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安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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<地方交通に未来を(18)>鶏が先か卵が先か、その答えは能登にある

2024-09-18 21:32:59 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 鉄道が廃止されると人口が減り、町が寂れるのか。それとも、人口が減って町が寂れ、鉄道利用者も減ったから廃止になるのであって、両者は無関係なのか。ローカル線廃止絶対反対派と、廃止支持派の間でもう半世紀以上も続き、おそらく永久に決着のつくことがない論争である。決着がつかないのは「どちらも正しい」からである。「廃線推進派を相手に、そんな“鶏が先か卵が先か”のような消耗戦をいつまでしていても時間の無駄だ。人口が減って鉄道が廃止されるとさらに人口が減り、ダウンサイズされたバスなどの公共交通がまた廃止になるスパイラルなのだから、私なら『(負の)連関』のひとことで済ませる」。「次世代へつなぐ地域の鉄道」執筆に私とともに加わった桜井徹・日本大学名誉教授は明快だ。私も各地の講演などでこの質問が出たときは「鉄道廃止は、人口減少や町の衰退の原因であるとともに結果でもある」と答えてそれ以上の議論はしない。貴重な講演時間がその論争で終わってしまっては疲れるだけで無意味だからだ。

 元日の能登半島地震から8か月経った。震源地が北陸電力志賀原発の近くにあり、またかつて珠洲原発の計画を阻止した歴史もあるため、原発関連で話題が出ることはあっても、鉄道と絡める形で能登地震の話題が出たことはこの8か月、まったくといっていいほどない。今回はその面からの話をしておきたい。

 能登地震の最も大きな被害を受けた能登半島先端部には、2005年3月まで「のと鉄道」が走っていた。旧国鉄の特定地方交通線・能登線を引き継いだ第三セクター鉄道だ。時刻表の路線図を広げると、今ものと鉄道は残っているが、これはJR西日本から譲渡された旧七尾線区間であり、もともとの区間とは違っている。旧能登線は穴水から蛸島(珠洲市蛸島町)までを走っており、もともと交通不便なこの場所で住民や観光客が効率よく動ける地元の貴重な足だった。

 能登地震から3か月が経過した3月下旬、能登半島先端部では水道が未復旧の地域がいまだに1割もあるとの情報を入手した。全水道(地方自治体の水道事業職員で構成する労働組合)関係者の話であり、情報源としては信頼できる。全国の水道事業の実態を最もよく把握しているのは自治体水道労働者であり、被災水道の復旧も彼らが地元業者と連携して進めているからである。

 水道だけではない。横倒しになった建物も再建どころか撤去もされていない場所が多く残る。過去の大地震被災地である東北や熊本などと比べて、明らかに復旧が遅い。国は復旧が遅れている理由を「半島の先端のため人も車も入れない」などと説明しているが、それならなぜ20年前、のと鉄道を廃止したのか。貴重な地元の移動手段を残していれば、旅客列車を休止させ復旧物資用貨物列車を走らせるなどの非常手段があり得たと思う。

 「大災害が来ればどうせ鉄道も不通になるのだから意味がない」と、廃止支持派は言うだろう。確かに被災した「瞬間」だけを見ればそうかもしれない。だが、廃止以降の20年という長い時間軸にしてみると、見えてくる風景はまったく異なる。 内閣府が6月26日に公表した「令和6年能登半島地震における災害の特徴」によれば、旧のと鉄道の終点駅・蛸島駅のあった珠洲市の高齢化率(全人口に占める65歳以上の比率)は約52%、輪島市が約46%。珠洲市は全人口の半数以上が65歳以上という恐るべき比率だが、それでも2016年熊本地震の主要被災地である益城町が約54%、南阿蘇村でも約43%だったのと比べると同程度で、能登が突出して高いわけではない。

 むしろ私が注目したのは能登被災地の人口減少率の高さである。被災6市町(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)における人口減少率は、1985年を1として2020年は0.6であり、35年間でなんと4割も減っている。石川県全体では人口は横ばいであり、全国では同じ期間、過去の蓄積もあり1985年の人口をまだ上回っている。

 人口が4割減った被災6市町のうち、志賀町以外は旧のと鉄道の走っていた地域と重なる。ただ、人口減少のペースを見れば1985年から、のと鉄道廃止(2005年)を挟んで2015年までの30年間、一本調子で減っており、鉄道廃止との強い関連性は認められない(同時に、志賀原発建設が始まった1988年以降も減少ペースが鈍っていないことから、原発が来れば地域が栄えるという原発推進派の宣伝もウソであることは指摘しておきたい)。

 「35年間で4割も人口が減るような地域は、あと40~50年も待てば誰もいなくなる。そんなところに巨額の復旧復興予算を投じるのは無駄だ」と国が考えていることは、財政制度等審議会(財務省の諮問機関)が今年4月に公表した提言にも現れている。能登復興に当たっては「維持管理コストを念頭に置き、集約的なまちづくりを」――提言は包み隠さず、財務省の本音をこう述べているのだ。

 国交省が2016年に発行したパンフレット「もしも赤字の地域公共交通が廃止になったら?」には「地域鉄道廃止と地域活力との関係」を示す表が掲載されている。鉄道が廃止された地域の人口が2000年を1として、10年後には0.95と5%減っているのに対し、存続している地域では1と横ばいを維持している。鉄道廃止が地価に与える影響を示す別のグラフでは、2000年を1として、鉄道が廃止された地域の15年後は0.5と半額に下落しているのに対し、鉄道が存続した地域では0.6。下落には違いないが、鉄道が残れば「負け幅」を1割も縮小できることを、この資料は示している。ただ、5%にしても1割にしてもあまりに小さすぎる。この程度なら「誤差の範囲内」であり、地域衰退と鉄道廃止は「無関係」だと信じたい廃線支持派にも一定の根拠を与える結果になっている。

 だが、能登被災地からは、数字では表すことのできないこの国の本当の姿が見える。35年間で4割も人口を減らした町では、かつて「どうせ誰も乗っていないのだから、そんな鉄道などなくなっても誰も困りませんよね?」と主張する行政と鉄道会社に同意し、鉄道を手放した。大災害が襲った20年後、地元住民たちは、単語だけを入れ替え、国に再び問われるのだ。「どうせ誰も住んでいないのだから、そんな地域などなくなっても誰も困りませんよね?」と。災害復旧さえ行われないまま廃止に追い込まれたローカル線と同じことが、地域社会全体に拡大して行われている。地域社会全体の「廃止協議」である。

 ローカル線廃止を支持してきた人たちに私は問いたい。「どうせ誰も住んでいないのだから、そんな地域などなくなっても誰も困りませんよね?」と「廃止協議」が始まる次の場所がもしあなたの町だったとき、それでもあなたは同意するのか。いつまで経っても復旧しない能登被災地を見ていると、そう問われているとしか思えないのだ。 

(2024年9月10日)


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【管理人よりお知らせ】当ブログ管理人に取材した動画が公開されました

2024-09-06 22:41:37 | 鉄道・公共交通/交通政策

9月3日、運輸審議会が札幌市内で開催した公聴会で、無事、意見公述を終えました。

この公聴会で、運輸審議会委員とJR北海道との間で行われた質疑応答の模様を、「鉄道大好きチャンネル」さんが再び動画にしています。私が取材に応じたものです。

以下からご覧いただけます。

え?函館本線山線のバス転換延期?JR北海道の綿貫社長がポロリ•••公聴会でさらっと重大発言!


