29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

出版・書店の危機に関連する書籍新旧三点

2024-07-07 22:15:45 | 読書ノート
山内貴範『ルポ書店危機』Blueprint, 2024.

  全国小売書店の状況についてのルポルタージュ。著者は1985年生まれのジャーナリストで、前半1/3は彼の出身地にある秋田県羽後町の書店の店主のインタビューである。中盤は全国10か所の書店状況のルポ。最後の1/3は図書館や公設書店の八戸ブックセンター、コンビニや小規模出版社などについてである。小売書店業界全体としての解決策はないけれども、個々の書店の生き残りのヒントならば見つけることができるかもしれない。書店関係者でなくても、出版界の置かれた状況を手っ取り早く知ることができる。

月刊『創』編集部編『街の書店が消えてゆく』創出版, 2024.

  雑誌『創』では2019年頃から書店の危機を報道してきた。本書はそれら記事をまとめたものだが、いくつか初出記事もある。日書連といった団体の役員から、大規模チェーン店、小規模な個人経営店、独立系書店など、さまざまなタイプの関係者に取材を行っている。ただし、この業界でキーになるのが取次業者なのだが、『2028年街から書店が消える日』と同様に、発言がないのが気になるところ(取材を断っている?)。寄稿者の一人である松木修一氏はトーハン出身だが、JPIC専務理事という立場で書いている。全体としては「書店の終わりの記録」という印象が強い。

小林一博『出版大崩壊:いま起きていること、次にくるもの』イースト・プレス, 2001.

  1990年代以降の出版の危機を伝える。日本の出版産業の売上のピークは統計上1996年であるとされているが、著者はそれは怪しいという。1980年代から書店の出店ブームがあり、さらに1990年代になると大型書店が現れるようになった。この時期、書店の数が増えてかつ敷地が広くなった分、書店在庫も拡大した。すなわち、1990年代前半の書籍・雑誌の売上の伸びは、書店在庫分が売上として会計上で計算されていたためであり、実際には売れていなかった、とする。著者は出版産業の売上が減少に転じたのは1989年あたりからだと見積もっている(p.92-96)。したがって、図書館の普及やAmazon到来以前に出版流通制度に構造的な問題があったわけで、著者もやはりそこに手をつけろと主張している──再販価格の維持を支持するけれども、書店の取り分を多くすることと買切り制とすること。20年以上前の書籍で、古さもあるけれども、有益な示唆も多かった。
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小売書店の苦境と再生案をインタビューを通じて伝える

2024-06-23 11:46:00 | 読書ノート
小島俊一『2028年街から書店が消える日』プレジデント社, 2024

  コロナ明け後、日本の小売書店の閉店のニュースが相次いている。本書は書店の置かれた状況について詳細に報告する一般向け書籍で、小売書店や出版社の関係者28人(取次関係者はいない)のインタビューによって構成されている。著者はトーハンの元営業部長で、出向して赤字経営だった地方の書店チェーンの社長となり、リストラ無しに立て直したという人。現在はコンサルをやっている。

  全体は、書店の現状、成功している小売書店の事例、出版流通まわりの問題点、改革のための提言の四部構成となっている。個々のインタビューの内容はさておき、全体を貫いているのは、出版流通の制度改革と書店の経営努力によって小売書店は甦ることができるという主張である。前者の制度改革の例としては、買切り書籍(すなわち返品不可)の拡大、価格に対する分配率の見直し(小売書店の取り分を現状の2割から3割にする)、雑誌の発売日協定の廃止(配送時の負担が減る)などである。後者の書店の経営努力に関しては、自店で書籍をセレクトする、著者のプロモーションなどイベント収入で稼ぐ、などである。数字の話も詳しい。定価のおよそ二割が書店の取り分なのだが、インフレもあって人件費と光熱費にほぼすべてが費やされてしまい、利益が残らないのだとか。

  以上。出版社と小売書店それぞれの考えがわかって興味深い。ただ、それぞれのインタビューが3~4頁にまで要約された記述となっていて、インタビュイーの人柄みたないなところまでは伝わらない。読み物ととしてはこの点に不満が残るのだが、28人と掲載人数が多くその業績と考えを伝える編集方針としたということなんだろう。とはいえ、貴重なレポートである。
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1990年代に「読書する意味」の転換点があったという

2024-06-22 09:57:58 | 読書ノート
三宅香帆 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書) , 集英社, 2024.

