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ベルリンの壁崩壊から20年

2009-11-09 22:40:37 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

●唐突な「壁解放」の真相
 1989年11月9日、ドイツ民主共和国(東独)の首都ベルリンからやって来たその発表は世界に大きな衝撃を与えた。「(東独国民は)直ちに、全ての国境通過地点から出国が認められる」…後の歴史を大きく塗り替えることになる、ベルリンの壁解放の瞬間だった。

 1989年、世界人口の3分の1を占め、共産圏と呼ばれていた世界は大きな動揺の渦中にあった。中国ではこの年6月、民主化を求めて天安門に集まった学生らを人民解放軍が無差別殺傷する天安門事件が起きたばかりだった。1985年、ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフが「ペレストロイカ」(刷新)、「グラスノスチ」(情報公開)を掲げ、改革を初めて4年あまり。改革の波は東欧社会主義圏全体を揺るがすものになりつつあったが、多くの社会主義国ではいまだに改革は道半ばで、共産党・労働者党が一党支配原則を放棄する決心もつかず逡巡していた時期だった。

 しかも、ちょうどその1ヶ月前の10月9日、東独建国40周年記念式典で、ホーネッカー国家評議会議長兼社会主義統一党書記長が「壁は今後とも数十年間、いや100年にもわたり存続するであろう」と演説したばかりだった。社会主義体制を放棄しても生き残れる可能性がある他の国と違って東独は社会主義を放棄すれば西独に吸収されるのみであり、他の国が社会主義を放棄しても最後まで社会主義を固守するに違いないと信じられていたから、私にはその発表があまりにも唐突なもののように思えたのである。

 それから20年経った今日、謎めいた「壁解放」の真相は担当者の誤発表だったというのが定説になっている。実際には、社会主義友好国にしか自由な旅行が認められていなかった東独国民に対する外国旅行の全面自由化が指導部によって決定され、その自由化が1989年11月10日から発効することになっていた。しかもその外国旅行自由化は「ベルリンの壁を除く」ことになっていたにもかかわらず、社会主義統一党のシャボウスキー政治局員が決定内容を正しく理解しないまま、冒頭のような誤った発表をしてしまったのである。

 シャボウスキー政治局員の発表を「正しく理解」した東ベルリン市民は、大挙して壁に押し寄せ、わずか数日間のうちに東独国民700万人が西独へ出国を申請したといわれる。それは東独国民の4割にも及ぶ恐るべき数字である。東独は翌90年、西独に吸収される形で消滅し、第二次世界大戦の敗戦以来分断されていたドイツはあっけなく統一を達成してしまった。

●壁崩壊の光と影
 ソ連・東欧の社会主義が崩壊して以来20年、社会主義に対する資本主義陣営の勝利が大々的に喧伝されるとともに、資本主義陣営のトップである米国の一極支配が始まった。だが、資本家が労働者を搾取することによって成立する資本主義の一極支配で良い時代が来るなんて、どうしても私には思えなかった。世界経済の教科書が再びマルクスやケインズからアダム・スミスに戻ってしまうのではないかという漠然とした不安に襲われた。

 そうした不安は、今、最悪の形で現実となってしまった。共産圏崩壊の引き金を引くことになるゴルバチョフが登場した1985年はまた労働者派遣法制定の年だが、この法律によって企業の使用者責任はなし崩しとなり、労働者保護の精神を定めた職業安定法は解体させられた。派遣労働者を初めとする非正規雇用は1700万人に上り、20歳代に限れば全体の4割を占めるとも言われる。貧富の格差は拡大し、社会保障は崩壊、彼らはみんな低賃金とピンハネ、理不尽な首切りに怯えながら日々を過ごしている。国鉄改革によって解雇された1047名は、いまだ解雇のまま復職も実現していない。

 自由が抑圧され、錆び付いた「労働者の王国」でも、それが資本主義陣営に対抗できる形で存在していれば、各国の労働者はここまで追い詰められなかったであろうし、ましてやそれが政治的自由を大幅に認める改革を成功させていれば、歴史は大きく変わったであろう。改めて、共産圏崩壊が世界の労働者に与えた負の影響の大きさを実感させられる。

●「レーガンになんて誰も感謝していない」
 ところで、ソ連と共産圏が崩壊したのは、レーガン米政権がSDI(戦略防衛構想:現在のMD=ミサイル防衛構想の原型)を初めとする軍拡競争を仕掛けながらソ連を経済的に追い詰めていったからであるとして、レーガンを冷戦勝利の英雄視する空気が米国にはいまだにあるといわれる。しかし、今年11月のニューヨークタイムズは、東西冷戦の主戦場であったヨーロッパでは必ずしもそうした見方はされていないとして、次のように解説している。

 『ベルリンの壁が崩れて冷戦が終わったのは米国と特にレーガン政権のおかげだ、米国の勝利だと自慢するのが米国側の認識だが、欧州では特にレーガンに感謝していないし、むしろドイツの東方政策と衛星テレビで西ドイツの番組を東に向けて流し続けたおかげ、いわゆる「ソフトパワー」のおかげだと思っている。そしてロシアでは、別にソ連が負けたわけではなく「弱腰ゴルバチョフがぐずぐずして、勝手にソ連を崩壊させただけだ」と未だにゴルバチョフ氏を唾棄している』

 筆者はこの見解に全面的賛同はしない(というより、賛否を表明できるだけの資料を持ち合わせていないと言ったほうが正しい)が、ソ連の社会主義体制が当時の指導部によって人為的に解体されたとする説は一定の説得力があると今でも思っている。歴史的に考えれば、ソ連の社会主義体制は、マルクスやエンゲルスの古典に書かれていたような「生産手段の社会的性質とその資本主義的所有形態との矛盾」が爆発するような形で起きたというよりは、ボルシェヴィキによって上から政治的に移植されたというのが実態だったからだ。革命の第一人者であったトロツキーでさえ、ロシアが「資本主義の鎖の最も弱い環」しか存在していない国だという事実を、なかば公式に認めていた。

 人為的に移植された政治体制は、解体も人為的に行うことができる。ペレストロイカについて、ああでもない、こうでもないといろいろ試してみた挙げ句、大爆発を起こしてしまったゴルバチョフという人物は、研究者には向いているが国家の指導者には向いていなかったということなのかもしれない。

●映画「グッバイ・レーニン」が語る希望
 今から5年ほど前の2004年に、「グッバイ・レーニン」という映画が公開され、東西統一後のドイツでは600万人の観客を動員するほどのヒットになった。

 主人公のアレックスは東独のテレビ修理店に勤める青年だが、社会主義体制に辟易していた。一方、彼の母、クリスティアーネは、社会主義の祖国を捨てて西側へ亡命した夫の反動で、社会主義体制への傾倒を強めていく。ある日、クリスティアーネは、息子アレックスが反社会主義デモに参加し警官隊と衝突しているのを見て、ショックで心臓発作を起こしてしまう。昏睡状態となった彼女は、医師から「二度と覚醒しない」と宣告されるが、奇跡的に意識が回復する。だが、彼女の長い昏睡状態の間に、ベルリンの壁は崩壊し、東独は資本主義の波に洗われていた。

 アレックスは医師から「クリスティアーネが再び大きな精神的ショックを受けて心臓発作が起きたら、今度は助からない」と宣告されたため、映像制作会社に勤める友人の協力を経て、社会主義体制崩壊の事実を母から隠そうとする。社会主義時代と変わらないニュース番組を作って自宅のテレビだけに流したり、キッチンにある外国製ピクルスの瓶のラベルを東独の国営企業のものに貼り替えるなどの工作を行う。初めのうち工作はうまくいくが、やがてクリスティアーネが散歩に出かけた先で外国企業の看板を見つけるなどするうち、彼女は疑いを抱くようになる。母が再び心臓発作を起こすのではないかと案じたアレックスは、そこで母に対し、最後の宣伝工作を打つのである。

 『壁が解放されたベルリンでは、西側資本主義の競争社会に疲れた労働者たちが、続々と社会主義の東独に押し寄せてきています』

 クリスティアーネは、そのニュース映像を見て満足そうにうなずく。これが大まかなあらすじである。

 筆者は、このシーンが、冷戦後の世界を席巻した新自由主義に対する強烈なアンチテーゼであると考えている。広がる一方の格差、下がり続ける生活水準の一方で肥え太っていく資本家たち。ドイツ国民はこの映画の中にユートピアの再興を夢見たのではないか。