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【管理人よりお知らせ】9/3開催「JR北海道運賃値上げ反対市民公聴会」にご参加ください

2024-09-01 19:49:06 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

すでにお知らせしているとおり、JR北海道が2025年4月実施を目指して申請している運賃値上げを審議するに当たって、広く各界各層の意見を聴くための公聴会(運輸審議会主催)が9月3日、札幌市内で行われます。

これに併せて、運賃値上げやローカル線廃止反対運動を行ってきた札幌の市民団体「北の鉄路存続を求める会」主催の「運賃値上げ反対市民公聴会」が、同じく9月3日の夕方、札幌市内で行われます。開催内容は以下の通りですので、お誘い合わせの上、ぜひお越しください。安全問題研究会代表も公述人の1人として参加予定です。

●日時 2024年9月3日(火)18時~(終了予定20時)
●会場  北海道高等学校教職員センター・4階大会議室(札幌市中央区大通西12丁目)
●入場無料/詳細は「北の鉄路存続を求める会」(011-252-7480)

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【管理人よりお知らせ】9月3日、運輸審議会主催のJR北海道の運賃値上げに関する公聴会で、安全問題研究会代表が公述します

2024-08-21 22:55:50 | 鉄道・公共交通/交通政策
この件は、本来であれば事前発表せず、終了後に報告のみ行う予定にしていましたが、北海道内をメインに活動している鉄道系Youtubeチャンネルによって事前報道されてしまったことから、この際、安全問題研究会としてやむを得ず発表に踏み切ります。

JR北海道が2025年4月からの実施を目標として、現在、鉄道事業法に基づく運賃上限の変更認可申請を国土交通省に対して行っています。この運賃上限変更認可申請を審議する運輸審議会(国土交通大臣の諮問機関)が主催して、一般市民の意見を聴くための公聴会が、9月3日、札幌市内で開催されます。

北海道旅客鉄道株式会社からの鉄道の旅客運賃の上限変更認可申請事案に関する公聴会の開催概要について(国土交通省)

この公聴会で、安全問題研究会代表を含む4人の公述人が意見公述を行います。

4人の公述人の公述書は国土交通省ホームページにおいて既に公表されています(北海道旅客鉄道株式会社からの鉄道の旅客運賃の上限変更認可申請事案に関する公聴会の公述書について)。お読みいただくことでご理解いただけると思いますが、今回の意見公述において、安全問題研究会は、島田修JR北海道会長及び綿貫泰之JR北海道社長に対し、公式に辞任を求めます。

この間の経緯や、公聴会の概要、当研究会代表を含む4人の公述人の意見公述内容については、以下のYoutubeチャンネル「【北海道】乗り物大好きチャンネル」が報じています。

JR北海道の島田会長・綿貫社長の辞任要求へ!国交省主催の公聴会で異例の展開へ・・・一連のJR北海道の経営姿勢に疑問の声が続々!


運輸審議会主催の公聴会には、申請内容を説明するため、申請した鉄道事業者の代表が出席するのが通例となっています。前回、2019年の運賃値上げに先だって行われた公聴会では、JR北海道から島田修社長(当時)が出席しました。今回も綿貫社長が出席するものと考えられます。ただし、島田会長は出席しない可能性もあります。

当研究会が、今回の公聴会の場で、JR北海道会長・社長の「経営ツートップ」に対し、本人(特に綿貫社長)が出席している面前で辞任要求を突きつけたいと考えるようになったのは、根室本線・富良野~新得の廃線が強行された今年3月のことでした。北海道民共有の交通ネットワークである鉄道網を破壊し続けるJR北海道の経営陣には潔く職を辞していただき、同社が新体制で解体的出直しを行う以外に、北海道の鉄道が復活する道はありません。

なお、以下、当研究会代表の公述書全文を掲載します。当日の意見公述も、この通りの形で実施する予定です。

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 北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)が申請した鉄道旅客運賃・料金の上限変更認可申請に対し、意見を公述します。

 私は前回、2019年のJR北海道の運賃値上げの際にも公述し、反対いたしました。それから5年が経過し、電気代・燃料費の値上がりや人件費の増加など、JR北海道側にとって斟酌すべき新たな状況変化も生じています。しかし、一部容認という選択肢がなく賛成・反対から選ばざるを得ない以上、5年前と同様、反対の立場を表明せざるを得ません。

 今回の私の公述内容は主に3点あります。1つ目は、定期運賃割引率の縮小についてです。2つ目は、JR北海道のこの間の経営姿勢についてです。3つ目は、繰り返しになりますが、5年前のこの公聴会でも指摘したJRグループをめぐる諸問題についてです。以下、順に述べます。

1.定期運賃割引率の縮小について

 私が最も強く反対せざるを得ないのは、定期運賃の割引率の縮小です。

 旧運輸省鉄道総局時代の1948年に制定された国有鉄道運賃法第5条は「定期旅客運賃は、・・・普通運賃の百分の五十に相当する額をこえることができない」と定めていました。この法律は国鉄分割民営化によるJR発足とともに失効していますが、それでもJR北海道を含むJR各社は、定期運賃を普通運賃の半額以下に抑えてきました。

 私鉄各社における定期運賃の割引率は、普通運賃に対して3割程度の会社が多い中、JR各社が高い定期運賃割引率を維持してきたことは、国民の鉄道といわれた旧国鉄が持つ公共性をも引き継いだものであり、特にJR北海道が経営難に陥りながらも、この高い割引率を維持してきたことを私は高く評価しています。この割引率は今後も維持されるべきであると考えます。

 特に、通学定期運賃の1割近い大幅引き上げは、ただでさえ学校の統廃合が進み、子どもたちの通学時間が延びる中で、地域にとって大きな痛手となります。通勤定期の値上げも痛手ではありますが、多くの企業が通勤手当を支給しています。定期運賃が値上げされても、大人が受ける影響が限定的であるのに対し、子どもたちが値上げの影響を、緩和措置もないまま直接かつ全面的に受けるような手法は、社会的に弱い層により大きな負担を強いるという意味でも認めることはできません。

 5年前の公聴会における島田修社長(当時)の発言内容を私は今もはっきり覚えています。「通勤通学のお客様への定期運賃の割引率は、従来通り維持しますので、どうか、運賃引き上げをお認めくださいますようお願い申し上げます」と、島田社長は公述しました。

 冒頭にも述べたように、電気代・燃料費の値上がりや人件費の増加など、JR北海道側にとって斟酌すべき新たな状況変化はあるとしても、定期運賃の割引率を引き下げる今回の申請内容は、5年前、島田社長がこの公聴会の場で約束したことを覆すものであり、この点からも認めることはできません。

2.JR北海道のこの間の経営姿勢について

 1986年11月28日、国鉄改革関連8法案が参議院国鉄改革に関する特別委員会で可決された際の附帯決議では、国とJRグループ各社に対し「経営の安定と活性化に努めることにより、収支の改善を図り、地域鉄道網を健全に保全し、利用者サービスの向上、運賃及び料金の適正な水準維持に努めるとともに、輸送の安全確保のため万全を期すること」が求められています。最近のJR北海道は「経営の安定と活性化」「収支改善」「地域鉄道網の健全な保全」「利用者サービスの向上、運賃及び料金の適正な水準維持」のうち1つでも達成できたものがあるでしょうか。惨憺たる状況と言わなければなりません。

