(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
報告が遅くなってしまったが、福島原発震災から1周年を迎えるのに合わせて、3月10~11日、福島県郡山市で「原発いらない!地球(いのち)のつどい」「原発いらない!福島県民大集会」が開催された。以下はその報告である。
●被ばく者援護法制定を求めるシンポジウム
「原発いらない!地球(いのち)のつどい」メイン会場では、まず、「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」と題するシンポジウムが開催。被ばく者全員に健康手帳を配布し、無料で医療が受けられる原爆被爆者と同様の制度を作るための運動が提起された。
午後からは、ルポライター・鎌田慧さんが「脱原発と民主化への道」と題した講演を行った。民主化と聞くとどこの発展途上国の話かと思ってしまうが、原発事故が浮かび上がらせた日本の姿はウソと隠ぺいがまかり通る独裁国家と変わらない。
●エイディ・ロッシュさんの話
チェルノブイリ・チルドレン・インターナショナル代表 エイディ・ロッシュさん(女性、アイルランド人)が以下のとおり話した。
「チェルノブイリの人たちは福島のために力になりたい。一緒に涙し行動できる。福島の人たちと一緒に闘いたい。福島は孤立していないと伝えたい。家族、友人、知人のことを考えて立ち上がることが大切だ。福島は不死鳥のようによみがえる。私たちから希望まで奪うことはできない。生活の隅々にまで入り込んだ見えない敵の中で、次の世代を構想すること。今の世代で原発を終わらせることが必要である」
●「野菜カフェはもる」模擬店サロン&パネル展示
第2会議室では、3月10日午後の時間をフルに利用して、「野菜カフェはもる模擬店サロン&パネル展示」(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)が行われ、多数の参加者が訪れた。
福島では、少しでも放射性物質による汚染のない安全な食べ物を子どもたちに食べさせたいという母親たちの願いとは裏腹に、安全な食料品を入手できる機会は少ない。事故から1年過ぎた現在でも、行政による食品の全量検査は行われておらず、少ないサンプル検査の結果を基に、市町村単位で「安全宣言」が出され、汚染の疑いが消えないまま多くの食品が出荷されている。検査結果も公表されず、今なお多くの消費者が危険な食品かどうかを産地情報のみで判断しなければならない状況が続く。
まともな検査も行わないみずからの責任を棚に上げ、行政は、危険を避けるため消費者に残された唯一の防衛手段である「産地選別」を「風評被害」と非難し、食べて応援キャンペーンに参加しない消費者に責任を転嫁し続けている。消費者も危険な産地を避け自己防衛を続ける人々と、行政を信じることにして地元産を積極的に買う人の二極化が進んでいる。
そのような中、福島市に昨年11月にオープンしたのが「野菜カフェはもる」だ。子どもたちを放射能から守る福島ネットワークを中心にした市民グループにより設立された。主に西日本を中心に協力を申し出た有機農家などの安全な野菜を並べ、ただでさえ高い外部被曝にさらされている福島県民に、せめて内部被曝だけでも減らしてもらおうという取り組みである。この日の模擬店サロン&パネル展示では、関西産の野菜のほか、愛知県産の大豆を原料とした納豆や豆腐、岐阜県関市産の卵などが並べられた。
福島原発事故はまだ収束の気配もなく、大量の放射性物質の放出が続く。避難が困難な福島県民にとって、外部被曝の数百倍も危険と言われる内部被曝から身体を防護することが最も重要だ。面積が広く、交通事情も良くない福島県で「はもる」が福島市の1か所では、多くの県民が安全な食品を買いたいと思っても困難な状況だが、今後の取り組みの拡大に期待したい。
●避難・保養相談会