 2008年末に起きた金融危機と全世界的規模での雇用・生活崩壊は資本主義が長い歴史の過程をたどりながらも死滅に向かっていることをはっきりと示した。このままではいけないという認識は多くの人々の共有するところとなり、半世紀間、政治的惰眠をむさぼっていた日本でもついに政権交代が実現した。

 「グッバイ・レーニン」は資本主義に代わる新たなユートピアの正体を示すことまではできなかった。しかし、ソ連より民主的で労働者の自主裁量性の高い新たな社会主義を実現させる環境が整いつつあるのではないだろうか。壁崩壊から20年を経た2000年代最後の年の暮れ、ふと筆者はそんなことを思うのである。

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霞が関の残業、厚労省が最多

2009-07-02 23:07:13 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
霞が関の残業、厚労省が最多 労組調査(朝日新聞)

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 中央省庁で昨年度最も残業時間が長かったのは厚生労働省という調査結果を、霞が関国家公務員労働組合共闘会議(霞国公、22組合)が1日発表した。月平均で旧厚生省系が71.2時間、旧労働省系が66.3時間と、調査した9組合の中でワースト1、2位を占めた。仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)の旗を振る厚労省の足元が問われる結果となった。

 東京・霞が関の省庁で働く組合員にアンケートし、一般職員の約8%にあたる計3573人から3月に回答を得た。全体の平均残業時間は前年度より1.4時間減って月36.3時間。若い年代ほど長く、20代が44.5時間、30代が39.8時間だった。過労死の危険ラインと言われる月80時間以上も8.9%いた。

 残業理由(複数回答)では「業務量」が64%で最も多く、続く「国会対応」が24%。また、74%が「残業代の不払いがある」と回答した。

 厚労省の残業最多はここ数年続いている。指標の多くは改善傾向にあるが、霞国公は「長時間労働の深刻さに変わりはない」として、政府に改善を申し入れる方針だ。
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霞ヶ関の中央官庁の残業といえば、かつては大蔵省(現・財務省)や通産省(現・経産省)が有名だった。大蔵省は、残業で家に帰れず、泊まり込む人が多いことから「ホテル・オークラ」といわれたし、通産省も、その正式名称である通商産業省をもじって「通常残業省」と呼ばれたものだ。だが、それも今は様変わりし、厚労省がここ数年、残業ワースト1を続けている。

厚労省が残業ワースト1となっている背景として、やはり国民生活に密接に関わる分野であるため、国民の注目度が突出して高いことがあると見て間違いない。また、きめ細かい施策の実施、社会的弱者への配慮等が求められるにもかかわらず、現実には大ざっぱで弱者切り捨てに近い政策に国民の強い批判が集中していることもありそうだ。これに加え、政府・与党、とりわけ自民党で今は厚生族が最も強い政治的影響力を持つとも言われることから、先の郵便不正事件に見られるような政治介入の動きも強まっている。いわば、社会保障問題が国民の最大の関心事になるとともに複雑高度化していること、もっと端的に言えば、国民の利害が最も鋭く対立しているのが社会保障問題という最近の日本の状況を反映している。

それとともに大きいのが、2001年の省庁再編だろう。この省庁再編は、閣僚ポストを減らす行革の一環として出てきた構想だが、そもそもが「組織をスリム化すれば、官僚はそれに合わせて自分たちの仕事をスクラップしてくれるだろう」という根拠のない希望からスタートした乱暴な構想でもあった。組織を一本化しても、仕事は減らないのだからスリム化にはならないし、官僚の数も仕事が減らない以上減らせないのだから、単なる目くらましに過ぎなかった。

その結果起こったことは、厚生労働省の機能不全だ。消えた年金問題から非正規雇用、後期高齢者医療制度、救急医療崩壊、果ては新型インフルエンザ対策までがこの省の所管となり、多忙を極めている。しかも、これらすべてが国民の生命に関わる問題であるため、手を抜くわけに行かない。ここ半年ほどの厚労省は、首相がテレビに出ない日はあっても厚労相がテレビに出ない日がないほどの多忙ぶりだ。

行革や民営化などが政治的争点になると必ず名前が出てくる屋山太郎や猪瀬直樹などの「亡国評論家」達は、政府は小さければ小さいほど正しいと信じ、いかに政府に仕事をさせないことが大切か説いて回っている。しかし、彼らの主張が小泉、竹中改革に反映され、冷酷に実行された結果、今日の事態は引き起こされている。もういい加減、政府は小さければ小さいほどいいという幻想から醒めるときではないか。問題なのは政府の仕事を減らすのではなく、複雑・高度化した国民の要求に応えるために官庁の仕事を再編し、不要となった業務から新たに必要となった業務へ態勢を振り向けることである。

同時に、2001年の省庁再編から8年経過し、そろそろその政治的総括をすべき時期だろう。結論から言えば、厚労省を見る限り再編は失敗だったと断ぜざるを得ないし、そこで起きていることは担当業務の範囲が広すぎることによる機能不全である。厚労省の現在の仕事がいずれも重要なものであり、減らすことができないとするなら、麻生首相ではないが再分割を検討すべき時期ではないかと当ブログは考える。

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天安門事件から20年

2009-06-04 23:29:30 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
天安門20年 厳戒の朝(産経新聞)

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 【北京=矢板明夫】中国当局が民主化を求める大学生らを武力弾圧した天安門事件から20年を迎えた4日、天安門広場や要人居住地の中南海周辺では、早朝から大勢の武装警察隊員が動員され、厳重な警戒態勢が敷かれた。

 天安門広場は5月末から、一般観光客の出入りが制限され、広場に入る際には空港並みの荷物検査を受けなければならなかった。3日夕方から夜にかけては完全立ち入り禁止に。武装警察隊員が広場の外側に並んで周辺を通行する自動車や人々に目を光らせ、物々しい雰囲気を漂わせた。

 20年前に民主化運動の中心となった北京大学でも、正門の近くに武装警察ナンバーの大型バスが数台停止。海外の民主化活動家が白い服を着て広場に集まることを呼び掛けていることから、当局の意向を受けた学生会が、4日に白い服を着て外出しないよう注意する通達を出した。
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(当エントリの以下の文章は、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

6月4日と聞いて、皆さんは何を連想するだろうか。「虫歯予防デー」を連想する人が多いのではないかと思う。だがこの日は、忘れてはならない事件があった日である。天安門広場が惨劇の舞台となった天安門事件、民主化運動を中国政府が武力で鎮圧したあの事件からもう20年も経ったのだ。

中国の民主化運動のきっかけは、この事件の2ヶ月前、改革派のリーダーで、失脚していた胡耀邦・元中国共産党総書記の死去だった。胡耀邦氏の追悼と称して天安門広場に集まり始めた学生らが、やがて民主化要求を始める。さらに、学生たちの民主化要求に理解を示し、対話によって事態の収拾をめざそうとしていた趙紫陽・共産党総書記(当時)が「学生に対して弱腰」との理由で解任される。

この解任には、すべての役職を退いていた小平氏の意向が強く働いていた。小平氏は、事件当時、中国共産党中央軍事委員会主任を務める実力者だったが、政府のすべての役職を引退していた。しかし、実際には、この実力者のもとに党総書記や国家主席といった最高幹部が足繁く通い、指示を仰ぐという状況が日常化していた。当時の中国は、長年にわたって党・政府に尽くしてきた功労者が属人的権力を行使するという、きわめて遅れた政治体制だった。

こうした中で、学生たちの民主化要求は先鋭化し、ついにハンガーストライキにまで発展した。ハンストは収束の見通しが立たないまま、趙紫陽氏失脚後の5月20日、戒厳令発令。地方から人民解放軍部隊が北京に集結するのを見て、武力弾圧が近いと考えた天安門広場の学生たちは、撤収の是非を投票にかけた結果、撤収反対が9割を超えたという。

そして1989年6月4日、事態は急転する。中国メディアが学生たちを「暴徒」、民主化運動を「反革命暴乱」と規定、「暴乱平定」のため出動した人民解放軍の戦車が学生たちを蹴散らし、銃を乱射して多くの犠牲者を出したのだ。

犠牲者数は少なく見積もっても数十人、最も多い報道では6000人とも言われた。第2次大戦後はどこの国にも見られなかったような野蛮な政治弾圧だった。外国メディアが天安門広場に散らばった無数の遺体を映し出しているのに、「党の喉舌」(こうぜつ=宣伝機関)とされている国営メディアはそれでもなお「人民解放軍はひとりの市民も殺していない」とウソの発表を続けた。中国政府が公式に認定したこの事件の死者数は319人とされたが、私は今でもその数字が信じられない。