 駅の廃止はJR北海道の春の恒例行事になっていますが、鉄道会社は客商売であり、多くのお客様にご利用いただくためには出入口の数は多いに超したことはありません。魅力的な商品が棚に陳列されていても、お客様が店内に入れないのでは売上げを上げることはできません。新型コロナ発生以降、日本の鉄道は新幹線を除いて低落傾向にありますが、そうなったのは「出入口」である駅を粗末に扱ったからです。みどりの窓口の営業時間縮小や列車の減便も相変わらず続いています。

 「地域鉄道網の保全」に関してはさらに事態は悲惨です。1981年の石勝線開通まで、札幌と釧路・根室を結ぶ大動脈であり、北海道の中央部に位置する根室本線・富良野~新得を、災害から復旧させないまま断ち切ったのは、日本鉄道史に残る愚行と言わざるを得ません。また、新幹線札幌延伸後、並行在来線となる函館本線小樽~長万部間(通称「山線」)のうち小樽~余市間は輸送密度が2千人を超えています。廃止後の転換バスの運行を、人手不足を理由にバス会社が拒否しているにもかかわらず、JR北海道が廃止の既定方針を変えないのは、地元住民の生活の足を守るべき公共交通事業者として失格です。

 今年春のダイヤ改正から、「カムイ」「ライラック」を除く全列車から自由席車がなくなり、全車指定席化されました。自由席割引切符(Sきっぷ)も廃止された結果、割引がなくなり運賃・料金が2倍近くに跳ね上がったケースもあります。JR北海道は、事前予約すれば割引になる「えきねっとトクだ値」サービスの利用を盛んに呼びかけていますが、出張では行きの時間は予測できても帰りの時間は予測できないことが多く、またお葬式など急に利用が必要になることもあります。JR北海道はお客様のニーズをまったく把握できていないと言わざるを得ません。

 駅の窓口だけでなく駅そのものも、列車も、自由席も、割引制度も、ローカル線もすべて減らす。このような不便をお客様に強いた上で、なぜ値上げでさらなる負担をお客様に求めなければならないのでしょうか。

 綿貫泰之社長は、特急「すずらん」がガラガラ状態であることに対し、記者から質問が出ると、全車指定席化からまだ半年であるにもかかわらず「安くご利用というニーズが強いのであれば、特急でなくてもいい」と発言し、快速格下げを示唆しています。すべてが行き当たりばったりのその場しのぎです。JR北海道が鉄道会社として、自分たちの鉄道事業をどうしたいのかという将来展望もビジョンもまったく見えず、これでは会社の将来を悲観して多くの社員が辞めていくのももっともだと思います。綿貫社長就任(2022年6月17日)からわずか2年なのに、これだけ短期間に失態が続いているのは、島田会長-綿貫社長体制が経営能力を欠いていることの最も象徴的な現れです。私は、サービス低下と負担を一方的に押しつけられる全道民・利用者を代表して、島田会長と綿貫社長に対し、今すぐこの場で出処進退を明らかにするよう望みます。

3.5年前のこの公聴会でも指摘したJRグループをめぐる諸問題について

 5年前の公聴会において、私は、JR旅客会社6社間に大きな経営格差が存在し、JR北海道の値上げのたびにその格差が拡大していること、北海道で生産された農産物の多くが鉄道貨物を通じて全国に運ばれ、その恩恵は全国にあまねく及んでいるにも関わらず、冬の除雪費用をはじめとする線路維持のための費用を、北海道民のみが日本一高い運賃料金収入を通じて負担していること、国土交通省の指針で定められている「アボイダブル(回避可能)コストルール」により、JR旅客会社6社がJR貨物に対し、貨物列車が走ることにより新たに発生する最低限度の費用以外を請求できないこと、このため、特に新型コロナ発生前に100億円の利益を上げていたJR貨物を、483億円の赤字を計上しているJR北海道が支えなければならないことなどを指摘しました。JR北海道の経営を苦境に追い込んでいる、このような矛盾だらけの前提条件を改めるよう、私は5年前のこの公聴会でも求めましたが、抜本的改善は行われていません。これが、今回の運賃値上げに私が反対せざるを得ない3つ目の理由です。

 これらはいずれも国鉄分割民営化当時に行われた制度設計によるものであり、JR北海道には何らの責任もありません。JR北海道ではどうすることもできない不利な外的要因により、北海道民だけが負担を押しつけられる不公平が、この先、いつまで放置され続けるのでしょうか。

 大型バスやトラックの運転手が不足し、人も物も運べなくなるといわれる「2024年問題」が注目を集めているのに、全物流に占める鉄道の比率はわずか5%にすぎません。鉄道をもっと物流に活かす道はないのでしょうか。世界中からインバウンドが日本に殺到する中で、観光客と鉄道との共生をはかる手段がもっとあるのではないでしょうか。新しい時代に即した鉄道の役割を議論しないまま、安易に値上げ、減便、廃止でいいのでしょうか。

 旧国鉄は、1949年6月に発足し、1987年3月まで38年間の歴史でした。JRも1987年4月に発足し、今年で37年です。JRグループ発足から、すでに旧国鉄時代と同じ時間が流れました。日本にとっての鉄道はどのような姿であるべきか、鉄道は誰のために、何を目的として走るべきか、再び基本に立ち返って全国民的に議論すべき時を迎えていると考えます。

 安全問題研究会は、2021年1月、全国JRグループ6社を、旧国鉄時代のように全国1社制に戻すための「日本鉄道公団法案」を発表しています。さらに、大塚良治・江戸川大学教授は、JRグループ6社を、日本郵政グループやNTTグループのように持株会社の下に再編することを通じて、利益を上げている会社が赤字の会社を支える新たな制度設計について提案しています。

 運輸審議会が、運賃値上げを論議する諮問機関の役割にとどまることなく、鉄道をはじめとする交通政策、総合交通体系についても議論することによって、新しい時代の公共交通のグランドデザインを描く役割をも担う場として機能していくよう、委員各位にお願いを申し上げ、私の公述を終わります。

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<地方交通に未来を(17)>国鉄末期に似てきたJR~断末魔が聞こえる

2024-07-06 22:58:07 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 コロナ禍以降、JR各社の「迷走」が深まっている。それが最も加速しているのはかつて「ガリバー」ともてはやされた東日本だ。特に、朝夕のラッシュ時間帯に京葉線の通勤快速・快速すべてを各駅停車に格下げする今年3月のダイヤ改悪は千葉県内を中心に猛烈な反発を呼んだ。蘇我~東京間の場合、改悪前のダイヤなら快速で42分で到達していたのが、55分かかるようになる。たかが13分、されど13分。朝の13分は貴重な時間だし、通勤通学客にとっては1週間に5日も使うのだ。1年間で見ると「累積損失時間」は計り知れない。沿線自治体が相次いでダイヤ「改正」を見直すよう申し入れる事態に発展。結局、東日本は快速の一部を存続させる妥協策に踏み切らざるを得なかった。

 これ以上に深刻だったのは「みどりの窓口」削減だ。東日本の深沢祐二社長(当時。現・会長)は2021年5月の記者会見で、2025年までにみどりの窓口を7割減らすと表明していた(念のため強調しておくが、7割「に」減らすのではない。7割減らす、つまり3割しか残らないということだ)。コロナ禍後に乗客のほとんどが「戻る」と予想してローカル線も窓口も減らさない方針を表明した東海と対照的に、乗客は完全には戻らないとの予測を基に、東日本は急ピッチで窓口削減を行った。