第3会議室では、避難・保養情報に関するブースが設けられるとともに、相談会が開催された。出展したのは、宮城~青森(東北ヘルプ)山形(リトル山形)、栃木、神奈川、山梨、京都、兵庫の各地域。いずれのブースも相談待ちができるほどの人出で、避難を希望しながらできない人がほとんどを占めるといわれる福島の現状にあっても依然として避難へのニーズが強いことを示している。
会場から出てきた父親、母親それぞれ1人ずつから話を聞くことができた。郡山市から参加している幼児を持つ父親は次のように話す。「原発爆発の直後からすぐ避難を考えた。妻が犬のトリミングの仕事をしており、やっと顧客も付いてコミュニティができてきたばかりで、お客さんを置いて避難する決断が未だできずにいる」。避難しても生活は楽ではない。仕事はどうするのか、地域の人間関係は? 改めて人間は社会的関係の下で生活しているということを強く感ずる。避難したくてもできない福島県民の大半が同じ悩みを抱える。
郡山市から参加し、あちこちのブースで熱心に話を聴いていたある母親は次のように語る。「初めは保養の相談のつもりで来たが、話を聞いているうちに保養よりも避難した方がいいのではないかと思うようになった。自宅は木造で、室内でも放射線量は1μSv/h以上ある。子どもに目立った症状はないが、今まで冬でも1度も病院に行ったことがなかったのに、この冬は病院に行くなど、免疫力の低下かと思うようなことが目立っている。昨年までは相談相手だったママ友仲間はみんな避難してしまった。今は相談する人もおらず、「放射能を気にする方がおかしい」といわれる状況だ」。ご主人の理解は得られていますか、との問いには「まだ得られていません。二重生活への不安もあり、決断には踏み切れません」とのことだった。
避難をしたいという潜在的な需要はまだかなりあるというのがブースの雰囲気を見ての感想だ。ただ、避難を希望する人に相変わらず必要な情報が与えられていない。行政が避難に関する情報を意図的に隠し、伝えないようにしている中で、今後も市民レベルで情報を発信していくことの重要性を痛感した。
●ドイツ緑の党記者会見
ドイツ緑の党連邦議会議員が来日したことに伴い、急きょ記者会見が設定された。会見は、「野菜カフェはもる」展示が行われている第2会議室の一角を使用して行われた。
会見したのは、ドイツ連邦議会議員のジルヴィア・コッティング=ウールさん(緑の党・同盟90原子力政策スポークスパーソン)。4回目となる今回の来日では、飯舘村から、避難者が多く生活している山形市を回り避難者の状況を見た後、現在停止中の浜岡原発を視察した。ジルヴィア議員の会見内容は以下のとおり。
* * *
今回来日したのは、福島原発事故から1年経過後の状況を見るとともに、依然として原発再稼働の危険性があるという事態を踏まえ、脱原発に向けた強いメッセージを発するためである。出発前、日本国民が放射能の危険から解放されるようにするため野田首相と会談するようメルケル首相に申し入れた。
今日は、ドイツ国内から野田首相に宛てた署名を携えてきている。この署名には、緑の党全議員の署名5000筆を含んでいる。私としては、東京で「脱原発1000万人アクション」の大江健三郎さんにこの署名を託し、一緒に提出してもらうつもりだ。日本には自然エネルギーの国になってもらいたい。明日、東京でもデモに参加し、日本の政治家と会談する予定である。皆さんも、原発に関して公聴会をどんどん開かせ、声を上げていくようにしてほしい。
* * *
この後、質疑応答が行われ、私からは「公聴会を開かせるのはいいと思うが、日本では公聴会は単なるセレモニーであり、公聴会での意見を受けて政府が政策を変更した例はない。政府に市民のいうことを聞かせるためにはどうしたらよいか、ドイツでの経験を元に助言をいただきたい」と質問した。
これに対し、ジルヴィア議員は「日本でも原発事故以降、それまでであればできなかったようなことができるようになるものと信じる。日本国民の8割が脱原発を望んでいる。脱原発を本当はしたくなかったメルケル政権にそれを実現させたドイツのように闘ってほしい」と答えた。また、「脱原発を言わなければ政権維持が不可能になるような状況を作り出すために、政権交代に耐えうる脱原発政党が議会に登場することが必要である」と、日本国内での緑の党の結成に強い期待感を示した。
