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安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【必見】築地市場労組委員長が語る豊洲移転問題 本当の黒幕はこいつだ! 

2016-09-15 22:04:01 | その他社会・時事
レイバーネットTV、9/14放送の第107号で、今最もタイムリーな築地市場移転問題が取り上げられている。メインゲストとして全国一般築地市場労働組合委員長の中澤誠さんが出演。「地上波では語れないこと」を暴露しまくっている。

また、この問題に関係して、現在、民放テレビに出まくっている建築エコノミスト森山高至さんも出演している。「黒幕」の実名も暴露されており、必見だ。

とりあえず、この番組で明らかになった衝撃の点は次の2つ。

・デタラメ移転計画を進めた都庁幹部は当時の新市場整備部長・宮良眞(みやながまこと)氏と新市場担当の中西充副知事である。

・豊洲移転の実施設計案は当時、示されたが、これはあくまでも案。決定された実施設計は実はなく、移転計画は実施設計がないまま進められた。

この問題をどう考えるべきかについては、番組の最後、中澤氏の語った「流通を大手に牛耳られてしまうと、本当に生鮮品を入手したい人たちがそれをできなくなってしまう。そもそも市場、流通とは誰のものか」が問われている、との発言に尽きるだろう。この発言を聞いて、なぜ築地市場が都営なのか、民営ではなぜダメなのかが理解できた。

築地に水揚げされた生鮮食品は全国に出荷される。「なぜ東京ローカルの問題を、連日、メディアがこんなに騒いでいるのか。地方に住む自分には関係ない」と思っている人たちにとっても無関係ではない。ぜひこの動画を見て、築地移転問題を巡る深い闇の一端を知って欲しい。

なお、レイバーネット日本のサイトに、詳しい番宣記事もある(スタジオが築地市場になった!~「レイバーネットTV」実名をあげて責任者を追及)。

レイバーネットTV第107号「築地でええじゃないか!」

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野党事務所への違法な「隠しカメラ」設置問題の背景にあるもの~大分県警に染みついた「謀略体質」を暴く!

2016-08-12 23:28:29 | その他社会・時事
 7月に行われた参院選を前に、大分県警別府署が野党候補の事務所に出入りする関係者を監視するため、違法にカメラを設置した問題が波紋を呼んでいる。

 一連の報道によれば、カメラが設置されていたのは、別府地区平和運動センターや連合大分東部地域協議会が入居する別府地区労働福祉会館(同市南荘園町)の敷地内。連合大分が支援している民進党現職候補や比例区に立候補していた社民党・吉田忠智党首の支援拠点として使われていた。カメラの設置は6月の参院選公示直前に行われ、事務所に出入りする人々を無差別に撮影。カメラ本体に装着されたSDカードを取り替えるため、別府署員が3回、敷地内に侵入していたこともわかっている。

 警察がたびたび民有地内に侵入したことは選挙への不当な干渉であり言語道断というしかないものだ。そもそも、例えばコンビニなどの民間施設に設置されている防犯カメラは、記憶容量が一杯になると古いデータから順に消去しながら新しいデータを上書きする方式が採られているものが多い。航空機に搭載されているボイスレコーダーなども同様だ。事故が起きれば、直前の状況を記録した状態で録音が自動的に停止するから、事故原因究明が目的ならそれで十分なのだ。

 これに対し、今回、大分県警は、SDカードを取り替えながら撮影を続けている。明らかに、事故や犯罪の「直前の状況さえ記録されていれば良い」という民間防犯的なカメラの使用方法ではない。特定政党、特定候補とその支援者を狙い撃ちする形で、事務所に出入りする人々のデータを蓄積するため、公安的手法で行われたものといえる。

 今回、警察がこうした直接的な情報収集活動を、なりふり構わず行ってきた背景に「野党共闘」の進展があることは間違いない。昨年9月の安保関連法案強行採決を契機として、日本共産党の「国民連合政権」構想を呼び水に始まった野党共闘は、32の参院選1人区すべてで統一候補を立てるところまで、わずか1年足らずで急進展。11勝21敗の「負け越し」ではあるものの、前回参院選1人区のうち野党が2選挙区でしか勝てなかったことを考えると巨大な前進を勝ち取った。こうした情勢に驚愕した権力側が、民進党(旧民主党)の急速な「左傾化」と、共闘進展の背景を探ろうとしたことは想像に難くない。

 しかし、今回、「隠しカメラ問題」の報道に接した市民の多くは、同時にこんな疑問も抱いているのではないだろうか。「なぜ、警察による監視活動が、基地問題で野党圧勝の勢いだった沖縄や原発が争点となっている福島、野党が全勝しそうな勢いだった東北各県でなく大分だったのか」という疑問である。今回の私のこの記事が、みなさんのそうした疑問を解きほぐすための一助になると思う。

 ●大分で警察が起こした「ある事件」

 サンフランシスコ講和条約が発効したばかりの1952年6月、大分で小さな駐在所が爆破される事件が起きた。爆破された駐在所の所在地は大分県直入郡菅生村(現在の大分県竹田市菅生)。当時の国家地方警察(国警)大分県本部は、直ちにこの事件を日本共産党員の犯行と「断定」、現場近くにいた2人の共産党員を逮捕した。現場にはなぜか多数の新聞記者が「偶然」居合わせ、事件は直ちに新聞報道される。起訴された共産党員は1審では有罪判決を受けたが、2審・福岡高裁では逆転無罪となった。一体、何があったのか。

 明らかになった事件の全容は驚くべきものだった。市木春秋と名乗り、地元では生い立ち・経歴すべて不詳の「謎の男」が実行犯。事件直前の1952年春、菅生村にやってきた市木が駐在所に爆発物を仕掛けていたことが判明したが、後に、市木が地元で「行方不明」扱いになっていた国警大分県本部所属の警察官・戸高公徳と同一人物であることが、被告となった共産党員の弁護団により突き止められた。

 事件から5年後の1957年、衆院法務委員会で中村梅吉法相は、警察が戸高を使って「おとり捜査」を行ってきたことを認めた。警察庁長官も、大分県警備部長の命令により、公安警察官の身分を隠して共産党に「潜入」させる目的で戸高を派遣したと述べた。市木春秋こと戸高公徳による駐在所爆破事件は、共産党に政治的打撃を与えるために警察みずから仕組んだ事件だったのである。

 一方、事件を起こした戸高は何ら罪に問われないどころか警部補に「昇任」。警察大学校校長、警察庁装備・人事課課長補佐などを歴任し、警視(地方の警察署長クラス)にまで昇進した後、1985年、警察大学校術科教養部長を最後に退官した。

 しかし、驚くのはまだ早い。この戸高公徳は退官後、警察関係者向けに設立された傷害保険会社「たいよう共済」の常務に就任している。共産党に打撃を与えるための謀略の最前線で刑事事件まで起こした警察官が、異例の出世をするのみならず、警察ファミリー企業に天下りまでしていたのである。

 ●連綿と続く謀略の「伝統」

 爆破された駐在所の所在地にちなんで「菅生事件」と呼ばれたこの出来事はもう64年も前のことだ。既に歴史の領域に入りつつあり、現在の警察は表向き、こうした身分を隠しての「スパイ的潜入」は行っていないとされる。事件を引き起こした国家地方警察も、幾多の組織改正を経て今は都道府県警察に姿を変えた。だが、1986年に発覚した緒方靖夫・日本共産党国際部長宅電話盗聴事件で、東京都町田市の緒方部長宅の電話を盗聴していたのが神奈川県警だったように、警察の中でも公安部門だけは警察庁警備局の指揮の下、全国統一の運用をされており、今なお都道府県の垣根を越えて活動している。

 今回の隠しカメラ設置は別府警察署刑事課が行っており、直接的には公安部門の「犯行」ではない。しかし、別府署員らがこうした行為を疑問もためらいもなく実行できるのは、やはり菅生事件以来、大分県警に連綿と受け継がれた謀略の「伝統」が波打っているからだろう。

 私たちは、安倍政権の「暴力装置」としての警察を今後も絶え間なく監視していくべきだ。そして、安倍政権が狙う改憲とは、今でさえこのような非合法行為を実行している警察にフリーハンドを与えることを意味する。憲法審査会の動きも絶え間なく注視しなければならない。特高がのさばった「あの時代」の悲劇をよみがえらせないために。

<参考文献>
 この記事の執筆に当たっては、「日本の公安警察」(青木理・著、講談社現代新書、2000年)を参考にした。

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離合集散から奇妙な安定へ?~最近の国内政治に思うこと

2016-06-10 23:08:13 | その他社会・時事
ここ最近、ブログの記事を書く気にまったくなれない。仕事は年度替わりの繁忙期をやっと脱しつつあるし、この間、「保育園落ちた。日本死ね!」ブログがきっかけで保育所問題がクローズアップされるということは確かにあった。

しかし、もはやブログごときではどうにもならないほど、安倍1強体制は安泰で、揺るぎないような気がする。こんなところで無駄にエネルギーを浪費するより、ここしばらくは自分の得意分野(公共交通問題)に集中し、情勢が変わるのを待つ方が得策のように思う。労働組合など大きな組織に身を置いて、与えられた任務を全うしながら、ここ最近は日高線など北海道内ローカル線問題に集中している。

政治的には我慢の時だ。あきらめてはならないが、早急に成果を求めず、将来に向けて地道に種をまく時期だと思う。種をまき、水をやり続けていれば、暖かくなったときいっせいに花が咲くように、政治情勢が大きく開けると信じて。

そんなどうしようもない政治情勢だが、55年体制が崩壊した93年以降、ほぼ四半世紀にわたって繰り広げられてきた、野党の「離合集散」の時代がようやく終わり、不安定だった日本の政局に安定期が訪れそうな気が、最近してきた。中学生の時に政治に目覚めて以降、30年間、政治をウォッチしてきた皮膚感覚で、確たる根拠はないが、皮膚感覚というのは案外侮れない。

というのも、今年3月に、民主党と維新の党が合併し、民進党となったが、ここで与党に反対することを主な仕事にする主要な「反対野党」「抵抗野党」の数が、民進、共産、社民、生活と4つになったからだ。

ここで、当ブログ管理人が想起したのが、55年体制当時も主要な反対野党が社会、公明、共産、民社の4つだったという事実である。当時と違うのは、公明党が野党から与党に変わったこと、野党第2党に浮上した共産党の発言力が増し、55年体制当時のように野党間協議の場から共産党を閉め出すことができなくなった点だろう。55年体制当時の4野党が、最も少数だった民社党でも常時、2桁の議席を持っていたのに対し、現在の野党3党以下――社民、生活両党――が1桁の議席数にあえいでいる点も、違いと言えば違いだ。こうした政党を「主要」野党と表現することには、さすがの当ブログにも抵抗がある。