中国人民解放軍の前身とも言われる「八路軍」は、日本軍や国民党軍と戦いながら中国各地を転々とするなかで、「人民からは針一本といえども奪ってはならない」「敵階級から奪ったものは公有とせよ」に代表される高い規律で貧困層の支持を得、それが1949年の中国革命の基盤になったとされる。その八路軍を前身とし、「人民解放軍」を名乗る軍隊が「世界人民大団結万歳」のスローガンが掲げられた天安門広場で「人民」を無差別に殺害するなどという事態は、私の想像をはるかに超えていた。「中国政府はそれでも最後の一線だけは守るだろう」と、対話による事態収拾を望んでいた私はすべてが信じられなくなった。そして、この事件は、半年後にソ連・東欧を揺るがすことになる「ベルリンの壁」「東欧社会主義」の相次ぐ崩壊とあいまって、社会主義・共産主義を多少なりとも信じてきた人たちを失望のどん底に陥れるのだ。

だが、中国共産党指導部の中では、彼らなりに整理ができていたのだろう。「共産党一党独裁の廃止」を要求するような連中は「外国勢力と結びついた小ブルジョア」であり、「敵階級」と規定して差し支えない連中であるから、人民解放軍は遠慮なく彼らへの「革命的暴力」を行使して構わないというのがおそらく彼らの「公式の教義」であろうと思われる。

しかし、そのような規定自体が根底から間違っている。天安門に集まった学生の多くは労働者の家庭の出身であり、将来は労働者として社会に出なければ食べていけない、という意味において労働者階級以外ではあり得なかった。その学生たちに人民解放軍が武器を向けたこの事件は、図らずも中国の共産党支配がどのような性格のものであるかを明らかにしたのである。

それは、この年の秋、国民の支持を失って一気に崩壊することになる東ヨーロッパの社会主義体制と同じ性格のものだった。そのころの東ヨーロッパは停滞と混迷という以外に表現のしようがないもので、ろれつも回らなくなった老いぼれの「最高指導者」が変わり映えのしない西側非難だけの演説をし、その無内容な演説に思考停止した党員たちが「万雷の拍手」を送るというどうしようもないものだった。その上、当時の社会主義国では、死亡以外の理由で最高指導者が交代することはまずなかった。ソ連でも、存命中に失脚したのはニキータ・フルシチョフただひとりで、後は全員が死亡か病気による交代だった。

こうした現実を見せつけられた中国の若者が、政治的自由を求めて天安門に集ったのは、当然の成り行きだったと私は思っている。もしも私が中国に生まれていたら、間違いなくあそこにいただろうと思うくらいに、私は当時、自分と同年代だった学生たちへのシンパシーを感じていた。天安門に集い、党中央から説得に乗り込んできた趙紫陽総書記と直接対話した学生たちにとって、「自由」はあともう少し手を伸ばせば届きそうなところまで事態は進展していた。しかし結局、党中央は学生たちに対し、最も野蛮な暴力で応え、自由への希望は散っていった。あの日、天安門からの撤収の是非を投票という民主主義的手段で決めた学生たちに対し、武力弾圧を一介の老人の一声で決定した党中央。そのどちらが正しかったかはいうまでもないだろう。

それから20年、一介の実力者が党中央を通じて属人的権力を行使するという二重権力構造は確かに消滅した。ソ連・東ヨーロッパの社会主義体制が「死」以外の理由で最高指導者を交代させられなかったのに対し、中国共産党は一定の期間が経過すれば党総書記も国家主席も交代させており、その意味ではルール化された統治であると言えなくもない。しかし、そうしたルール化された統治はあくまでも中国共産党内部の話であって、「党」対「人民」という視点で見た場合、20年前とそれほど事態は変わっていない。「ルール化された集団指導体制をとる一党支配の党」が国民の上に君臨するという図式にいささかの変化もないのである。

昨年の北京五輪直前には、チベットで暴動も発生したが、漢民族と明らかな格差があるにもかかわらず放置されている少数民族はなにもチベットだけではない。新彊ウイグル自治区を中心に生活するウイグル族(トルコ系)、寧夏回族自治区を中心に生活する回族(イスラム系)など、少数民族はすべて経済格差と抑圧にあえいでいる。

中国共産党それ自体も変質し、私営企業家の入党を認める党規約改正もすでに行われた。「資本家階級」の入党を認める政党が階級政党であり続けられるはずもなく、その実態は今や資本主義国の国民政党と変わらないといえよう。中国共産党が、経済開発のために独裁を維持する現在の姿は、発展途上国が先進国になるための経済成長の過程でどの国にも起こってきた「開発独裁」の中国的形態であるというのが私の現状認識である(この見解には異論を持つ方もいるかもしれない)。

だが、このような過渡的形態である開発独裁がいつまでも続くはずもなく、インドネシアのスハルト政権がそうであったように、いずれは汚職と腐敗による「内圧」と民主化要求という「外圧」がリンクするときが来るだろう。そのときが一党独裁体制の終わりになるに違いないが、少なくとも私は世界人口の4分の1を占める巨大なこの国の混乱を望んではいない。中国共産党がこの事件をきちんと検証し、複数政党制や自由選挙などの制度を段階的に導入しながら、安定的な社会運営という内外からの要請にも応える形でソフトランディングしてくれることを願っている。

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京品ホテルに強制執行

2009-01-29 21:18:19 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
<京品ホテル>従業員立ち入り禁止の強制執行 東京・品川(毎日新聞)

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 東京・品川駅前の老舗「京品(けいひん)ホテル」(港区)廃業に反対する従業員労働組合が自主営業を続けていた問題で、東京地裁は25日、従業員らをホテル施設から退去させ、立ち入り禁止とする強制執行を行った。今月15日の仮処分決定に伴うもので、執行の際に労組と警官らが激しいもみ合いとなり、組合側によると3人がけがをし、うち1人が救急車で病院に運ばれた。

 前夜からの徹夜組も含め組合員や支援者約300人が午前5時ごろ、強制執行を止めるためホテル入り口の歩道でスクラムを組むと、間もなく警視庁のパトカーなどが到着。前を通る第一京浜国道の3車線のうちホテル側2車線が交通規制される中、午前7時過ぎに地裁の執行官らが立ち退きを求めたが、組合側が拒否した。

 このため、午前9時過ぎに警視庁の機動隊員ら約200人が組合員らを次々と列から引き離した。「暴力反対」「帰れ」などの怒号が飛び交い騒然となったが、約30分でほぼ全員がホテルから退去させられた。

 その後会見した東京ユニオンの渡辺秀雄委員長は「私たちが(反対の)旗を降ろさない限り問題は絶対解決しない。解雇を撤回させる」と闘争継続を表明。従業員が加入する同ユニオン京品支部の金本正道支部長は「こんな悔しい思いのまま終わらせる訳にはいかない。必ず、必ず戻ってきます」と涙ながらに訴えた。

 一方、ホテルの日本料理店で9年間働いた佐藤光子さん(75)は、約3カ月間自主営業を続けた仲間が目の前で手荒く排除されていくのが悔しかった。自主営業中は連日満員。存続を求める署名も7万人分集まった。「これほど愛されたのになぜ廃業するのか」。

 会社側は「裁判所の力で違法状態は是正された。世間をお騒がせし、深くおわびする」との談話を出した。

 この問題は、ホテルを経営していた「京品実業」が昨年10月20日、多額の債務による経営悪化などを理由に廃業、131人の従業員のうち正社員39人とパート社員30人を解雇したのがきっかけ。債権者が破たんした米証券大手のリーマン・ブラザーズの日本法人の子会社だったため、従業員らは「ホテルは赤字でなく、土地転売を目的とした不当解雇だ」と反発し、24日までホテルと飲食店の自主営業を続けた。

 しかし、京品実業側が立ち入り禁止などの仮処分を申請し、東京地裁が15日に認めた。組合側は執行停止などを申し立てたが、却下された。【東海林智、工藤哲】
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1月15日に強制執行を認める仮処分命令が出されており、執行は間違いなしと見られていたが、この強制執行にはどうしても釈然としないものが残る。