ドイツ連邦議会に緑の党が登場したのは1983年。1986年のチェルノブイリ事故ではドイツ国内にも大量の放射能が降った。2000年、いわゆる「赤緑連合」(社会民主党と緑の党の連立政権)が脱原発を決定したが、メルケル政権が稼働中の原発の運転期間延長を決めたところだった。この方針が福島事故で覆され、再び脱原発が決定された。
また、ドイツでは原発労働者の被曝基準は年間20mSvを上限としているが、緑の党が当面、年間10mSvまでとするよう要求していることが報告された〔筆者注:日本では「電離放射線障害防止規則」により、年間50mSvかつ5年間で100mSvまで〕。
なお、ジルヴィア議員の記者会見では触れられていないが、国内17基の原発のうち約半数にあたる8基を停止したドイツが昨年、周辺諸国との間で、電力輸入量よりも輸出量が多い輸出超過になっていたことが報道されている。脱原発後、いったんは輸入超過に陥ったが、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの増加と、全体のエネルギー消費量を抑える「効率化」により、厳冬で電力不足の原発大国フランスにも輸出しているとのことである(「毎日新聞」2012.2.20付け)。
●原発推進に今も加担する地元メディア
ところで、この記者会見には週刊金曜日やフリージャーナリストのほか、朝日新聞や福島民友(福島の地方紙)の記者も参加していたが、その姿勢は本当に酷いものだった。週刊金曜日やフリージャーナリストが次々と質問しているのに序盤は何も質問せず、最後にジルヴィア議員から「他にありませんか」と言われてようやくおずおずと手を挙げたかと思うと、記憶にも残らないような平凡な質問をする。福島民友に至っては「ドイツとは違い、日本で脱原発は即時は無理ですよね」などと言い出す始末。ジルヴィア議員から「いいえ。日本国民の意思ひとつですぐにでも可能です」と言われると、そのまま黙り込んでしまった。彼らはそもそも質問の仕方を知らないし、記者クラブによって権力に飼い慣らされるうちに質問するという文化自体、失ってしまったのだろう。
福島では県議会が脱原発を決議し、あの佐藤雄平知事すら「今後は原発に頼らない福島を目指す」と表明、福島第1、第2原発の全機廃炉を求めている。その中で、脱原発のメッセージを伝えるためにわざわざ来日している外国人ゲストまで「即時脱原発は無理」に誘導しようとするとは言語道断だ。今回の福島原発事故ではマスコミもA級戦犯であることがますますはっきりした。
3月10日夜には「原発いらない!交流と文化のつどい」が行われ、「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんが会津伝統の「かんしょ踊り」を披露。参加者全員が武藤さんの指導で踊った。「原発いらない福島の女たち」の1人、椎名千恵子さんは、地域コミュニティが原発事故で分断された福島の実情を「イムジン川」の替え歌に込めて歌った。
●上関原発反対運動から~祝島農家の講演
3月11日午前、上関原発予定地である祝島の氏本農園・氏本長一さんの講演が開催され、約30人が熱心に氏本さんの話に聴き入った。祝島は、山口県上関町に属する瀬戸内海の島で、30年近く前から上関原発建設計画があるが、地元の漁民たちが建設反対の闘いを続け、建設を止め続けている。氏本さんは次のように述べ、原発反対の闘いを紹介。併せて、必要以上に電力に頼らない生活を実践してきたみずからの体験を踏まえて、ライフスタイルを変える必要性を訴えた。
* * *
祝島でも、海の埋め立てに反対して先頭で闘ったのは女性だった。海に体を縛り付け、「埋め立てるなら自分たちも一緒に埋めろ」と抵抗を続けた。中国電力から地元・上関漁協には漁業補償金3000万円が振り込まれたが、漁民たちはそれを要らないとして受け取らなかった。法律では、補償金が漁協ではなく土地の真の持ち主に渡らなければ工事はできないことになっており、漁民たちが個人で補償金を受け取らなかったら工事に入れない。そのようなやり方で、ギリギリのところで工事を阻止してきた。
