29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

勉強をめぐる自伝的エッセイ、ハウツー的な部分も少しある

2013-10-30 10:20:28 | 読書ノート
小谷野敦『面白いほど詰め込める勉強法:究極の文系脳をつくる』幻冬舎新書, 幻冬舎, 2013.

  序文によれば、渡部昇一『知的生活の方法』(講談社, 1976)の系譜に連なる勉強法本を狙ったとのことだが、続く第一章が「私の知的生活の系譜」すなわち自分の読書遍歴の開陳で面食らう。この章が全体の1/3もある。その内容が、天才児の伝記に出てくるような「10歳からカントを原書で」的なものではなく、竹下景子を好きになって見た彼女の出演作映画が全然駄目だったとか、中高生時代にマンガ執筆にはまっていたというものである。もちろん、文学作品の読書の話が大半ではある。最後の章では、学生時代いかに著者が英語ができなくて苦労したかを記している。こうした身も蓋もない自分語りは、読者に俺でもできると勘違いさせるための戦略なのだろうか?でも著者は東大卒であり、たぶん普通の人ではない。

  細かいところだが、講義で情報検索を教えている者ならば、同意したくなる指摘もある。2012年に国立国会図書館OPACが改訂されたのだが、このためにそれ以前にできた完全一致検索ができなくなったことと、かつ著者標目が不十分であることが批判されている。OPACの変更は国立国会図書館側が将来の総資料の電子化とそのインターネット公開を見据えたためだと推測するが、結果として本でも雑誌記事でも録音でも何でもかんでも検索してきて書誌レコードを表示するシステムになってしまった。こうしてヒット件数が多くなった一方、適切な絞込みの手段を欠いているので、著者のような苦情が出ることになる。これまでも不完全だった著者標目を完璧にするよりも、完全一致検索を復活させる方が楽であるように思えるのだが、どうなんだろうか。

  全体として、言い過ぎや脱線も含めて、著者のファンならば楽しめるものにはなっている。著者の他の著作を読んだことが無い人には微妙なところかもしれない。
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JR隅田川駅・貨物フェスティバル2013を訪れて

2013-10-28 09:02:33 | チラシの裏
  南千住にあるJR貨物隅田川駅に行ってきた。「貨物フェスティバル2013」なるイベントに家族で出かけたのである。来場者は、鉄オタか、または鉄オタを抱えてしまった家族かのどちらかで、我が家は後者である(配偶者のほうね)。鉄オタにも乗り鉄、撮り鉄といろいろアプローチ法が異なるように、好む車両も新幹線やらディーゼル車やらあれこれ細分化されているらしい。このイベントでは「貨物車両」が羨望の対象である。僕には理解しがたい嗜好だ。

  イベントといってもささやかなもので、コンテナに入る、フォークリフトの運転席に座る、停泊している車両を撮りまくるといった出し物しかない。まあ普段見ることのない駅構内を見られることが最大の意義なのだろう。鉄オタの片鱗を見せる男児たちの多くは大興奮していたが、そのお母さんたちは走り回る子どもらの制御に大変そうだった。あとは、販売ブースで鉄道グッズを購入するぐらいが来場者の楽しみである。実際に使われたらしい腕章(3000円ほど)や、ただのサビたくぎが売っていた。

  販売ブースの一店舗で、鉄道おもちゃが当たる500円のスピードくじが行われていたので、チャレンジした。三等として、スターハウス(1960年前後に作られた三菱マークのような集合住宅)の模型があり、公団愛好家としては見逃せない。残念賞でも、小さな車両模型がもらえる。しかし、無駄に引きの強い我が子は二等を当ててしまうのだった。新幹線N700系の巨大な模型である。これはレールを買って屋内で走らせないと十分楽しめないものなのだが、さてどうしたものか。

〇JR隅田川駅イベント会場内


〇フォークリフトによるコンテナ運びパフォーマンス


〇我が子が引き当てた二等賞の景品
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「その倫理って図書館特有?」という疑問が湧きおこる

2013-10-25 08:38:52 | 読書ノート
ジーン・L.ブリアー『図書館倫理:サービス・アクセス・関心の対立・秘密性』川崎良孝, 久野和子, 桑原千幸, 福井祐介訳, 京都図書館情報学研究会, 2011.