 ところが、東日本の予想に反して通勤通学客、インバウンドとも急激に戻ってきたことで歯車が狂い始めた。東京都産業労働局調査によれば、2024年3月時点でも都内での在宅勤務(テレワーク)実施率は36%もある。東日本はこうしたことを根拠に窓口削減に踏み切ったのかもしれない。だが、そもそも従業員数10万人の大企業で、1人の社員が1年間で1日の在宅勤務をするだけでも「実施している」と回答できるような調査が、鉄道会社が通勤通学客の実態を把握する上でまったく意味を持たないことは言うまでもない。

 鉄道の利用実態は、窓口での乗車券類発売装置「マルス」や自動改札機のSuica読み取りデータを集計すればわかるはずだ。前述した都産業労働局調査でも、在宅勤務実施者の4分の1は「テレハーフ」(半日在宅、半日出社)や時間単位テレワークであることも示されている。通勤通学客は東日本が思っている以上に回復しているが、それでも東日本が窓口削減をやめないのは、マルスやSuicaのデータすらまともに確認していないか、一度決めたことを変更すれば責任を問われるから、データを見てわかっていても変えられない(俗に言う「謝ったら死ぬ病」)かのいずれかだが、私は後者の可能性が高いと思っている。

 みどりの窓口の混乱がピークに達したのは3月下旬~4月上旬だった。そうでなくとも年末年始・お盆に次ぐ再繁忙期である。新年度開始で通勤・通学を始める人が増えるが、券売機でも買える継続定期券と異なり、新規は窓口でないと買えないことが多い。また、国鉄時代からのルールで指定券類は「乗車日の前月の同じ日」(例えば、5月3日乗車分の指定券類は4月3日)から発売されるため、5月大型連休の指定券類も発売開始となるからだ。回復したインバウンドまで加わり、都内では窓口で2~3時間待ちも常態化。長蛇の列の中から怒号が飛び交うなど不穏な空気が流れた駅もある。明らかに利用客の不満は頂点に達していた。

 結局、大型連休明けの5月8日、東日本は窓口削減の「一時凍結」表明に追い込まれた。JRの経営を支えているのは日本語のわからないインバウンドと機械操作に不慣れな高齢者だ。窓口需要は今後増えることはあっても減ることはなく、むしろ拡充すべきだろう。

 北海道でも、3月「改正」で札幌~旭川間の「カムイ」「ライラック」を除くすべての特急で自由席が廃止、全車指定席化となった。同時に、割引率の高かった「自由席往復割引きっぷ」も廃止となった。JR北海道は、インターネットでの事前予約で指定席が割引になる「えきねっと」を盛んに宣伝しているが、会社の出張等では行きの時刻は予測できても帰りの時刻は予測できないことが多い。それに、お葬式など急に利用せざるを得ないことだってある。急用の時でも、駅に行けば割引切符でふらりと乗れる鉄道のメリットも、高速バスなど競合交通機関との間の競争力も投げ捨ててしまった。今、道内の特急は混んでいる列車とガラガラの列車の差が拡大。全体的に見てもJR離れが加速している。

 利用客のニーズをきちんと把握せず、利用客本位の営業施策を打てないJRを批判する声がこの間、目立っている。だが私は事態はもっと本質的なところにあると思っている。そもそもJRの営業規則類は旧国鉄が制定したものを継承しており、全国ネットワークとしての鉄道網をいかに乗りやすくするかに主眼が置かれている。窓口を訪れる乗客のニーズに合わせて、駅係員が頭の中に乗車経路をイメージしながら、最適な乗車券類を提案・販売できるようにするためのもので、駅係員が理解していれば乗客は知らなくてもすむことが前提になっている。

 私は、鉄道専門の書店で数年に一度、関係者向けに販売されているJRの営業規則の冊子を購入することがあるが、その厚さは5cmを超えており、最初は「広辞苑」かと思ったほどだ。それだけ複雑で、駅係員でさえ全貌を理解しているか怪しい切符のルールの根本部分に手を着けないまま「乗りたければ自分でルールと経路を理解し、自分で券売機を操作せよ」というのだ。いわば乗客に「マルス」の操作をさせるに等しく、大混乱が起きない方がおかしい。

 「この際、運賃・料金を一本化して、飛行機のような『全部込み』で単純明快な料金体系にすればいい」などと主張する「自称鉄道専門家」も一部に見られるが、私はそのような運賃料金制度には反対だ。陸上交通機関である鉄道は面的な全国ネットワークを持っており、飛行機のような点と点とを直線で結ぶ交通機関とは違う。旧国鉄が残してくれた、全国ネットワークに適した運賃料金制度を今後も維持すべきだ。新幹線と在来線、幹線とローカル線を乗り継ぎながらどこにでも便利に行ける利点を活かした営業施策こそが求められる。新幹線や特急の停車する駅間だけを運賃・料金セットで割り引き、ローカル線に乗り継げば逆に高くなるような「えきねっとトクだ値」サービスは間違っている。私は、ローカル線衰退の一因は「えきねっとトクだ値」サービスにもあると思っている。

 JRという名を冠すれば「いくらでも叩いていい」という風潮が、このところメディアの間に出てきている。特に、ローカル線廃止やみどりの窓口削減問題に関しては、これまで国鉄分割民営化に好意的だった読売・産経・新潮などのメディアが厳しい批判に転じていることも潮目の変化を物語っており、JR各社にとって誤算だったに違いない。

 右からも左からも「袋叩き」状態のJRはこの点でも次第に国鉄末期に似てきたように思う。今、私の耳にはJRの「断末魔」がはっきりと聞こえている。

(2024年6月28日)

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【管理人よりお知らせ】「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.27集会」における管理人の講演資料を安全問題研究会ホームページに掲載しました

2024-04-29 21:03:12 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

JR福知山線脱線事故の再発防止のため、毎年4月、兵庫県尼崎市で行われている「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.27集会」が今年も行われました。今年は、安全問題研究会代表が「住民本位の公共交通のために~国鉄分割民営化を問い直す~」として記念講演を行いました。

記念講演に使用したスライド資料を安全問題研究会サイトで公開したので、リンク先に飛んでください。印刷用版はこちらです。

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「2027年開業」正式断念したリニア、断ち切られる北海道の鉄路 大鹿村と新得町で現地を見る

2024-04-25 23:30:05 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●JR東海、リニア2027年開業を正式に断念

 3月29日、JR東海はリニア中央新幹線の2027年開業が不可能であることをようやく公式に認めた。本誌2023年8月号でも取り上げたが、神奈川県駅予定地となる横浜線・橋本駅にはそれらしきものは影も形もなく、「3年後に開業」など絵空事に過ぎないことはかなり前からはっきりしていた。

 一方、4月1日に行われた県庁入庁式で「県庁職員は牛を飼っている人たちとは違う」などの失言をした川勝平太・静岡県知事が辞職することになった。せっかくリニアの躓きが世間に明らかになるという時期に手痛いオウンゴールとなったが、知事「辞職表明」後の4月4日になり、JR東海が急に山梨工区や長野工区における工事の遅れを公表したところを見ると、むしろ慌てているのは当のJR東海自身なのではないか。最大の「邪魔者」が消えたことで、リニア推進派は年内にも全線開業するかのようなはしゃぎぶりだが、むしろ、工事が進まない原因が静岡だけにあるわけではないことが、広く一般にも理解されるなら悪い話ではない。