町の選挙では、町長選も町議選も反対派は6連敗している。福島の事故で少しでも反対票が上積みされるかと思っていたが、全く票数が変わらなかったので驚いた。祝島住民のほとんどは原発反対だが、島外の町民に賛成派が多く、もうずっと前から賛成票・反対票は固定している。大切なのは、選挙で6連敗しても建設を阻止できていることだ。
原発を推進してきた歴代の政府は、また「得意なものだけを大量に作る農業」を推進してきたが、大切なのは多角経営である。狭い畜舎に大量の家畜を押し込め、運動量を減らすやり方で「食味の良い肉」を作る畜産を続けてきた結果起きたのが2010年の口蹄疫〔こうていえき・家畜伝染病〕だった。エネルギーを大量に消費する農業、効率的農業の先にはTPP(環太平洋経済連携協定)への参加が待っている。原発とTPPはどちらも経団連が望んでいるものだ。
地域コミュニティをきちんと維持していけるかも問われている。阪神大震災の時、救助率が高かった集落に共通していたのは地域の祭りがきちんと継続、維持されていたことだ。
大切なことは、お天道様に従った生活をすること。子どものように夜9時になったら寝る。エネルギーを使わない生活を不便と思うからいけない。何でも自分でやり、自分の体を使うと気持ちよいとわかる。我慢する節電より、そのように思えるパラダイムシフトが必要だ。
最近、祝島に住みたいとやってくる若者が多い。特に、就職氷河期で正規職に就けなかった30歳代のIターンが多い。彼らの発言で興味深いのは「組織に勤めて賃金を稼ぎ、物を買う生活の先に未来が見えない」ということ。「そんな自分でも、ここなら生きていけるかもしれない」とやってくる。私は彼らに「ここでは何でも自分でやらなければいけない。思っているほど楽じゃないぞ」と言うが、彼らはそれでもいい、と言う。実際、彼らは生き生きしながらやっている。大量生産、大量消費社会の先に来るべき新たな社会の姿がここにある。
* * *
氏本さんが指摘した「得意なものだけを大量に作る農業」とは、農水省が進めてきた農業の「選択的拡大」路線のことで、日本がコメの完全自給を達成したのを機に政府が1961年に制定した旧農業基本法でその路線が確立された。これ以降、日本の農政はひたすら規模拡大と効率的経営だけを目指してきたが、このようなやり方は、(1)一部の「やる気のある農家」への農地集約(=小規模農家が離農せざるを得ないような締め付け)、(2)諫早湾干拓事業のような大規模な自然破壊、(3)大量のエネルギーを消費するハウス農業等の展開と、それに伴うCO2排出量の増加、(4)狭い畜舎に大量の家畜を押し込む「効率的畜産」の結果、発生した家畜伝染病…等により、全面的に破綻した。
●福島から怒りを! 「原発いらない!福島県民大集会」に16000人
3月11日午後からは「原発いらない!福島県民大集会」が郡山市・開成山野球場に16000人を集めて行われた。集会では、地元・福島の高校生が「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではない」と、命より金を優先するグローバル資本主義への強い怒りを表明した。
福島で1つの集会にこれだけの人数が集まったのは前代未聞のことである。それだけ福島県民の間に広範な怒りが存在し続けていることが伺える。
今回の「つどい」「県民集会」の開催に当たっては、「犠牲者を静かに追悼すべき慰霊の日に、自分勝手な反原発イデオロギーを振り回すな」という誹謗・中傷もあったという。だが福島では警戒区域に指定されたため、津波犠牲者の遺体の収容すら数ヶ月後という地域がたくさんあった。くだらない誹謗・中傷をする人に対し筆者は逆に問いたい。「遺体も家族の元にすぐ戻してやれないのに何が追悼なのか。犠牲者の家族に追悼もできなくさせた原発事故の責任をいま追及しなくていつするのか」と。
報告が遅くなってしまったが、福島原発震災から1周年を迎えるのに合わせて、3月10~11日、福島県郡山市で「原発いらない!地球(いのち)のつどい」「原発いらない!福島県民大集会」が開催された。以下はその報告である。
