29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

文系大学教育はやっぱり役に立っていないらしい

2019-02-25 20:49:59 | 読書ノート
本田由紀編『文系大学教育は仕事の役に立つのか:職業的レリバンスの検討』ナカニシヤ出版, 2018.

  社会学。文系学部卒業者に対してアンケートし、大学時代に受けた教育と職業との関係を分析する内容である。手堅い実証研究であり、内容がインタビューである7章を除いて各章で統計分析満載の学術書である。アンケートはインターネットでの回答を元にしている。

  タイトルの疑問の答えは3章に記されている。およそ7割の回答者が大学教育は仕事に活用されていないと答えている。やっぱり役に立たないわけだ。その他は、回答からわかる教育スタイルや、大学時代の授業への意欲、資格、出身地、就いた職業を検討することで、大学教育が役に立つケースを浮き彫りにしようとしている。

  大学教育が職業に活かされる文系領域は?答えは「教育学部」です、ってまあそうだよね。また大学時代のディスカッションやプレゼンの経験は役に立っている感を高めるらしい。奨学金を扱った章では、大学時代の勉学に熱心に取り組んでも就職には役に立たないことも知らされる。また、大学時代に遊んでいた層ではなく、大学への期待が高い層ほど文系教育に不満を感じているとも。

  全体のトーンは、文系大学教育批判は不当であり、文系教育にも少なからず職業的なメリットがあるかのように記述されている。本書が示す通り、確かに役に立つ局面もあるようだ。しかし、そうした部分的な成功が文系大学教育全体を肯定するようには思えず、やはり批判は妥当だろうという気がする。あと、理系と比べてどうなんだろう、比較がなされていない。
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実験を使った研究に誘われるも先立つものが必要

2019-02-19 09:57:40 | 読書ノート
ウリ・ニーズィー, ジョン・A.リスト『その問題、経済学で解決できます。』望月衛, 2014.

  行動経済学分野の内容だが、特に「実験経済学」というランダム化対照実験を使った著者二人の研究を紹介している。一般向けに分かりやすくかみ砕いた説明となっており、ストーリー性もあって読みやすい。だが、実験での検証を強く訴えているわりには、実験の設計や方法については詳しい説明を省いており、この点に不満が残る。原著はThe why axis : Hidden motives and the undiscovered economics of everyday life (Public Affairs, 2013)である。

  著者の一人はイスラエル人で、幼稚園のお迎えを罰金制にしたら罪の意識が無くなって遅刻が増えた、という発見で有名である。もう一人は労働者階級出身の白人で、『ヤバい経済学』のレヴィットと共同研究をいくつか行っている。トピックの大半は教育問題で、子どもの成績をどうやったら伸ばせるか、さらには低劣な環境に生まれた子どもたちにどうやって持続的な教育機会を与えるか、についてあれこれ検討している。お金を使って露骨に利益をチラつかせて動機づける方法を採用しており、「これでいいのだろうか」と感じなくもない。このほか、採用、効果的な寄付金、商品の価格付けなどの話が出てくる。全体として十分なお金がないとできない実験が目立ち、研究するには大金持ちの知り合いを作ることがまず必要だと感じさせられてしまう。

  というわけで面白かったものの、研究の参考になるという感じではなかったな。米国における教育研究は貧困層がターゲットとなることが多い気がするが、投資に対する改善率が高いのだろう。一方、日本にいると、平均的な家庭に生まれたそこそこの学力の生徒の情報のほうがほしい。彼らの知識や能力をもうちょい高める方策が知りたいところだ。
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日本ではまだだが、安楽死ができる国のその実態

2019-02-15 19:24:00 | 読書ノート
松田純『安楽死・尊厳死の現在:最終段階の医療と自己決定』中公新書, 中央公論, 2018.

  安楽死についてのレポート。本書によれば、尊厳死(death with dignity)というのは世界的には安楽死を含む概念であるらしい。けれども、日本においては日本尊厳死協会の活動のために「延命治療を拒否した結果としての死」に限定され、安楽死を含まないかのように考えられているとのこと。なお、著者の専門は哲学である。

  内容は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、米オレゴン州、スイスにおける安楽死事情である。人口1700万人のオランダでは、年間の死者15万人のうち6500人が広義の安楽死による死者だそうで。どこの国でも安楽死が「積極的に」合法化されているわけではなく、ある特定の条件を満たした場合にのみ死を介助した医師を起訴しない、というのが実態のようである。当然、本人の意志が要件となるのだが、認知症患者の場合が問題で、認知症となる以前に記した自死を希望する文書があったとして、それを認知症発症以降に適用してよいか、というのは議論があるとのことだ。近年の日本では、安楽死の合法化まではいかないものの、延命治療の停止によって医師が起訴されることはなくなっているという。

  第五章は安楽死肯定論の歴史であり、かなり後ろ暗い話も出てくる。19世紀末から20世紀前半にかけて、優生学的な発想から障害者に対する積極的な安楽死(すなわち本人の同意なしの死)を肯定する議論が生まれ、それがナチスによる国家的殺人につながっていったという。現在の安楽死論は、この反省を踏まえなければならないということになる。今のところ、実際に安楽死をする人物は高齢となった高学歴者がほとんどで、社会的弱者の抹殺として使われるようなことにはなっていないとのこと。

  以上。長寿が苦痛となる年齢・状態というのもまだよくわからないものの、将来のために考えておきたい内容。ガンの家系だしな。
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米国の政治制度は特異で機能不全を起こしているという

2019-02-12 07:25:30 | 読書ノート
フランシス・フクヤマ『政治の衰退:フランス革命から民主主義の未来へ(下)』会田弘継訳, 講談社, 2018.

