29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

環境保護支持派の経済学者の手による

2011-04-29 09:38:40 | 読書ノート
パーサ・ダスグプタ『一冊でわかる経済学』植田和弘, 山口臨太郎, 中村裕子訳, 岩波書店, 2008.

  経済学の入門書となってはいるが、特に貧困と地球環境への関心が強い小著である。発展途上国出身(著者はダッカ生まれ)の経済学者の視点から、経済の成り立ちと仕組み・問題について記したものだからである。アフリカの農村のような分業化が不十分な共同体の観察から始めて、取引の基盤となる信頼の成立や合理的な分配について思索をめぐらしており、かなり独自な構成となっている。

  7章の「持続可能な経済発展」は特に興味深い。“2004年に著名な経済学者8人がコペンハーゲンに招かれ、世界共同体が500億ドルを5年間で使うとしたときの最も有効な使い方について助言を求められた”というのは、ロンボルグによる会議1)のことだろう。別の著作(参考)で、現在の地球環境の危機は深刻とは言えず、その対策に費用を注ぎ込むぐらいならば、貧困者をもっと豊かにするプロジェクトに投資したほうがよいと、ロンボルグは主張している。しかし、ダスグプタによれば、既存の経済統計は自然資源の経済への貢献を十分反映しておらず、それらが破壊されてGDPや人間開発指標の成長とは無関係に生活が悪化するという可能性があることを指摘する。そこで自然資源を考慮した指標を作り、地域別に試算を出している(p.170の表2)。それによれば、1970年から2000年にかけて英米はプラスに、中東・アフリカはマイナスになる。後者は一人あたりGDPが増えていても「持続可能ではない」経済発展をしているということになる。試算方法については議論が残るし、投資すべき分野を具体的に順位付ける議論でもないが、有効で生産的な反論だろう。

  他に、科学的知識を作り出す制度と技術を発展させる制度の論理の違い(5章)や、小麦をつくる地域と水稲をつくる地域を比較すると、田植えに女性労働力が必要となるため、後者の地域のほうが比較的女性の地位が高い(p.128)という指摘は面白かった。というわけで貧困や環境問題に対する関心には十分答える内容である。

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1) ビョルン・ロンボルグ『五〇〇億ドルでできること』小林紀子訳, バジリコ, 2008.
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日記を書くことは癒しの効果があるそう

2011-04-27 10:22:52 | 読書ノート
ダニエル・ネトル『目からウロコの幸福学』山岡万里子訳, オープンナレッジ, 2007.

  原題は"Happiness : The science behind your smile"で、一般向けの小著である。著者は英ニューカッスル大学の心理学者で、このブログですでに『パーソナリティを科学する』(参考)を紹介している。200ページ程度の短くて地味な著作ながらも、心理学だけでなく、幸福に関する社会調査から哲学者の言説・脳科学までを検討しており、視野が広い。

 著者によれば、人間は幸福を求めるよう生物学的にプログラムされている。しかし、欲望を満たそうとする脳内のシステムと、快・不快を判定するシステムは直結していない。そのため、望むものを手に入れたのにもかかわらず満足を感じないことがある。また、一時的に満足を感じてもその状態にすぐ慣れてしまったりするのは、快を感じる状態を継続することよりも生活上のリスク認知を優先させるよう人間ができているためである。快感はリスク認知の感度を下げる。危険と認識したことのうち本当の危険はたとえごく一部だとしても、その危険に気づかなくて死ぬよりは、多少大袈裟でも神経質なほうが生き残ることができる。そのような遺伝的傾向を持った者の方が生存に有利だったのである。というわけで、人間は四六時中快に浸っているわけにはいかず、平常に戻らなければならない。そして、その後に再び快の追及を始めるというサイクルで生きることになる。なお、神経質さの程度は遺伝的に決まっているが、それが強すぎるタイプは多くのストレスにさらされ、幸福感も他のタイプより弱まるという。

  最後の二章で、幸福になるためのアドバイスも添えられている。神経質なタイプには、認知療法やトレーニングを薦めている。定期的に自己の体験を文章に綴ることも精神の安定にとって効果的だそうだ。しかし、「欲望を放棄する」というより本質的な対策も提示されている。さらには、幸福に生きることを追及するよりも、たとえ苦しみを伴うものであっても幸福とは異なる美徳に沿って生きる──社会に貢献したり、倫理的に善い生き方をする──という人生もあるのだと述べて締めくくっている。

  幸福についての考察ながらも、最後の章で幸福の追求を人生の唯一の目的とする必要はないと説くどんでん返しにやられる。
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思い通りに作っただろう起死回生の二作目

2011-04-25 08:41:57 | 音盤ノート
Mathias Eick "Skala" ECM, 2011.