(なお、日本を元気にする会、日本のこころを大切にする党(旧次世代の党)、新党改革の右派系3党は、与党と協力的であり、当ブログは野党と定義していない。政権を担当していないにもかかわらず、内閣不信任決議案に反対するような政党は、ヨーロッパ諸国であれば「閣外協力」として与党の一員とみなされることが多いという事情も参考にしている。)

55年体制は、初めは自社2大政党体制として出発したが、共産党が勢力を伸ばし、公明政治連盟(後、公明党に改称)も結成され国会進出。さらに、社会党の左派支配に不満を持った右派の一部が民主社会党(後、民社党に改称)を結成したことで、60年代終わりには4野党体制が固まる。この「与党1、野党4」の体制は、宮沢内閣不信任案に賛成した自民党議員の一部が離党、新生党を結成して細川非自民連立政権を誕生させる93年まで、実に四半世紀にわたって続くのである。

元気会、日本のこころ、改革の右派3党は影響力を失いつつあり、今後は自民復党の流れが強まって徐々に「溶けて」いくと思われる。民進党発足以降の日本の政治状況は、与党側の自民・公明をひとつの塊と見ると、「与党1、野党4」となり、最も政局が安定していた55年体制後期とそっくりだ。この時代、政権交代はおろか、野党間でも、わずかに共産党と民社党の順位が時折、総選挙により入れ替わる程度でほとんど変化がなく、政局は長期にわたって安定していた。こうしたことから考えると、四半世紀にわたって繰り広げられ、なにひとつ成果を生み出さなかった93年以降の野党の「離合集散」はこれで一段落し、ここしばらくは安定期に入りそうに思われるのだ。

日本の政局が安定するために必要な「反対野党」の数は、なぜ4なのか。3や5ではなぜダメなのか。当ブログにも明確な答えはない。ただ、長年、日本政治をウォッチし、労働運動や市民活動の現場に身を置いてきたひとりとして、これもやはり皮膚感覚で説明できるような気がする。

来る参院選に向けて、4野党がすべての1人区で統一候補を立てることに合意したが、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。産経新聞など「ご都合主義丸出し」の右派メディア(そして自民党も)は、野党がまとまると「野合」と批判し、バラバラに別れて戦うと「自民1強体制は、バラバラの野党に責任がある」などと批判する。立っても座っても寝ていても、悪いのは常に野党で、自民党は常に正しいという、産経のような「便所の落書きメディア」は放置するとしよう。

労働運動や市民活動などの現場で、「自民党政治を変えたいと思っているなら、意見の違いは脇に置いて、とにかくまとまらなければ勝てない」と、まとまることを訴える人がいる一方、「意見が違うのになぜまとまらなければならないのか」「自分を曲げてまで勝たなくていい。政治的に正しくあることの方が重要だ」と主張する人もいる。

当ブログの考えは後者に近い。意見の違う者を寄せ集めてできた民主党政権が「党内抗争」であっけなく崩壊した経験から見ても、意見が違う者は別々に闘うのが本来のあり方だ。勝ち負けのために誰かが妥協を強いられなければならないのはおかしいし、日本では左翼・リベラルには敗北の歴史しかないから、(さすがに「負けてもいい」とまでは思わないが)勝つこと自体は最優先目標でなくていい。正しいことをどれだけ真摯に主張できるかが大事であり、自分を曲げてまで勝たなくてもいいと思っている。

ちなみに、当ブログ管理人は、20歳で選挙権を得て以来、選挙は一度も棄権したことがなく、総務省・中央選挙管理会からは表彰されてもいいくらいだが、一方で、「自分の投票した候補者がこれまで一度も当選したことがない」という、輝かしい敗北の歴史を持っている。

小異を捨ててもまとまるべきか、それぞれが切磋琢磨しながら競い合い、己の力量を磨くことに努めるべきかは古くて新しい問題だ。本来ならこんな弱小ブログの手には余るし、この問題を徹底的に突き詰めていくなら、おそらく本が1冊(場合によっては数冊)書ける。「まとまらなければ自民党には勝てない」は文句なく正しいし、「意見が違うからこそ別の政党に別れているのであり、意見の違う者は別々にやるべきだ」というのもおそらく正しい。その時の政治状況によりどちらが優勢になるかが決まるのだ。

その「政治状況」で言えば、今は反自民の全勢力が、小異はとりあえず脇に置いてまとまるときだろう。改憲勢力の3分の2確保を阻止しなければ、日本国憲法施行以来積み上げてきたすべてのものが一瞬にして壊される、政治的自由がなくなれば自分たちの闘いどころではなくなる、という危機感で全分野の運動団体が一致しており、そうした共通認識が野党共闘を生み出したと言える(その意味で、今回の野党共闘は、自民党や、「自民党機関紙」産経が言うほどの野合には当たらない)。

ただ、こうした日本の政治状況から考えると、野党共闘はおそらく「一夜限りの夢」だろう。改憲阻止という目標が達成されたら、また各運動団体はそれぞれ自分の「持ち場」に戻っていき、バラバラになる。「自民党を倒すために、まとまらなくていいのか」「自分を曲げてまで勝たなくていい。政治的に正しくあることの方が重要だ」――2つの勢力の闘いは今後も続くだろう。

「自民党を倒すために、まとまらなければならない」と考える勢力がいる。「自分に嘘をつき、誰かに妥協してまで勝つよりも、政治的に正しくあることの方が重要」と考える勢力もいる。前者は民進党などを選ぶことができるし、後者も遠慮なく日本共産党を選ぶことができる。

そして、これら2つの勢力が、平時はそれぞれ別々に活動し、今回のような「危機」に陥ったときは、立場の違いを超えて共闘する。2つの勢力のどちらも納得させることができる、ベストのあり方だろう。2つの勢力が反自民という目標を共有しながら、共倒れに陥らず、うまく棲み分けできるために、最も適切な野党の数――それがおそらく、日本では4なのだと考えると、納得がいく。

かくして、離合集散を繰り返してきた野党は4つに収斂した。収まるところに収まったといえる。当ブログの皮膚感覚が正しければ、ここで野党の離合集散の動きは止まり、安定局面に入るだろう。ただしそれは、かつてと同じ形での安定である。万年与党と万年野党。強行採決する与党に、「反対、反対」と叫ぶ野党――第2次55年体制は完全に確立した。

「与党1、野党4」体制が四半世紀続き、それが崩壊した後の「離合集散の時代」も四半世紀続いた。概ね四半世紀が日本政界の変化のフェーズだとすれば、次に政権交代が起こるのは、早くても四半世紀後だろう(安倍政権が発足した2012年を起点とすれば、2037年頃になる)。自民党という「優位政党」がソ連共産党のような形で自壊しない限り、もしかすると永遠に自民1党支配が続くかもしれない。

ちなみに、ソ連共産党の支配期間は1917~1991年までの74年間だった。自民党は、55年に結党され、昨年が60周年だった。その間、政権を手放したのは、細川・羽田政権の1年と、民主党政権の3年3ヶ月間だけ。その支配期間は56年間に及んでおり、あと18年、自民党政権が続いたら、自民党の支配期間はソ連共産党より長くなる。そんなことがあるわけがないと思っていたが、昨年あたりから、もしかすると……という可能性が頭をかすめるようになった。もちろん、先進国でこれだけの長期1党支配は例がないが、そんなことを言っても仕方ないと、最近は達観している。どうせ自民1党支配が今後も避けられないのなら、できるだけ自民党の力を削ぐとともに、できるだけ自民党をうまく使い、自分たちの要求を実現するにはどうするべきかを真剣に考えるときだろう。

当ブログは、公共交通問題を巡っては、もう国交省は完全に当事者能力を失っていると思っている。今後は政治対策に本腰を入れなければならないが、その時、自民党は有力な選択肢になる。そもそも自民党議員らは口を開けば「民主主義は多数決なのだから、決まった以上、反対していた人たちも従うべきだ」と意味のない恫喝をしてくる。それならこちらにも言い分がある。自民党議員たちは、当選した以上、国民全体の代表であり、自民党支持者の代表ではないのだから、自分に投票しなかった人たちの意見も聴くべきである。政策立案~討議の段階で、「投票してくれた人たち以外の意見も含めて真摯に聴き、いい提案があれば取り入れる」という過程が保障されたとき、初めて「多数決に従え」と言う権利が生まれる。それが権利と義務が表裏一体の近代国家の原則である。自分には甘く、他人の権利は踏みにじって恥じないような連中に「国民全体の奉仕者」たる資格はない――こういうときだからこそ、正論を主張して本エントリの結びに代えたい。

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民主・維新合流後の党名募集?

2016-03-06 20:45:26 | その他社会・時事
合流を決めた民主党・維新の党が新党名を募集しているという(募集期間:3/3~3/6)。自分たちの党名も自分たちで決められない政党に未来なんてあるわけもないし、政権を託したくもない、という声も聞こえるが、「名は体を表す」の例え通り、名前とは案外重要なものである。

が、確かに自分たちの党名も決められないのは情けないことこの上ない。「大喜利」状態になっているネット界隈の「祭り」は無視して、あくまで中道左派、リベラル層の結集を実現するため、当ブログも以下の4案で応募しておいた(党名の後の説明文は応募理由)。さて、どのように決まるか。

1.日本社会党
日本でリベラル層の受け皿がなくなったのは社会党の崩壊による。平和・人権・民主主義・脱原発を願うリベラル層・中道左派の受け皿が必要。

2.民主労働党
日本には現在、リベラル労働者層の受け皿がない。保守、新自由主義政党は有り余っているので、貴党には労働者層を代表する政党となってほしい。韓国の中道左派政党として「民主労働党」の前例がある。

3.社会労働党
リベラル層・労働者層の受け皿を作ることが日本政治の急務。スペインに社会労働党の例があり、保守政党とは違った存在感を示している。

4.立憲改革連合
安倍政権の立憲主義破壊に反対し、立憲主義を取り戻すため。かつての連合の会を母体とした「民主改革連合」に立憲主義を加味してこの案とした。「連合」の支持も取り付けやすいのでは?