 ●長野県大鹿村を中心にリニア建設現場を見る

 そんな中、4月12日から14日にかけ、大鹿村を含む長野県を訪問した。昨年6月にも「レイバーネット日本」で大鹿村フィールドワークが計画されたが、梅雨入り宣言も出ないうちから襲来した季節外れの台風で中止となったため、大鹿村入りは今回が初めてだ。北海道からどう行けばいいのか最初はまったくわからず、道路地図と時刻表の路線図を何度も見比べながら、最終的には中部空港でレンタカーを借り、中央自動車道を走るルートを考えついた。12日の夜は飯田市内に泊まり、久しぶりの温泉で身体を休めた。

 13日午前中、大鹿村民・北川誠康さんの案内で飯田市内の長野県駅予定地や、橋脚だけが建った工事現場、子どもたちの書いた絵が飾ってある現場などを見ながら大鹿村に入った。中央構造線博物館は、施設自体が中央構造線の真上に建つというユニークなものだ。顧問で元学芸員・河本和朗さんの地震や地質に関する説明は幅広く、大地震が起きるたびにテレビに出演し無内容なコメントを繰り返す「地震学者」より博識であることは明らかだった。

 この原稿を書いている4月17日夜にも四国を中心に震度6弱を観測する地震があった。正月の能登地震を初めとして、今年は震度5強以上の地震だけですでに10回も発生しており、東日本大震災のあった2011年に匹敵するハイペースだと報道されている。河本さんのお話は、今後の地震防災に役立つに違いない。


<写真>橋脚だけが建った工事現場=長野県豊丘村で


 午後からはリニア建設現場を見学した。西に向かうリニアが南アルプストンネルを抜け、一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区まで、普通自動車では通行困難な細い山道を軽自動車3台に分乗して回った。地下トンネル区間での事故・トラブルの際に地上に出るための非常口も2カ所見た。JR東海のホームページによると、非常口は約5kmおきに設置されるというが、事故やトラブルがJRの都合良く非常口のある場所で起きるとは限らない。

 実際、過去に開かれた説明会で、地下区間での事故発生時の対応をどうするのか質問を受けたJR東海は「お客様同士で助け合ってください」と無責任きわまりない回答をしている。非常口はせいぜいアリバイ作りか、最大限善意に解釈しても壮大なファンタジーとしか言いようのないものだ。

 大鹿村の人口はホームページによると918人(今年3月1日現在)とある。高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場問題に揺れる北海道神恵内村(人口750人)とほぼ同じだ。このような小さな自治体が、リニアや核ごみといった国策に抗うことはほとんど不可能に近い。大都市部と大企業の利益のため「踏み台」になるだけで、自分たちの村にはメリットさえないものを、わずかな交付金や公共事業と引き替えに受け入れる以外にない地方の小さな村の悲哀。自分たちは使うこともできない「東京電力」の電気のために福島が踏み台にされた「3.11原発事故」を福島県西郷村で経験した私にとって、この問題が生涯をかけたテーマになるとの確信は年々強まっている。


<写真>南アルプストンネルを抜けたリニア新幹線が一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区。残土置き場になっている


 現地見学会を終えた午後3時30分からは、村内で「どこに行く?日本の公共交通~リニア・新幹線とローカル線から」と題し、30分の報告時間をいただいた。私を含め11人が参加。リニア車両にはトイレの設置が困難なのではないかとの指摘が「超電導リニアの不都合な真実」(川辺謙一・著、草思社、2020年)で行われていることを紹介したら大きな反応があった。通常車両でトイレが置かれる車端部は磁力線の影響が最も大きく、また新幹線の2倍近い速度下での大きな気圧変化に汚物タンクが耐えられるか疑わしいため、川辺氏はリニア車内へのトイレ設置を困難視しており、リニア事業そのものにも中止を勧告している。なお、報告資料は安全問題研究会ホームページに掲載している。

 日本一美しい村と言われる大鹿村で、国と資本関係を持たない純然たる民間企業のJR東海が、着々と自然を改変し破壊している。遠く離れた地域の人にとっては、静岡以外でも大幅に工事が遅れ「リニアなんてどうせ開業しないのだからどうでもいい」でいいのかもしれない。だがそれではすまされない厳しい現実が地元にあることを知った。

 同時に、数多の困難を何とか克服してリニアが仮に開業できたとしても、こんな美しい村をトンネルで通過するだけで車窓に見ることもできない乗客が哀れに思えた。今、北海道ではJRが廃線方針を示している函館本線・小樽~長万部間の沿線地域(ニセコ、余市など)が観光地化し、シーズンの冬には3両編成が投入されるほど乗客が押し寄せている。真っ黒なトンネル外壁ばかりで外も見えないリニアを外国人観光客はどう思うだろうか。


<写真>リニア「非常口」。ファンタジーにしか思えない


 ●北海道では「最重要幹線」が一部廃線で切断

 北海道では、3月31日限りで根室本線・富良野~新得間(81.7km)が廃止になった。石勝線開通(1981年)までは札幌と道東をむすぶ大動脈として特急や貨物列車が頻繁に往来した。2016年の台風災害では石勝線が約1か月間も不通になり、貨物輸送路が絶たれた結果、都内でもジャガイモ不足が起きるなどの影響が出た。だが旅客単独会社のJR北海道はそのような貨物輸送上の重要性を考慮することもないまま、迂回路となり得る重要幹線の一部区間を切断するという暴挙を既定方針通り行った。本線を名乗る路線の途中区間が廃止され、分断された例は、1997年の北陸新幹線東京~長野間の開業に伴って横川~軽井沢間が廃止された信越本線に次ぐ。

 最終日となる3月31日、午後1時から新得駅前でJR北海道主催のお別れセレモニーが開催された。地元住民の足であるのみならず、貨物輸送や非常時の迂回路など複数の重要な役割を持つ幹線を、旅客輸送面での輸送密度の低さだけを理由に廃止するJR北海道に抗議するため、時折小雪の舞う中「根室本線の災害復旧と存続を求める会」(以下「求める会」)の平良則代表らが新得駅前に立ち、「復活を祈念」との横断幕を掲げ復活運動に向けた意気込みを示した。メディア取材に対し、平代表は「私たちの声が政治の場に届かず残念」だとして市民の声を聞こうとしない政治の機能不全を批判した。


<写真>新得駅前で根室本線廃止区間の復活を訴える「求める会」メンバーと平良則代表(7人中、左から2人目)


 JR北海道は、新得駅前に陣取り、セレモニー参加者の視野に嫌でも入ってくる位置に掲げられた横断幕がよほど目障りだったのか、セレモニー開始直後、横断幕を下ろすよう求めてきた。他にも「ありがとう根室本線」の横断幕を掲げる鉄道ファンのグループがいたのに、そちらにはお咎めなし。自分たちの方針に反対するグループだけを狙い打ちにする相変わらずの反民主的、強権的企業体質だ。だが、そのJR北海道から目障りだと思われる運動を6年間も続ける住民団体が存在したことは特筆すべきことだ。