  日本近代読書史。タイトルを見て「労働時間と余暇時間がトレードオフにあることは当たり前じゃね」とまず思うだろう。これに対し、昔の日本人はもっと長時間労働をしていたはずだと著者は反論する。ならばいったいどの時間帯に何を読んでいたのか、そして読者は読書に何を求めていたのか、という疑問を著者は掘り下げる。

  章立ては明治から現在までの通史となっている。読書の中心層は、明治には高学歴インテリ男性だったのが、大正から昭和になるとサラリーマン男性となり、1980年代以降になると女性もまた重要になってきた。その間、読むものには自己啓発書、教養書、円本、大衆小説、司馬遼太郎などのブームの変遷があった。まず読書に求められたのは娯楽である。一部「教養」を読書に求める向きもあったが、それは仕事上の利益に必ずしも直結していたわけではなかったが、長期的期待においてまったく無関係というわけでもないものだった。

  転換点はバブル経済崩壊後の1990年代以降である。教養主義に代表されるような内面の向上や社会意識の形成が無駄なものとされる。なぜなら、そのような曖昧な知識獲得の努力をしても自分を取り巻く世界は変わらないから、卑近な言い換えをすれば経済の停滞下においてそれは仕事上の待遇を向上させることがないからである。替わりに台頭してきたのが、(自分でコントロールできる狭い範囲の)仕事上の利益に直結する行動変容の努力であり、それは自己啓発書を読むことを促すものとなる。あるいは、ネットでの問題解決的な情報の収集となる。このような変化によって、余暇もまた仕事に従属する時間となってしまい、これまでの読書がもたらしてきた余剰(著者は「ノイズ」と呼ぶ)を許容できなくなってしまった、と著者は言う。

  解決策として、仕事に打ち込む強度を低めるという働き方改革を著者は訴える。具体的には労働時間の短縮が提案されているが、それだけはなく私生活まで仕事に従属しないような働き方が目標となる。しかしながら、読者としては、働き方改革という解決案は「違う」という印象を持つ(娯楽としての読書は復活するかもしれないけれども)。昔は長時間労働の中でも読書できていたわけで、本書は、これまで教養的な読書で得られた世界観が1990年代以降になると無力なものとみなされるようになったこと、これを働いていると本が読めなくなる原因としている。したがって、この点について対処する提案が欲しいところだ。

  以上。驚くのは、著者が1994年生まれにもかかわらずすでに10冊以上の著書があること。いったい生涯に何冊の本を残すことになることやら。続きも期待している。
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米国小売書店論、特にチェーン店と独立系書店の攻防に詳しい

2024-06-21 18:56:21 | 読書ノート
Laura J. Miller Reluctant Capitalists: Bookselling and the Culture of Consumption. University of Chicago Press, 2006.

  20世紀後半の米国における小売書店の状況を伝える学術書である。著者は社会学者。なお、米国の新刊書籍の取引は返品ありだが定価販売なしという慣行となっている。

  以下で「独立系」というのは、個人経営の店から数店舗を持つ小さなチェーン書店までを含む。ただし、日本と異なり取次業者が配本してくれるわけではないので、仕入れは自店で行っている(はずだが、米国では当たり前のことなのか詳しい説明はない)。この違いは日本在住者が本書を読むうえで理解しておくべきところだ。卸売業者も存在しているが、それは小売書店にとっての「倉庫」として位置付けられている。

  タイトルにある「不本意な資本主義者」というのは独立系小売書店主のことである。彼らは、書籍というのは通常の商品とは異なっていて、特別な価値を持っていると考える。高尚な文化を扱っているという意識があるためプライドも高い。このようなエリート主義は19世紀から続く米国の書店の伝統的な自己認識であると著者はいう。とはいえ、書籍もまた他と変わることのない単なる商品であるとみなす勢力も20世紀前半から存在していて(例えばデパート)、割引価格でベストセラーを薄利多売した。この勢力は1960年代にはショッピングモールに出店するチェーン店となり、1990年代にはBarnes & NobleやBordersのような超大型店となって、独立系書店の存立を脅かした。

  20世紀初頭から半ばにかけて、出版社主導で再販価格制度を導入する動きがあって、一時的には成功した(すなわち立法で裏付けられた)。だが、割引販売を展開するチェーン店が普及した後は支持されなくなり見捨てられた。その後、米国書店協会内でチェーン店派と独立系派との間で主導権争いがあり、後者が権力を握ると出版社を訴えて大手チェーンと独立系の間にある取引条件の差(例えば割引率)を是正しようとした。結果、和解という形である程度の成果を得たが、完全勝利とはならなかった。並行して独立系小売書店もまた徒党を組んで販促キャンペーンを行ったが、その過程でチェーン店と同じような消費主義に近づいた。また、チェーン店も独立系も従業員への待遇が悪い点では一緒だという。