  上巻の続き。下巻冒頭ではアフリカ諸国が言及される。アフリカは19世紀に植民地化されたが、宗主国側は投資をケチり、十分な統治機構を用意しなかった。この点が独立後マイナスに作用した、というのが著者の見立てである。機能する官僚制が形成される以前に民主制が導入されることになり、結果として政治が利益配分と利益誘導の道具に堕したという。ただし、例外もあり、タンザニアは独立後時間をかけて国民形成に成功した例だとのこと。

  大きく頁が割かれているのはやはり米国だ。19世紀後半か20世紀半ばにかけて猟官制度をかなりの程度克服することができ、能力や専門性の面で優れた官僚制度を備えるようになった。しかし、近年は「拒否権政治」のために行政効率が落ちているという。拒否権政治には二つのルートがある。一つは議会であり、利益団体と結びついた議員が行政府の意思決定に介入し、公共の利益を損ねる。もう一つは裁判所で、一部の利害関係者や政治運動家の訴えを聞き入れた判決によって拘束し、行政側が時間をかけて行ってきた利害調整を否定・破壊する。こうして、官僚には過剰な説明責任が求められ、欧州や日本では通常ならば行政が裁量している事象もできなくなっているという。国家は矛盾するさまざまな要求に翻弄され、前にも進めず後にも引けないような状態らしい。

  東アジアで注目されているのは中国である。中国共産党は、国内の中産階級の成長によって民主化への要求に直面する可能性がある。ただし、そうした新興階級は支配層に取り込まれることもままあり、あるいはナショナリズムを使ったイデオロギー的動員によって民主化への関心を逸らされることもありうるという。

  日本に対する分析では、伝統的に国家の過剰があると指摘されている。日本の統治機構の宿痾として官僚の過大な自律性があることは、文科省による「説明責任なき」統制を日々感じる大学人にはよくわかるところだ(しかしながら、日本のマスメディアは権力の問題を政治家の問題であると誤認していることが多い)。

  というわけで、バランスのよい民主制国家というのはごくまれな産物だというのがわかる、著者は世界すべての国が民主国家に向かうと予想しているけれども。全体としては議論が未整理なままだが、こまごまとした脱線部分も興味を引く。

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能力主義官僚選抜と民主制の導入には順序がある

2019-02-08 22:06:55 | 読書ノート
フランシス・フクヤマ『政治の衰退:フランス革命から民主主義の未来へ(上)』会田弘継訳, 講談社, 2018.

  比較政治学。『政治の起源』( / )の続編となる大著で、安定した民主制と資本主義はどのような条件のもとで発生し・維持されているのかを探ってゆく。原著は、Political order and political decay: from the industrial revolution to the present day (Farrar, Straus and Giroux, 2015.)である。

  政治の衰退とは、前著で近代国家の三つの要件として挙げられた「国家(=能力主義的選抜に基づく官僚を備えた行政機構)」「法の支配」「政府の説明責任」の間のバランスが崩れることを指している。この上巻で強調されるのは、国家と民主制の導入の順序である。先に「国家」が成立し、その後に民主制が導入されるとうまくいく。しかし、順序が逆になった場合、選挙で選ばれたエリートたちが、縁故の者や支持者に行政ポストをあてがうという現象が起こる。それは能力主義選抜や公正な社会運営を妨げ、国の発展を阻害することになるという。

  失敗例としては、南部イタリア、ギリシア、ナイジェリアが採りあげられている。それらの国は統治域内の隅々にまで法を貫徹させられず、結果として国民は財産や身体の保護をマフィアや部族の長、親族に頼ることになっているという。しかし、順番を間違えながらも問題を克服した例外もあるという。米国と英国である。それぞれ19世紀には縁故採用と猟官が跋扈していたが、中産階級が台頭して新たに影響力をもつようになると不正視されるようになり、ついには能力主義採用が導入されるようになったという。中産階級が全人口で大きな割合を占めるというのが重要なようだ。

  成功例はドイツで、民主化以前のプロイセン王国の時代に権威主義的な行政システムを作り上げていた。中国の秦と同様、対外関係すなわち戦争に備えるためというのが、そうした中央集権的なシステムを求めた動機となる。結果として、有能で信頼できる統治機構が生まれた。ただし、そうした機構は、国民に対して説明責任を有しないという側面ももち、新たな問題として「国家の過剰」が起こるという。日本や中国も同様だという分析だが、詳細は下巻で説明されるらしい。