率直に言って、1~3は党内保守派には受け入れ難い案だろう。これらの名称で決まった場合、党内保守派は離党する恐れがあるが、当ブログはそれでいいと思っている。むしろ、リベラル層の結集に特化し、右派を追い出すための党名案である。

4は、唯一、保守派も飲める案だろう。しかし、保守派を抱えたままで自民党との対抗軸は作れない。個人的には保守派との「妥協案」だと思っている。

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(2016.3.7 追記)

当ブログ管理人は上の4案で応募した。投票したい政党がないと嘆き、投票所からずいぶん長いこと遠ざかっているリベラル層のためを思っての応募だった。結果的に「民主」の名を残したものが1案、残さないものが3案となったが、「民主」の名前のあまりの評判の悪さを考えると、自分で応募しておいていうのもなんだが、「民主」の名は外して1から出直すべきだろう。

「民主」の名を外すことで、自分たちの党が民主主義を放棄したかのように受け止められないか心配する関係者がもしいたら、そんな心配は無用だと当ブログは指摘しておく。そもそも、西側先進資本主義国の集まりであるサミット(先進国首脳会議)参加7か国の正式国名を見てみると、日本国/アメリカ合衆国/グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国/フランス共和国/イタリア共和国/ドイツ連邦共和国/カナダ――であり、「民主」と入った国名は1つもない。

一方、社会主義体制だった旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)や「朝鮮民主主義人民共和国」のように、どう見ても民主主義と無縁の国、民主主義のかけらも存在しない国ほど「民主」と入った国名が多い。あの悪名高いクメール・ルージュ(いわゆる「ポル・ポト派」)支配時代のカンボジアの正式国名も「民主カンボジア国」だった(現地語表記で「民主カンプチア国」としているものもある)。ドイツ「民主」共和国、朝鮮「民主」主義人民共和国、「民主」カンボジア国でいったいどれだけ多くの人が逮捕され、拷問され、そして殺されたか想像もできない。民主主義の実態がある国ではわざわざ「形」にこだわる必要がなく、逆に民主主義の実態がない国ほど「形」を求めるのだということがよくわかる。

もしも、民主・維新合流後の新党が党名から「民主」を外せば、「民主」の名前の入った政党は自民・社民両党だけ。社民党は、日本社会党からの党名変更で現在の名前になったのだから、結党から一貫して「民主」の名前を入れ続けているのは自民だけということになる。党内で自由な議論も許さず、少しでも安倍政権を批判するメディアに対しては、やれBPO送りだ停波だと脅しまくる政党が、結党以来一貫して「民主」を使い続ける唯一の党となれば、騙され続けている有権者も自由「民主」党の名前のまやかしに気付くだろう。

ドイツ「民主」共和国も「民主」カンボジア国も、今では地図から消えた。朝鮮「民主」主義人民共和国も、このままでは遠からず地図から消えるだろう。残るは自由「民主」党のみだが、現状を見ていると、こちらもそう長くなさそうだ。

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いま改めて考える打倒自民の可能性

2016-02-25 21:54:43 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2016年3月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 今回の原稿を書くのは今までで一番気が重かった。できれば避けて通りたい話題だった。民主党政権の無残な失敗のおかげで、自民党に代わって日本国民が政権を託せる政党が登場するのは筆者の存命中はもう無理であり、この問題が解決されるのは、私たちの孫の世代まで待たなければならないだろうという諦めに近い感情も生まれていた。

 世界情勢に目を向けると、米国では民主党の大統領予備選で民主社会主義者を自称するバーニー・サンダース旋風が吹き荒れ、英国では鉄道国有化を大まじめに訴えるジェレミー・コービンが労働党首になった。ギリシャでもスペインでも、SYRIZAやポデモスといった新興左翼勢力が勃興し、既成政党に脅威を与えている。

 こうした国際的潮流とは裏腹に、日本では、――ひとり気を吐く日本共産党を除いて――左翼、リベラル勢力の多くが政治的には長い眠りについたままである。早ければ年内にも改憲派が衆参両院の3分の2を占め、いよいよ国会による改憲発議が現実になるかもしれない中で、いつまでも眠ってばかりはいられないし、何でもかんでも孫の世代に押しつけてばかりいたら、孫の世代から恨まれることにもなりかねない。改憲を阻止し、少なくとも孫の世代が再び、今日より明日はいい日になると信じられる未来が訪れるように、何らかの方向性だけでも示しておくべきではないだろうか。

 さしあたり、日本政治をめぐる最大の問題は、旧社会党―総評ブロックが崩壊させられた1990年代以降、20年以上にわたってリベラル勢力が安心して自分の1票を託せる政治勢力がないことであり、大胆に言えば日本政治の問題はこれに尽きるといっても過言ではない。平和・人権・民主主義・環境保護・脱原発――日本の市民の大多数を占める「普通の健全な人たち」を代表するリベラル勢力はなぜ育たないのか。リベラル勢力が長い眠りにつき、投票所から遠ざかることによって、何が見えなくさせられているのか。

 本稿がその最大の課題を解明する一助になることを期待する。下手をすると、来年の今頃は、安倍政権を批判するだけで政治犯収容所に連行され、ガス室で殺される――そんな時代になっているかもしれない。今が、自由な言論をできる最後の機会かもしれないのだから。

 ●55年体制健在を示す2つの調査結果

 ここに2つの調査結果がある。ひとつは、安倍政権成立後の2013年11月に境家史郎・首都大学東京准教授がウェブサイト「nippon.com」上に発表した論考「ポスト55年体制期における政策的対立構造」(注1)、もうひとつはNHK放送文化研究所が毎年発表している「NHK放送文化研究所年報」2015年版において、同研究所世論調査部の河野啓氏が発表した論考「2度の政権交代をもたらした有権者の政治意識」(注2)である。どちらも3.11東日本大震災・福島第1原発事故を経験後の日本の政治状況に焦点を当てたもので、筆者にとって興味深い論考となっている。なぜなら、前者は政党レベルにおいて、後者は有権者の政治意識レベルにおいて、ともに保革対立を前提とした55年体制的な政治構造の復活を示唆しているからだ(以下、特に断り書きがない限り、本稿では前者を「境家論考」、後者を「河野論考」と呼ぶことにする)。

 さっそく、まずは境家論考からその中身に入ろう。境家は、この論考を著した理由について『日本政治の政策的対立軸は、「55年体制」の下で保守/革新のイデオロギー対立を背景としていたが、1990年代半ばから様変わりした。この約20年間の対立軸の変化を振り返り、検証する』こと、また『1994年の選挙制度改革以降の「ポスト55年体制期」における日本政治の政策的対立構造を検討し、また今後の見通しを得ることである』としている。しかし、実際に得られた結果は境家の目的とは大きく異なり、現実の政党配置レベルで未だに55年体制の残滓が色濃く残っていることを示すものとなった。



 この表は、東京大学谷口研究室・朝日新聞社共同調査のデータを基に、境家が作成したものである。「安保・社会政策」「55年体制の評価」「新自由主義的経済政策への賛否」「民主党の目玉政策への賛否」の4つを軸とし、2010年参院選の時点で国会に議席を持つ各政党の立ち位置を示したものである(維新の党、おおさか維新の会は、この時点ではまだ国政に進出していなかったため、この表には登場していない)。

 「安保・社会政策」では、55年体制当時さながらに左右の隔たりが最も大きくなっている。保革両陣営の主要な争点・対決点であり続けており、賛成・反対双方が妥協点を見いだすことは不可能な状況にあった。安倍政権下での「戦争法案」強行採決という、4年後に訪れる事態を正確に予言していたといえる。境家も、『93年に自民党がいったん下野してから20年近く経過しているが、なお保革イデオロギー対立は日本政治の基底として存在している。政党配置もほぼ55年体制期さながらの状態が現在でも維持されている』と、「55年体制残存」を認めている。

 「55年体制に対する評価」では、一転して自民・社民・共産が肯定的、それ以外が否定的という結果であり、「既成政党対新党」の対決構図となっている。「新自由主義的経済政策に対する賛否」では、自民・民主の2大政党が否定的(「大きな政府」指向)、みんなの党が肯定的(「小さな政府」指向)という対立軸になっている。興味深いのは、議論するまでもなく「大きな政府」指向と思われていた社民・共産両党が真ん中に位置していることである。これに関して、境家は興味がないのか言及していないが、この両党が防衛費、公共事業などの「大企業向け大きな政府」には反対だが、社会保障などの「社会的弱者向け大きな政府」には賛成ということを示した結果であるというのが本稿筆者の評価である。大きな政府・小さな政府も時と場合と相手によるということであろう。

 最後に、農業者戸別所得補償や「子ども手当」、道路特定財源の一般財源化といった民主党の目玉政策に対する賛否では、民主党が最も賛成なのは当然として、好意的な方から順に国民新党、社民、公明・みんな、自民・共産という順になった。

 2009年に成立した民主党政権が、連立相手として社民党、国民新党を選んだのは、目玉政策に関する限り適切であったように思える。しかし、民主・社民両党は安全保障政策であまりに隔たりがありすぎた。民主党が、財源問題をきっかけに目玉政策でずるずると後退するにつれ、目玉政策での一致を根拠になんとか我慢して連立にとどまってきた社民党が、我慢できずに連立から離脱せざるを得なかったのは、歴史の必然であったことになる。

 境家は、これらの結果を基に、次のように結論づける――『政党配置の面では、自民党にせよ民主党にせよ、すべての軸において立場の近い他政党というのは存在しておらず、連立政権時代において各党が安定的なパートナーを得ることの難しさを示唆している』。

 同感だ。現在、参院選に向けて戦争法廃止のために野党共闘を求める声が高まっている。彼らは「最低限の基本政策さえ一致するなら野党には共闘してほしい」と願っている。しかし、その「最低限の基本政策」すら、完全に一致できる政党の組み合わせはどのようにしても実現し得ないことを境家論考は示している。やはり、有権者が感じているように、基本政策がそれぞれ違っているからこそのバラバラ野党なのだ。

 境家論考を見る限り、多様化する有権者の政治的要求に合わせて細分化の歴史が繰り返されてきた野党のほうが政治的には健全であり、むしろ、多様な政治的潮流がありながら、それらをめぐる政治的闘争を内部で抱え込み、議論ではなく政党の内部統制の問題として決着させようとする自民党のほうが間違っていると結論づけて差し支えないであろう。問題は、小選挙区制という極端な選挙制度によって、常に「誤っているほうが勝ち続ける」ことにある(注3)。

 次に河野論考に移ろう。民主党政権が成立した2009年以降の有権者の政治的意識とその変遷をていねいに追っており、境家論考と並んで本稿で取り上げるだけの価値はある。だが、PDFファイルにしてわずか4ページに過ぎない境家論考の概略を説明するのにさえこれだけの字数を要した。PDFで38ページもある河野論考について詳述しようとすると、紙幅はいくらあっても足りない。そこで、河野論考中、最も注目すべき3つの調査結果に関するデータだけを以下に示すことにする。



 民主党政権の失敗以降、日本の有権者はすっかり疲れ、もう政権交代なんてこりごりだと思っているに違いないと筆者は考えていた。実際、安倍政権のこれだけの悪政・暴走にもかかわらず、再度の政権交代を求める声はどこからも聞こえず、むしろ聞こえてくるのは政権交代を忌避する声ばかりだからだ。