  2000年前後になると、独立系書店保護が全米各地の大規模小売店反対運動と結びついて、チェーン店の地域出店を頓挫させることもあった。チェーン店との競争によって独立系書店におけるエリート主義的な雰囲気もいくぶんか和らいだが、かといって「本は特別」という見方が失われたわけではない。消費主義への対抗意識と地域密着志向が、これら独立系書店を(利益とは別に)支えてきたという。

  以上。著者は独立系書店に同情的であるものの、記述はイデオロギッシュではなく、チェーン店の肯定的な面も独立系の二枚舌的なところもきちんと記している。衒学的なところもない。ThompsonのMerchants of Cultureではあまり詳しくなかった米国独立系書店の精神、特に本を特別視する思想の存在を知るうえではとても参考になる。
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おもしろうてやがて悲しき米国自己啓発本のコンパクトなガイド本

2024-06-11 08:00:00 | 読書ノート
尾崎俊介『アメリカは自己啓発本でできている: ベストセラーからひもとく』平凡社, 2024.

  米国産の自己啓発本の歴史と分類。著者は愛知教育大学所属の米国大衆文学の研究者で、当ブログでは『ホールデンの肖像』を紹介したことがある。学者の世界では「自己啓発本」など完全無視すべきものであり、敢えて取り上げるときは馬鹿にするときだけだ。だが、著者は敢えてそれらを大量に読み込み、大衆の間で支持され続ける理由を探っている。

  最初に挙げられるのがベンジャミン・フランクリンの『自伝』である。あれは「自己啓発本」として米国で読まれたのだという。その後は「引き寄せ系」「ポジティブ系」「お金持ちになる系」「父から息子への手紙系」「日めくり箴言系」「スポーツ+コーチング系」といった分類のもと、代表的な自己啓発本の特徴についてまとめている。各章の最後にあるコラムでは日本における自己啓発本が紹介されている。

  小ネタもなかなか楽しい。スペンサー・ジョンソン『チーズはどこに消えた』がベストセラーになった理由の一つは、米国企業が大量に買って解雇した社員の餞別にしたからだという。そのメッセージとは「この会社にはチーズはもうないのだから、別の環境で探しなさい」というものだ。また、駄目な日本産自己啓発書として江本勝『水は答えを知っている』が紹介されているが、なぜか英訳されて米国でベストセラーになっているという。

  著者は自己啓発書に対して肯定的である。しかし、個人的には本書をかなり楽しめたとはいえ、紹介されている個々のタイトルまで手にして読むところまではいかない。個々のタイトルが持っている語り口を剥いで単純化してしまえば、それらはいつの世にも共通する処世術でありまた幸福論である。読んだ人にアドバンテージをもたらす特別な知識や情報が提供されているわけではない、という点が興味をそそらないのである。
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国家による検閲の実態と検閲する側の意識に詳しい

2024-06-10 13:54:35 | 読書ノート
ロバート・ダーントン『検閲官のお仕事』上村敏郎, 八谷舞, 伊豆田俊輔訳, みすず書房, 2023.

  読書史研究者として知られる著者による、検閲についての研究書籍。事例として用いられているのは、アンシャンレジーム下のフランス、植民地時代のインド、旧東ドイツの検閲の三つである。原書はCensors at Work : How States Shaped Literature (WW Norton, 2015)となる。

  18世紀のフランスでは、王室や貴族、教会への批判はタブーだと考えられてきた。ただし、それらと無関係な主題であっても、文章が下手だったりすると検閲官の厳しいコメントが入ったとのこと。主題とは無関係に、書籍中で批判されている人物が有力者か、あるいは有力者お抱えの人物かという点も検閲の論点となったようだ。ただし、仮に検閲官が低い評価を下しても、必ずしも発行が禁じられたというわけでもなく、その辺りは人脈次第の面もあったとという。一方で、検閲回避のための外国での発行や、地下発行もあり、そのための市場が存在していたことは知られている通りである。