 セレモニー終了後、多くのJR北海道や地元自治体関係者が「求める会」メンバーを無視して通り過ぎる中、セレモニーに参加していた長身の男性が平代表らメンバーに一礼した。地元・新得町の浜田正利町長だ。行政トップの立場上、JR北海道主催のセレモニーに出席せざるを得ないが、一方で「求める会」の集会にもほぼ毎回参加し、住民の意見をくみ上げるよう努めてきた。無念の思いを共有していることは間違いない。

 これに先立つ3月15日には、「求める会」の集会が新得町公民館で開かれた。根室本線の廃止問題が持ち上がって以来、私もこの公民館には10回近く通い、すっかり通い慣れた道になっていた。この日の集会にも浜田町長が参加、冒頭ご挨拶をいただいている。「求める会」は今後「根室本線の復活を考える会」に名称変更し再出発することを確認した。

 集会では、廃線後の線路撤去を許せば復活は難しくなるとして、線路撤去に反対することでは参加者の意見が一致したが、線路を残すための具体的方法に関しては、観光目的の保存鉄道とするよう求める意見と、営業路線として復活を目指す意見に分かれた。

 私が調べたところ、保存鉄道として列車が走っている場所は、日本国内で100カ所以上あり、すでに「過当競争」状態になりつつある。保存鉄道が走ることで満足してしまい、そこから先の段階に進まないことが多い。北海道では冬に運行できないという問題もある。

 この他、観光目的に特化し、正式な鉄道として国交省の認可を受けて運行する「特定目的鉄道」制度がある。とはいえ、制度ができてかなりの年数が経つのに、全国でいまだ「門司港レトロ鉄道」(福岡県)1例しかない。国交省の認可を受ける以上、通常の鉄道と同じ水準の保線を要求されることが普及のネックになっている。

 また、営業路線としての復活も、2003年に一部区間が廃止されたJR西日本・可部線(可部~三段峡間、46.2km)のうち可部~安芸亀山間(1.6km)が2017年に復活した事例があるくらいで、いずれも多いとはいえない。

 だが、「日経MJ」紙(旧「日経流通新聞」)2024年1月22日付記事によると、メキシコ政府は古代マヤ文明遺跡を訪れる観光客に対応するため、1554kmもの鉄道路線を整備するという。1554kmといえば、日本なら宇都宮から東京、大阪を経由して鹿児島までの距離にほぼ匹敵する。整備予算は4兆円で、この他、観光振興に5兆円の国家予算を投じる。トータルでは9兆円であり、途方もない額のように思われるが、日本政府はこれと同じ金額を、開業後の採算性はおろか、工事の先行きも見通せないリニアに投じようとしている。リニアを中止し、その資金を振り向けるなら日本でも同じことができるという事実を指摘しておくことは重要だろう。要はやる気の問題であり、それを実行する政治に転換できるかどうか、私たち自身が問われているのである。

 いずれにせよ、わずか半月足らずのうちに、公共交通をめぐる問題の象徴である北海道新得町と長野県大鹿村、両方の現地を見られたことは私にとって大きな収穫となった。物流2024年問題と相まって、これから数年で日本の公共交通は大きくその姿を変貌させることになるだろう。安全問題研究会にとって専門分野であるこの問題を、向こう数年は集中的に追っていきたいと思う。物流2024年問題については紙幅も尽きたので、号を改めて論じることとしたい。

(2024年4月20日)

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<地方交通に未来を(16)>変な形で注目集まるリニア、その陰で……

2024-04-18 22:13:24 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 3月29日、JR東海はリニア中央新幹線の2027年開業が不可能であることをようやく公式に認めた。本連載第12回「でたらめだらけのストップ!リニア訴訟判決」でも述べたように、神奈川県駅予定地となる横浜線・橋本駅にはそれらしきものは影も形もない。「3年後に開業」など絵空事に過ぎないことはかなり前からはっきりしていた。

 一方、4月1日に行われた県庁入庁式での失言を原因に、川勝平太・静岡県知事が辞職することになった。せっかくリニアの躓きが世間に明らかになるという時期に手痛いオウンゴールとなったが、知事「辞職表明」後の4月4日になり、JR東海が急に山梨工区や長野工区における工事の遅れを公表したところを見ると、むしろ慌てているのは当のJR東海自身なのではないか。最大の「邪魔者」が消えたことで、リニア推進派は年内にも全線開業するかのようなはしゃぎぶりだが、むしろ、工事が進まない原因が静岡だけにあるわけではないことが、広く一般にも理解されるなら悪い話ではない。

 そんな中、4月12日から14日にかけ、大鹿村を含む長野県を訪問した。昨年6月にも「レイバーネット日本」で大鹿村フィールドワークが計画されたが、梅雨入り宣言も出ないうちから襲来した季節外れの台風で中止となったため、大鹿村入りは今回が初めてだ。北海道からどう行けばいいのか最初はまったくわからず、道路地図と時刻表の路線図を何度も見比べながら、最終的には中部空港でレンタカーを借り、中央自動車道を走るルートを考えついた。12日の夜は飯田市内に泊まり、久しぶりの温泉で身体を休めた。

 13日午前中、北川誠康さんの案内で飯田市内の長野県駅予定地や、橋脚だけが建った工事現場、子どもたちの書いた絵が飾ってある現場などを見ながら大鹿村に入った。中央構造線博物館は、施設自体が中央構造線の真上に建つというユニークなものだ。顧問で元学芸員・河本和朗さんの地震や地質に関する説明は幅広く、大地震が起きるたびにテレビに出演し無内容なコメントを繰り返す「地震学者」より博識であることは明らかだった。

 この原稿を書いている4月17日夜にも四国を中心に震度6弱を観測する地震があった。正月の能登地震を初めとして、今年は震度5強以上の地震だけですでに10回も発生しており、東日本大震災のあった2011年に匹敵するハイペースだと報道されている。河本さんのお話は、今後の地震防災に役立つに違いない。

 午後からはリニア建設現場を見学した。西に向かうリニアが南アルプストンネルを抜け、一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区まで、普通自動車では通行困難な細い山道を軽自動車3台に分乗して回った。地下トンネル区間での事故・トラブルの際に地上に出るための非常口も2カ所見た。JR東海のホームページによると、非常口は約5kmおきに設置されるというが、事故やトラブルがJRの都合良く非常口のある場所で起きるとは限らない。

 実際、過去に開かれた説明会で、地下区間での事故発生時の対応をどうするのか質問を受けたJR東海は「お客様同士で助け合ってください」と無責任きわまりない回答をしている。非常口はせいぜいアリバイ作りか、最大限善意に解釈しても壮大なファンタジーとしか言いようのないものだ。

 大鹿村の人口はホームページによると918人(今年3月1日現在)とある。高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場問題に揺れる北海道神恵内村(人口750人)とほぼ同じだ。このような小さな自治体が、リニアや核ごみといった国策に抗うことはほとんど不可能に近い。大都市部と大企業の利益のため「踏み台」になるだけで、自分たちの村にはメリットさえないものを、わずかな交付金や公共事業と引き替えに受け入れる以外にない地方の小さな村の悲哀。自分たちは使うこともできない「東京電力」の電気のために福島が踏み台にされた「3.11原発事故」を福島県西郷村で経験した私にとって、この問題が生涯をかけたテーマになるとの確信は年々強まっている。