 しかし、河野論考が明らかにしたのはそれとはまったく異なる有権者の姿であった。ここでは、民主党政権の失敗を経験した後にあっても政権交代それ自体は「良かった」「どちらかといえば良かった」が合計で66%を占めており、実に3分の2の有権者が政権交代に積極的な評価を与えたことを示している。民主党政権をめぐる評価でも、(民主党への政権交代で)「良くなった」「どちらかといえば良くなった」が33%(2009年)→22%(2010年)と急落しているものの、「変わらない」が半数以上を占め、メディアやインターネットを吹き荒れている民主党バッシングとは違う結果を示すものとなっている。一部ネトウヨなどの「ノイジーマイノリティ」が民主党を攻撃しているのが実際であろう。

 河野論考において最も注目すべきなのは、「日本の政党のあり方」に関する調査結果だ。自民一党支配を積極的に認める「1つの大政党」が一貫して1割を切っているのは当然として、「政策が近い2大政党」「政策に差がある2大政党」のうち、前者が33%(2012年)→29%(2013年)と減少しているのに対し、後者が28%(2010年)→32%(2012年)→34%(2013年)と、緩やかながら着実に増加していることである。2013年にはついに両者が逆転、「政策に差がある2大政党」を求める有権者のほうが多くなった。



 河野論考は2010年以前のデータを示していないため、この変化がどのような政治的事件をきっかけに始まったのか結論づけることは不可能である。だが、本稿筆者の皮膚感覚では、2008年のリーマンショックとそれに続く2008年暮れの衝撃的な「年越し派遣村」の誕生から始まり、2011年の福島第1原発事故がこの流れを決定的にしたように思える。

 ●民主党政権の崩壊要因と、新たなリベラル層の「受け皿」のあるべき姿

 これら2つの調査結果から見えてくることがある。1990年以降、盛んに宣伝された「55年体制崩壊は、東西冷戦の崩壊と総評―社会党ブロックの「敗戦」によって引き起こされ、資本主義か社会主義かの問題には決着がついた」「日本政治は、対決争点型から合意争点型(注4)に移行した」との言説が、(2000年代を中心に、一時的に正しいと思われる時代もあったものの)2010年代に入って以降は完全に誤っていること、崩壊したと思われていた55年体制が、政党配置レベルでも有権者の政治意識レベルでも今なお健在であることが示されたことである。

 このように考えると、短すぎた民主党政権の崩壊要因も見えてくる。年を追うごとにひどくなる一方の貧困・格差問題を前に「政策が近い2大政党」を求める有権者が減り、「政策に差がある2大政党」を求める有権者が増えつつある政治状況の中で民主党政権は生まれた。この事実から考えれば、この政権に対する期待、そしてこの政権の存在意義は「自民党とは違う新たなオルタナティブを示すこと」にこそあったといえよう。にもかかわらず、小沢一郎元民主党代表が示した保守2大政党にこだわるあまり、民主党政権が「第2自民党政権」として、事実上自民党と変わらない姿に落ちぶれてしまったことがこの政権の崩壊要因と結論づけてよさそうである。わずか3年で再び政権が自民党に戻ったのも、「せっかく生まれた民主党政権が自民党と変わらないなら、過去の政権担当実績がある自民党でいい」と有権者が考えた結果と分析すれば納得がいく。

 同時に、これら2つの調査結果は「投票したい政党がない」「どこに投票したらいいかわからない」と嘆き、投票所から遠ざかったまま長い眠りについているリベラル層の受け皿として、日本でどのような勢力なら登場が可能かについても重要な示唆を与えてくれる。本稿筆者は、2つの可能性を指摘したいと思う。

 ひとつは、旧社会党復活による55年体制の再構築である。「政策に差がある2大政党」を求める有権者の声を追い風に民主党がこのまま左傾化、旧社会党化し「しっかりとした自民党の監視・チェック役」として100~150議席程度の勢力をもって対峙するというものである。2015年安保闘争で民主党が得た市民との協働を基に、党内右派を追い出してリベラル勢力に特化するならこの可能性が大きく開けるであろう。同時に、支持母体である連合を再び旧総評のような左派優位にすることにも寄与するであろう。

 ただ、「基本政策がそれぞれ違っているからこそのバラバラ野党」となった歴史的経緯を考えると、この道を取ることが容易でないことは確かである。民主党政権のように、様々な政治的潮流を内部に抱え込んだ場合、毎日のように内紛が続き、再び空中分解することになりかねない。

 もうひとつは、民主党がこの道をとれなかった場合に想定すべきものである。野党各党が統一候補を立てて自民党政権を倒した後、それぞれの違いを前提にしながら「政策に差がある2大政党」を求める有権者の声を追い風に、自民に代わる新たなオルタナティブを示して政権につくことである。同一政党の内部に様々な潮流を抱えながら、内紛に明け暮れた民主党政権と異なり、初めからお互いに基本政策が違っていることが前提で連立を組むのだから、民主党政権よりは大人の対応が可能になるであろう。ここで留意すべきなのは、連立に関わる各政党が互いの立場を尊重することだ。閣僚を決めたら、その閣僚の出身政党の基本政策を連立各党が理解し、少なくとも政権担当中は連立与党が結束して支えることを事前にきちんと協定すべきだ。野党・自民から閣内不一致を攻撃されても決して動じてはならない。むしろ「なれ合い談合の自民党政権と異なり、こちらは不一致を前提に組閣する多党連立政権だ。閣内不一致で何が悪い」と違いを認めるくらいの度量が必要であろう。こちらはいわば、2大政党化を諦め、細川政権を生み出した1993年型の多党連立政権をめざすもので、日本共産党が提唱した選挙協力の後に来るべきものとしては最も現実的と考えられる。

 いずれの道を取るにせよ、60年近くも政権を独占してきた自民党政権の「最終的」打倒(二度と政権復帰できないような自民党の完全な粉砕)を私たちは実現しなければならないが、今回、野党がバラバラの状況の中、戦争法廃止のための国民連合政権構想を発表、野党共闘を訴えたのが日本共産党であったことはその困難さの象徴だと筆者は考えている。日本にとって「打倒自民」は政治革命にも匹敵する大事業であり、野党の中でその覚悟を持ち得たのは、戦前戦後を通じ、常に「革命政党」としての矜持と気概を持ちながら日常活動をしている日本共産党以外にはあり得なかったのである。

 だがそれでも私たちはこの道を進まなければならない。2016年が「自由、民主主義の死んだ年」として、後世の歴史家から指弾されることがないように。

注1)http://www.nippon.com/ja/features/c00407/

注2)https://www.nhk.or.jp/bunken/research/title/year/2015/pdf/003.pdf

注3)政党制の類型化によって現代政治学に大きな足跡を残したイタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリによれば、政党結成の自由が認められていない抑圧的政治体制の国では、政治的潮流の違いはいわゆるファクション(党内分派)間の闘争として現れる。一方、政党結成の自由が認められている国では、ある政党内部でイデオロギー型ファクションが生まれた場合、それは党外に押し出されて別政党となるが、金や人のつながりによって生まれ、イデオロギーの違いを基にしない「プラグマティズム型ファクション」は、政党結成の自由が認められている国でも必ずしも党外へ押し出されず、ファクションとして留まり得る場合があることを示唆している。サルトーリはそうした例として、日本の自民党やイタリア・キリスト教民主党の「派閥」の例を挙げた。

注4)対決争点型政策とは、その政策の実施自体に賛否が分かれるものをいい、合意争点型政策とは、その政策の実施自体には合意があり、実施時期や手法などが争点となるようなものをいう。米国の政治学者アーレンド・レイプハルトは、前者は多数決型民主主義、後者は合意形成型民主主義と親和性があるとした。

(黒鉄好・2016年2月21日)

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軍政系与党を下野させた市民の「底力」 歴史でたどるビルマ(ミャンマー)の過去、現在、そして未来

2016-01-25 21:10:44 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2016年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「国民は選挙結果についてすでに理解している」。歓声を上げる大勢の市民を前にして、長年、自宅軟禁の身であったアウンサンスーチー氏は高らかに勝利宣言した。スーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)の別の幹部も「私たちは政権を担うことができる」と自信を示した。「私は大統領の上に立つ」という、いささか勇み足めいた発言もあり物議を醸したものの、この国の民主化のプロセスが止まることはないだろう。

 国際社会からの圧力の中で、2007年から民政移管の準備作業に当たってきたテインセイン大統領の与党、連邦団結発展党(USDP)は敗北を認めた。軍服を脱いだ元軍人が率いる非軍政政党による暫定政権から、民政移管を前提とした「自由選挙」により選ばれた政党による政権へ――長年の苦難を脱しつつあるこの国・ビルマの今後の展望を、本稿では歴史でたどりながら占ってみたいと思う。

注)本稿筆者は、NLDが圧勝した1990年総選挙の結果を認めず、不当な独裁で政権に居座り続けた軍政当局によるビルマからミャンマーへの国名変更を認めない立場を取っている。民政移管後の新政権による新しい決定があるまで、旧国名「ビルマ」と表記することをご了解いただきたい。

 ●ビルマを扱った2つの映画

 日本人の中でも映画ファンの人々は、ビルマと聞けば「戦場にかける橋」と「ビルマの竪琴」の2作品を真っ先に思い出すのではないだろうか。前者は太平洋戦争中、ビルマを支配していた日本軍が連合国軍の捕虜を使って建設した泰緬鉄道(タイ―ビルマ間の鉄道)を舞台とするものであり、米英合作映画として1957年に公開された。泰緬鉄道の建設では、日本軍によって連合国軍の捕虜が強制労働に駆り立てられ、おびただしい死者を出した。主題歌「クワイ河マーチ」は運動会など今なおいろいろな場面で使われているが、本来ならこのような場面で気安く使うような曲でないことはもちろんである。第30回アカデミー賞受賞作としても知られる。

 「ビルマの竪琴」は竹山道雄が児童向けに執筆した唯一の作品を、市川崑監督が1956年と85年の2回映画化している。日本への引き揚げを拒否し、戦没者の慰霊のため現地に残って竪琴の演奏を続ける日本兵・水島を、本稿筆者も観た85年版では中井貴一が演じている。

 この2作はいずれも戦争の悲劇を捕虜虐待の被害国(戦場にかける橋)、敗戦国(ビルマの竪琴)の側から描いたもので、いずれも視聴者の胸を打つ。だが、日本人のビルマに対する知識と言えばこの程度のもので、戦後のビルマは長らく謎のベールに包まれた国だったというのが実際のところではないだろうか。

 太平洋戦争中、日本軍の後押しでビルマの英国からの独立運動を指揮した人物の中に、スーチー氏の父であり、後に建国の父と称せられることになるアウンサン将軍がいた。アウンサン将軍は日本敗戦後の1947年、英国からの独立を前にして暗殺される。