  英国統治下のインドにおける検閲はすべて発行後のもので、発行書籍の目録作りには図書館員らが協力していた。英国統治が盤石だった19世紀においては、書籍における英国に批判的な記述は特に問題視されなかった。だが、独立運動が激しくなった20世紀初頭は、過去にさかのぼって作品や著者に「扇動罪」を適用するようになった。東ドイツでは事前検閲が行われていた。だが、政府は抑圧的な体制だというイメージを受け容れたくないので、検閲を行っていることを認めていなかったらしい。検閲では「西ドイツからの視線」が意識され、「東側で抑圧された結果、西側で作者が英雄視される」という事態を招かないよう配慮されていた。

  以上。著者には、検閲の実態を伝えるだけでなく、「検閲なんかどのレベルにでもある。ポリコレやら検索アルゴリズムがそう」という相対主義言説に対抗する意図もあったようだ。死刑になるような酷いケースは挙げられていないもの、国家による検閲は、単に該当作品の発表機会を失わせるというだけでなく、その作品の著者が牢屋に入れられて数年にわたって自由を奪われたり、社会からの信用を失って失意のまま死を迎えるなどの悲惨な結果をもたらすことがある、ということである。
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宗教は人間の認知能力とともに進化してきたとのこと

2024-05-16 07:00:00 | 読書ノート
ロビン・ダンバー『宗教の起源:私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』小田哲訳 ; 長谷川眞理子解説, 白揚社, 2023.

  進化生物学をバックボーンとした宗教一般の起源および機能の考察。このブログでのダンバーの本の紹介は、『ことばの起源』『友達の数は何人?』『人類進化の謎を解き明かす』『なぜ私たちは友だちをつくるのか』に続いて五冊目。原書はHow Religion Evolved: And Why It Endures (Pelican, 2022)である。

  進化心理学では「宗教(に関連する現象)は人間の認知能力の副産物である」という説(参考)が有力である。本書はこの説に反駁し、宗教には適応上の機能があると主張する。宗教にはダンバー数(=150)を越える集団を統合する働きがあるというのだが、個体すなわち集団の構成員のメリットとして外的脅威からの保護と集団生活からくるストレスの低減があるとする。生理学的には、宗教儀式が神秘体験や一体感をもたらして、参加者の脳内に快楽物質を生み出すということだ。関連して、人間特有の推論能力、脳の大きさや社会の規模に合わせた宗教の発展段階論、カルト宗教や分派がなぜ生まれるのか、などが語られている。

  いつもながらダンバーの本は情報量が多く、議論の筋が追いにくい。大規模な宗教に至るステップとして、まず宗教現象を受容できる認知的能力が先に進化し、その後の環境の変化──農耕とそれに伴う集住など──がそれら認知能力を「適応」と見なしうるものにした、という順序が描かれる。ならば本書は副産物説の反駁に成功しているかのだろうかと、よくわからなくなる。
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直観に対する合理的思考の優位を心理学者が主張する

2024-05-10 12:40:59 | 読書ノート
キース・E.スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか:二重過程モデルでみるヒトの合理性』椋田直子訳; 鈴木宏昭解説, みすず書房, 2008.

  心理学。人間の思考を直観と合理的思考の二種類に分け、前者に対して後者が優位となるよう心掛けるべきことを訴える。著者はカナダ・トロント大学の心理学者で、原書はThe Robot's Rebellion : Finding Meaning in the Age of Darwin (University of Chicago Press, 2004.)である。

  ベースとなる議論はリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』である。直観的な思考は脳の生理学状態によって導かれる。すなわち遺伝的基盤を持つ。しかし、遺伝子は自己を複製することを最大の目的としており、乗り物となる個体の生存や厚生と必ずしも一致しているわけではない(ただし大方一致すると考えられる)。したがって直観的な思考は乗り物となる個体を傷つけたりすることがありうる。また、人類が現在生きている環境は直観的な思考が適応した環境とは大きく異なっている。

  環境の変化に対応して、人間は合理的思考の能力もまた進化させた。この能力は、遺伝子のメリットを抑えて個体の厚生を高めることにも使用できる。乗り物の反乱、原書名に従えば「ロボットの反乱」である。直観的な思考でわたってゆくには、人間の社会はスケールが大きく、複雑になり過ぎている。直観は、身近な人物、せいぜい部族単位のスケールでしか機能しない。しかし、現代国家(あるいは国際社会)というレベルで協力行動を進めるには、直観の範囲を超えたレベルでの抽象的かつ合理的な思考が求められる。

  以上のような議論を、心理学実験の事例を多数交えて論じている。直観的な思考を「適応」すなわち合理的であると単純にみなしてしまう進化心理学への批判も手厳しい。なお、直観的な思考には習慣化によって身についたものも含まれる。また、ドーキンスの言う「ミーム」もまた、遺伝子と同様、自己複製のために個体の注意力や判断力を奪うものとして注意が促されている。