●被ばく者援護法制定を求めるシンポジウム
「原発いらない!地球(いのち)のつどい」メイン会場では、まず、「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」と題するシンポジウムが開催。被ばく者全員に健康手帳を配布し、無料で医療が受けられる原爆被爆者と同様の制度を作るための運動が提起された。
午後からは、ルポライター・鎌田慧さんが「脱原発と民主化への道」と題した講演を行った。民主化と聞くとどこの発展途上国の話かと思ってしまうが、原発事故が浮かび上がらせた日本の姿はウソと隠ぺいがまかり通る独裁国家と変わらない。
●エイディ・ロッシュさんの話
チェルノブイリ・チルドレン・インターナショナル代表 エイディ・ロッシュさん(女性、アイルランド人)が以下のとおり話した。
「チェルノブイリの人たちは福島のために力になりたい。一緒に涙し行動できる。福島の人たちと一緒に闘いたい。福島は孤立していないと伝えたい。家族、友人、知人のことを考えて立ち上がることが大切だ。福島は不死鳥のようによみがえる。私たちから希望まで奪うことはできない。生活の隅々にまで入り込んだ見えない敵の中で、次の世代を構想すること。今の世代で原発を終わらせることが必要である」
●「野菜カフェはもる」模擬店サロン&パネル展示
第2会議室では、3月10日午後の時間をフルに利用して、「野菜カフェはもる模擬店サロン&パネル展示」(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)が行われ、多数の参加者が訪れた。
福島では、少しでも放射性物質による汚染のない安全な食べ物を子どもたちに食べさせたいという母親たちの願いとは裏腹に、安全な食料品を入手できる機会は少ない。事故から1年過ぎた現在でも、行政による食品の全量検査は行われておらず、少ないサンプル検査の結果を基に、市町村単位で「安全宣言」が出され、汚染の疑いが消えないまま多くの食品が出荷されている。検査結果も公表されず、今なお多くの消費者が危険な食品かどうかを産地情報のみで判断しなければならない状況が続く。
まともな検査も行わないみずからの責任を棚に上げ、行政は、危険を避けるため消費者に残された唯一の防衛手段である「産地選別」を「風評被害」と非難し、食べて応援キャンペーンに参加しない消費者に責任を転嫁し続けている。消費者も危険な産地を避け自己防衛を続ける人々と、行政を信じることにして地元産を積極的に買う人の二極化が進んでいる。
そのような中、福島市に昨年11月にオープンしたのが「野菜カフェはもる」だ。子どもたちを放射能から守る福島ネットワークを中心にした市民グループにより設立された。主に西日本を中心に協力を申し出た有機農家などの安全な野菜を並べ、ただでさえ高い外部被曝にさらされている福島県民に、せめて内部被曝だけでも減らしてもらおうという取り組みである。この日の模擬店サロン&パネル展示では、関西産の野菜のほか、愛知県産の大豆を原料とした納豆や豆腐、岐阜県関市産の卵などが並べられた。
福島原発事故はまだ収束の気配もなく、大量の放射性物質の放出が続く。避難が困難な福島県民にとって、外部被曝の数百倍も危険と言われる内部被曝から身体を防護することが最も重要だ。面積が広く、交通事情も良くない福島県で「はもる」が福島市の1か所では、多くの県民が安全な食品を買いたいと思っても困難な状況だが、今後の取り組みの拡大に期待したい。
●避難・保養相談会
第3会議室では、避難・保養情報に関するブースが設けられるとともに、相談会が開催された。出展したのは、宮城~青森(東北ヘルプ)山形(リトル山形)、栃木、神奈川、山梨、京都、兵庫の各地域。いずれのブースも相談待ちができるほどの人出で、避難を希望しながらできない人がほとんどを占めるといわれる福島の現状にあっても依然として避難へのニーズが強いことを示している。
