こることではありません。情報と意志疎通の不足が、誤解を生み、お互いに相手を〈脅威〉と考えるようになり、敵対的な政策をとっていって、ついには武力衝突といった経過をたどるものです。
 相手に攻撃、軍拡の口実を決して与えないという、骨は折れるけれども「賢い」したたかさをもたねばなりません。

●メッセージ――見ろ、考えろ、交流しろ
 みんな現実というのは半径300メートルだと思っているけど、せめて半径1万キロメートルくらいの現実を見てほしい。
 行って、見て、知って、考える、向こうの人と交流する。政府なんか放っておいても、民間レベルでもっといろいろやればいい。そういうことを積み重ねて、結局は戦争だって一人ひとりの人間どもが拒否していくしかない。
 その前提として、いろんな人がいることを認めなあかん。


  「向かうところ敵なしというのは、自分がいちばん強いということではなく、みんなと友好関係をもって仲良くできること」だから、当然敵なんていなくなるというようなことを内田樹さんが言ってたけど、その通りだ。
 日本は、世界から「なくなったら困る国」「好きな国」「大切な人が住んでいる国」「尊敬できる国」になればいいんじゃないかい。技術力でもおもてなしでもどんなジャンルでもいいからさ。
 アメリカが「世界の警察官」と自称していたのなら、日本は「世界の良心」「世界の賢者」と他称されるようになればいいんじゃないかい。

 理想主義とバカにされるかもしれないけど、理想をかかげることは大切、理想を実現するために動くことは大切なんだよねえ。
  もちろんすぐには到達できないけど、でもやっていったらいいんじゃないかい。そうしながら、どうやって幸せや平和、つまりは国を守っていくかについて真剣に考えようよ。
  粘り強く、それこそ狼の群の中に送り込まれた羊が「蛇のように賢く、鳩のように素直に」思考・行動して生き延びるように。

  たまたまなんだけど、白洲次郎の「プリンシプルのない日本」(新潮文庫)を読んだら、「日曜日の食卓にて――日本人についての雑談」に次の文章がありました。

 将来の日本が生きて行くに大切なことは、全部なら一番いいのだが、なるべく多くの人が、日本の国の行き方ということを、国際的に非常に鋭敏になって考えていくことだ。
(日本は島国のために国際的に考えることができていない)
  国際感覚という問題だが、これを養成するにはやはり勉強するよりほかにしょうがない。日本というものは、世界の国の一国であるということを考えるように教育することだ。

 ああ、エネルギーにしても食料にしても、生活のすべてにわたってどれだけ外国に頼っているか。世界中と仲良くつきあわないと生活できない日本なのに、“なんとか戦争ができるようにしよう”なんて画策してる場合じゃないわさ。
 そんなこと考えるなら、食糧自給率やエネルギー自給率を100%にするにはどうしたらいいか、再生可能な自然エネルギーで電力等をまかなうにはどうしたらいいか、福島原発をどう安全にしていくか、自然災害への備えなど、やらなくちゃいかんことがいっぱいあるじゃないの。
 つまりは、いろんなことをよく知り、自分がどう考えるか、どう生きるか、何を選ぶかが大切なんだよねえ。たとえ1億2640万人分の1の存在であっても、自分の生き方は国の動向と無関係じゃないもんねえ。


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