  ジャズ。といってもECMに典型的な低体温と哀愁の北欧サウンドで、打楽器が二人いても激しくならないところはJan Garbarek風(参考)である。エレクトリックベースとツインドラムというリズム隊の編成から多くの人が想像するだろうフュージョン系の音とは違っている。この上にトランペットとピアノがのり、さらにいくつかの曲でヴィブラフォン、シンセサイザー、テナーサックス、ハープなどが加わる。

  リーダーのEickはノルウェーのトランペッターで、これが二作目。昨年秋には来日もしている。Jacob Youngの項(参考)でも言及したように、ソロにおけるメロディ作りのセンスが抜群で、このアルバムでも若手ながら枯れた味わいの演奏を聴かせる。とはいえ、このアルバムはバンドサウンドを強調した作りで、前作"The Door"(ECM, 2008)のようなEickのソロをたっぷり聴かせる構成ではない。

  前作ではピアノとトランペットのデュオという場面が多くて、ドラムとベースの印象があまりなかった。今作では初めからドラムが登場する曲ばかりで、それなりにツインドラムの効果は出ている。特に、ピアニストの変更は正解だったようだ。前作のピアニストJon BalkeはEickに合わせすぎで、トランペットだけでなくバンド全体を枯れたものにしてしまっていた。"Skala"におけるAndreas Ulvoはひたすらアルペジオを奏でるかコードを押さえるだけで、ソロらしいソロをとらない。ピアノが細かめに音を刻んで空間を埋めてゆくので、ロングトーンで淡々と吹くEickのトランペットがメインでも隙間の多い印象にならずに済んでいる。

  デビュー作だった前作は平凡すぎてその後に不安を感じさせる出来だったが、今作ではやりたいことが見えた感がある。

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分量が読者を怖気づかせるが、平易で分かりやすい

2011-04-22 11:03:33 | 読書ノート
ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない:地球環境のホントの実態』山形浩生訳, 文藝春秋, 2003.

  地球環境の現状を各種データから丹念に読み解くことで、環境保護派が主張するほど現状は危機的ではないと訴える本。著者はデンマークの統計学者。出版当初から論争を喚起し、支持者と反対派の間で毀誉褒貶があるようだ。書評もインターネットで大量に見つかるので、内容の詳細については割愛。

  今更この本を手に取った理由は、この本をレポートに使った学生がいたこと。難解な本ではないものの、上下二段組みで670ページもあるし、19歳の短大生にはとうてい読みこなせない本だと考えていた。だが、そのような認識をあらためなければならないようだ。たとえ理解できていなくてもこの分量にチャレンジしたことを評価するところだが、彼女はちゃんと批判的に読みこなすことができていた。こういう学生もいるんだなあと驚かされたしだい。
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美しさはそのままに、少しだけだが激しい演奏も聴かせる

2011-04-20 09:17:12 | 音盤ノート
Marcin Wasilewski Trio "Faithful" ECM, 2011.

  ジャズ。ポーランドのピアノトリオによる三年ぶりのECM三作目。メンバーは全員30代のようで「若手」とされることが多いようだが、キャリアは10年以上になるのでもう「中堅」といっていいくらいである。

  前作や前々作はそれぞれ良作だったが、曲のクオリティにばらつきがあり冗長さも感じさせた。特に三人の即興による曲がいまひとつで、インタープレイも盛り上がらない印象だった。静謐にピアノを聴かせる曲は崇高さを感じさせるレベルだったけれども。

  今作は、静かな曲でこれまでのクオリティを保ちつつ、速いテンポの曲でトリオの緊張感のある演奏を聴かせることに成功している。例えばtrack 2 "Night Train to You"がそうだ。また、曲目に、Ornette Coleman作 "Faithful"、Hermeto Pascoal作"Oz Guizos"、Paul Bley作"Big Foot"と嫌がらせのように僕の苦手なミュージシャンの曲が並んでいるが、前の二曲は原曲のメロディの美しさを引き立たせ、Bley作では躍動感のあるインタープレイを聴かせる、という方法でそれぞれを昇華している。"Mosaic"を筆頭に自作曲のほとんどは、冒頭から半ばにかけて静謐にピアノを聴かせ、中盤からドラムが音量を上げてリズムを刻み盛り上げるという展開が多く、いずれも聴き手の琴線に触れる優れた演奏になっている。

  抒情的であるものの、暗さや重さを感じさせないところは変わっておらず、このトリオの特徴と言ってもいいかもしれない。たぶん和音のセンスとベース音の薄さのためで、ちょっとした浮遊感を感じさせる。とにかく素晴らしい。
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Amazonでの予約価格をめぐる駆け引き