会場から出てきた父親、母親それぞれ1人ずつから話を聞くことができた。郡山市から参加している幼児を持つ父親は次のように話す。「原発爆発の直後からすぐ避難を考えた。妻が犬のトリミングの仕事をしており、やっと顧客も付いてコミュニティができてきたばかりで、お客さんを置いて避難する決断が未だできずにいる」。避難しても生活は楽ではない。仕事はどうするのか、地域の人間関係は? 改めて人間は社会的関係の下で生活しているということを強く感ずる。避難したくてもできない福島県民の大半が同じ悩みを抱える。
郡山市から参加し、あちこちのブースで熱心に話を聴いていたある母親は次のように語る。「初めは保養の相談のつもりで来たが、話を聞いているうちに保養よりも避難した方がいいのではないかと思うようになった。自宅は木造で、室内でも放射線量は1μSv/h以上ある。子どもに目立った症状はないが、今まで冬でも1度も病院に行ったことがなかったのに、この冬は病院に行くなど、免疫力の低下かと思うようなことが目立っている。昨年までは相談相手だったママ友仲間はみんな避難してしまった。今は相談する人もおらず、「放射能を気にする方がおかしい」といわれる状況だ」。ご主人の理解は得られていますか、との問いには「まだ得られていません。二重生活への不安もあり、決断には踏み切れません」とのことだった。
避難をしたいという潜在的な需要はまだかなりあるというのがブースの雰囲気を見ての感想だ。ただ、避難を希望する人に相変わらず必要な情報が与えられていない。行政が避難に関する情報を意図的に隠し、伝えないようにしている中で、今後も市民レベルで情報を発信していくことの重要性を痛感した。
●ドイツ緑の党記者会見
ドイツ緑の党連邦議会議員が来日したことに伴い、急きょ記者会見が設定された。会見は、「野菜カフェはもる」展示が行われている第2会議室の一角を使用して行われた。
会見したのは、ドイツ連邦議会議員のジルヴィア・コッティング=ウールさん(緑の党・同盟90原子力政策スポークスパーソン)。4回目となる今回の来日では、飯舘村から、避難者が多く生活している山形市を回り避難者の状況を見た後、現在停止中の浜岡原発を視察した。ジルヴィア議員の会見内容は以下のとおり。
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今回来日したのは、福島原発事故から1年経過後の状況を見るとともに、依然として原発再稼働の危険性があるという事態を踏まえ、脱原発に向けた強いメッセージを発するためである。出発前、日本国民が放射能の危険から解放されるようにするため野田首相と会談するようメルケル首相に申し入れた。
今日は、ドイツ国内から野田首相に宛てた署名を携えてきている。この署名には、緑の党全議員の署名5000筆を含んでいる。私としては、東京で「脱原発1000万人アクション」の大江健三郎さんにこの署名を託し、一緒に提出してもらうつもりだ。日本には自然エネルギーの国になってもらいたい。明日、東京でもデモに参加し、日本の政治家と会談する予定である。皆さんも、原発に関して公聴会をどんどん開かせ、声を上げていくようにしてほしい。
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この後、質疑応答が行われ、私からは「公聴会を開かせるのはいいと思うが、日本では公聴会は単なるセレモニーであり、公聴会での意見を受けて政府が政策を変更した例はない。政府に市民のいうことを聞かせるためにはどうしたらよいか、ドイツでの経験を元に助言をいただきたい」と質問した。
これに対し、ジルヴィア議員は「日本でも原発事故以降、それまでであればできなかったようなことができるようになるものと信じる。日本国民の8割が脱原発を望んでいる。脱原発を本当はしたくなかったメルケル政権にそれを実現させたドイツのように闘ってほしい」と答えた。また、「脱原発を言わなければ政権維持が不可能になるような状況を作り出すために、政権交代に耐えうる脱原発政党が議会に登場することが必要である」と、日本国内での緑の党の結成に強い期待感を示した。