  合理的思考は自動的には作動せず、意識して用いる必要がある。また、合理的思考は失敗することもある。最後の章では、合理的思考の適切な作動のさせ方について議論している。最後の章はかなりの頁を割いて論じられているけれども、試行錯誤せよ以上のことは言えていないように思える。だが、それでも「合理的思考の優位」という著者の議論は説得力があるように感じられた。
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食べ物・食べ方は精神の安定に影響するとのこと

2024-05-09 22:07:21 | 読書ノート
メアリー・ベス・オルブライト『こころを健康にする食事の科学』大山晶訳, 原書房, 2023.

  食事と精神の関係についての科学エッセイ。ある栄養素を摂取するとどのような精神状態になるかということを論じているが、まだわかっていないことも多いという釘も刺される。著者は米国のジャーナリストで、原著はEat & Flourish : How Food Supports Emotional Well-Being (Countryman Press, 2022.)である。

  食べ物は心の状態に影響する。ただし、同じ食べ物を食べても腸内の微生物によってもたらされる結果は異なってくる。腸内細菌の種類は少ないよりは多いほうがよく、またそれらを培養するのに適切な食材──食物繊維──というものもある。腸内細菌の多様性が低いと、鬱病などの精神疾患のリスクが高まるという。また、炭水化物中心の食事かタンパク質中心の食事かで、最後通牒ゲームの結果が変わってくるそうだ。タンパク質食の場合、不公平な額の分け前を受け入れる確率が高まるとのこと。このほか、どのような栄養素あるいは食べ方が、精神の安定や幸福感と関係するかについて紹介されている。

  野菜類は当然として、ナッツ、オリーブオイル、魚、発酵食品がおすすめということだ。心重視か体質重視かの点において異なるものの、全体的な印象(特にどのような食事が良いかというところ)はティム・スペクターの『ダイエットの科学』と似てるという印象を持った。「フムス」なる聞いたことのない料理も紹介されるのだが、美味いのだろうか。
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ジャズは悪所と悪人とともに育った、それでも音楽は素晴らしい

2024-05-06 14:24:26 | 読書ノート
二階堂尚『欲望という名の音楽:狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ』草思社, 2023.

  ジャズをめぐる歴史エッセイ。興行につきもの(?)となっているドラッグや裏社会と、ジャズとの関係を探っている。初出はArban(https://www.arban-mag.com/)というサイトの連載記事で、著者はフリーライターとのこと。

  全六章構成で、前半の三章は日本におけるジャズ普及の裏面史。1940年代半ばに誕生したビバップ──我々が現在思い浮かべる標準的なジャズであるが、当時は地下音楽だった──が、GHQ占領下で占領軍経由で日本に輸入された。日本におけるその黎明期の録音として、1954年のモカンボ・セッションというのがある。参加者は、秋吉敏子や渡辺貞夫のように真摯なジャズ音楽家となっていたグループと、ハナ肇と植木等のように芸能人化していったグループに分かれた。この大枠のなかで、売春、覚醒剤、ヤクザ(山口組)との付き合いといった話が挟まれる。

  後半の三章は米国ジャズ黎明期を扱っている。クレオールの音楽だったニューオリンズ産ジャズを、黒人の音楽として発展させた都市が、シカゴとカンザス・シティであると著者は記す。というのも禁酒法が敷かれた1920年代、二つの都市はギャング(アル・カポネ)または悪徳政治家(トム・ペンターガスト)に支配されていた。二つの都市では非合法な酒場の営業が続けられ、そこで黒人音楽家らが腕を磨くことができた。20世紀前半は、イタリア系またはユダヤ系といった非WASP白人層もまた差別された。彼らは黒人の奏でる音楽に共鳴した。フランク・シナトラやジョージ・ガーシュウィンがそうだという。

  これらの話のほか、美空ひばりやアントニオ・カルロス・ジョビンといった非ジャズ音楽家、ハリー・トルーマンにジョン・F・ケネディという二人の米国大統領も登場する。

  全体として、ジャズが悪人と悪所に結びついてきたことをまざまざと理解させる内容となっている。けれども糾弾調とはならず、その出自の不遇さを嚙み締めつつも、ジャズが持つ音楽としての魅力に対しては微塵も疑うことはない。個々の音楽家の評価も説得力があると感じた。まあでもジャズファン向けではある。
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