 ●軍のクーデターからビルマ式社会主義へ

 その後、独立を達成したビルマは政党政治がうまく機能しないばかりか、中国の国共内戦など周辺諸国の戦乱の影響で政治的混乱と経済低迷が続いた。そうした中、政治的発言力を増した軍部が1958年、ネ・ウィン将軍をトップとする暫定政府を成立させる。1962年には軍部がクーデターにより全権を掌握。軍政の基盤となる「革命評議会」を設置した。

 初めは発展途上国では珍しくない、軍事力による強権を背景とした凡庸な軍事独裁政権と思われた。だが「革命評議会」はその後、国際社会が予想もしなかった意外な方向へ進み始める。

 『ビルマ連邦革命評議会は、この世に人間が人間を搾取して不当な利益を貪るような有害な経済制度が存在している限り、すべての人間を社会的不幸から永久に解放させることはできないと信じる。わがビルマ連邦においては、人間による人間の搾取をなくし、公正な社会主義経済制度を確立し得たときに初めて、すべての人民が民族、宗教の別なく、衣食住の心配を初めとするあらゆる社会的苦しみから解放され、心身ともに健康で楽しい豊かな新世界に到達し得るものと信じる』。

 これは、革命評議会を設立したビルマ軍の17人の将校たちが起草し、1962年4月2日に発表した綱領的文書「ビルマにおける社会主義の道」からの抜粋である。革命評議会の目指す方向性が明瞭に示されている。

 彼ら軍人たちは、1962年7月にビルマ社会主義計画党を組織。ネ・ウィンを議長とした。1963年1月にビルマ社会主義計画党が発表した文書「人間と環境との相関関係」では、同党の目指す道がより具体的に示されている。

 『新しい公正な社会主義社会では、人間による人間の搾取や弾圧、富の収奪などは存在しない。搾取するものがいない以上、階級間の対立や衝突もない。階級間の矛盾、衝突を解決する唯一の経済制度、それが社会主義経済制度である。社会主義経済制度では、生産活動はみんなの共同で行われる。みんなが共同で行う事業は、みんなで所有するというのが最も理にかなっている。ビルマ式社会主義とは、この社会主義経済制度を実践することにある。……社会主義社会の建設を担うのは、実際に働く労働者である』。

 日本におけるビルマ研究の第一人者、大野徹・大阪外語大名誉教授は、これらの文書に記載されている内容から、ビルマ式社会主義と標榜されていたものが「資本主義を否定し、生産手段を共有し、これを計画的に運用することによって、人間による人間の搾取がない平等な社会の実現を目指していると言う点で、まぎれもなく社会主義の概念を反映した考え方である」としている。ただ、ソ連など他の社会主義国家ではきちんと整理されていた党と国家の関係などは、ビルマではきちんと整理されているとは言いがたい面もあった。例えば、1974年に制定されたビルマ新憲法では、ビルマ社会主義計画党を「国家唯一の指導政党」であるとして、他の社会主義国同様、党の指導性原則を謳いながら、実際の同党は革命評議会によって運営されていた。党と国家のどちらが実質的なビルマ社会の頂点になっているのか判然としがたい、独特の外観を持つシステムだったといえよう。

 1962年以降、革命評議会が実行に移した政策は社会主義そのものであった。石油合弁企業の国による接収、全輸出入企業と米の買い上げ、配給制度の国有化、国内全銀行の接収(62年)など様々な企業の接収と国有化が続いた。その後も国内の全商店の国有化(64年)、繊維工場、石油採掘企業の接収(65年)と続く。製造業の国有化が行われる1968年に至り、主要産業の国有化がほぼ完了したのである。

 同時にこの国有化は、外国資本とりわけインド資本を国内から追放する役割も担っていた。当時のビルマ企業にはインド人所有のものが多く、これらを接収することはインド人の手からビルマ人の手に経済の主権を取り戻すことでもあった。この時代、相次いで社会主義革命を達成した中国、キューバ、ベトナムなどで、社会主義化が実質的に外国人を追い出し、自国民の手に経済を取り戻すための過程であったことを踏まえると、ビルマ式社会主義もまた、こうした時代に規定された「民族主義的社会主義」としての性格を強く持つものであった。

 ビルマ式社会主義は、国営企業部門において企業管理者となるべき有能な人材の不足によって、所期の効果を上げることはできなかったが、それでもビルマ経済にとって最大の桎梏となっていた小作制の全面廃止など大きな歴史的事業を成し遂げた。1963年から65年にかけての農地改革で、小作人の選定権を地主から取り上げ、村落農地委員会に移すとともに、小作料を撤廃することが決められたのだ。地主の個人所有物でなくなり、村落農地委員会に移った農民は、名称こそ小作人のままであっても実質的には共同農場で働く農民労働者という位置づけになる。1988年時点の統計でも労働総人口の62%が農業に従事していた農業国・ビルマにおいて、地主と小作制の廃止は文字通り新時代への入口を意味したのである。

 その後、1974年にビルマは国民投票で90%以上という圧倒的な賛成を得て新憲法を採択する。このときの憲法では「ビルマは、労働者国民が主権を有する自由な社会主義社会である」(第1条)、「国家の最終目標は、社会主義社会にある」(第5条)、「国家の経済制度は、社会主義制度である」(第6条)、「国家の体制は、社会民主主義に基づく」(第7条)とされた。国名もビルマ連邦からビルマ連邦社会主義共和国に変更された。憲法が規定するとおりの社会実態が伴っていたかについては議論の余地があるものの、少なくとも外形的には、社会主義憲法と呼ぶにふさわしいものであった。

 ビルマ政府も、この憲法の承認で、1962年クーデター以来の軍政から民政への移管を達成したと内外に宣伝した。だが実際には、ビルマ社会主義計画党の一党独裁、そしてネ・ウィン党議長を指導者とする基本的部分は変わらないままであった。

 ●ビルマ式社会主義破たんから社会主義なき軍政へ

 ビルマ式社会主義の下で経済は低迷を続けた。温暖で湿潤な気候に恵まれたビルマは稲作に適しており、国民の食料は十分確保されていたが、米の生産量が戦前の水準を超えたのはようやく80年代に入る頃であった。それでも米輸出は戦前の水準には回復せず、ビルマは米輸出の低迷から必要な物資の輸入が滞るようになった。国民経済は徐々に悪化、失業者の増大、インフレの進行で国民の不満が高まった結果、反政府運動が起きるようになった。学生から始まったデモ・集会は各地に飛び火、人権や自由選挙を要求し始めた。学生たちの行動は、1962年のクーデター以来、ビルマ社会主義計画党議長として君臨してきたネ・ウィン将軍による指導体制への明らかな拒絶であった。

 経済がボロボロになり、学生から議長退陣要求を突きつけられたビルマ社会主義計画党は、一党独裁制の放棄と複数政党制の容認、ネ・ウィン議長の辞任などで事態収拾を図ろうとした。だが、社会的尊敬を集めてきた大乗仏教の高僧たちまでが学生側に立って行動し始めたとあってはすでに手遅れに近かった。こうして、追い込まれたビルマ政府が初めて複数政党の参加を得て実施したのが1990年総選挙だった。

 この選挙ではNLDが大勝。誰の目にもスーチー氏とNLDによる新政権が樹立されるものと思われた。だが軍部が政権委譲を拒否。さらに、ソウ・マウン将軍らによって新たな軍政組織「国家法秩序回復評議会」(その後「国家平和発展評議会」に改称)が置かれ、民主化運動は徹底的に武力弾圧された。この民主化運動の過程で、軍部の凶弾に倒れた市民の数ははっきりしないが、3000人に上るとの説もある。スーチー氏もその後、15年以上の長期にわたって自宅軟禁下に置かれるなど、ビルマ民主化への希望は散っていった。

 長い冬の時代を経て、ビルマに転機が訪れたのは2000年代に入ってからである。スーチー氏がノーベル平和賞を受賞するなど、軍事独裁政権への国際社会の目は次第に厳しさを増していった。2007年、軍出身のテインセインの首相就任以降、様々な改革が始まる。2010年、スーチー氏の自宅軟禁を解除。2011年11月にはNLDの政党登録が認められるなど、民政移管に向けた準備も整えられていった。

 ●NLD新政権と今後の課題~そして日本は?

 小選挙区制で行われた総選挙で、NLDは改選全議席の3分の2以上を占める圧勝となった。テインセイン氏率いるUSDPは、この間、順調に経済再建を果たしてきたにもかかわらず、軍政の流れを汲んでいるという理由だけで実績はまったく評価されなかった。50年以上にわたって銃口で国民を支配してきた軍政への拒否反応が、ビルマ社会の隅々にまで浸透していたことを示している。

 スーチー氏を狙い撃ちするために旧政権が盛り込んだ憲法の規定により、外国人の家族を持つ者の大統領就任は禁じられた。英国籍の夫を持つスーチー氏は大統領に就任できず、別の人物を充てる必要がある。憲法を改正するためには国会で4分の3を超える賛成(4分の3「以上」ではない)が必要となる。憲法は軍部に4分の1の議席を非改選で与えることも規定しており、NLD新政権による改憲の道は事実上閉ざされている。

 国防相などの重要ポストも自動的に軍に割り当てられることになっている。軍との協調なしにはあらゆることが進まない難しい体制の中、新政権は新しい時代の舵取りを迫られる。戦前の日本では、陸軍大臣、海軍大臣は現役の制服組でなければならないとする「軍部大臣現役武官制」が導入された結果、軍部が気に入らない内閣から閣僚を引き揚げ、倒すなどして発言力を強めたことが、その後の軍事政権につながっていった。ビルマが導入している制度はこれと類似したシステムであり、文民統制の原則を否定するものだ。長期的には改憲により、こうした非民主主義的システムは改める必要がある。ただ当面は新政権安定のためにも、経済再建、少数民族対策、外交関係の再構築などが課題である。日本はNLD新政権にできるだけ助言と援助をしながら、民主化が後退しないよう見守ることが当面の対応の基本となるだろう。

 気になったのは、昨年11月の総選挙期間中、「半世紀にわたった軍事独裁政権の暗闇から、ビルマ国民がようやく脱した」的な、いかにもステレオタイプで「上から目線」の論評が日本のメディアで目についたことだ。確かにそれは事実に違いないが、本稿筆者はビルマに対し、そのような上から目線の論評をする資格が果たして本当に日本にあるのか問いたいと思う。1955年以降、60年もの長期にわたって自民1党支配をのさばらせ、いまだそこからの脱出の糸口もつかめない日本に対し、ビルマ市民は「わずか50年」でトンネルを脱したとの見方もできる。日本はいつ自民1党支配を脱するのか。政権交代可能な政治体制にいつ移行できるのか。ビルマや台湾に対して「上から目線」で論評を続けているうちに、このままでは日本が中国、北朝鮮と並んで「東アジア最後の1党支配国家群」の烙印を押されかねないところまで来ている。問われているのは、案外私たち日本のほうなのではないか――戦争法廃止のための野党共闘が叫ばれながら、遅々として進まない日本の現状を見るたびに、そんな思いにとらわれる。