確かに、建物の所有権は京品実業にあり、自主営業をしている労働組合の行為は「不法占拠」ではある。しかし、別の報道によれば、倒産はバブル期の副業で失敗したせいであり、本業のホテル業では黒字を出していた。「営業利益の出ているホテルを廃業するのはおかしい」という従業員側の主張はもっともであり、建物売却以外の方法で債務を返済する道もあったのではないかと思われる。

解雇回避の努力をすべきであるのにそれを怠り、もっとも安易な倒産整理の道を選んだ経営者もさることながら、そうした企業倫理を問うこともせず、「使用者による事業の決定は、事業者が自由に行い得る」(蓮井俊治裁判官)とした裁判官の決定も、あまりに机上の空論だと当ブログは考える。この裁判官は法律書は読めても企業倫理とは何か、従業員の生活をどうすべきか、といったことに考えが及ばなかったらしい。勉強しかできないおぼっちゃま秀才はこれだから困る。

ついでに言えば、京品実業を支配しているのは倒産したリーマン・ブラザーズだった。この恥ずべき金融ブローカー集団は、額に汗して働くことなど何一つせず、他人が額に汗して作り上げた経済価値を強奪することを生業とするもっとも堕落した連中であり、金融資本主義が生んだ鬼っ子である。

私と仕事上のつきあいがある地元の中小企業のある社長が私にこう訴えかけてきたことがある。「なあ君、おかしいと思わないか。額に汗して働く者よりも、冷や汗を手に握りながらギャンブルにいそしむ連中の方が巨万の富を得る世の中なんて。こちとらどこの工事を請け負っても、買い叩かれ、利益も出ない状態で四苦八苦しているというのに」。資本主義体制の中でも、心ある経営者たちはこの事態を真剣に憂えているのだ。

額に汗して働く者から経済価値を強奪し、そのあげくに世界経済を大混乱に陥れてきた金融ファンドなど出ていけ。それが当ブログの主張である。死にぞこないの金融ファンドのために、従業員を強制執行で追い出してまで追い銭をくれてやる必要などどこにあろう。私たちはむしろ、世間知らずのおぼっちゃま秀才裁判官とは全く逆の要求をする--「お前たちこそ出て行け」と。怠け者で強欲で恥知らずの金融ファンドにとどめを刺し、リーマン・ブラザーズの葬式を出してやることこそ、今、私たちがなすべき仕事なのだ。

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赤旗、21年ぶり部数増

2009-01-25 21:42:36 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
赤旗、21年ぶり部数増=共産(時事通信)

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 共産党の機関紙「しんぶん赤旗」(日曜版含む)の2008年の発行部数が、21年ぶりに前年を上回ったことが24日、分かった。志位和夫委員長が派遣労働の実態を国会で取り上げるなど、労働・雇用問題への積極姿勢が評価され、部数増につながったと同党は分析している。

 同党によると、赤旗の発行部数は1980年の党大会で報告された355万部をピークに減少傾向が続き、06年の党大会時には164万部に落ち込んだ。しかし、08年は増勢に転じ、同年5月から12月まで8カ月連続で前月比で増加したという。ただ、実際の部数は、次期衆院選後に開く党大会までは公表しないとしている。 
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う~ん、増加、それも21年ぶりの増加というのであれば、なぜ総選挙直前の今発表しないのだろう。選挙に向け党内の士気も上がると思うのだが。

勿体つけて部数の発表を総選挙後の党大会へ先送りする様子を見ると、本当は増えていないのではないか、という気がする。社会情勢としては、増えて当然の時期だけに、党内に与える影響を考慮して、選挙が終わるまでは発表できないのではないかと考えてしまう。

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「激務でうつ病」認め解雇無効 東芝敗訴

2008-04-22 21:25:28 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
「激務でうつ病」認め解雇無効 東芝敗訴

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 東芝深谷工場(埼玉県深谷市)で勤務していた元社員の重光由美さん(41)が、激務でうつ病になったのに解雇されたのは不当として、東芝に解雇の無効確認などを求めた訴訟で、東京地裁(鈴木拓児裁判官)は22日、解雇を無効とした上で未払い賃金や慰謝料など約2800万円の支払いを命じた。東芝は即日控訴した。

 判決などによると、重光さんは、01年4月にうつ病と診断され、同9月から療養したが、会社側は04年9月に休職期間が満了したとして解雇した。

 月平均90時間を超えた時間外労働や切迫したスケジュールが肉体的・精神的な負担を与え、うつ病を発症させたと判決は認定した。

 東芝広報室は「控訴審で会社主張の正当性を再度立証していく」とコメントした。
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とりあえずは良い判決と評価したい。最近はパワハラ上司が増えているし、仕事をろくに教えもしないで短期的な成果ばかり求める企業も増えているからだ。

グローバル競争の時代、そうでもしなければ生きていけない経営者にとっては大変かもしれない。しかし、「企業は人なり」である。人間を食いつぶして企業が生き残れるはずもないし、人間が生きられなくなるようなグローバル競争ならいらない。そうした視点をみんなが共有すべき時代に来たのである。

とはいえ、今やどこの企業でもうつ病ばかりで大変な状況であることも事実だ。うつは「心の風邪」といわれ、誰でもかかる可能性がある国民病との理解が広まりつつある。私の実感では、今、大企業で10人に1人はうつ病か、うつ状態なのではないだろうか。

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労使仲良くモラルハザード

2006-03-11 21:42:17 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
三菱自動車労組元書記ら逮捕 1億9000万円着服容疑

何度リコール隠しが起きても反省しないこの会社。
経営のお目付役でもある労働組合は何をしているのだろうと思っていたら、労組でも不祥事が発覚したようで。

やれやれ、経営者が経営者なら、ブレーキ役となるべき労組も労組。
労使仲良くモラルハザードとは、ホント救いようがないな。

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【鉄ちゃんのつぶや記 第4号】映画「スパイ・ゾルゲ」を観て

2003-08-02 22:23:43 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
 今回の「つぶや記」は、第1号「日本を愛したスパイのお話」の続編である。第1号と照らし合わせながら読んでいただきたいと思う。

 篠田正浩監督最後の作品といわれる映画「スパイ・ゾルゲ」を観た。戦前コミンテルンの密命を帯びて日本に侵入し、スパイ活動に従事。特高警察に逮捕されたときも「もう日本には盗むべき機密は何もない」と言い放ち、傲然としていたその卓越した能力。その一方で、酒と女性をこよなく愛する、どこか人間臭い男、リヒアルト・ゾルゲを描いた映画である。(以下ネタバレ注意)

 映画は、「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる」との有名な文句(「故郷」/魯迅)で始まり、「イマジン」の伴奏に乗せて歌詞の日本語訳が画面に流れるところで終わる印象的な作品である。

 そこでは、ゾルゲが「ジョンソン」という変名で諜報活動をしていたこと、尾崎秀実が、当時特高をして「札付きの左翼」と言わしめた女性、アグネス・スメドレーの著作の翻訳を通じて彼女と親しくなり、自らが上海で見聞きしたことも含めて社会変革への希望を持ったこと、また無線技師クラウゼンと密会するゾルゲらの息詰まるような諜報活動なども描かれている。

 私が最も印象的だったシーンは2つ。

 ひとつは「君は何か隠しているのではないか?」と問いかける友人に対し、尾崎秀実が「僕は、何も隠していない。日本の国に背くことはあっても、日本国民に背くことは決してしないよ」と答えるシーン、もうひとつは、逮捕後、特高の取り調べでついにスパイ活動を自白したゾルゲが「私の人生は無駄だった」と吐き捨てるように言ったのに対し、エリート特高警察官が「君の人生は無駄ではなかった。君の行動が、ソビエトを救ったのだ。だから君の人生は無駄ではなかった」と答えるシーンである。

 前者からは、国会の意思と「民意」がかけ離れたところで動いていく、ということが現代民主主義体制下においてすら頻繁にある中で(ちなみに現在もそう)、自由のない厳しい時代を生きながら自分の良心に従う「市民」としての尾崎の姿が伺えるし、後者からは、悲劇的な最後であってもひとつの思想、その思想を体現したひとつの国家のために死力を尽くした「共産主義者の生き様」としてのゾルゲを読みとることができるのである。尾崎も、ゾルゲも単なるスパイではなく、スパイを超えた共産主義者としての行動が随所に見られた、とするゾルゲ事件研究者らの見方は全く正しいと私は思っている。その意味で、彼らは野坂参三のような「共産主義者の顔をしたスパイ」とは対極にある。「手先」と「同志」は全然違うのだ。野坂が手先であるのに対し、彼らは同志だったといえるだろう。