 現地見学会を終えた午後3時30分からは、村内で本会報の読者会が行われ、私を含め11人が参加した。「どこに行く?日本の公共交通~リニア・新幹線とローカル線から」と題し、30分の報告時間をいただいた。リニア車両にはトイレの設置が困難なのではないかとの指摘が「超電導リニアの不都合な真実」(川辺謙一・著、草思社、2020年)で行われていることを紹介したら大きな反応があった。通常車両でトイレが置かれる車端部は磁力線の影響が最も大きく、また新幹線の2倍近い速度下での大きな気圧変化に汚物タンクが耐えられるか疑わしいため、川辺氏はリニア車内へのトイレ設置を困難視しており、リニア事業そのものにも中止を勧告している。なお、報告資料は安全問題研究会ホームページに掲載している。

 日本一美しい村と言われる大鹿村で、国と資本関係を持たない純然たる民間企業のJR東海が、着々と自然を改変し破壊している。遠く離れた地域の人にとっては、静岡以外でも大幅に工事が遅れ「リニアなんてどうせ開業しないのだからどうでもいい」でいいのかもしれない。だがそれではすまされない厳しい現実が地元にあることを知った。

 同時に、数多の困難を何とか克服してリニアが仮に開業できたとしても、こんな美しい村をトンネルで通過するだけで車窓に見ることもできない乗客が哀れに思えた。今、北海道ではJRが廃線方針を示している函館本線・小樽~長万部間の沿線地域(ニセコ、余市など)が観光地化し、シーズンの冬には3両編成が投入されるほど乗客が押し寄せている。真っ黒なトンネル外壁ばかりで外も見えないリニアを外国人観光客はどう思うだろうか。

 報告会終了後の13日夜は宗像さん宅に泊めていただいた。両側を流れる水の音と小鳥のさえずりで目を覚ます。人工物の音しか聞こえない都会の朝より、私はこのほうが好きだ。

 14日の朝早く宗像さん宅を辞し、一緒に泊まっていた報告会参加者を飯田線・伊那大島駅まで送る。その後は安曇野ICまで再び中央道~長野道を北上する。私と同じ九州・福岡から遠く安曇野に嫁いだいとことは、2000年の結婚式を最後に会えていない。嫁をなかなか外に出さない封建的な家らしく、家庭生活ではいろいろ困難もあると聞いていた。朝10時に待ち合わせた安曇野ちひろ美術館で24年ぶりに再会した。

 全国屈指の教育県と言われる長野県だが『「県人は身を修め、家を斉(ととの)い」という儒教的な価値観が強いため……「イエ」の名誉が重要視されている』(「県別性格診断」河出文庫、1986年)との意外な一面も紹介されている。北部と南部で気候も文化もまったく異なり、まとまりを欠くことが多かったため「県民統合の象徴」として県歌「信濃の国」が歌われるようになった、との紹介もある。

 大鹿村から垣間見た山岳風景は美しく忘れがたい旅の思い出になった。わずか2泊3日の行程だったのは本当にもったいないと思う。 

(2024年4月17日)

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【管理人よりお知らせ】4月13日、管理人が長野県大鹿村で行った報告資料を安全問題研究会サイトにアップしました

2024-04-15 20:57:45 | 鉄道・公共交通/交通政策
「日本一美しい村」として知られ、リニアの通る予定の村でもある長野県大鹿村で、2024年4月13日、リニア反対市民団体「大鹿の10年先を変える会」会報「越路」の読者会が開催され、当研究会代表がリニア問題、ローカル線問題について報告しました。講演に先立ち、リニア新幹線建設工事が進む現地を案内いただき、また大鹿村中央構造線博物館で学芸員・河本さんのお話が聞けるなど充実した旅となりました。

講演資料を安全問題研究会サイトに掲載しました。印刷向けPDF版はこちらです。

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【羽田空港衝突事故 第5弾】国交官僚の人生から透けて見える新自由主義的交通行政の半世紀/安全問題研究会

2024-02-18 16:42:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 元日を襲った能登半島地震とともに全国の正月気分を引き裂いた「1・2羽田事故」。安全問題研究会は、過去4回にわたって本欄で報じてきた。今回は、前回報じた、空港施設の幹部人事に介入した元国交省官僚の姿を通して、過去半世紀間続いてきた交通行政の本質を読み解く。なぜなら彼の人生にこそ、旧運輸省から国土交通省に変わっても連綿と続いてきた「新自由主義的国交行政」が凝縮されていると考えるからだ。(以下、役職はすべて当時)


<写真=JR新会社へのメッセージを運ぶ「旅立ちJR北海道号」「同東日本号」の出発式で、メッセンジャーを前にメッセージを読み上げる杉浦喬也国鉄総裁(中央)=上野駅で(毎日新聞より)>

<シリーズ過去記事>
第1回「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)

第2回「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)

第3回「過密化の裏にある「羽田新ルート」問題を追う」(1月29日付け)

第4回「羽田新ルートを強行した「黒幕」と国交省、JAL、ANAの果てしない腐敗」(2月6日付け)

 ●国鉄分割民営化にも大きく関与

 空港施設に「別の有力国交省OBの名代」を名乗って乗り込み、乗田俊明社長に面会してまでポストを要求した本田勝・元国交省事務次官は1953年生まれ。76年、東大法学部卒業後、旧運輸省に入る。大臣官房文書課で運輸省が国会提出する法案などを担当後、1985年2月、大臣官房国有鉄道部財政課国有鉄道再建実施対策準備室に配属される。85年4月、準備室が正式に対策室(国鉄再建実施対策室)となるのに合わせ、本田氏は補佐官に就任した。

 当時の運輸省は、鉄道監督局に国有鉄道部(国鉄部)が置かれていた。1984年から国鉄部は大臣官房に移されるが、それは国鉄「再建」を求める首相官邸の意向に国鉄部を従属させることを目的とするものだった(国鉄以外は鉄道監督局がその後も担当。後に鉄道監督局は鉄道局となる)。

 国鉄分割民営化を答申した「第2臨調」基本答申原案では、総理府(現在の内閣府に相当)に国鉄再建監理委員会を置くこと、再建監理委を国家行政組織法第3条に基づき、強い独立性を持つ「3条委員会」とすることを求めていた。3条委員会は、当時としては公正取引委員会、中央労働委員会、公安審査委員会(公安調査庁の求めに応じて団体への破防法適用を審査する)などわずかな実例しかなかった。当時の運輸省大臣官房国鉄部はこれに強く抵抗したが、結局、1983年に再建監理委は当初の構想通り発足していた。

 こんなエピソードがある。角田達郎大臣官房長、吉田耕三鉄道監督局財政課長の2人が橋本龍太郎運輸相を尋ね、「(再建監理委を)3条機関とすることは運輸省国鉄部を解体し、消滅させるに等しい。それだけはやめてほしい」として国会行政組織法第8条に基づく「諮問委員会」とするよう求めたという。橋本運輸相が「国鉄改革に後ろ向きだからこういうことになるのだ」と言うと、角田官房長は「これからは心を入れ替えて全力で取り組みます。その証に私自身が出向します」と答え、林淳司国鉄部長とともにみずから再建監理委へ出向した(「国鉄改革の真実」葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)。

 一方、本田氏は再建監理委には異動せず、運輸省側で国鉄分割民営化を推進。JRグループ各社が発足した1987年4月には大臣官房国有鉄道改革推進部監理課補佐官となる。国有鉄道再建実施対策室補佐官からの肩書きの変遷からわかるように、本田氏の役割は「発足直後のJRグループを軌道に乗せること」に変わった。