2011-04-18 10:24:23 | チラシの裏
  昨日、静岡のタワーレコードにてドイツ盤CD"Marcin Wasilewski / Faithful"(ECM)を購入した。実のところ、すでにAmazon.co.jpで予約注文していたのだが、それをキャンセルしてわざわざ買いに行ったのである。Amazonの3/1時点での予約価格は\1466、発売予定日は4/12だった。しかし、予定日を過ぎても何の連絡の無いまま未発送の状態が三日続き、4/15になって入荷遅延の連絡が来た。配送予定日は4/27~5/2に変更されていた。一方で、公式には4/1発売だったらしく、静岡のタワレコでは4/10の時点で\2230で店頭に並んでいた。そういう次第で、予約をキャンセルし、相対的に高価なタワレコ商品を購入したのである。

  これだけでなくMathias Eick "Skala"(ECM)でも同じ目に遭っている。この作品は3/8の発売予定だったが、Amazonから二度の発売日延期の通知が来て、ようやく明日4/19に発送されるようである。しかし、ネットで確認してみると、3/17から3/19あたりですでに入手済の人がいることがわかる。僕は2/23に\1492で予約したが、このアルバムは静岡のタワレコで扱っていなかったために、キャンセルせずに待つしか無かった。

  以下は下司の勘繰りである。Wasilewskiの"Faithful"のAmazonの現在での価格は\2139である。対して、3/1初頭の予約価格は\1500前後と安すぎる。損益分岐点の見積が甘くて、\1500前後で売っても利益が出ないとしよう。なので\1500前後の時の予約数が多くて、\2000以上となった現在の注文数が少なければ、このまま販売しても商品単体では赤字になるかもしれない。したがって、会社全体のトータルな売り上げよりも、個別の商品の利率を重視するような販売業者ならば、発送を遅らせて\1500前後で予約した客のキャンセルを待つ。こうした客のキャンセル数が十分な数に達すれば、利益が確保できるできるだろう。

  以上は憶測なので、本気にしないでいただきたい。国際的な流通事情はよくわからないが、諸トラブルがあるのだろう。ただし、Amazonがアナウンスする発売日は公式の発売日と違うことがありうるということは確かなようだ。
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自分の経験と照らして「あるある」と安心するための著作

2011-04-15 08:57:41 | 読書ノート
高橋克徳, 河合太介, 永田稔, 渡部幹『不機嫌な職場:なぜ社員同士で協力できないのか』講談社現代新書, 講談社, 2008.

  社員間のコミュニケーションに難がある職場をテーマとした書籍。著者らは、1990年代に日本企業が評価方法として成果主義を導入したことと、終身雇用の崩壊によって、社員間の情報共有・協力関係が破壊されたと見立てている。組織の中で働いている人間ならば、思い当たる「不機嫌な職場」のケースを見つけることができると思われる。ただし、解決方法についての記述は薄い。

  しかしながら論証が十分でなく、個人的には不満足な書籍だった。成果主義でなく、かついまだ終身雇用の会社でも人間関係を原因としたうつ病を患う人がいるが、著者らはどう説明するのだろうか? そもそも、企業規模を考えずに、転職や成果主義がこれまでの日本企業で支配的ではなかったとみなすには疑問を感じる。構造的な要因だけでなくて、不景気が続いてるために転職せず、現状の会社の籍を置いて嫌な人間関係を続ける選択をする人が多い、という可能性も考慮してみてもよいと思うのだが。

  まあ、これまでの自分の経験や知人からの伝聞が思い出されて心に引っかかってくるのは確かである。これは読者が「自分の職場にもある」と共感して安心するための著作であって、それ以上でも以下でもない。
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緊張感の高いウィズ・ストリングスもの

2011-04-13 09:52:31 | 音盤ノート
Claus Ogerman / Michael Brecker "Cityscape" Warner Bros., 1982.

  ジャズ。弦楽オケをバックにテナーサックスのソロを聴かせる企画物。ジャズのウィズ・ストリングス企画の多くは、メロディを朗々を聴かせて、優雅でリラックスした印象を与えるものだが、このアルバムはそうではない。優雅な表情を見せることもあるが、どちらかと言えばもの憂げで緊張感の高い演奏が続く。

  Ogermanによるストリングスは不安げで、聴き手の内面に浸み込むように響く。一方のBreckerのソロはやたらと高速で、夜中に車で街中を駆け抜けているがごとし。爽快さより、ひんやりとした孤独感が残る。Ogermanによる"Gate of Dreams"(Warner Bros., 1977)のエントリで指摘した、導入部と終結部に登場する流麗なストリングスと、中間部のソロにおけるリズミックなバッキングとの間に乖離が感じられるという問題は、後半の曲においてストリング側にアクセントを置くことで解決されている。ドラムがはっきりとリズムを刻む前半の曲でも、"Gate of Dreams"より中間部とストリングスの間の移行はスムーズになっており、無理矢理さを感じさせない。

  というわけで、かなり良い作品だと言える。
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ジャズのウィズ・ストリングスものでタンゴではない

2011-04-11 18:02:34 | 音盤ノート
Gato Barbieri "Last Tango In Paris: Original Soundtrack" United Artists, 1973.