  米国における図書館員の倫理綱領と、それがもたらす問題について考察した書籍。情報への自由かつ公平なアクセスを図書館の役割とするという考えをベースに倫理基準が組み立てられており、倫理と専門職アイデンティティ、資料提供、資料選択、インターネットアクセス、プライヴァシーなどについて扱っている。問題事例を多く集めて議論を展開しており、図書館関係者には具体的でわかりやすく、面白いはずである。

  ただし、ベースとなる考えを裏付けるような哲学的な議論は展開されていない。あとがきで“アメリカ図書館界をみると、実践を支える思想に関して、それに研究面でも、かなりの数の証明されていない、あるいは論拠が薄弱な「自明の理」や「通説」、それに「司書職の信念」がある”と訳者が述べているが、まったく同感である。本書で提示された倫理基準も同じ問題を抱えている。

  疑問の一つは、著者の図書館倫理を専門職性と結び付けようとする意図に関してである。本書で挙げられた倫理基準は一般的すぎて、図書館特有というわけではない。サービスが公正中立でなければならないというのは、公的機関あるいは公費を受けたプロジェクトが通常の場合受け入れなければならない倫理だろう。また、個人情報保護は私企業にも課されるものである。こうした、一般の公務員や民間企業の事務員にも適用可能な倫理でもって、図書館員の専門性の担保となると考えるのは無理がある。著者が図書館倫理と考えているものは、図書館の外からその活動を拘束するような形で普遍的に存在しているのである。

  でも、こうした職業倫理と専門職との微妙な関係は、図書館だけの話ではないのかもしれない。その昔は専門職だけが持っていたような倫理が、社会が複雑化したのに合わせて、さまざまな局面で普及してきた。かつて職業倫理だと思われていたものは、他領域にも判例化や法令化によって適用されてきて、今ではその職業固有のものではなくなりつつあるように思われる。今や倫理というよりコンプライアンスであるが。そういうわけで、倫理綱領の存在自体が図書館の意義を説明するとは考えられない。もちろん、図書館固有の倫理的問題の現れ方というのはあるのだけれども。

  疑問のもう一つは、挙げられた倫理が、倫理学でいう「義務論」的であることである。典型的なのは、資料選択と検閲との対比を説明している箇所で、それに従えば「資料の選択は本を肯定的に選び出すものであり、検閲は特定の本を排除するための否定的なプロセスである」という。すなわち「行為者(=選択者)の意図」が評価のポイントであると考えているわけである。だが、そんなことは図書館で本を探す利用者にとってどうでもいいことだろう。利用者は「この本があるのにあの本がない」という状態を評価するのだ。このような、結果を重視する考えを帰結主義という。

  確かに、義務論的倫理はかなり有力な考え方である。刑事罰では「行為者の意図」はかなり重要な論点であり、日本の船橋市西図書館の事件はこの発想のもとに裁かれた(帰結主義の立場からは、内規によろうが選択者の意図によろうが無い本は無いというだけである)。だが同時に、政策の有効性を検証する方法として帰結主義もまた有力なのである。善意に裏打ちされた(そしてコストのかかる)政策が、まったく無効だったり、場合によっては有害だったりするというのは、特に珍しい話ではない。なので、公費を使ったプロジェクトについてはそのアウトカムを検証するというのは現在の大きな流れである。

  もっとも、帰結主義的倫理は経営レベルの話であって、現場の図書館員レベルの話ではないという批判もありうる。義務論の方が現場レベルでの行動方針が単純明快であるのは確かである。こうした論点はさておき、本書の話に戻るならば、二つの倫理観を調整する必要があるとは考えていないし、帰結主義を意識してさえいない。このため、深いレベルの考察にはなっていないとは言える。

  とはいえ、米国図書館界の基本的な発想が良く理解でき、かつその限界がわかるという点では貴重な資料であるだろう。
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名作と言われるも古臭さあり、ただしうち二曲は郷愁あふれる名曲

2013-10-23 09:10:04 | 音盤ノート
Milton Nascimento "Minas" EMI Brasil, 1975.

  MPB。ブラジルのシンガー・ソングライター、ミルトン・ナシメントの代表作。このアルバムのタイトルからミナス・ジェライス州出身だと勝手に思っていたが、育ちがそうであるだけで、彼の生まれはリオらしい。

  子どもの合唱を導きの糸に展開するコンセプトアルバムで、サイケデリック・ロックの趣きがある。実際、ビートルズ‘ノルウェーの森’のカバー曲が収録されている。とはいえ、ロック的なビートが活躍する楽曲は今時の耳には古臭く感じられてしまう。フェンダーローズの響きは美しいが、エレクトリックギターの音はちょっと辛いというレベルだ。ただし、そういう曲がいまひとつなのは御大が普通に歌っているせいかもしれない。