 再建監理委に出向した角田、林両氏と本田氏との関係がどのようなものであったかに関する資料は得られなかった。だが、双方が気脈を通じながら、車の両輪として動かなければ分割民営化はあり得なかっただろう。「官邸」側で動いたのが角田、林両氏、運輸省側で国鉄部解体に抵抗する「守旧派」を抑え込むのが本田氏。そのような役割分担だったというのが当研究会の見立てである。角田氏はその後JR西日本の初代社長となった(実権を握っていたのは井手正敬副社長だった)。

 JR北海道の経営が厳しさを増していた2016年11月12日、事務次官を退任していた本田氏は「日本経済新聞電子版」でこう語っている。「(JR北海道は)『国策会社だ』と誤解しないでほしい。この誤解は国鉄を破綻(はたん)させた要因の一つだ。なるべく早く株主を全員民間にし、規律ある経営をする。それが自分たちの任務だという意識を経営者と社員に持ってもらいたい」。ここに至っても分割民営化は正しいという主張だった。

 JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは、わずかその6日後(2016年11月18日)のことだ。このとき「バス転換すべき5線区」(赤路線)に指定された根室本線・富良野~新得間がこの3月限りで廃止となる。この区間は、1981年に石勝線(南千歳~新得)が全通するまでは、札幌と釧路・根室をむすぶ大動脈として特急列車や貨物列車が頻繁に往来した重要区間だ。2016年の大雨災害で東鹿越~新得間が流出し、復旧さえ行われないままだった。赤字が最も酷い区間だからという理由で、つながっている路線の途中区間を災害から復旧もさせず、わざわざ断ち切る。世界鉄道史に残る愚策であることは指摘するまでもなかろう。

 ●航空部門の要職へ

 1987年10月、本田氏は航空局監理部航空事業課補佐官となる。国鉄改革推進部監理課補佐官の肩書きはわずか半年だったが、ここは国鉄部財政課国鉄再建実施対策準備室から部署名が変わっただけで事実上連続した組織なので、国鉄分割民営化関連業務を2年半担当したことになる。この2年半は国労の分裂と少数派への転落、国鉄改革関連8法案の成立(1986年11月)から新会社発足、採用差別事件の発生という最も重大な時期と重なる。本田氏が運輸省側の担当者として責任の一端を負っていることは言うまでもない。

 初めて航空部門に配属された本田氏は、1989年6月、いったん国会提出法案を担当する大臣官房文書課に戻るが、1994年に再び航空局に配属。航空事業課長を務める。この間、旧建設省と統合し、国土交通省に名称を変えた新組織で、航空局飛行場部長、航空局次長などの要職を歴任し、2009年7月に鉄道局長、2010年8月には航空局長を務めた。本連載第3回でお伝えしたとおり、国交省所管の財団法人「運輸政策研究機構」研究者らが羽田新ルート原案を公表したのもこの時期(2009年)のことだが、本田氏を初め省内の誰もこの案が実現可能とは信じていなかった。2014年に新ルートが「官邸案件」となった結果、強引な新ルート推進が始まるが、これと時期を同じくして2014年7月に国土交通省の事務方トップ・事務次官に就いたのが本田氏であったこともすでに明らかにしている。

 ●東京メトロの完全民営化にも

 事務次官を最後に国交省を退官した本田氏は、いったん損害保険会社顧問などを務める(前述のJR北海道をめぐる発言はこの時期のこと)。2019年、事務次官経験者の天下り先としてはJAL、ANAの役員と並んで最上級ポストである東京メトロ会長に就いた。東京メトロの株式は民営化後も国が53・4%、都が46.6%を持つ。国は東京メトロの早期完全民営化を図るため、株式売却を目指してきたが、なかなか進まなかった。

 その背景には、旧営団地下鉄時代から、東京都営地下鉄との一元化を目指したい都の思惑があった。旧営団が持つ路線は、丸ノ内線のように戦前から民間地下鉄会社の手によって建設開業した古い路線を買収したものもある。古くから開発が始まった路線ほど都心に近いため営業成績が良い一方、戦後になって計画が具体化した都営地下鉄の多くは現在も赤字である。東京都民ならずとも、旧営団(現メトロ)と都営の両方に乗車したことがある人なら、その混雑度に歴然とした差があることは「肌感覚」で理解できるだろう。ほとんどの路線が赤字である東京都は、黒字基調であるメトロとの一元化が完全民営化すると不可能になると考え、株式売却に抵抗してきた。

 当初計画では、株式売却期限は2022年度と定められていたが、国と都の交渉が難航して頓挫した。2020年には、売却期限を当初計画から5年先延ばしすることが決まっていた。だが2021年になって事態は動く。東京メトロに対する国・都の関与を残しつつ、売却益を有効活用するため、国・都が保有する株式のうち当面は半分の売却を適当とする国交省審議会の答申を受け、財務省が売却の方針を決めたのだ。2019年に就任した本田会長時代の出来事である。

 2023年6月、本田氏は任期満了に伴い東京メトロ会長を退任する。空港施設への人事介入問題の発覚がなければ続投の意思もあったようだが、かなわなかった。空港施設の株主総会で乗田社長の再任人事がJAL、ANAHDの大手航空2社の造反により否決されたのも6月のことで、ほぼ同時期だった。

 ●新自由主義的交通行政の「象徴」

 ここまで、本田氏の軌跡を旧運輸省入省時に遡って見てきた。その官僚人生の前半は国鉄分割民営化、後半は航空自由化・羽田新ルートの強行とともにあった。退官後は東京メトロ会長としてその完全民営化へ道筋をつけた。いわば、陸と空のあらゆる公共交通、公共財であるはずの鉄道と航空機、すべてを市場原理の下に売り飛ばしてきた官僚人生だった。彼の官僚人生の中間点で、運輸省は建設省と統合し国土交通省となったが、旧運輸省から引き継いだ新自由主義的交通行政のすべてを体現した存在だったと指摘しても決して過言でないだろう。

 本田氏が進めてきた「ニセ改革」によって、いま日本の公共交通は瀕死の状況に追い込まれている。廃止が相次ぐ北海道のローカル線やトラック・バス輸送などはすでに瀕死の状態にある。本田氏、そしてその官僚人生が「象徴的に体現」してきた国土交通省はこの事態に対しどう責任をとるのか。もし国交省が当連載に対し弁明する気があるなら、いつでも当研究会に連絡してきてほしい。

   ◇   ◇   ◇

 1月2日に起きた羽田空港での衝撃的衝突事故から5回にわたってお送りしてきた当連載は、いよいよ次回で最終回となる。今回の事故直後から、有識者や国土交通労働組合の声明などで何度も指摘された事故調査のあり方を問う。警察の捜査が運輸安全委員会の事故調査に優先する現状とその改善策を示して、本連載を終えたい。

<参考文献・記事>

「東京メトロ・本田会長が退任へ 人事介入問題の元国土交通事務次官」(2023年5月23日付け「朝日新聞」) 

「ピラミッドを上り詰め、東京メトロに 人事介入した元次官が歩んだ道」(2023年7月8日付け「朝日新聞」)

・「国鉄改革の真実」(葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)

・「帝都高速度交通営団の経営形態について」(佐藤信之、月刊「鉄道ジャーナル」2000年1月号)

(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)

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