 ゾルゲに「君の人生は無駄ではなかった」と言った特高警察官のようなエリート臭のプンプンするタイプは、私が人間として好きになれないタイプであるが、それでもこのシーンには好感が持てた。ゾルゲと尾崎が処刑場の露と消えたのは、1944年11月7日…ロシア革命記念日だった。そしてこの日はまた、ゾルゲが命をかけて尽くした「労働者の王国」でスターリンが「大祖国戦争」(独ソ戦)の勝利宣言を行った日でもあった。

 なぜ処刑が11月7日に行われたのかははっきり解明されていない。だが私は、「思想は違っても、ソ連のために尽くした2人に敬意を払い、当局がこの日に決定したのだろう」とする俗説が、なぜか最も信頼性があるように思えるのである。20世紀の社会は、今の社会とは違っていた。その時代、人々は対象こそ違え、何かしらの思想を信じ、信ずるもののために犠牲的精神で生きていたのだ。篠田監督が最初に記者会見したとき配られた資料の中にあったフレーズ…「夢があるから生きられる、理想があるから死ねる」は、疑いなくこの時代の支配的な死生観だったと私は理解している。だから、たとえ創作だったとしても、特高警察官のこの台詞は、当時の時代の空気を映すキーワードとしては悪くないと思う。

 ところで、この映画「スパイ・ゾルゲ」は、特に「左」側からは教条的とも言える批判にさらされているそうである。聞き及ぶところによれば、「(2・26事件は自分の首を真綿で絞めるようなものだ、と青年将校らを批判する昭和天皇の描かれ方に関し)天皇はもっと反動的に描かなければならない」とか「(ベルリンの壁崩壊とレーニン像引き倒しシーンをエンディングに持ってきたことに対し)ゾルゲが命をかけて尽くしてきた国際共産主義運動の理念を歪めるものだ」と言ったような批判が出ているらしい。

 しかし、私にはそうした批判はあまりにも皮相的で、教条主義的に見える。ソ連が健在だった頃、「社会主義芸術はすべからく階級的でなければならない」として政治性のない作品を作った文化人を攻撃する「おきまりの保守派」が党内に必ずいたものだが、まるでその時代の念仏を聞いているような気がしてくる。

 「じゃあ何のために篠田はあのシーンをラストに持ってきたのか」…彼らは私に問うだろう。私はこう答える。「理想から出発しながら人間に対する抑圧の体制として人間の上にのしかかっていた“ソ連型社会主義”を批判するためにそうしたのだ」と…。
 私がここで言うソ連型社会主義とは、「スターリン主義」とほぼ同じ意味だと考えていただいて構わない。スターリン主義とは聞き慣れない言葉だが、以下にご紹介する言葉を読めばお分かりいただけるだろう。

 『私たちはみな、舞台裏では荒々しい党派闘争が続いていることを知っている。にもかかわらず、党の統一という見かけは、どんな代価を払ってでも保たれねばならない。本当はだれも支配的なイデオロギーなど信じていない。だれもがそこからシニカルな距離を保ち、また、そのイデオロギーをだれも信じていないということをだれもが知っている。それでもなお、人民が情熱的に社会主義を建設し、党を支持し、云々という見かけは、何が何でも維持されなければならないのだ』(「イデオロギーの崇高な対象」/スラヴォイ・ジジェク)

 ジジェクは、この作品で「それゆえ、スターリニズムは大文字の他者の存在を示す存在論的な証拠として価値がある」と述べているが私はそのような立場に立つことはできない。映画では、ゾルゲのソ連における「師」であった赤軍のベルジン大将が、スターリンの監獄に閉じこめられ、「なぜだ!」と叫ぶシーンが出てくる。ナチス・ドイツの攻撃にただ怯えるだけだったスターリンをしり目に英雄的な働きをしたのは赤軍であったのに、その功労者のベルジンがなぜ囚われなければならないのか? ブハーリンは、トロツキーは、ルイコフやジノヴィエフら、最も革命に貢献した古参党員らはなぜ「労働者の王国」で処刑されなければならなかったのか? すべてはこの「党の統一という見かけ」のためだったのではないのか?

 私は、篠田監督の批判の矛先が向けられているのは社会主義そのものではなく、この「党の統一という見かけ」のためには人命さえ平然と犠牲にするスターリン主義であったと思う。

 そして、もうひとつ、スターリン主義がソ連という国家を通じて犯してきた重大な罪がある。それは、人類に理想を持つことがばかげたことであるという誤ったメッセージを発信してしまったことである。ソ連が崩壊した「あの日」以来、人類は理想を持てなくなった。理想について考えることさえ忌避する風潮をつくり出した。「それは理想論だね」という言葉は決して褒め言葉ではない。それが、机上の空論ばかりで現実を見ない者に対する侮蔑の言葉であるように、人類はいつしか、理想を唱える人間を忌避し、厄介者扱いし、ただ現実に流れる人間だけを礼賛する風潮につながっていったのではないだろうか?

 ブッシュや小泉は、そうした「理想なき時代」が生み出した象徴的な指導者であるように思う。初めから理想を持たない指導者が唱える「改革」が中身を持たずカラッポなのは当然ではないか!

 ベルリンの壁も、レーニン像の引き倒しも、全てこのスターリン主義を批判するために持ち出されたのだ。

 篠田監督はこの映画の構想を10年近くかけて練ってきたと述べている。ソ連崩壊から現在に至るまでの世界史的な流れや思想的潮流まで視野に入れながらこの作品に深みを持たせようと奮闘してきた跡を、私ですら随所に見て取ることができるというのに、何年、いや何十年も活動家としてやってきた人から空虚な批判の声が出ていると聞くと、そのような皮相的なものの見方しかできないのかと私には残念に思えてくる。

 繰り返しになるが、篠田監督は理想を否定などしていない。彼が、小泉首相のように「理想なんてどうでもいい。常識論で、強い者にシッポ振っていれば日本は安泰なのだからそうしていればいい」という思考の持ち主であるなら、どうして最後に「イマジン」など流すものか。「イマジン」は、究極の理想主義者のための歌である。その歌が「最後」に流れたところに意味がある。篠田監督は訴えたかったのだ。「今も昔も変わらぬ理想(別の言葉で言えば「普遍的価値」)というものがある。人類よ、理想を再興せよ」と…。

 今年はイラク戦争という悲しい出来事があった。戦争は究極の人間否定であり、人間破壊の行為である。その行為が、何の理由も、何の証拠も、何の道義的根拠もなく行われ、全人類が指をくわえて眺めるしかなかったのはまさに悲劇というしかない。もしも「理想」というものを信じる社会的空気が少しでも人類社会にあったなら、こんなばかげた戦争は起こらなかったに違いない。人類社会における「理想不在」の影響はそれほどまでに深刻であり、だからこそ人類が理想を持てなくする原因を作った「ソ連型社会主義=スターリン主義」は徹底的な批判を受けなければならないのである。

 しかし、イラク戦争開戦前夜から開戦初期にかけて、うち捨てられてきた理想を再興しようとする胎動が若者たちから始まった。多くの若者が街頭に出て反戦を叫び、歌った。それは、ひとりひとりが尊い存在である人間を殺すな、という当たり前の欲求であり、本来、理想でも何でもない。でもそれを理想の再興に向けた胎動と捉えなければならないほど、人類の道徳的退廃は深刻な状況を迎えているのである。

 そんな時期に、夢のために生き、理想のために死んだ人間の生き様、死に様を見せる映画が公開されたのは極めて時宜にかなったものであると思う。劇場公開は大半が終わってしまったが、東宝という大手がバックについているだけにこの映画のビデオ化、DVD化は早いだろう。ぜひ皆さんにもこの映画を見て大いに考えていただきたいと思う。少なくとも何かの参考にはきっとなる映画であると思う。

 この映画を見終わった後、私はたまたま東京にいるついでに、多磨霊園にあるゾルゲの墓にお参りをした。単身日本に渡り、ひとりで処刑されたゾルゲの遺骨は引き取り手もなく、無縁仏として埋葬されたが、後に有志の手によって立派な墓石が建てられている。