  上巻の最後はコスタリカの話で、軍備を捨てたことによって平和裡に政権交代が可能となり、現在の経済発展と政治的安定がもたらされているとする。一方で、コスタリカ以外のラテンアメリカ諸国は武力介入など暴力を使用してしまった経験が、国民の間の亀裂を生んでしまっているという。

  以上。かなり錯綜していて今のところどうまとまるか方向性は見えない。だが、各国の政治史を知るだけでもなかなか興味深い内容である。
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カテゴリはジャズだが実験的ポップ音楽としても聴ける

2019-02-04 21:51:43 | 音盤ノート
Kurt Rosenwinkel "Caipi" Heartcore, 2017.

  ジャズ。どこかでMPB要素のあるフュージョン・ギターだという解説を目にしたので、Pat Metheny Groupの夢再びと期待して聴いてみた。Kurt Rosenwinkelについては米国のジャズギタリストだという以外はよく知らない。Brian Bladeの"Perceptual"(Blue Note, 2000)での演奏は聴いたことがあるはずだが、あまり印象に残っていない。

  聴いてみるとわかるが、一部にMPBっぽい曲もある、というのが実態である。前半のPedro Martins──Antonio Loureiroの"Livre"参加の人と同一人物なのだろうか──がリードボーカルをとる曲はそれらしい。裏声を多用する柔らかな男声だが、ミルトン・ナシメントを思い起こさせつつもドリームポップ的な感覚もまた強く喚起する。Track 3 の'Casio Vanguard'が特に良い。後半のいくつかの曲はローゼンウィンケル本人が歌唱するのだが、拙い訥弁ボーカルでやさぐれたロックバンドように聞こえてしまう。しかし後半の曲でも、コーラスにMartinsが入ってくるだけで一気に浮世離れした幻想的な雰囲気に変わる。逸材である。この人の他の参加作品も聴いてみたくなった。

  このほかローゼンウィンケル本人とZola Mennenohなる女性歌手がデュオでスキャット歌唱するtrack 11 'interscape'も耳に残る。もうちょっとですわりが悪いと感じさせるぎりぎり手前のところで「気持ちがよい」と感じさせるメロディーラインとなっており、Edu Loboの快と不快の絶妙なバランス感覚を思い出させる。このほか、二曲でMark Turnerが参加しており、それとわかるテナーサックスでのソロを披露する。Eric Claptonも一曲参加しているらしいのだが、いったい何をやっているのかわからない。

  というわけでPMGとはかなり違っていたものの、面白い作品ではある。PMGのような清涼な解放感は無くて、一人でかなりの部分を多重録音した作品らしく密室的であり、かすかな暖かみがある。ジャズファンよりも、実験的ポップ音楽好きの耳に合いそうな気がする。
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子どもたちが出て行った後の家をどう処分するか

2019-02-01 21:43:17 | 読書ノート
野澤千絵『老いた家 衰えぬ街:住まいを終活する』講談社現代新書, 講談社, 2018.

  日本の住宅過剰問題を扱った『老いる家 崩れる街』の続編。前作では政府による規制の過少が問題視されていた。一方、本書のターゲットは住宅所有者で、彼らに「近隣や子孫に迷惑をかけない持ち家の処分の仕方」を訴える内容である。政策提言もあるが、国ではなく地方自治体向けとなっている。

  全国にある戸建ての4軒に1軒は、将来空き家となる可能性が高いという。「空き家予備軍率ランキング」なるものも掲載されていて、栄えある関東第一位は「横浜市栄区‼」って心当たりがありすぎる。妻の実家もそこにあり、京浜東北線の駅から遠く離れた丘陵地帯にまで延々と戸建てが続く風景が思い浮かぶ。通勤に不便なので、今時の若い人はそんなところに住まない。そんな家を相続することになったらどうしたらよいのか。

  使わない家を持っていても維持費や相続税がかかる。更地にすると税金が跳ね上がる。たとえ相続放棄をしても次の買主が見つかるまで管理責任が残る。また、納税するにしても、政府や自治体は土地そのままを接収することは少なく、換金することが求められるらしい。土地売却や管理などのもろもろのことは面倒くさい。そうしたことが嫌で行政からの連絡を無視する相続者も居て、結局土地の処理および管理を自治体が行う──税金で──という結末になることもあるとのこと。

  そんな不心得なことにならないようにと「住まいの終活」の仕方が説かれる。所有者が個人で対策をする必要もあるが、自治体側が少々関与することも必要なようだ。考えるべきことがこまごまとあって、家の処分も大変であることがわかる。よくある街おこしだとかそういう甘い夢は一切語らない、シビアな現実をつきつける内容である。小牧市で二人で暮らす僕の父母にも読んでもらわなくては。
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