  一方、御大がファルセットを駆使しながらヴォカリーズとスキャットをごちゃまぜにしたような歌唱を取る数曲のスローな曲はとんでもなく素晴らしい。冒頭のタイトル曲やtrack 6‘砂の岬(Ponta de Areia)’は、天に向って祈るような崇高なボーカルが聴き手の郷愁感をかきたてる超絶神名曲である。これらの他、ジャズバラード風のToninho Horta作‘ブロークン・キッス(Beijo Partido)’、"Clube Da Esquina"的サウンドのCaetano Velosoとの共作‘パウラとベベート(Paula e Bebeto)’なども良い。

  個人的には、"Clube Da Esquina"(参考)のような薄いリズム隊によるフォークロック的な編成の方が好みである。けれども、先に挙げた二曲の美しさでこのアルバムは救われる。今のところ、全曲youtubeで試聴できる模様。
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絶対に侵害されてはいけない私的な領域を憲法で保障するとのこと

2013-10-21 13:23:33 | 読書ノート
長谷部恭男『比較不能な価値の迷路:リベラル・デモクラシーの憲法理論』東京大学出版会, 2000.

  憲法学の論文集。憲法学といっても日本国憲法の各条を云々するような解釈学的なものではなくて、憲法一般の意義を問う法哲学なもので、純然たる専門書である。ちなみに、著者は本書以降、プロセス的憲法観の立場にたつ松井茂記(参考)と論争している。

  個人的には、以前読んだときもよくわからなかったが、久しぶりに読み返してみてもやはり難しいという印象だった。著者の一般向けの代表作『平和と憲法を問い直す』(参考)で披瀝された考えから類推すると、「切り札としての人権」という線引きで不可侵の領域を作ることで、多数決によっても侵害されない個人の自由を作り出すことが憲法の機能だということになる。その領域は、功利主義的な「公共の福祉」によっても制限されない。結果として、多様な価値観が平和的に共存する社会体制が作られるよう促すという。こうした憲法観を受けた各論が展開されているのが本書ということになるだろう。

  論文の初出当時の議論の文脈がわからないと、面白く読めないような内容である。著者の別の本をあたってみる。
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ジャズ的要素の強いブラジル音楽、ミルトン・ナシメント風のスキャット満載

2013-10-18 21:36:36 | 音盤ノート
Andre Mehmari, Chico Pinheiro, Sergio Santos "Triz" Rip Curl, 2012.

  MPB。ブラジル人ピアニストのアンドレ・メマーリ、ギタリストのシコ・ピニェイロ(アコギだけでなくエレキも弾いている)、同じくギタリスト兼ボーカリストのセルジオ・サントスの三人の共同名義の作品。僕はそれぞれをこのアルバムで初めて知った。なお、演奏はトリオのみではなく、曲によって打楽器やベース、クラリネットなどが出入りする。

  内容は、アコースティックな室内楽ジャズに、ミルトン・ナシメント風ボーカルと、薄めのブラジル風パーカッションを組み合わせるというもの。サントスのボーカルは、パット・メセニー・グループのペドロ・アズナールのように洗練されており、ナシメントほど神々しく迫るようなものではない。けれども、かなり聴かせる。メマーリとピニェイロの二人は、ブラジル的というよりはジャズ的な演奏でソロを取っており、それなりに個性的である。

  ボーカル曲の印象が強すぎて、インスト曲がわりを食ったかもしれない。とはいえ、全体として高品質な作品であり、楽しめる。
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善悪の認知は脳に由来、人による微妙な差異も脳の構造から説明できる、と

2013-10-16 07:40:17 | 読書ノート
金井良太『脳に刻まれたモラルの起源:人はなぜ善を求めるのか』岩波科学ライブラリー, 岩波書店, 2013.

  脳の構造から人間の持つ倫理感覚を探る内容。タイトルはちょっと誤解させるところがあり、進化心理学的な説明──ある種の感情は進化の途上でこれこれこういう理由で有利になったために人類に普及した──が展開されるのではなく、「ある種の感情の処理は脳のどこどこの部位で行われている」という生理学的な説明が基本となっている。

  はじめの三章は次のような内容。道徳感情は、公平に扱われることなど「個人の尊厳」に関するものと、秩序維持や社会における人の正しい役割など「義務などへの拘束」に関するものの二つに大別できる。これはいわゆるリベラルと保守の違いに当てはまる。それぞれが司る脳の部位は別であり、画像解析をして該当部位の大きさを測れば、その人物がどちらを重視するタイプかある程度わかってしまうそうである。なお、その原因として遺伝の部分的な影響もあるし、歳を重ねれば変化するということもあるとのこと。

  本書で紹介されたとある実験によれば“リベラルな大人になる子どもたちは、三歳のときすでに問題に直面したときに乗り越える能力を発揮し、自発的で表現力豊かで、独立心が強いという特徴があった。一方、保守的な大人になる子どもたちは、不確かな状況に置かれると居心地悪く感じ、罪の意識を感じやすく、怖い思いをすると固まってしまうような子どもだった”(p.39)だって。酷い言われようだな。

