人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

【管理人よりお知らせ】ブログ名変更等について

2020-08-27 21:22:02 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

1.当ブログの名称を「人生チャレンジ20000km」から「安全問題研究会」に再び変更しました。

当ブログは、今年3月から「安全問題研究会」の名称を開設当時の「人生チャレンジ20000km」に戻して運営してきましたが、色々と検討した結果、再び「安全問題研究会」に変更することにしました。

開設当時の名称への「先祖返り」は当分の間に限った一時的なもので、いずれ「安全問題研究会」に再度変更の予定でした。開設当時の名称に先祖返りさせた理由は、3月1日付け記事での説明の通りです。「今年は昨年までと異なり、公共交通と原子力問題に絞らず、もっと幅広く思いを吐露するブログとして運営したい」「2020年代に入り、はっきり時代の転換点に来たという思いがあり、公共交通と原子力問題にこだわっていては時代の小さな変化の兆候を見落としてしまう」ことから「ここしばらくは、安全問題研究会としての立場にこだわらず、気楽に書いてみたい」と考えたからです。

にもかかわらず、ブログ名を再度「安全問題研究会」に戻す決意をしたのは、時代認識が変わったからです。コロナ禍でもっと時代が急速に転換すると当ブログ管理人は若干、希望的に見ていましたが、その予測は残念ながら外れつつあります。時代は急激に変わりそうにないどころか、これまでの勝者を更なる勝利に、これまでの敗者を更なる敗北に導くような悪い方向への変化のほうが顕著になり始めています。コロナを通じた時代変化に対し、まったく希望が持てなくなりました。

一方、JR日高本線の廃線が公然と議論され、また寿都町で放射性廃棄物最終処分場計画が急浮上するなど、当ブログ管理人をこれまで取り組んできた公共交通や原発問題という「日常の戦線」に引き戻そうという動きが強まってきています。私自身は新しい課題に取り組みたくても、周囲がなかなかそうさせてくれない現状もあります。肝心の新型コロナに関しても、ここしばらくは大きな動きはないでしょう。人類とウィルスとの一進一退の攻防が、あと数年続くと思います。

緊急事態宣言が解除されて2か月半を過ぎ、当ブログ的にはコロナ禍に伴う非常事態から通常モードに復帰したとの認識です。わずか半年でのブログ名称の再変更は早すぎるような気がしますが、時代はコロナによっても、少なくとも当ブログ管理人が願う方向には変化しないと判断し、通常モードに完全に戻すことにしました。

なお、明日(8月28日)午後5時から安倍首相の記者会見が予定されています。健康不安説が取り沙汰され、反安倍派からは退陣への予測も出ていますが、当ブログ管理人は明日の辞任表明はないと判断しています(この程度のことで辞任するなら、今まで10回くらい辞めていると思います。安倍首相の権力への異常なまでの執着、そして安倍首相の本当の怖さを、当ブログは反安倍派だからこそ「安倍信者」などよりよく知っています)。こうしたことも、ブログ名を通常モードに戻そうと決めた理由のひとつです。

2.ブログ「ベラルーシの部屋」をブックマークに追加しました。

先日行われた大統領選挙の後、ベラルーシ共和国(旧ソ連「白ロシア共和国」)では不正選挙が行われたとしてデモや抗議行動が起きています。旧ソ連を構成する共和国のひとつとして、一党独裁の社会主義体制が続いた後、ソ連崩壊後は欧州最後の独裁者といわれてきたルカシェンコ大統領による強権政治に変わったベラルーシでは、もとより公正な選挙は望むべくもありません。選挙のたびに反政府勢力が不正を訴えるのは「お家芸」のベラルーシですが、最近政府への不満が強まっている背景として、原発を導入したことも指摘する必要があります(参考記事:チェルノブイリ事故で被ばく ベラルーシが原発導入 来月初稼働 現地で戸惑いも(「東京新聞」7月29日付))。日本のメディアで報じているのはリンク先の東京新聞くらいですが、チェルノブイリ事故で最も深刻な被害を受けたベラルーシで、原発導入という愚かで最悪の政治判断が行われたことは、間違いなく反政府運動の「最後の引き金」を引いたと思います。

ベラルーシを含む旧ソ連地域について、日本のメディア報道に多くを望むことは困難と思います。そもそもこの地域の事情に明るい記者が日本メディアにほとんどいないからです。2014年、ソチ冬季五輪直前に、ウクライナで親ロシア勢力が武装蜂起した際も、クリミア半島の奪取を狙うロシアが背後から反政府勢力をけしかけ騒動を起こしているという情勢判断をきちんとした上で報道につなげるメディアはありませんでした。

クリミア半島は有名な保養地として、旧ソ連時代は政府や党幹部の休暇中の滞在場所に使われましたが、ソ連崩壊でウクライナ領となっていました。クリミア半島は天然資源に恵まれているわけでもなく、豊かな土地でもありませんが、それでもソ連時代に政府・党幹部が保養地としていたのはここが戦略上極めて重要な場所にあるからです。プーチン政権はクリミアの奪還を長年、虎視眈々と狙っていました。そういう歴史をきちんと知り、報道につなげられる記者が日本メディアにほとんどいないのです。

しかし、福島で原発事故を経験した当ブログ管理人にとって、ベラルーシやウクライナは同じ境遇を持つ「遠くて近い国」です。反原発運動にかかわっている人の中には、これらの国の行く末を本気で心配している方も少なくありません。そこで、ベラルーシの首都ミンスクに1995年から在住し、現地の「日本文化情報センター」代表を務める傍ら、日本人向けに日本語でベラルーシの情報を発信してきた辰巳雅子さんのブログ「ベラルーシの部屋」を、当分の間の措置としてブックマークに追加することにしました。さすがに現地からの直接発信とあって、情報は早く正確です。

パソコンから当ブログにアクセスされた方は、左フレーム内のブックマークから飛ぶことができます。タブレット端末やスマホでご覧の方はブックマークは表示されないため、必要に応じて「ベラルーシの部屋」をブラウザのブックマークに登録してください。年内いっぱいくらいはブックマークに置いておこうと思います。

なお、当ブログ管理人は原発事故翌年の2012年秋、福島県内の放射能汚染状況を調査するため来日した辰巳雅子さんと一度だけお会いしています。会話を交わすほどの時間はなく、挨拶だけで終わりましたが、当時の状況についてブログで次のように報告しています。

『日本人の私は今までやっぱり甘いことを夢見ていました。ついつい「チェルノブイリより福島のほうがましだろう。ましであってほしい・・・」と心の中で願っていたのです。しかし福島へ行ってきて、現実が見えた気がしました。日本はとても危険な状態です。被曝対策を真剣にしないといけません』(「ベラルーシの部屋」2012年10月23日付け記事「日本からベラルーシへ戻ってきました」より)

当ブログの認識は今も当時と変わっていません。開沼某などの「安全派」は「福島が危険だと騒いでいる人たちは認識が事故直後のままで止まっているだけだ」などと宣伝していますが、放射性物質の中には半減期が何十年という物質もあります。国も県もまともな除染すらしていないのに、わずか10年程度の時間の経過で状況が好転するような性質のものではありません。間違っているのは彼らのほうであり、開沼博、林智裕、服部美咲らの一派は根拠のない宣伝をやめるべきです。
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