<参考資料・文献>
 本稿執筆に当たっては、『ビルマ――破綻した「ビルマ式社会主義」』(大野徹)を参考にした。

(黒鉄好・2016年1月17日)

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2015年 当ブログ・安全問題研究会10大ニュース

2015-12-31 14:05:29 | その他社会・時事
さて、2015年も残すところあとわずかとなった。そこで、昨年に引き続き今年も「当ブログ・安全問題研究会2015年10大ニュース」を発表する。選考基準は、2015年中に起きた出来事であること。当ブログで取り上げていないニュースも含むが、「原稿アーカイブ」「書評・本の紹介」「日記」「福島原発事故に伴う放射能測定値」「運営方針・お知らせ」カテゴリからは原則として選定しないものとする。なお、ニュースタイトルの後の< >内はカテゴリを示す。

1位  北陸新幹線開業。日本海側を縦断する初の新幹線で日本海側の交通網新時代へ。一方「北斗星」廃止で戦後のブルートレインの歴史に幕<鉄道・公共交通政策>

2位  安倍政権、安全保障関連法案を衆参相次ぐ強行採決で「成立」させる。一方、若者グループ“SEALDS”中心に60年安保闘争以来の大反対運動が高揚<社会・時事>

3位  JR福知山線脱線事故で、JR歴代3社長に大阪高裁も無罪判決。指定弁護士側が上告し、最高裁へ<鉄道・公共交通政策>

4位  福島第1原発事故で、東京第5検察審査会が勝俣恒久・元東京電力会長ら元経営陣3人を再び「起訴相当」と議決。3経営陣の強制起訴が決定<原発問題>

5位  青函トンネルで特急列車火災事故、乗客が初めてトンネル内から避難。一昨年から相次いだ函館線での貨物列車脱線事故など一連の事故で、JR北海道及び関係者を道警が書類送検<鉄道・公共交通安全問題>

6位  JR北海道再生推進会議「選択と集中」提言を受け、ローカル線問題が深刻に。JR北海道が留萌本線一部区間を正式に廃止表明したほか、JR北海道全線の11%に当たる5線区で廃止危機が表面化<鉄道・公共交通政策>

7位  スカイマークが経営破たん。外資含む熾烈な経営権獲得争いの結果、ANAグループ傘下で経営再建へ<鉄道・公共交通政策>

8位  イスラム世界を風刺した仏の「シャルリー・エブド」でテロが発生したほか、パリでもテロで多数の死者。「イスラム国」が日本人ジャーナリスト後藤健二さんらを殺害するなどテロ相次ぐ<社会・時事>

9位  沖縄で辺野古新基地工事強行する安倍政権に翁長県政が全面対決。辺野古ゲート前での座り込みの他、本土でも支援集会など「戦争法案廃案」目指す闘いと連動し反対運動も継続<社会・時事>

10位  TPP「大筋合意」で農業崩壊、ISD条項導入へ不安相次ぐ。発効にはハードル高く、今後の反対運動も<農業・農政>

【選外で特に重要なニュース】
・東海道新幹線車内で、生活苦訴えた高齢男性が灯油かぶり焼身自殺。「下流老人」がクローズアップされるなど貧困の深刻化背景に<社会・時事>

・箱根や沖永良部島など各地で噴火災害が相次ぐ<気象・地震>

・リニア、南アルプストンネルなど難工事区間を中心に工事本格化<鉄道・公共交通政策>

・福井地裁が高浜原発3、4号機について初の運転差し止めの仮処分決定。法的に原発の運転不能状態を初めて作り出したが、関西電力の異議申し立てにより決定取り消し<原発問題>

【番外編】
・1985年の日航機墜落事故から30年、2005年のJR福知山線脱線事故、羽越線脱線事故から10年の節目の年。安全問題研究会が日航機墜落事故の現場「御巣鷹の尾根」への慰霊登山を実施<鉄道・公共交通安全問題>

・当ブログ管理人、JR北海道問題に関連し新ひだか町、浦河町、東京「団結まつり」で3回にわたり学習会講師を務めるなどローカル線廃止反対運動を強化<鉄道・公共交通政策>

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改めて今年を振り返ってみると、10大ニュースでは枠が足りないほど内外ともに重大事件の多い騒然とした1年だった。15大ニュースに枠を拡大する考えが何度も頭をよぎったが、最終的にきりがないので見送った。

【選外で特に重要なニュース】に分類したニュースも、今年でなければ10大ニュースにランクインできた。高浜原発に関する福井地裁の仮処分決定は、反原発運動に重要な足跡を残した司法判断であり、年の瀬に異議審で取り消しが決定しなければ10大ニュースだった。

海外でのテロと報復戦争の連鎖、国内での戦争法案・沖縄新基地強行の動きは一体のものである。世界史の時計の針が100年逆戻りしたかのような帝国主義による領土拡張戦争の時代が再来しつつある。この間、人類が努力してきた平和への努力とはいったいなんだったのかと思わされるが、あきらめることなく戦争根絶と平和への努力を続けなければならない。

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それでも超えられなかった「夫婦同姓」の壁……女性の尊厳を回復するため、私たちにできること

2015-12-18 21:45:51 | その他社会・時事
年の瀬も押し迫った12月16日になって、最高裁大法廷で「家族制度」をめぐる2つの事案に司法判断が示された。女性にだけ180日間の再婚禁止期間を認めた民法の規定、夫婦同姓を強制することになっている民法の規定の合憲性が争われたものだ。

結果はご存じの通り、再婚禁止期間について100日を超える部分のみ「違憲」とした。100日以下の再婚禁止期間、夫婦同姓については合憲とするもの。判決文は以下に公開されているが、事前期待が大きかっただけに、原告、そして「選択的別姓」論者の落胆は大きかった。

再婚禁止期間のうち100日を超える部分について違憲とした判決

夫婦同姓を強制することについて、合憲とした判決

いずれも裁判所公式サイトから。

すでにこの問題については多くの解説記事が出ており、参考となるものも多いので、当ブログであえて繰り返すことはしないが、いくつか感想を書くとともに、今後、自分の姓とともに失われる女性の尊厳を回復するため、私たちにどのような闘い方があるかを、落胆しているであろう多くの人々のために示したいと思う。

選択的別姓派と同姓派、どちらの主張に理があるかは今さら比較などするまでもない。「同姓にしたい人は同姓を選び、別姓にしたい人も別姓を選ぶ」ことのできる選択制が、家族の多様化という時代の要請に最も見合うものであることは論を待たない。だが、この問題の論点はおそらくそこにあるのではない。あまりに頑迷な「同姓維持」派の主張を見ているとため息しか出ないし、同姓派が多くのネット民から「ひとつの考え方しか認めない全体主義者、ファシスト」と罵られていることも理解できる。率直に言えば当ブログもそう思う。「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの総統」はナチスドイツのスローガンだが、さしずめ安倍政権とそれに連なる日本会議などの同姓派は「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとつの与党、ひとつの姓、そしてひとりの安倍総裁」なのだろう。

「(耕論)「夫婦同姓」合憲、でも… クルム伊達公子さん、泉徳治さん、山田昌弘さん」と題した12月17日付の朝日新聞記事の中で、山田さんが「反対する人は「選択」が気に入らない」「問われているのは、皆と同じにしないのなら不利益を受けて当然、あるいは人と違うことを許容しない、という社会でこれからの日本は大丈夫なのか、ということ」「女性や若い人も含めだれもが活躍するには、多様性を認め、いろいろな選択肢を用意することです。その少なさ、社会の寛容性のなさが、日本経済の停滞感につながっている」「夫婦別姓の問題がずっと解決されずにきたことは、こうした社会の同調圧力の象徴」としていることに、当ブログは全面的に同意する。

そもそも、「選択的別姓が認められても、実際にそれを選ぶ人はさほど多くない」から選択制は不要というのは「少数派の意見など聞く必要はない」「少数派は踏みつぶされて当然」と主張していることになる。こうした主張を当ブログとして認めることはできない。

しかし、彼らにそんな議論をふっかけてもおそらく無駄だろう。日本で、一般庶民が姓を名乗るようになったのは明治以降であり、それ以前には庶民に姓がなかったことなど多くの人が指摘しているにもかかわらず、彼らは意に介さない。自分が信じたいものだけを信じ、自分たちの主義主張にとって都合のいい時代だけを切り出してそれを「伝統」と称するような反知性主義丸出しの連中に、いくら理や事実を説いても無駄である。

今回の最高裁判決は、過去100年で最も夫婦別姓に手が届きかけた瞬間だった。ここでの敗北は手痛く、法制度としての別姓実現は大きく遠のいた。当ブログ管理人の子ども世代では実現せず、孫の世代でも実現可能性は五分五分だろう。そして、彼ら「頑迷保守」を永遠に権力に就け続ける「自由選挙」システムも当面変わりそうにない。こうした中で、今後、どのように事態は動くだろうか。そして私たち、女性の尊厳を回復するために別姓実現を目指す人たちはどうすればいいのだろうか。

【1】今後の予想……事実婚カップルが増え、結婚制度は緩やかに瓦解に向かう

今後予想されることは、事実婚カップルが増加し、これにつれて結婚制度自体が緩やかに瓦解に向かう、という未来である。頑迷保守が権力を握り続け、前近代的「イエ」制度の残滓としての同姓制度の固守に成功した結果、必要な改革が進まず、かえって制度が瓦解する。改革すれば制度が維持できるのに、改革をしないため、かえって制度がなし崩し、骨抜きになるという「いつもの日本的解決方法」である。

このように予測するだけの根拠はある。事実婚が法律婚に比べて不利な点は、以前であれば、

1)戸籍や住民票の「続柄」欄の記載(嫡出子であれば「長男」「長女」等と記載されるのに、非嫡出子の場合「子」と記載される)
2)遺産相続の不利益(非嫡出子の場合、嫡出子に比べて法定存続分が少ない)
3)扶養手当、税法上の不利益(事実婚の場合、会社の家族手当・扶養手当や税法上の扶養控除・配偶者控除を受けられない)