  タイトルとは異なり、基本ジャズである。弦楽オーケストラまたはラテン打楽器群をバックにしたテナーサックスのソロが中心で、タンゴ風味は時おり添えられる二拍子のバンドネオン演奏ぐらいである。Gato Barbieri (ガトー・バルビエリ)は今ではあまり名前を聴かないが、アルゼンチン出身のジャズミュージシャンとして1970年代に多くの録音を残した。これはマーロン・ブランド主演でベルナルド・ベルトルッチ監督による同名映画のサントラで、彼の出世作である。

  僕が所有しているCDは1998年発売のRykodisc盤。前半11曲がオリジナル盤に収録されているものと同一で、以降の12曲目から40曲目まで"ラストタンゴ・イン・パリ組曲"なる一分前後のトラックが続く。ちゃんと確認したわけではないが、前半はレコード発売用に編曲・録音された曲で、後半が実際に映画に使われることを目的として録音されたものだと推測される。前半はクリアな録音でテナーサックス中心の編曲だが、後半はストリングス中心で残響を感じる録音処理となっている。

  サントラであるためか、テーマとなるメロディを様々なアレンジで手を変え品を変え聴かせるというのが基本。テーマとなるメロディが駄目だとこうしたアルバム構成はつらいが、Barbieriは美しくて焦燥感を掻き立てるメロディ作りに成功している。このアルバムを一度でも通して聴けば、すぐにもメロディをハミングできるようになるだろう。とはいえ、Barbieriの演奏はけっこう情熱的でねっとりしており、爽やかとはいかないが。
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ストレスを軽減するという音楽の機能が集団形成を可能にしたという説

2011-04-08 06:30:27 | 読書ノート
福井一『音楽の感動を科学する:ヒトはなぜ“ホモ・カントゥス”になったのか』DOJIN選書, 化学同人, 2010.

  音楽を進化生物学的に解釈した書籍。音楽の認知に脳生理学的な基盤があることは、音楽聴取にも進化論的な意義があることを示している。ならば、その意義はどのようなものなのか、について探っている。

  著者によれば、これまで音楽は生物学的に意味があるものとしては考えられてこなかったという。音楽は、生物としての欲求と切り離された「文化」というレベルで美学的に解釈されることが普通だった。進化論者においても、音楽受容は何らかの進化的機能の副産物であり、家族に対する「愛情」がペットに対しても転用されるようなものだとする説が唱えられている。例えばスティーブン・ピンカー1)

  しかし、本書では異なる見解が示される。音楽はそもそも適応であるというのだ。著者が、音楽聴取後に性ホルモンであるテストステロン濃度を測ってみたところ、男性では低下し、女性では上昇したという。この変化によって、どちらの性に対しても性行動が抑えられる(女性のケースの説明はやや複雑)。男性では特に暴力衝動が抑えられる。ここから、鳥のさえずりとは異なり、人間にとって音楽は配偶者選択を有利にする機能は“ない”ということが推定される。また、動物の配偶形態を見ると、一夫多妻制を採る種より、一夫一婦制を採る種の方が音楽的なコミュニケーションを発達させているという。

  そこで、著者は音楽の進化論的意義を次のように考える。人類における音楽は、集団生活をしつつ一夫一婦制を営むというストレスを軽減するために機能している、と。音楽聴取は、むやみやたらに配偶者獲得をしたくなる衝動を軽減して社会的軋轢を少なくする。結果、家庭の安定的な維持が可能になり、男性間の協力行動が促進される。そのため、音楽は人類の集団生活にかなり古くから採り入れられてきた、というわけである。

  以上は、あくまでも音楽聴取の話で、作曲や演奏はまた別かもしれない。また、どのような音楽が特にストレスを軽減するのかもわからない。まだ分かっていないことのほうが多くて、著者の説は確固たる基礎のうえに築かれているという印象は無いものの、オリジナルで興味深い議論を提供している。

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1) スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える:心は「空白の石版」か』NHKブックス, NHK出版, 2004.
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