 ゾルゲの墓は、なぜか外人墓地ではなく、日本人墓地の区画の一角にひっそりと立っていた。墓石にはロシア語でゾルゲの名とともに「ソ連邦英雄」と刻まれていた。

 「ソ連邦英雄」は、本来軍人にしか与えられない名誉ある勲章である。

 一度はスターリンによって「ラムゼイ機関」(ゾルゲたちの諜報グループの暗号名)ごと切り捨てられたゾルゲの、見事なまでの名誉回復だった。

(2003/8/2・特急たから)

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【鉄ちゃんのつぶや記 第1号】日本を愛したスパイのお話

2003-06-01 22:15:07 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
 夢があるから、生きられる。
 理想があるから、死ねる。

 そんなひとりの男を描いた映画が、いよいよ6月14日から、全国の東宝系で劇場公開されます。その映画のタイトルは「スパイ・ゾルゲ」。

 http://www.spy-sorge.com/

 戦前の一時期、日本で活動していたスパイ、ゾルゲの生涯にスポットを当てようと言うものです。

 知らない方のために簡単な解説をしますが、この人はリヒアルト・ゾルゲといい、確か父がドイツ人で、母がロシア人です。現在のアゼルバイジャン共和国、バクーに生まれ、やがて共産主義者となります。

 ソ連指導下にあったコミンテルン(共産主義インターナショナル)の密命により、ドイツの新聞記者を装って日本に潜入。近衛文麿内閣中枢にいたブレーンの尾崎秀実(ほつみ)と懇意になり、日本の機密情報を聞き出してはソ連に通報していたのです。やがて、その諜報活動は日本の公安の知るところとなり、尾崎、ゾルゲとも逮捕され、1944(昭和19)年に刑死します。尾崎秀実は、日本ペンクラブ会長を務め、1999年に死去した尾崎秀樹(ほつき)とは義理の兄弟の関係にあります。

 篠田正浩監督が10年前から構想を温めていたこの作品は、篠田監督の事実上「引退作」となります。妻である岩下志麻も、近衛首相の夫人役で出演予定です。最近は忙しくて映画も滅多に見る暇のない私ですが、この映画はとても楽しみです。

 当時の日本人がユートピアと信じて引きつけられた共産主義という理想。そのユートピアが20世紀の人類にどんな希望と、どんな失望とをもたらしたかを知るのに格好の教材となりそうな予感がします。

 ゾルゲといっても、これまでは知名度も低く、知っているのは私のような「趣味者」くらいだったと思うのですが、映画化の影響か、このところゾルゲに関するいろいろな書籍が復刻されてきているのはとても嬉しいです。先日、社会科学系に強い書店に行ってみたところ、尾崎秀実の獄中記である「愛情はふる星のごとく」までが岩波文庫から復刊されているのを見て目頭が熱くなりました(大げさ?)

 私の個人的考えですが、共産主義がもたらした様々な諸問題(イデオロギーとか、党派主義といった問題)は、その多くが国労はじめ労働運動の多くに共通する問題です。そこで提起された問題は、多くが共産主義陣営の中でも、また各種運動の現場でも未解決のままになっており、そのことが「一般人が気軽に参加できる運動」を構築する上での大きな障害になっています。

 私は、党派から自由な「趣味者」の立場で長年そうした状況をウォッチしてきた人間のひとりですが、最近のイラク反戦行動の現場などを見ていると、過去のしがらみを知らない若い人たちの自由な発想が、そうした状況に風穴を空けつつもあります。

 興味のある方は、とりあえず「スパイ・ゾルゲ」を見てみてはいかがでしょうか。公開される劇場は、ここのURLのとおりです。

 http://www.toho.co.jp/gekijo/sorge/welcome-j.html

 私のような趣味者はもちろん、一般の方も、酒好きで女たらしで(笑)、人間味あふれるゾルゲの人柄に感じるものがあると思います。私自身も最近、「人らしく生きよう-国労冬物語」以外にまともな映画を見た記憶がないので、この辺でしっかり見てみようかなぁと思っています。

(2003/6/1・鉄ちゃんとは鉄道ファンのこと。筆名/特急たから。不定期)

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ゾルゲ事件・総合研究

2002-09-29 23:35:54 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)
去る2002年9月7日(土)、管理人は講演会「激動の20世紀とゾルゲ事件~いま明かされるゾルゲ事件の新事実」(於・文京区民センター)に参加してきた。ここでは、早速その内容についてレポートするとともに、これまでの研究の進展状況、過去のシンポジウムの内容なども合わせてご紹介することにしたい。

1.ゾルゲ事件とは~発生から摘発まで

太平洋戦争前夜の日本を揺るがせた国際スパイ事件。歴史上数多いスパイ事件の中でもその影響力の大きさは空前絶後であり、世界の歴史を変えたスパイ事件であるとの評価は現在でも不動のものである。

当時日本の陸海軍内部では、太平洋戦争の方針を巡って「北方進出論」(注1)を唱える陸軍と、「南方進出論」(注2)を唱える海軍とが対立していた。この問題に決断を下すため、政府は御前会議(注3)を開催、陸軍の反対を抑え、最終的に南方進出の道を選んだ。

一方、イギリスを除くヨーロッパ全土を支配下に収めたナチス・ドイツは、その余勢を駆ってソ連へも侵略を開始、ヨーロッパでは独ソ戦に突入する。この戦争で、ソ連はウラル山脈西部のほとんどの地域を失い、ドイツ軍は首都モスクワに迫っていた。スターリンは、三国同盟を結び強固な関係にあった枢軸国・・・ドイツと日本に、東西から挟み撃ちされる恐怖に怯えるようになる。

その時、スターリンの元に、リヒアルト・ゾルゲからの電報が届く。ゾルゲは、ソ連に指導されたコミンテルン(注4)の密命により、ドイツの新聞「フランクフルター・ツァイトゥンク」紙の記者を装って日本に潜入したスパイだった。

「日本は南方進出を最終決定。日本にソ連攻撃の意図なし」・・・ゾルゲはこの情報を、親しくしていた満鉄(南満州鉄道)調査部嘱託・尾崎秀実(おざき・ほつみ、注5)から入手したのである。それは、超一級の情報だった。

ウラル山脈に舞台を移した独ソ戦で、当時絶望的な戦いを強いられていたソ連はこの情報により、日本の侵略に備えて極東に配置していた兵力をウラル戦線に移動させることができた。やがて1942年、冬の訪れとともにソ連はウラル山脈の麓、スターリングラードでの激戦の末ドイツ軍を敗走させる。これが転機となり、独ソ戦の戦局は一気にソ連に傾き、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの敗北を決定づけたとされている。

一方、日本では特高警察当局によりゾルゲ・尾崎のスパイ行為の全容が解明され、昭和16(1941)年10月、2人は逮捕。開戦前夜ゆえに「国民の士気に影響する」との理由で逮捕の情報は秘匿され、数年経ってからようやく発表。2人は日本の敗色が濃くなる中、昭和19(1944)年11月7日--ソ連にとって記念すべきロシア革命の日--処刑台の露と消えた。

これが、ゾルゲ事件の全容である。

2.これまでの経過~伊藤律「端緒説」の登場とその影響

この事件の摘発にあたっては、当初有力な説として提示されたのが伊藤律端緒説であった。伊藤律は、戦前からの日本共産党活動家であったが、治安維持法違反で特高警察に逮捕される。この際、伊藤律が特高警察官・伊藤猛虎の取り調べに対し「アメリカ帰りのおばさん」(注6)について自供、ついで「アメリカ帰りのおばさん」こと北林トモの自供で沖縄出身の画家・宮城与徳が逮捕され、宮城の自供からゾルゲ・尾崎グループの摘発に至った、というのがこの説の骨子である。尾崎秀樹(おざき・ほつき、注5参照)によって唱えられ、松本清張もまた「革命を売る男・伊藤律」の中で補強、長年にわたってゾルゲ事件の「定説」として信じられてきた。

この「伊藤律端緒説」は戦後に入ってから意外なところに影響を与えていく。敗戦に伴う治安維持法廃止により合法となった日本共産党は直ちに組織再建を図るが、この中で伊藤律も釈放、その豊かな能力を戦後すぐ書記長となった徳田球一に認められ、戦前「転向」歴があるにもかかわらず一気に政治局員(注7)まで駆け上る。ところが、朝鮮戦争~中国革命を経て日本に共産主義浸透の危険が迫ると、GHQ当局は占領政策を180度逆転させる。いったん公職追放した旧軍国主義者らの復帰を認める一方、「レッド・パージ」に出たのである。一方共産党は、コミンフォルム(注8)が出した「野坂批判」をめぐって所感派と国際派に分裂する(注9)。