ドイツ連邦議会に緑の党が登場したのは1983年。1986年のチェルノブイリ事故ではドイツ国内にも大量の放射能が降った。2000年、いわゆる「赤緑連合」(社会民主党と緑の党の連立政権)が脱原発を決定したが、メルケル政権が稼働中の原発の運転期間延長を決めたところだった。この方針が福島事故で覆され、再び脱原発が決定された。
また、ドイツでは原発労働者の被曝基準は年間20mSvを上限としているが、緑の党が当面、年間10mSvまでとするよう要求していることが報告された〔筆者注:日本では「電離放射線障害防止規則」により、年間50mSvかつ5年間で100mSvまで〕。
なお、ジルヴィア議員の記者会見では触れられていないが、国内17基の原発のうち約半数にあたる8基を停止したドイツが昨年、周辺諸国との間で、電力輸入量よりも輸出量が多い輸出超過になっていたことが報道されている。脱原発後、いったんは輸入超過に陥ったが、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの増加と、全体のエネルギー消費量を抑える「効率化」により、厳冬で電力不足の原発大国フランスにも輸出しているとのことである(「毎日新聞」2012.2.20付け)。
●原発推進に今も加担する地元メディア
ところで、この記者会見には週刊金曜日やフリージャーナリストのほか、朝日新聞や福島民友(福島の地方紙)の記者も参加していたが、その姿勢は本当に酷いものだった。週刊金曜日やフリージャーナリストが次々と質問しているのに序盤は何も質問せず、最後にジルヴィア議員から「他にありませんか」と言われてようやくおずおずと手を挙げたかと思うと、記憶にも残らないような平凡な質問をする。福島民友に至っては「ドイツとは違い、日本で脱原発は即時は無理ですよね」などと言い出す始末。ジルヴィア議員から「いいえ。日本国民の意思ひとつですぐにでも可能です」と言われると、そのまま黙り込んでしまった。彼らはそもそも質問の仕方を知らないし、記者クラブによって権力に飼い慣らされるうちに質問するという文化自体、失ってしまったのだろう。
福島では県議会が脱原発を決議し、あの佐藤雄平知事すら「今後は原発に頼らない福島を目指す」と表明、福島第1、第2原発の全機廃炉を求めている。その中で、脱原発のメッセージを伝えるためにわざわざ来日している外国人ゲストまで「即時脱原発は無理」に誘導しようとするとは言語道断だ。今回の福島原発事故ではマスコミもA級戦犯であることがますますはっきりした。
3月10日夜には「原発いらない!交流と文化のつどい」が行われ、「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんが会津伝統の「かんしょ踊り」を披露。参加者全員が武藤さんの指導で踊った。「原発いらない福島の女たち」の1人、椎名千恵子さんは、地域コミュニティが原発事故で分断された福島の実情を「イムジン川」の替え歌に込めて歌った。
●上関原発反対運動から~祝島農家の講演
3月11日午前、上関原発予定地である祝島の氏本農園・氏本長一さんの講演が開催され、約30人が熱心に氏本さんの話に聴き入った。祝島は、山口県上関町に属する瀬戸内海の島で、30年近く前から上関原発建設計画があるが、地元の漁民たちが建設反対の闘いを続け、建設を止め続けている。氏本さんは次のように述べ、原発反対の闘いを紹介。併せて、必要以上に電力に頼らない生活を実践してきたみずからの体験を踏まえて、ライフスタイルを変える必要性を訴えた。
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祝島でも、海の埋め立てに反対して先頭で闘ったのは女性だった。海に体を縛り付け、「埋め立てるなら自分たちも一緒に埋めろ」と抵抗を続けた。中国電力から地元・上関漁協には漁業補償金3000万円が振り込まれたが、漁民たちはそれを要らないとして受け取らなかった。法律では、補償金が漁協ではなく土地の真の持ち主に渡らなければ工事はできないことになっており、漁民たちが個人で補償金を受け取らなかったら工事に入れない。そのようなやり方で、ギリギリのところで工事を阻止してきた。