……等があった。

しかし、事実婚カップルや支援者らの闘いで、(1)はすでに解決(嫡出子、非嫡出子にかかわらず、続柄は「子」記載に統一)。(2)も、2013年の違憲判決によって民法が改正され、法定相続は非嫡出子でも同一となった。残るは(3)だが、そもそも103万円、130万円の壁(所得税や社会保障)を超えて働く人は制度の対象とならず、夫婦共働きが主流である現状では大きな問題にならなくなっている(貧困のためこの制限を超えて働かざるを得ない人が大勢いることはもちろんである)。

今回、全面撤廃が実現しなかった再婚禁止期間にしても、初めから婚姻届を出さず事実婚にしていれば、そもそもこのような法的制限は問題になりようもなく、本人たちが好きなときにいつでも再婚できる。子どもには、両親が事実婚であることの不利益は既になく、親にとっても認知または養子縁組により実子と同様の法的保護の下に置くことが現状でも可能だ。こうなってくると、もはや法律婚をすることとしないこと、どちらのメリットが上回るかはかなり微妙といえる。事実婚の場合、子どもの認知などに余計な手間がかかる場合もあるが、一方で法律婚の場合も姓の変更によって各種証明書や通帳の姓を書き換えるなどの手間がかかる。夫婦共働きが前提なら、あるいは法律婚をしない方がメリットがあるかもしれない。

あとは、「憲法よりも上位の概念」として日本社会を事実上支配している「空気」(結婚はするもの、すれば女性が夫に合わせて姓を変えるものだという無言の圧力)に抗うことさえできれば、事実婚を選択するカップルはこれからかなり増えるのではないだろうか(実際には、この「空気」に抗うことこそ日本社会で最も難しいことのひとつだが)。

頑迷な同姓派は、合憲判決で勝利に酔っているようだが、おそらくその勝利は束の間に終わるだろう。おそらく、当ブログ管理人の子どもや孫の世代が大人になる頃には、結婚とは「どうしても法律上、同姓になりたい人だけが選択する特別な制度」という位置づけになり、結婚制度が事実上瓦解しそうな気がする。もっとも、フランスでは今、事実婚カップルから生まれる子どもの方が多くなっており、何らの社会的障害も軋轢も生じていない。オランド大統領自身も事実婚だ。日本も、緩やかにこの方向になりそうな気がするし、別にそれで構わないのではないか。

【2】今後、私たちが目指すべき道は

頑迷な保守派を権力から追放できず、司法での救済もかなわなかった以上、私たちは当面、法制度が変えられないことを前提に別の闘い方を模索しなければならない。「法制度には直接手を触れず、内部からなし崩し、骨抜きにしていく」といういつもの日本的解決方法を目指すより他はない。

第1に、事実婚カップルをできるだけ増やすことである。事実婚に、法律婚にないメリットがあり、一方、上で述べたようにデメリットは法律婚とさほど変わらないことを粘り強く説明していけば、事実婚を選ぶカップルは増えるだろう。また、既に法律婚をしてしまったカップルで、ペーパー離婚が可能な人には勧めるなどして、1日も早く結婚制度の瓦解を目指すべきである。

日本において、制度としての「結婚」がこれほどまでに同姓制度と一体不可分のものとして、分かちがたく結びつき、それ故に女性の尊厳を抑圧する装置としてしか機能し得ないのだとすれば、私たちの目指すべき第1の道は、その形骸化を勝ち取ることである。

第2は、「別姓での婚姻届は受理できないが、婚姻届の受理に代わるものとして、公的な結婚証明書を発行する」という地方自治体の事例を、ひとつでもいいから作り出すことである。これが実現すれば突破口が開ける。

実現はそれほど難しくないと当ブログは考えている。既に、同性婚カップルに公的な証明書を発給する制度を作った渋谷区、世田谷区の実例がある。法的には結婚すら許されなかった同性婚カップルの困難を突破する道が生まれたのだ。これに比べれば、別姓婚カップルへの証明書発行など取るに足らないレベルだと当ブログは思うのだ。

日本ではこれからますます少子高齢化が進行する。「地方自治体の4割が、若い女性の転出によって消滅危機を迎える」との日本創成会議の試算も既に発表されている。今後、生き残りを賭け、全国の自治体の間で妊娠、出産可能な若い女性の「奪い合い」が始まるだろう。そこにチャンスがある。若い女性欲しさに「もし我が市/町/村に移住してくれるのであれば、別姓でも公的結婚証明書を発行します」という地方自治体は必ず出てくると思う。

これは荒唐無稽な予測ではない。既に同性婚カップルの間で、渋谷区、世田谷区への住所移転の動きが出始めていることを考えれば、十分あり得ることである。「人口が少ない」ことは多数決を原理とする政治の世界では不利であっても、「供給量の少ない物の価格は上がり、供給量の多い物の価格は下がる」市場原理の世界では、少数派ほど自分を高く売りつけられることを意味する。実際、就職では「売り手市場」化が進行し、若者が有利になりつつある。結婚を「市場」と考え、女性が最大限自分の価値を吊り上げながら、別姓容認を各自治体に迫っていくしたたかさを見せるなら可能性はある。私たちの運動、闘いと消滅危機にある地方自治体の利害が一致すれば、おそらく地方から、このような形でなし崩し的に夫婦別姓が広がっていくこともあり得るだろう。

これが当ブログの将来予測である。行政・立法・司法の「三権」すべてで救済の道が閉ざされたとしても、別姓を目指す人々にとって、それほど落胆するような出来事ではないように思う。

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【転載記事】パリでのテロに関するATTACフランスの声明、他

2015-11-16 20:59:55 | その他社会・時事
14日(現地時間13日)、パリで起きたテロ事件に関し、ATTAC(市民支援のために金融取引への課税を求める会)フランスが発表した声明を以下のとおり転載する。また、シリア出身、UAE(アラブ首長国連邦)在住のある女性アナウンサーのツイートが、当ブログ管理人に回ってきたので併せてご紹介する。

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レイバーネット日本より転載

パリでの虐殺を受けて:激しい不安、激高、行動
ATTACフランス、2015年11月14日

 パリでの虐殺の翌日、アタックの会員および共鳴者たちは、フランス社会と共鳴し、殺人的な憎悪に対して、激しい不安と激高を覚える。アタックは、犠牲者と彼らに近しい人々に対して、心の底から連帯を表明する。金曜夜に殺害された人々は、親睦、市民的交流、芸術、自由な生活への権利を行使していたにすぎなかった。しかし、殺人者たちは、極端な宗教観によって、それらすべてを根絶しようとしたのであった。

 動揺と悲しみにもかかわらず、私たちは恐怖に屈することを拒否する。私たちは、恐怖の、烙印の、スケープゴート捜しの社会を拒否する。私たちは、自由に働き、楽しみ、集まり、戦い続ける決意を主張する。

 「フランスは戦争状態にある」と語られている。しかし、それは私たちの戦争ではない。アメリカがイラクとアフガニスタンで引き起こした惨事に引き続き、フランスがおこなっているイラク、リビア、シリア、マリ、ニジェール、中央アフリカ共和国での介入は、これらの地域に不安定をもたらし、難民(migrants)を発生させている。その人々はヨーロッパという要塞に打ち当たり、その遺体が私たちの浜辺に打ち上げられているのだ。不平等と略奪が幾多の社会を引き裂き、社会どうしを互いに対立させている。

 アルカイダやISが、その非人間的な力のすべてを引き出しているのは、これらの不公正からにほかならない。前述の「戦争」は、いかなる平和ももたらすことはないだろう。というのも、公正なくして平和はありえないからだ。この「戦争」を終わらせるために、私たちの社会は陶酔から、力、武器、石油、レアメタル、ウラン等の陶酔から醒めなければならない。

 あらゆる絶望と常軌を逸した行動を培う土壌のかなたにまだ残っているのは、「悪の凡庸さ」である。すなわち、人類は野蛮の回帰や支配からけっして守られていないという事実である。そしてそれは、一部の者たちが、他者に対する、人間としての人間への尊敬を棄てたときに起きる。

 私たちの射程にある事柄についていうなら、いかなる形の帝国主義-たとえそれが「人道的」と自称しようとも-とかつてないほど戦わなければならない。破壊をもたらす生産至上主義に立ちむかい、節度ある、自由で平等な社会を目指して戦わなければならない。

 この腐敗しつつある世界に対して、南と北の民衆が共に掲げるオルタナティヴを目指してデモをし、戦う権利、その権利に対するいかなる制限も私たちは拒否する。11月29日から12月12日にかけて開催されるCOP21の機会に、私たちは、もう一つの世界は可能であり、その到来は緊急の要請であり、かつ必然であることを、市民の結集によって示すだろう。
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シリア出身、UAE在住のある女性アナウンサーのツイート

「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」シリア出身UAE在住の女性アナウンサー
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パリで起きたテロは、確かに悲しむべき出来事であり、テロ自体は憎むべきことである。しかし、そもそもATTACフランスの声明にあるように、今日の事態はフランス含む先進国の軍事行動がもたらしたものである。

テロの原因である<不公正>を放置、温存し、自分たちも先進国のように豊かで文化的な生活をしたいという途上国の人々の願いを軍事行動によって打ち砕いたフランスでのテロに世界中の同情が集まるのに、毎日、それより多くの人々が死亡しているシリアの戦争には同情どころか関心も集まらない――これが世界の現実である。私たちは、テロの被害を受けた人々だけでなく、テロを生み出す根本的原因である「戦争」と「不公正」の被害を受けた人々にも等しく関心を向けなければならない。

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「土建国家」復活を象徴する新国立競技場問題 不透明な契約方式から新たな利権の闇が見えてきた

2015-10-25 21:11:46 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2015年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 心ある一部の人々の反対をよそに、大方の人々からはそれなりに熱狂をもって迎えられた2020年東京五輪の招致決定。早いものであれから2年が経つが、あの頃の熱狂もどこへやら、イラク人建築家ザハ・ハディド氏の設計をもとに、巨大なキールアーチ構造となるはずだった新国立競技場整備計画が白紙撤回され、振り出しに戻ったのも束の間、今度はアートディレクター佐野研二郎氏のデザインした公式エンブレムに模倣疑惑が噴出、東京五輪組織委員会がこのエンブレムの使用中止に追い込まれた。世界最強といわれるほどの製造業を支えたかつての日本人の几帳面さも職人気質もすっかり影を潜め、今やこの国は手抜きと密室談合がはびこる三流国家の様相を呈している。

 まだ十分使えるはずの旧国立競技場をわざわざ取り壊し、退路が断たれたところで新国立競技場の壮大な無駄遣いに批判が殺到、関係者が右往左往する様子を見ていると、この国の指導層もいよいよ落日の感を強くする。そもそもなぜこんな事態が発生してしまったのか。新国立競技場計画の白紙撤回と公式エンブレム使用中止という2つの事件に通底する言いしれない不透明感、モヤモヤ感はどこから来ているのか。