GHQの共産党に対する弾圧は強められ、所感派幹部に逮捕命令が出ると、所感派幹部は極秘に日本を脱出、既に革命で共産化していた中国へ渡り、そこから日本国内の仲間・シンパに活動の指示を出すための「司令部」(俗に「北京機関」と呼ばれた)を作るのだが、後にこの北京機関内部で権力闘争が発生する。それは、毛沢東・・・徳田球一・・・伊藤律を結ぶ一派と李初梨(注10)・・・野坂参三を結ぶ一派によって政治局内部で行われ、徳田球一が北京で客死すると一気に対立は激化する。李-野坂ラインは伊藤律を政治局から排除するために伊藤律の「隔離査問」に踏み切るが、この時に「伊藤律端緒説」が利用されるのだ。この辺の事情は、「伊藤律 回想録」(伊藤律・著、文芸春秋社)に詳しいが、李初梨が出席して行われた日本共産党の幹部会議で、野坂が「伊藤律は節操のない人間であり、政治局はその証拠を持っているはずである。直ちに(伊藤を)一切の職務から切り離し、問題を処理せよ」との内容のスターリンの指令書を読み上げる。この「節操のない人間」云々が、戦前のゾルゲ事件での伊藤律の「転向」を指していることは明白であろう。

こうして、李-野坂ラインの思惑通り、伊藤は政治局から追放され、後に党からも除名となる。そして、伊藤律は中国当局による釈放~帰国まで27年間にわたって中国の監獄に幽閉されるという残酷な結果をもたらすのである。

本稿は、共産党内部の権力闘争と伊藤律の幽閉問題が主題ではないので、この問題に関してこれ以上論及することは避けるが、反対意見の存在を認めない「革命党」の非人間的体質と、「国際共産主義運動」「人間解放」の美名の下で行われた人間に対するこれら革命党の深い敵対に関しては、今後あらゆる方面から研究されるべきだろう。
3.ついにはぎ取られた「偽りの烙印」~崩壊した伊藤律端緒説


伊藤律端緒説は、終戦直後の混乱期に情報の閉ざされた外国で起こった特異な出来事に関するものであるにもかかわらずこれまで真剣な検討が行われたことがなかった。それには、この説がもと特高警察官・宮下弘の「回想」に端を発していること、尾崎秀樹、松本清張といった文壇に大きな影響を持つ作家によって唱導されてきたこと、また日本共産党も伊藤律に対し除名という厳しい処分で臨んだ手前、この説を意識的に巷間に流布してきたこと等の事情はあろう。また、帰国後に伊藤律から書簡を託された荒川亘氏(元日本共産党多摩地区委員長)がいみじくも語っていたように、東西冷戦時代には裏切り者の復権につながるような事実が隠されているかもしれない事柄であっても、それをあえて隠してまで守らなければならなかった社会主義の祖国(ソ連)が存在していたという現実もあった。ようやくゾルゲ事件の研究が日本でも行われるようになったのは、ソ連崩壊によって旧ソ連時代の文書の公開が進みはじめたことが背景にある。

中でも、社会運動資料センター代表・渡部富哉氏によるゾルゲ事件研究は、その質の高さで群を抜いていると思う。彼は、日露両国でさまざまな文献を調査し、ついに「伊藤律逮捕前から特高警察によって北林トモが既にマークされていた」事実を突き止めるのである。

このことは、「伊藤の供述によって北林が逮捕された」というこれまでの通説を根底から覆すものになった。このあたりの事情は「偽りの烙印」(渡部富哉・著、五月書房)に詳しいが、最初は北林トモについて日系米共党員「某女」としか記載されていなかった特高警察の捜査関係文書が、伊藤の逮捕と時を同じくして「アメリカ帰りのおばさん」に表現を変えた事情について、渡部氏は、伊藤律が端緒である「ことに装う」ため、伊藤に「アメリカ帰りのおばさん」に会った、との供述をさせ、それに合わせる形で「某女」→「アメリカ帰りのおばさん」への記述変更が行われたと結論づけたのである。もちろん、仮にそうでなかったとしても「某女」が北林である事実に変わりはなく、その「某女」のマークや身辺捜査は伊藤の逮捕より1年も前に始まっていたのであるから、伊藤の供述がゾルゲ・尾崎グループ摘発の端緒でないことは明白になったといわなければならないのである。

伊藤律が着せられていた「濡れ衣」は、こうしてついに剥ぎ取られた。伊藤律端緒説は崩壊したのである。では、北林トモ・宮城与徳を警察に「売った」のは果たして誰なのか?

結論は今後の研究を待つしかないが、渡部氏は今回の講演会で、ある人物の「疑惑」に目を向ける。これについては後述する。

4.1998年「第1回ゾルゲ事件シンポ」に参加して

渡部氏の衝撃的な研究を受け、今から4年前の98年11月7日、第1回「20世紀とゾルゲ事件国際シンポジウム」が開催された(於:飯田橋・東京シニアワーク)。筆者はこのシンポジウムにも出席したが、国際シンポジウムの名にふさわしく、世界的に有名な日本共産党研究者ユーリー・ゲオルギエフ氏、今は鬼籍に入られたトロツキー研究者・石堂清倫(いしどう・きよとも)氏がパネリストとして出席、パネリストではないが「闇の男・野坂参三の百年」著者の小林峻一氏も参加した極めてレベルの高いシンポジウムだった。

渡部氏が「伊藤律端緒説」を覆す研究成果を発表したのは(自著「偽りの烙印」を除けば)この時が最初である。筆者は、この時のシンポジウムの全内容を録音テープに記録しているが、残念ながら限られたスペースで全内容をご紹介することはできない(なお、このシンポジウムで筆者がパネリストとの間で行った質疑応答の内容についてはこちらをご覧いただきたい)。

なお、その後、ゾルゲ事件国際シンポジウムは2000年に第2回がロシアで行われ、今年11月には第3回がドイツで開催される予定になっている。これは、ドイツ人とロシア人を親に持つゾルゲが日本で活動したことにちなんでいる。ゾルゲにとって2つの祖国であるドイツとロシア、そしてスパイとして活動し、愛した日本・・・第3回まででゾルゲにゆかりのある3ヶ国を回り終わった後、第4回目のシンポはゾルゲの生まれた町、バクー(旧ソ連・アゼルバイジャン共和国=現在は独立=の首都)で開きたいと主催者は述べている。

5.講演会・報告

さて、いよいよ講演会の内容に入ろう。今回の講演会は、2ヶ月後に迫った第3回シンポ(ドイツ)に先立って、前回ロシアで開かれた第2回までのシンポの報告を行う「報告会」という位置付けになっている。会場を一瞥したところ、入場者は約200人といったところ。4年前の第1回シンポの際にはほとんどいなかったマスコミ関係者やミーハー(?)な客層が目立つことに不思議さを感じたが、その理由は後述する。

講演会は13時開会。まず最初に、来年(2003年)、篠田正浩監督の手になる映画「スパイ・ゾルゲ」が制作され東宝から配給されること、また篠田監督がこの映画を最後に映画制作から引退することが発表された(マスコミ関係者が会場に多かったのは多分このせいだろう)。続いて「スパイ・ゾルゲ」のごく一部のシーンだけだが先行上映が行われる(主題歌にはジョン・レノンの「イマジン」が使われるらしい)。

上映の後は、「第2回ゾルゲ事件国際シンポジウムの概要報告」と題して日露歴史研究センターの白井久也代表が講演。第1回シンポ以降のゾルゲ事件研究の進展状況、第2回ロシアシンポの概要、また渡部氏の業績の大きさ、世界で最もゾルゲ事件の資料が豊富で、研究も進んでいるのが日本であるということ、第3回シンポをドイツで開催予定であること、第4回シンポはバクーで開きたいこと・・・についても述べられた。

白井氏の後は渡部氏が「ロシアで新発掘された『特高褒賞上申書』について」と題して講演。日本の特高警察文書がなぜかロシアに渡っていて、その中に伊藤猛虎(既出。伊藤律の取り調べを担当)の表彰に関する文書があったという。表彰の理由について「ゾルゲ事件捜査で多大な功績を上げた」と書かれているこの警察文書、それよりも重大なことはこの文書がゾルゲ事件の捜査開始を「1940年6月27日」としていることである・・・と渡部氏の講演は続く。