町の選挙では、町長選も町議選も反対派は6連敗している。福島の事故で少しでも反対票が上積みされるかと思っていたが、全く票数が変わらなかったので驚いた。祝島住民のほとんどは原発反対だが、島外の町民に賛成派が多く、もうずっと前から賛成票・反対票は固定している。大切なのは、選挙で6連敗しても建設を阻止できていることだ。
原発を推進してきた歴代の政府は、また「得意なものだけを大量に作る農業」を推進してきたが、大切なのは多角経営である。狭い畜舎に大量の家畜を押し込め、運動量を減らすやり方で「食味の良い肉」を作る畜産を続けてきた結果起きたのが2010年の口蹄疫〔こうていえき・家畜伝染病〕だった。エネルギーを大量に消費する農業、効率的農業の先にはTPP(環太平洋経済連携協定)への参加が待っている。原発とTPPはどちらも経団連が望んでいるものだ。
地域コミュニティをきちんと維持していけるかも問われている。阪神大震災の時、救助率が高かった集落に共通していたのは地域の祭りがきちんと継続、維持されていたことだ。
大切なことは、お天道様に従った生活をすること。子どものように夜9時になったら寝る。エネルギーを使わない生活を不便と思うからいけない。何でも自分でやり、自分の体を使うと気持ちよいとわかる。我慢する節電より、そのように思えるパラダイムシフトが必要だ。
最近、祝島に住みたいとやってくる若者が多い。特に、就職氷河期で正規職に就けなかった30歳代のIターンが多い。彼らの発言で興味深いのは「組織に勤めて賃金を稼ぎ、物を買う生活の先に未来が見えない」ということ。「そんな自分でも、ここなら生きていけるかもしれない」とやってくる。私は彼らに「ここでは何でも自分でやらなければいけない。思っているほど楽じゃないぞ」と言うが、彼らはそれでもいい、と言う。実際、彼らは生き生きしながらやっている。大量生産、大量消費社会の先に来るべき新たな社会の姿がここにある。
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氏本さんが指摘した「得意なものだけを大量に作る農業」とは、農水省が進めてきた農業の「選択的拡大」路線のことで、日本がコメの完全自給を達成したのを機に政府が1961年に制定した旧農業基本法でその路線が確立された。これ以降、日本の農政はひたすら規模拡大と効率的経営だけを目指してきたが、このようなやり方は、(1)一部の「やる気のある農家」への農地集約(=小規模農家が離農せざるを得ないような締め付け)、(2)諫早湾干拓事業のような大規模な自然破壊、(3)大量のエネルギーを消費するハウス農業等の展開と、それに伴うCO2排出量の増加、(4)狭い畜舎に大量の家畜を押し込む「効率的畜産」の結果、発生した家畜伝染病…等により、全面的に破綻した。
●福島から怒りを! 「原発いらない!福島県民大集会」に16000人
3月11日午後からは「原発いらない!福島県民大集会」が郡山市・開成山野球場に16000人を集めて行われた。集会では、地元・福島の高校生が「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではない」と、命より金を優先するグローバル資本主義への強い怒りを表明した。
福島で1つの集会にこれだけの人数が集まったのは前代未聞のことである。それだけ福島県民の間に広範な怒りが存在し続けていることが伺える。
今回の「つどい」「県民集会」の開催に当たっては、「犠牲者を静かに追悼すべき慰霊の日に、自分勝手な反原発イデオロギーを振り回すな」という誹謗・中傷もあったという。だが福島では警戒区域に指定されたため、津波犠牲者の遺体の収容すら数ヶ月後という地域がたくさんあった。くだらない誹謗・中傷をする人に対し筆者は逆に問いたい。「遺体も家族の元にすぐ戻してやれないのに何が追悼なのか。犠牲者の家族に追悼もできなくさせた原発事故の責任をいま追及しなくていつするのか」と。