 本来、この問題はまだ始まったばかりであり、全体像も見えない今の段階で批判に転じるのは早すぎると、つい最近まで筆者は思っていた。だが、事態の背後に潜んでいる全体像がおぼろげながら見え始めるにつれ、筆者は、今ここで警鐘を鳴らさなければ取り返しのつかないことになると考えるようになった。かねてより筆者が土建国家、ハコモノ・トンカチ行政、政・官・財の「鉄のトライアングル」などと呼んで批判してきたすべての悪弊、解体はされないまでも、今世紀に入って弱体化に一定程度成功した巨大な金食いシステムのすべてが、このままでは東京五輪の暴風に乗って一挙に復活してしまいかねない。

 ●プロポーザル方式とは何か

 事業を担当する文科省所管の独立行政法人、日本スポーツ振興センター(JSC)は、振り出しに戻った新たな国立競技場整備事業について、9月1日、プロポーザル方式による参加事業者の公募を開始した。

 プロポーザル方式とは、参加を希望する事業者から、技術力や経験、プロジェクトにのぞむ体制などを含めたプロポーザル(技術提案)の提出を求め、「公正な評価」(多くは建築や設計に関し専門的知見を有する審査員による採点)によって設計者を選ぶ調達方式とされる。1991年3月、「官公庁施設は国民共有の資産として質の高さが求められることから、その設計業務を委託しようとする場合には、設計料の多寡による選定方式によってのみ設計者を選定するのではなく、設計者の創造性、技術力、経験等を適正に審査の上、その設計業務の内容に最も適した設計者を選定することが極めて重要」(注1)とされたことを契機に、それまでの総合評価落札方式(注2)に代わる新たな調達方式として導入された。設計「書」を選定対象とするコンペ方式に対し、プロポーザル方式は設計「者」を選定するという点が大きく異なる。公共施設整備事業に参加したいと考える事業者にとって、設計書が審査対象となるコンペ方式では受注できるかどうかわからない段階で精緻な設計まで行わなければならず、その負担の大きさから参加に尻込みしてしまうことも多かった。プロポーザル方式は、簡略化した技術提案をすれば公募に参加できるという点で負担が大きく軽減された。

 プロポーザル方式は、発注者である官公庁側では仕様書の作成ができないような高度に専門性の高い建築物や、特殊な技術が必要な建物の整備事業のために導入された制度だというのが筆者の基本的理解である。だが、どのような技術提案が提出されるかもわからない段階で提案書の審査基準を作成しなければならないことに加え、面倒な競争入札の手続きも踏まなければならなかった総合評価落札方式と比べて使い勝手があまりにも良いためか、最近では、気象庁庁舎の外壁改修工事や警察学校の体育館新築工事のように、どう考えても高度な技術提案など不要と思われる一般的な工事にまで使われるようになってきている。

 ●不透明な契約方式は新たな利権の温床か?

 ところで、本稿読者諸氏の中には、こんな疑問を持つ人もいるだろう。「それでも、新国立競技場のような数千億円規模の巨大公共事業の参加事業者は、競争入札で選ばれているのではないのか?」と。

 国の契約、調達について定めた会計法やこれに基づく政令「予算決算及び会計令」(予決令)によれば、国が発注する工事では予定価格が250万円を超えると競争入札としなければならない(予定価格が500万円を超えると指名競争入札ではなく一般競争入札でなければならない)。JSCは独立行政法人であり、国の機関ではないため会計法や予決令は適用されないが、JSCの契約、調達手続きについて定めた「日本スポーツ振興センター会計規則」「契約事務取扱規程」(注3)でも会計法、予決令とまったく同じ基準で契約、調達手続きを行うよう定めている。このことからすれば、当初計画より規模が大幅に縮小されてなお2000億円規模になる国立競技場整備事業は競争入札とするのが当然だし、JSCに巨額の税金(2015年度の運営費交付金だけで約260億円)が投入されていることから考えてもそれが素朴な市民感情というものだろう(注4)。

 だが実態はまったく違う。プロポーザル方式は競争入札ではなく、入札によらない調達方式つまり随意契約に当たるとされる。事業参加希望者が技術提案を行い、発注予定者(官公庁)がその審査を終え採否を決めた時点で、採用された技術提案に基づいて設計施工ができるのはその事業者しかいないことはわかりきっていることを理由に、プロポーザル方式による調達先の選定は会計法29条の3第4項(JSC発注工事の場合は日本スポーツ振興センター会計規則18条第4項)の規定(契約の性質又は目的が競争を許さない場合)に該当するものとして随意契約によることが認められているのだ。

 制度設計に関わった国土交通省などは、随意契約であったとしても、プロポーザル方式で事業者選定を行った発注者側は、契約交渉を通じて最大限、有利な契約条件とすることができる(すなわち税金が無駄遣いされるような事態は起きない)と主張する。しかし、そもそも発注者側が自分で仕様書の作成さえできないからこそ事業者側に技術提案を求めているのだ。その時点で発注者側が有利に契約交渉を進めることができると考えるのはあまりに無根拠でナイーブすぎる。契約成立後、受注業者が示した設計書に対し「こうした機能は無駄」と言える担当者が発注者側にどれほどいるだろうか。結果として、交渉が受注業者主導で進み、価格も高止まりするであろうことははっきりしている。

 もちろん、本稿筆者はプロポーザル方式が登場する以前のような、設計書の作成業務を価格だけの競争入札で決めていた時代に戻れと主張したいわけではない。公共施設の建設で「安かろう悪かろう」の業者選定が行われた結果、竣工式の翌日に屋根が落ちたというのでは話にならない。技術力、過去の施工経験、専門技術者の人数や過去の工事におけるその配置状況、過去の労災発生件数など価格以外の要素も加味した総合的な評価によって業者選定が行われること自体には異論がない。

 問題は、ほとんどの発注者が審査基準も審査結果も公表していないことだ。国の機関ごとに、あるいは地方自治体ごとに審査基準がバラバラであっては不都合も起きることから、国交省がプロポーザル方式の運用ガイドラインを作成し、要件設定と審査、落札者の決定方法などについて一応の基準を示してはいる(注5)。しかし、うがった見方をすれば、発注者側が受注させる事業者をあらかじめ「内定」させておき、その事業者が有利になるような審査基準を作成することも可能なシステム、それがプロポーザル方式なのである。

 プロポーザル方式に対するこの懸念が本稿筆者の思い込みなどではなく、多くの人に共有されているものであることを示すひとつの事例がある。群馬県邑楽(おうら)町の新庁舎建設工事をめぐり、前町長時代に行った契約を新町長就任後、一方的に破棄され損害を被ったとして、建築設計事務所関係者らが賠償を求めて邑楽町を提訴した、いわゆる「邑楽町コンペ訴訟」(注6)だ。2007年9月6日、東京地裁で行われた意見陳述で、原告のひとりである建築設計事務所代表の伊東豊雄氏が次のように述べている。

 『日本の公共建築における設計者選定は、プロポーザル方式と呼ばれている方法に拠るケースが圧倒的に多いと思われます。この方式は対象施設の設計案を求めるのではなく、設計者の実績、施設のイメージやコンセプト、設計に取り組む姿勢等を審査して設計者を選定するものです。……(中略)……しかし、設計者にとってこの方式は必ずしも納得のいく選定方法ではありません。……(中略)……この方式では設計者の実績や設計体制等も審査の評価対象となるので、選定は公正と言いながらも発注者側の主観的な意向を盛り込みやすいと考えられます』

 まったく驚きの実態と言うほかない。これほど巨大なプロジェクトが競争入札も、情報公開も(事後公表すら)ほとんど行われず、事実上、密室談合で決められているのだ。せめて、どの事業者がどのような技術提案をもって参加したのか、どのような審査基準に基づいて、審査員の誰が技術提案のどの項目に何点を付けたのか程度の情報は、事後でよいから公表すべきだ。税金の使われ方を主権者である国民が事後検証できるようにするために、最低限必要なことではないだろうか。

 ●納税者の怒りが組織委と安倍政権へ?

 国立競技場をめぐる一連の問題、続いて起きたエンブレム模倣問題で、市民の怒りはすさまじかった。特にエンブレム問題では、佐野氏が反論できない立場にあるのをいいことに、インターネット上で次々と模倣の告発や糾弾が行われた。社会の重要な意思決定の場に市民の声がまったく届かず、国民の血税を勝手気ままに浪費する決定が、正体不明の利権屋たちによって密室で行われている――佐野氏や東京五輪組織委に対する異常なまでの「ネット私刑」の背景にこうした鬱屈した心理や沈殿した怒りがあることは間違いない。もちろん筆者はこうした「私刑」を容認しないが、およそ先進国とは思えない、前世紀の腐敗した軍事独裁政権のような政治システムに対する市民の怒りに対し、あまりに鈍感すぎたことが、佐野氏、そして東京五輪組織委の「敗戦」を決定づけたといえよう。

 ワールドカップ大会の招致が決まった際、ブラジルでは生活苦にあえぐ市民の大きな反対デモが起きた。ソチ冬季五輪の際はウクライナ問題でヤヌコビッチ政権が崩壊するほどの政治的変動もあった。資本主義にまみれたスポーツの巨大な祭典は、しばしば貧困層などの社会的弱者を置き去りにして進み、沈殿していた彼らの怒りを呼び覚ます。手抜き、密室談合、そしてここでもまた誰も責任を取らない日本的無責任体質――こんな状態を放置したまま開催すれば、2020年東京五輪も市民の怒りの「発散」の場となるかもしれない。そうなれば、沈みゆく日本にとって文字通り「最後の饗宴」となるだろう。

 最後に、読者の皆さんにお願いがある。このような不透明極まりないやり方で強引に進められようとしている東京五輪関係の様々な「公共事業」を徹底的に監視してほしいと思う。当コラムは今後も引き続きこの問題を追っていく。

 消費税は引き上げ、生活保護は切り下げる。福島からの原発避難者に対する住宅支援も打ち切る。そんな非人道的決定をしておきながら、一方で20世紀に戻ったかのようなばかげた無駄遣いを続ける安倍政権を当コラムは絶対に許さない。


注1)「官公庁施設の設計業務委託方式の在り方」(建築審議会答申)

注2)価格のみの競争とする一般競争入札に対し、発注者である官公庁側が示した基準に基づいて、事業者が提出した提案書の各項目を審査して得点を付与、その合計点の最も高い者を落札者とする方式。

注3)日本スポーツ振興センターの会計規則及び契約事務取扱規程

注4)日本スポーツ振興センター平成27年度予算

注5)建設コンサルタント業務等におけるプロポーザル方式及び総合評価落札方式等の運用

注6)邑楽町コンペ訴訟、建築家の山本理顕氏と伊東豊雄氏が証人台に

(黒鉄好・2015年10月25日)

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