「伊藤律端緒説」論者が拠り所にしてきたのは、結局は元特高警察官・宮下弘の「回想」であり、そこでは伊藤律の取り調べが「1941年6月上旬」に行われ、その供述を元にして同年「6月下旬」に北林トモの逮捕にこぎつけた・・・と述べられていたから、今回ロシアで発見された文書の意味するところは宮下発言の否定であり、したがって伊藤律端緒説の完全崩壊を意味する・・・と渡部氏はさらに続ける。

さて、3の項の最後で述べた「ある人物」の疑惑であるが、これは講演の終盤になって登場した。同じ特高警察の表彰に関する文書の中に河野啓なる警部補についても記載があり、そこには「宮城与徳の個人的な知人を取り調べて宮城を自供に追い込んだ」との表彰上申理由が述べられているという。個人的な知人とは誰なのか・・・それは解明されていないが、渡部氏は疑惑の人物として松本三益という名前を挙げている(もちろん、現時点ではこれはあくまで推測にすぎないからご注意いただきたい)。

いずれにしても、伊藤律端緒説の根拠となってきたのが一特高警察官の個人的「回想」であるのに対し、警察内部から公文書の形を取ってそれと異なる事実が出てきたわけである。渡部氏の主張はさらに補強される一方、伊藤律端緒説の根拠が崩壊したことは確実であろう。

休憩を挟んで後半からは、篠田監督が「2・26事件とゾルゲ」と題して講演。「スパイ・ゾルゲ」制作にいたった動機について次のように述べる。「・・・昭和20年8月15日を境に日本人の価値観は大きく変わった。それ以前は、三島由紀夫の最期に見られるように、『いかに天皇に殉じるか』『いかによく死ぬか』がテーマだったが、戦後は『自由と民主主義のためにいかによく生きるか』がテーマとなった。(中略)(共産主義という思想を信じ、そのためにソ連のスパイとして生きる道を選び、最後は日本の警察当局によって摘発され処刑された)ゾルゲの生涯は『夢があるから生きられる、理想があるから死ねる』・・・そういう生涯であったと思う。『よく死ぬ』、そして『よく生きる』・・・昭和時代、日本人を貫いた2つの死生観を体現したゾルゲの興味深い生涯を描くことこそ、映画人としての自分が果たすべき最後の仕事だと思っている」。

篠田監督の講演も終了し、いよいよ最後は私にとってはオマケでしかないのだが、大部分のミーハーな観客層にとっては今日のメイン(?)であるトークショーである。実は、「スパイ・ゾルゲ」には篠田監督の夫人である女優の岩下志麻さんが出演することが決まっており(近衛文麿・元首相の夫人役)、そのトークショーなのだ。篠田・岩下ご夫妻を出演させ、最初の講演を行った白井氏が司会として茶々を入れつつトークショーは進んでいく。

司会者(白井氏)「製作現場での篠田監督ってどんな風ですか?」

岩下「時間の制約がないときは穏やかですが、時間や撮影条件の制約があるときは怒鳴りまくってます」

司会「岩下さん、出演者の目で見てゾルゲという男はどうです? 本物のゾルゲは日本で愛人作ったり、ものすごくスケベだったんですが」(会場、笑い)

岩下「愛人って言っても、ひとりひとりに対するゾルゲの愛し方ってものすごく真剣なんです。女としては自分が真剣に愛されていると感じられるならむしろ好感が持てます。後は、(自分の夫の)篠田(監督)がまじめな人間でよかったかなぁと」(会場、笑い)

司会「篠田監督、女優という職業を離れた家庭内の"篠田志麻"はどんな女性ですか?」

篠田「私、実は自分の嫁さんのすることには興味ないんですよ」(会場爆笑)

司会「でも、一緒に住んでる以上普段の姿っていうのは当然あるわけじゃないですか?」

篠田「今度、スパイ・ゾルゲには岩下志麻が出演することになるんですが、こうなるともう彼女を自分の嫁さんとして見ないことに決心しないとうまくいかないワケでして」

まだまだ色々なことが語られたトークショー。岩下さんが出演した代表作「極道の妻たち」制作現場のエピソードなんかもあって面白かったんだけど、ゾルゲと関係ないので割愛させていただく。

こういう経過をたどって、16時45分、4時間弱にわたった講演会は終了。

・2つの祖国のはざまで
20世紀を駆け抜けた類まれなるスパイ・・・リヒアルト・ゾルゲは、ドイツ人の父とロシア人の母の間に生まれ、2つの祖国に抱かれて育った。やがて共産主義を深く信じ、理想の実現のためソ連共産党員となったゾルゲ。母の祖国で理想を実現した「偉大な党」に命じられ赴いた日本で、情報提供者の日本人を安心させるため、日本の同盟国の国民としてナチス党に偽装入党。2つの祖国に続いて2つの党を持つにいたったゾルゲの生涯は、ますます深く謎のベールに包まれていく。そして、2つの祖国が敵味方に分かれ、徹底的に戦った第二次世界大戦の荒波の中でも変わることなく生きたゾルゲ。信じる理想のため、与えられた神聖な任務のため、母の祖国に自ら通報した情報によって父の祖国が打ち負かされていく・・・。

まさに「事実はドラマよりも奇なり」である。数奇な運命という言葉は、ゾルゲのような人間にこそ良く当てはまると思う。ドラマ性に満ちたゾルゲの人生を、篠田監督ならずとも映画にしたいと思うのは当然のことだろう。

「スパイ・ゾルゲ」は篠田監督が10年間暖めてきた構想だという。映画人としての最後の情熱を振り絞り、篠田監督はきっとスパイ・ゾルゲの生涯を忘れられない作品に仕上げてくれるだろう。そして有終の美を飾ってくれると思う。
来年6月の公開が今から待ち遠しくて仕方がない。私は、もちろん見に行くつもりでいる。

(この稿終わり、ただし研究は未完)

〔注解〕
注1)北方進出論・・・日本の敵である共産主義国、ソ連を討つべしとする意見。

注2)南方進出論・・・資源小国の日本は多種多様な資源の供給路を確保するために南洋諸島へ進出すべしとする意見。

注3)御前会議・・・帝国憲法下で陸海軍の統帥権を持つ天皇の出席を仰いでの最高意志決定会議。

注4)コミンテルン・・・共産主義インターナショナル、国際共産党とも呼ばれる。国際共産主義運動のための組織で、名目上はその「司令部」として加盟各国の共産党を指導するとされていたが、スターリン時代以降、事実上ボルシェヴィキ党(ロシア共産党)の下部組織となり、同党の他国の共産党に対する介入の道具となった。最後はスターリンにより解散させられる。

注5)尾崎秀実・・・尾崎は、共産主義のために自ら進んでゾルゲの諜報活動に協力したエージェント(協力者)だった。日本ペンクラブ会長などを歴任した作家の尾崎秀樹(1999年死去)は異母弟にあたる。なお詳しくは、「愛情はふる星のごとく」(尾崎秀実・著)を参照されたい。

注6)「アメリカ帰りのおばさん」・・・当時、コミンテルン指導下にあったアメリカ共産党の日系人党員として活動していた北林トモのこと。治安維持法違反で逮捕された後、1945年、病気のため仮釈放されたが死去。

注7)日本共産党政治局は、その後の組織改正で現在、常任幹部会となっている。

注8)コミンフォルム・・・全欧州共産党、労働者党情報局。ソ連・東欧の社会主義国で構成された。

注9)コミンフォルムの野坂批判とは、日本共産党が当時唱えていた「議会主義革命」「愛される共産党」などの穏健路線に対し、スターリンが日和見主義と罵倒したことを指す(実際には、コミンテルン勤務時代に日和見主義的言動が目に付いた野坂参三(日本共産党幹部)に対するスターリンからの個人的批判の側面をも併せ持つものであったことが最近の小林峻一・加藤昭・立花隆らの研究で明らかになっている)。この批判を契機に日本共産党は大混乱に陥り、「米軍占領下にある共産党は弾圧を招かないように注意しつつ慎重に闘わなければならない」という内容の「政治局所感」を発表する。この「所感」に賛成した主流派が「所感派」と呼ばれ、一方スターリンに理解を示した反主流派が「国際派」と呼ばれた。

注10)李初梨・・・北京機関が存在していた当時、中国共産党中央対外連絡部(中連部)副部長で日本担当者。野坂参三と懇意で毛沢東・徳田球一を煙たがっていたといわれる。後、文化大革命で失脚。

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