  このほか、信頼感とオキシトシンなるホルモンの関係、ただ乗り行為を思いとどまらせる「評判」のシステム、幸福感および孤独感と関係する脳の部位、などのトピックが並んでいる。短いので読みやすいが、考察は控えめである。もっと著者の持論を展開してくれたほうが面白くなったと思えるが、このシリーズはいつもこんな感じかな。
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自分は人を見分ける能力が高いという勝手な思い込み

2013-10-14 20:45:55 | チラシの裏
  僕の「知り合いを見分ける能力」はけっこう高くて、街中で知人と遭遇した場合、僕だけが気づいて向こうが気づかないということがしばしばある。まあ、たいてい相手は学生で、声をかけるとこちらから挨拶を要求するような感じになるので、向こうが気づかないならば僕のほうも知らないふりをしているということが多い。

  最近、その自慢の個体識別能力が落ちている。先週末に学会があった。会場で、大学院時代を共に過ごした知人(♀)がかがんで何かやっていたので声をかけた。「松○さん、一緒に昼食に行きませんか?」。相手が顔をあげたら、知人ではなく、赤の他人だった。すいません、人違いです、と弁明してその場を去ったが、かなりばつの悪い思いが残った。声をかけられた方も困惑したと思う。実は数年前にもパーティで似たような人間違いをやらかしたことがある。かなり親しい知人だと思って、別の男性に対して肩を親しげに触りながら「よう」とか声をかけたのである。気づいた後に謝罪してなんとかなったけど。

  これらの件で、これまでの「街中で遭遇したけど僕だけが気づいた知人」というのも、かなり怪しいものだと感じた。僕の個体識別能力の高さは勘違いかもしれない。またどこかで同じ過ちを犯すような気がしてきた。
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繊細さと静謐さを競い合う、ギター三台による室内楽風ジャズ

2013-10-11 08:15:58 | 音盤ノート
Ralph Towner, Wolfgang Muthspiel, Slava Grigoryan "Travel Guide" ECM, 2013.

  ジャズ。ラルフ・タウナーECM新作で、もうベテランの域にあるウォルフガング・ムースピールと、無名の──といってもすでにアルバムが何枚かあるみたいだが──Slava Grigoryan(スラヴァ・グリゴリアン?)とのギタートリオ。タウナーはクラシックギターと12弦アコギ、ムースピールはエレキ担当で、それぞれ五曲ずつ自作曲を提供している。グリゴリアンは、1976年生まれのアルメニア系オーストラリア人で、クラシックギターとバリトンギターを弾いている。この三人での録音はこれで二作目で、すでに"From a Dream"(Material)なる録音が2008年に発売されているらしいが、僕は未聴。

  ほとんどの曲はアコギによるアルペジオをバックに、クラシックギターとエレキのソロが繰り出されるというパターンである。テクニカルでありながら繊細かつ静謐。それでいて神経質でダークなところは微塵も無く、清涼さを保っている。クラシック寄りの硬質で寒々しい印象をもたらす演奏であるけれども、ユニゾンやソロにはかすかな温もりが感じられる。この「美しいし快でもあるけれど、情動には深入りしてこない距離感」が絶妙である。地味だが、クオリティの高い作品。でも"Chiaroscuro"(参考)ほどではないかな。
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大学入試の制度と業務をめぐるあれこれ、さまざまな事例に注目

2013-10-09 10:14:11 | 読書ノート
櫻田大造『大学入試:担当教員のぶっちゃけ話』中公新書ラクレ, 中央公論社, 2013.

  日本の大学の入試制度とその業務について解説した本。副題の軟派な印象とは異なり、きちんと関連文献を収集して広く手堅く記述してある。著者の体験談的な話はごくわずかにすぎない。

  結論を簡単に言えば、問題作成・監督・合格者の決定などを含む一連の入試業務は、担当者となった専任教員に大きなストレスをもたらし、また研究時間を削るものになっているということである。この認識は大学関係者の間では月並みかもしれないけれど、世間に知ってもらう価値はあるかもしれない。大学関係者にとって面白いのは、さまざまな大学の事例のほう。「どこも苦労してるんだなあ」とか「こんな上手くやっているところもあるんだ」といちいち感心してしまう。

  僕の場合、かつて入試監督でミスって新聞沙汰になった経験や、自画自賛したくなるような力作の入試問題を作りながら受験者が三名しかいなかったことを思い出してしまい、冷静に読むことができなかった。
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